熱を出したユニス
次の日の明朝、レイは妙な暑さを感じて目を覚ました。今は一年の中で最も暑い季節だが、流石に寝苦しさを感じる程暑くなる事はヨダ村では殆ど無い。実際体を起こすと、体に纏わり付いていた熱気は消えて、涼しさすら感じる空気が肌を撫でた。
ではあの暑さは何だったのだろうか。そう思った所で、レイは直ぐ横でユニスの呼吸音を聞いた。やけに荒く苦しそうな呼吸音だった。
見ると、薄暗い部屋の中でも分かる程ユニスは頬を赤くして苦しんでいた。額に手を当てて見ると、とても熱くなっていた。
どうやら昨日雨に打たれた所為で風邪を引いたらしい。レイは直ぐにベットから降りると、ユニスに布団を掛けてから部屋を出て母親のユーリを呼びに行った。
部屋の扉を開けると、既にユーリが起きて準備をしている所だった。
「あらレイ。今日は早いのね。もう直ぐ準備出来るから、それまで待っててね」
「それより母さん、ユニスの様子がおかしいんだ。何か苦しそうにしてる。兎に角来てよ」
ユーリの手を引いてユニスの元へ連れて行く。
「…ッ!ユニス!レイはここでユニスを見てて。母さんはユニスを診てくれる人を呼んでくるから」
ユーリはユニスの容態を見るや否や、急いで外に出て行く。今まで家族が病気になる事なんて無かったから、気が動転しているのかもしれない。もしくはこの村では、病気になるとほぼ死が確定してしまう程に厳しい物なのだろうか。
そんな事を考えていると、ユニスが目を覚ました。重たそうに瞼を開けてレイを見る。
「お兄ちゃん…?」
「起きたのか」
「お兄ちゃん…苦しいよ…ユニス、死んじゃうの?」
「今それを調べてくれる人を母さんが連れて来る。今は取り敢えず寝ておけ」
レイがユニスの頭を撫でると、ユニスは小さく微笑んで再び眠りに就いた。
それから暫くして、ユーリが一人の老婆を連れて来た。なんでも村一番の物知りらしい。それだけ生きていれば物知りにもなるだろう。寧ろ老化の影響でボケていないか心配になる。
「この子です」
「ンム、どれどれ」
どうやらその心配は杞憂だったらしい。老婆は頬に手を触れて熱を感じ取ったり、口の中の様子を見たりと的確にユニスの容態を見ていた。菌とかの概念も知らないレベルの医学で良くそこまで出来るものだと内心感心する。
ふと、老婆がレイを見た。シワシワの顔からギョロっとした目がレイと会うが、次の瞬間には笑顔に変わってユーリを見る。
「心配せんでも大丈夫じゃ。昨日の雨で体が冷えて弱ってるだけじゃ。暫く寝かせておけばじきに良くなる」
「そうですか。良かった」
娘の容態が思った程悪くなくて安堵するユーリ。
「取り敢えずは、水の入った桶と手拭いを用意せねばな。レイや、持って来ておくれ」
「水って、ウチの水瓶にはもう殆ど水が無いけど」
「じゃったら川まで行って汲んでくりゃええじゃろ。ぼやぼやせんと行ってこい。男じゃろ」
「男だからって何やっても許される訳じゃ無いと思うけどな」
そう言いつつ渋々度部屋を出て行くレイ。途端に、老婆の顔が渋い物になった。
「さて、問題は治るまでに体が持つかどうかじゃな」
「え?それは、どういうことですか!?」
先程迄大丈夫と安心していたユーリが老婆に詰め寄る。
「この病は確かに放っておけば治る。じゃが幼子の場合じゃと、体の方が持たずに先に死んでしまう事があるんじゃ」
「そんな……!!」
「こればかりは祈る他無い。この子が無事病を乗り越えられる事を」
老婆がこのタイミングで話したのは別に意地悪では無い。子供であるレイにその事を知られないようにする為だった。
しかし中身は既に二十代に突入したレイがその事に気付かない筈が無かった。
水を入れる小さな壺を持って歩きながら、レイは先程の事を思い出す。
(あの時の婆さんの目、俺の事を気にした?)
何かを警戒するかのような目。そしてその直後にレイを部屋から追い出すかのように水汲みをさせた。少なくとも、怪しいと思うには充分な理由だ。
(子供に聞かれる訳には行かない何かを隠す為に。少なくとも、良い話では無いんだろうな)
「ねえレイ、ユニス大丈夫かな?辛く無いかな?」
肩越しにフラムが問い掛けて来る。
『さあな。少なくとも、今俺達に出来るのは水を汲む事くらいだ』
川に辿り着くと、いつものように先に水汲みをしていたフレッド達がいた。
「あっ、レイ!」
早速フレッドが駆け寄って来る。どうやらフレッドは雨の影響を受けなかったらしい。何とかは風邪ひかないとは良く言った物である。
「あらレイ君。今日は一人?お母さんとユニスちゃんは?」
「そうだよ。何でお前一人なんだ?」
「ああ。ちょっとユニスが体調が悪いみたいでな。母さんが様子を見てるから、俺が一人で来たんだ」
下手に苦しそうだったなどと言って心配させるのもあれなので、適当にボカして伝える。
「レイ兄、ユニスちゃんは大丈夫なの?」
「一応物知りの婆さんが診てくれたけど、暫く寝かせてやれば治るってさ」
「そう。良かった〜」
「ヒアリーさんがそう言ってるのなら大丈夫だね。でも、もし何かあったら言ってね。おばちゃん力になるから。お母さんにも伝えておいてね」
そう言われて老婆の名前を思い出した。フレッド辺りがヒー婆ちゃんとばかり言うからそっちで覚えていた。
「うん、分かった。じゃあ俺急いでるから」
ユニスに水を届ける為に、レイは小さな壺に水を汲むと、両手に抱えて家へと戻って行った。
ーーー
ユニスが熱を出してから三日が経った。しかしユニスの症状は良くなるどころか徐々に酷くなっている気すらしている。
あれからレイは両親の部屋で寝起きしていて、子供部屋はユニスが一人寝たきりになっている。風邪がレイにも移る事を憂慮しての事だろう。
そしてユニスが寝込んでいる間レイは何をしていたのかと言うと、特に普段と変わりなく畑仕事に精を出していた。ユニスの世話はユーリがやってくれているので、ユニスに関してレイに出来る事は何も無いのだ。精々一日に一回程度ユニスに顔を見せて励ます程度である。
フレッド達が毎日ユニスの容態を気に掛けて来るが、特に悪い印象を与えない為にも適当に誤魔化した。この世界では医学が殆ど進歩しておらず、殆ど民間療法に頼っているような有様だ。下手に風邪が広まれば、風土病的な扱いになって全員隔離の上焼き払うなんて事にもなりかねないとレイは思ったのだ。
だから周囲には飽くまで変な物を食って腹を壊した程度に思わせておいた方が良いのだ。
しかし幾ら周りに誤魔化した所で、ユニスの容態が良くなる訳でも無い。既にユニスは隣にレイが居ても反応する余裕が無い程に苦しんでいる。
原因は単純だ。普段の食生活に栄養が足りて無いから、免疫力が低下しているのが影響している。だから栄養のある物を食べさせてやれば直ぐに持ち直せるだろう。
しかしレイが産まれてからの家での食事は、野菜の殆ど入っていない超薄味の野菜スープか麦の味しかしない麦粥が常だ。例外的にレイが両腕を犠牲にして狩ったウルフが食卓に並ぶ事があったが、既にそれも無くなって久しい。他の家から分けて貰おうにも、どこの家も似たり寄ったりで、分け与える余裕のある家なんて殆ど無いだろう。ランドやユーリが必死に頭を下げて回っているようだが、碌に集められもしないのは目に見えていた。
だからユニスに栄養のある物を食べさせる事は出来ない。
いや、一応方法ならある。
「………」
レイは今、フレッド達の遊び場から繋がる帰らずの森の入り口にいた。何も言わず、何もせず、ただジッと帰らずの森を見つめていた。
そう、方法ならなるのだ。森の中に入って、栄養のありそうな木の実や果物を取って来るという方法が。勿論両親からの叱責は免れないだろうが、それでユニスの食生活が改善されれば、助かる可能性はとても高くなる。
だが問題はその後だ。レイが果物や木の実を持っている姿を村の人間に見られたら、自分でも行けるんじゃないかと思い上がる奴が出て来てもおかしく無い。何せレイはまだ産まれて七年目の子供、大人からは軽く見られる事だろう。
それだけなら大した問題では無いが、それによって人死にが大量に出ると、その弊害はレイにも跳ね返って来るかもしれない。なんでお前はだけ無事なんだと喚く奴も現れるかもしれないし、レイなら森に入っても大丈夫かもと村にこき使われるかもしれない。
そんなのは御免だ。そんな事になるくらいなら、いっそ大人しくしてた方が良いのかもしれない。
まあだからと言って、両親みたく光の神アドゥルに狂信者みたく必死に祈りを捧げたりはしないが。
「……ハァ」
小さく溜息を吐いて、レイは来た道を戻る。ユニスの事は出来れば助けてやっても良いとは思う。だがそれと自分の人生とを天秤に掛けてと考えると、どうしても自分の方に天秤が傾く。
人生は基本的に一度きりなのだ。本来なら二度目のチャンスが手に入っただけでも奇跡だというのに、その時の感情に流されて失敗するという経験を繰り返す訳には行かない。
そう、結局は自分が一番大事なのだ。地球だろうとこの世界だろうと、レイはこの人間不信な性格になって以来ずっとそうして生きて来た。その事を恥じるつもりは無いし、変えたいとも思わない。結局の所、自分が幸せになれなければ意味が無いのだから。
「ねえレイ」
帰る途中、フラムが定位置とばかりにレイの頭に乗って来た。
『如何した?』
「ユニスちゃん、大丈夫かな?」
終わったばかりの話題を早速掘り返して来た。思わず一瞬眉を顰める。
『さあな。それに関してはユニスの頑張り次第だ』
抵抗力が弱まっているから確実とは言えないが、菌が死滅するまでユニスが保てば、他の病気を併発しない限りユニスの命は助かる。
「レイは助けてあげないの?」
『……俺に出来ることなんて特に無いだろ』
「そんな事無いよ。レイならきっと、ユニスちゃんを助けてくれるよ」
本人を目の前、いや真下にしてさも当然のように断言するフラム。
『一体何の根拠があってそんな出鱈目言うんだよ』
「出鱈目じゃ無いよ!だってね、レイはとっても優しくて、とっても強くて、すっごくカッコイイんだよ!私ね、そんなレイが大好きなの!」
『……誰だよソイツ』
一体何を基準にそんな考えに至ったのか、レイにはさっぱりだったが、本当に、本人の側で良く言う。フラムの精神が子供並みだからなのだろうか。
第一、人を助けるのと格好良さはイコールでは無い。
「だってね、やりたい事やってる時のレイって、すっごくカッコイイんだよ!」
『………』
「んにゃ?レイ、頭熱いよ?大丈夫?」
『……何でも無い、気にするな』
(やりたい事……)
ただ、今の会話でふと、最近の出来事と昔の自分の姿が頭に浮かんだ。やりたい事をやろうとしている今の自分と、やりたい事も出来ずにただ待つだけだった自分。どちらが気分が良いかなんて、考えるまでも無かった。
そして同時に、自分らしく生きる為には地球に居た頃と同じように生きては駄目だという考えが頭に浮かんだ。
「取り敢えず、もう少し自分の思うままに行動する所から始めるか」
「?」
フラムの頭に疑問符を量産させつつ、レイは帰路に着く。その顔は行きとは違い、少しだけ晴れやかになっていた。
ーーー
その日の夜中、レイは両親に【夢への誘い】を掛けると、秘密基地に向かう前にユニスの寝ている部屋を訪れた。
病状が悪化したユニスは以前にも増して呼吸が荒く、身体中から汗を掻いていた。暗くて良く分からなかったが、近付いてみると、目が半開きになっていて、目の焦点は合っていなかった。どこからどう見ても限界である。恐らく、朝を迎える頃にはもう、ユニスは生きてはいないだろう。状況としては以前のエンシェントウルフの母親の時に似ているが、ユニスは子供だ。恐らくあの時よりも深刻と言えるだろう。
「…お…兄…ちゃん…」
掠れた声でレイを呼ぶユニス。起きているのかと思っだか、ただ意識が朦朧としているだけのようだ。今側にレイが居るという事も認識出来ていないだろう。
(これなら行けそうだな)
レイはユニスの頭を軽く撫でた後、半開きになった目を手で覆う。そして一つ魔法を発動させた。
(【悪魔の囁き】)
漆黒の光がレイの手を伝ってユニスに浸透して行く。
「良いかユニス。お前は今夢を見ている。そこでお前は水に浸かっている。とっても良い気持ちだ」
「……夢…良い…気持ち…」
掠れた声で繰り返す。レイの言葉が届いているのか、ユニスの呼吸が若干では有るが荒さが収まった。
【悪魔の囁き】は闇属性の中級魔法だ。その効果は単純明快、相手を催眠状態にする。
相手の意識が弱まっている状態で無いと効果が無いと言う欠点はあるが、今はそれでも問題無い。魔法の補助があれば、レイでもお手軽に催眠術が行使出来るのだ。
「そうだ。とっても良い気持ちだ。今度は目の前に赤くて綺麗な木の実が見えて来るぞ」
「…赤い……木の実……」
テレビで見た催眠術を真似て適当にそれっぽい事を言いながら、レイは【アイテムボックス】から先程言った赤い果物を取り出した。見た目も味も林檎そっくりなので、便宜上そのまま林檎と呼んでいる。何度も口にしているから毒物の心配も無い。
レイはそれを風属性魔法の応用で擦り下ろすと、粘土から自作した器に乗せて、これまた木から自作した匙で掬う。
「今から三つ数えると、ユニスはその木の実を口にするんだ」
「……木の実を……口に……」
「そうだ。それじゃあ行くぞ。一…二…三…はい入った」
ユニスの口の中に擦り林檎を流し込むと、ユニスは小さな口でゆっくりとそれを咀嚼し、飲み込んだ。
「……美味しい…」
特に何も言ってないにも関わらず、自然とそう言う。恐らく産まれて初めての果物の味だ。しかも麦や野菜と違って確り味のする物を食べたのであれば、感動も一入だろう。
「良いぞユニス。さ、また新しい木の実があるぞ」
そう言って次々と林檎を食べさせて行く。林檎は肺がん、脳卒中、心臓病等色んな病気の予防に繋がる食材だと言われている。この世界の林檎も同じかどうかは分からないが、味が同じならきっとその辺も同じだろう。
水分も栄養も豊富だ。今のユニスにはこれだけでもかなり良い方向に作用してくれる筈。
器が空になると、レイはユニスに優しく語りかける。
「ユニス。今から三つ数えると、お前は静かに眠りに就く。そして起きたら、夢の事は忘れるんだ。良いな」
「うん…忘れる…」
「分かった。じゃあ数えるぞ。一…二…三……」
カウントを終えて一拍、魔法を解いて手を離す。
ユニスは催眠通り眠っていた。相変わらず苦しそうなのは変わらないが、それでもさっきまでの死にそうな状態よりはマシになっている。
レイはユニスの顔を一瞥して、それから部屋を出て行った。
ーーー
翌日、ユニスは額に冷たい感触を感じて目を覚ました。丁度母親のユーリが額に冷やした布を乗せ換えた時だった。
「ママ…?」
ユニスがそう言うと、ユーリはギョッとしてユニスを見た。その顔は明らかに、ユニスの容態に驚いていた。
無理も無い。昨日は話す事すら出来ない状態だったのだ。ユーリも祈り続けてはいたが、心の奥底ではユニスの回復はほぼ絶望視していた。
しかし今日になってみれば、ユニスの容態は好転していた。ユーリの心に希望の光が降り注いだような嬉しさが込み上げて来る。
「ユニス!!」
感極まったユーリがユニスを抱き締める。その口は頻りに良かったと零し、目からは嬉し涙が溢れた。
「苦しいよ…ママ…」
ユニスは迷惑そうだったが、それでもユーリは暫くユニスを離さなかった。途中でユーリの泣き声を聞いたと他の村人に言われたランドとレイが畑から戻って来たが、ユーリを止めるどころかランドまで嬉し涙を流す始末だった。
それから毎晩、レイはユニスに【悪魔の囁き】を使い林檎を食べさせた。まだ一日を耐えただけで、安心するのは早いと思ったからだ。
そんなレイの行動が実を結んだのかは知らないが、ユニスは順調に回復し、発症から七日経つ頃には熱も殆ど下がっていた。
その頃には村の連中もユニスが家から出て来ない事に違和感を感じていたが、それもユニスが元気になれば勝手に収まるだろう。
そのユニスは現在、レイの監視の下ベッドで横になっていた。以前動けるようになって家を抜け出そうとした事があった為、勝手に出て行かないようにレイが監視に付いているのだ。
とは言えただ椅子に腰掛けて居るだけだと暇な上、ユニスも暇だと駄々をこねるので、仕方なく適当に話をして時間を潰したりもしていた。
ユニスは上機嫌だった。それもレイが監視を初めてから気持ち悪いくらいにニコニコしている。まるでレイと一緒に居るのが嬉しいでも言わんばかりだ。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
視線だけをユニスに向ける。
「えへへ〜」
お兄ちゃん特に何も言うでも無くただにやけるだけ。もうこのやり取りが既に三回も繰り返されている。流石に用も無いのに何度も呼ばれると、少しばかりイライラする。
「用があるなら早く言え。無いなら大人しく寝ていろ」
「だって〜。何かお兄ちゃんの声を聞くと嬉しくなっちゃって」
「何だよそれ」
【悪魔の囁き】の副作用か何かだろうか。だとしたら次使う時は気を付けなければなるまい。使う度に対象からこんな態度を取られたら気持ち悪い事この上無い。
「兎に角、まだ完全に治った訳じゃ無いんだ。早く外に出たければ、今は大人しくしていろ」
「えー!でももう眠くなんないよ」
「何も眠る必要は無いから安心しろ。横になってるだけでも充分だ」
「ぶー、つまんない!じゃあさ、お兄ちゃん。代わりにまたお話聞かせて!」
「あー分かったから騒ぐな」
「やったぁ!」
嬉しそうに横になったまま万歳するユニス。布団がズレてしまったので、心底面倒そうにレイが掛け直した。
「そうだな、何を話すか……あれで良いか。昔々ーーー」
ユニスに地球にあった昔話をアレンジして聞かせるレイ。その光景はユニスが外に出られるようになるまで繰り返させる事になり、途中からレイがげんなりしてしまうのだが、それは別の話。




