牢獄の少女
ピグマの反応のある部屋の扉へと向かうレイ。その途中、最後の鉄格子の前を通っていた時だった。
「助けて…」
横からか細い声で助けを求める声が聞こえて来た。
足を止めて声をした方を見ると、成る程ピグマが欲しがりそうな将来有望そうな少女が居た。年はユニスと同じくらいだろうか。くすんだ長く白い髪にアメジストのようなムラサキ色の瞳。肌も汚れてしまっているが、真っ当な環境で育てば相当な美人に育つであろう事は何となく予想出来るくらいには、今の薄汚れた姿からでもその容姿の良さが窺えた。
少女は下を向いたまま声を掛けたという事は、殆ど条件反射的に言ったのだろう。誰でも良いから助けて欲しいと、半ば諦め気味に。
それでも他と違って助けを求める事が出来るのは、それ程長くここに囚われていた訳では無いからのだろう。それ程頬も窶れていない事からも分かる。
「悪いが、俺にはお前を助ける事は出来ない」
鉄格子を破壊して外に出す事は可能だが、今の治安の最悪な街の中に少女を放り出せば、瞬く間に命まで剥ぎ取られる事だろう。それでは寧ろ助けると言うよりも殺しているような物だ。
「……そう」
勿論そんな事を口にしていないレイの考えなど少女は知らない。一瞬瞼がピクリと動いたかと思いきや、目の端から雫が流れた。途端に漏れる啜り泣く声。
「何で…?何で誰も、助けてくれ無いの?何で、こんな目に遭うの?私、何も、悪い事して無いのに…」
思いの丈を全て吐き出すように、少女は蹲って嗚咽混じりに感情を吐露する。年端も行かぬ少女なら、いや恐らくここに居る誰もが思って当然の事だ。
自分は悪い事をしたつもりは無いのに、何故こんな目に遭わなければならないのか。
しかしレイから言わせれば、自分の行いと結果はイコールとはならないのは当たり前の事だった。
「お前が悪い事をしていたかどうかなんて、他人からして見れば大した問題じゃ無い。誰かがお前を奴隷にしようとして、そして奴隷になったお前をここの領主が買った。それだけの事だ」
例え誰かが善行を行っても、それが他者に認められなければそれは善行とは成り得ない。極論を言えば、殺人だって世間が認めれば立派な善行になるのだ。
「つまりお前がこんな目に遭っているのは、誰かがお前を奴隷に落とした事と、ここの領主がお前を買った事が原因だ」
その誰かがどんな思いで彼女を奴隷に落としたのかは知らないが、その所為で彼女がこんな苦境に立たされているのであれば、それは彼女からすれば完全な悪行だ。
「分からない……分からないよ。そんな事言われたって分からない」
子供みたいに、いや実際子供らしく駄々を捏ねる少女。恐らく彼女が望んでいるのは、物語に出てくるような、『僕が君を助けてあげる』なんて気障な台詞なのだろう。
理解はしている。してはいるが、そんな恥ずかしい事を言う気にはなれず、レイは頭を掻いた。なんかもう無視しても良いんじゃないかという考えが頭を過ぎる。
こんな子供の戯言に一々耳を貸す事も無いだろう。そんな事よりもさっさと近くにいるピグマを取っちめて、ユニスが温めているベッドでぐっすりと眠りたい。
しかし側にいるフラム達が、レイの事を悲しそうな目でジッと見つているのだ。どうにかして欲しいと言っているかのような目で。
確か前にもそんな目をされた。あれは確か猫の獣人の少女とと出会った時だ。精神的に純粋な精霊には、こういう可哀想な人には手を差し伸べてあげたいと思ってしまうのだろうか。
ならば自分達でどうにかしてやれば良いだろうとおもうのだが、フラム達は決してそんな事はしなかった。
理由を要約すると『レイが考え無しに見捨てているとは思えない』だそうだ。実際色々と考えた末の結論だから間違ってはいないのだが、異様な程信頼されてて寧ろくすぐったかった。
しかしどうした物かと考えている内に、少女の様子は啜り泣きから号泣へと変わって行く。石造りの地下室に少女の泣き声がキンキン響いて煩い。
(あーもう煩い…!)
痺れを切らしたレイが苛立ちをぶつけるように鉄格子を蹴る。ガンッ!という金属のぶつかる音に、少女の肩が跳ね上がる。そんな少女を冷たい目で睨むレイは吐き捨てるように言う。
「甘ったれるな。泣いた所でお前に幸せはやって来ないんだよ。お前自身が幸せになる為に何もして無いんだからな」
「してるよ!でも、誰も…助けてくれないんだもん!」
「じゃあ聞くが、何でお前はそんな所で座っているんだ?まさか幸せになる為にした事が座って助けを求める事だけとか言うんじゃないだろうな?言っとくけど、それは幸せになろうとしているんじゃ無い。幸せを与えられるのを待っているだけだ」
そもそも屋敷の人間に助けを求めても、その屋敷に雇われている人が助けてくれる訳が無い。
「でも、私には、それしか出来ないし…」
「それはお前がそれしか出来ないと思い込んでるだけだ。やりたく無い事を頭が勝手に選択肢から外してしまっているだけなんだよ。確かに牢屋の中で出来る事なんて限られてるが、他にも出来る事なら幾つかある。鉄格子を壊そうとするなり、石の床を剥がして穴を掘るなり、ここの家の主人を篭絡するなりな」
それ等をしないのは単に、自分が無意識の内に嫌だ、出来ない、無理だと思っているからだ。
「別にお前にとってここに居る事よりも嫌ならやる必要は無いぞ。でもここで夢も希望も無く、苦痛と絶望しか無い生活をする事より嫌な事なんてそうそう無いだろ。それともお前にとっては、この牢屋で暮らすのが幸せなのか?」
「違う!こんな暗くて、狭くて、何も無い場所なんてやだよ。もうやだ…」
「なら泣いてる暇なんて無いんじゃないのか?泣いたって誰も助けてはくれない。だったら兎に角足掻くしか無いだろ。今のお前でも、それくらいは出来るだろ」
「……うん」
少女は啜り泣きながらも初めて顔を上げてレイと顔を合わせた。と言ってもレイはフードを被っているので、向こうからはレイの顔は見れないが。
顔を上げた少女の目は少々赤く腫れていたが、先程に比べてほんの少しではあるが光が戻っていた。少しはマシな顔付きになったらしい。
その少女はレイの方を見て、いや、正確にはレイの肩の辺りを凝視して目を見開いた。それはもう、啜り泣く声も止まる程の驚きようだった。
「綺麗な光…」
「ん?」
少女の視線の先を見ると、レイの側で浮遊するエストレアの姿が。彼女もまた驚きの表情で少女を見ていた。
「もしかして、コイツが見えるのか?」
「え?う、うん」
どうやら少女にはエストレアの姿が見えるらしい。今のエストレアは光を放っている訳では無いから、恐らく別の姿に見えるのだろう。エストレアしか見ていないから、見えるのはエストレアだけのようだ。フラム達は見えなくて、エストレアだけは見える。どういう事だと内心首を傾げていると、傍に居るエストレアが口を開いた。
「精霊というのは誰にでも見えるものではありません。魔法に非常に高い適性を持っている人で無いと、私達を見る事は出来ないんです。それに、使える属性によっても、見える精霊の種類は変わります」
魔法にも得意不得意が存在する。レイも理論で説明出来ない現象は苦手で、光属性の浄化や闇属性の精神に作用する魔法を苦手としている。
それでもレイが闇属性魔法を使えるのは、偏に『月の女神の加護』のお蔭である。これによる補正が無ければ闇属性魔法は殆ど使えなかっただろう。
エストレアの言葉を統合すると、
「どうやらあの子には、闇属性魔法の素質があるみたいです。それも相当な素質が」
「成る程な。それで奴隷落ちか」
「え?え?」
一人だけ話に置いてかれた少女。訳も分からず狼狽えている。
レイが指先で近くに来るように指示する。狼狽えながらも例の側に来た少女に、レイは額に指先を付けて魔法を発動させる。
『ここからはーー』
「ひゃうん!?」
突然頭に直接言葉を送り込まれる感覚に驚きの声を上げる少女。今レイの発動したオリジナル魔法【魔力交信】は、相手に自分の思った事を魔力を通して相手に伝える魔法だ。頭に直接情報を伝えられる感覚は初めてなら驚くだろう。
「おい…」
「ご、ごめんなさい」
謝る少女にもう一度額に指先で触れる。
『ここから先はこの方法で話させて貰うぞ。あまり周りに聞かれるのはマズいからな。分かったら一回だけ頷け』
レイの言葉に対して少女が小さく頷いた。それを確認して、レイは語り出す。
『良いか。お前に適性のある闇属性は魔族が使うとされ、人間に忌み嫌われる魔法属性だ。今の時代、闇に関連する物に関わる奴は例外無く迫害されている。お前が奴隷に落とされたのも、何らかの形でお前に闇属性の魔法適性があると気付かれたからだろうな』
「ッ!?」
思わず口を開きそうになったので、片手で塞いで黙らせる。
『いきなり喋るな。周りに聞かれたら怪しまれる。他の奴等にお前が闇属性魔法の適性者だと知られたいのか?』
そう言うと必死に首を横に振った。
『ならここからは俺が指を離すまで一切喋るな。何か言いたい時は思った事を俺に伝えようとするだけで通じる。良いな』
『うん、うん』
思考だけで無く頷いて答えていたので心配になったが、一応頷いていたので口から手を離す。
『んでさっきの話の続きだが、そんなにおかしな話じゃ無い。それだけ闇に対する迫害は厳しい。闇関連の神の信仰者、闇魔法の使い手、その殆どが粛清という名目で処刑されているそうだ。寧ろ奴隷とは言え、お前が今も生きてるのが奇跡とすら思えるな』
『そ、そんな……』
レイの言葉に、少女は呆然としてしまっている。自分がこんな目に遭っていた原因が、まだ使えもしない闇属性魔法への高い適性だったなんて、子供には想像もしなかっただろう。
『お前が思っている以上に世界ってのは残酷なんだよ。牢屋から出られたとしても、その先どうするのか当てが無ければ、どの道また奴隷に逆戻りする羽目になる。何もして無いからって、幸せになれるとは限らないんだよ』
そんな理論が成立するなら、レイが前世であそこまで苦しめられる事は無かっただろう。行動と結果は、必ずしも一致するとは限らないのだ。
『けど、何もしなければ絶対に幸せになれない。つまり、やり方次第ではもう少しマシな生活が出来るようになるだろう。少なくともここに居るよりも、況してや適性がバレて処刑されるよりもな』
『え?』
突然のアドバイスにキョトンとする少女。しかし彼の言葉以外にもう縋る物の無い彼女は、レイの言葉に耳を傾ける。
『そ、それって?』
『決まってるだろ。お前には闇属性魔法への高い適性がある。使わない手は無いだろ。それを使って上手い事バレないように生きて行くんだよ』
『えっ!?む、無理!使ってるのを見られたらバレちゃう!』
『けど俺から言わせれば、お前が他の奴に比べて勝っている所と言えば、闇属性魔法と見栄えくらいなもんだ。それだけで生きて行くには、この弱者に厳しい世界で生きて行くには厳し過ぎる。ま、お前が男に体を売って生活したいと言うのなら話は変わって来るけどな』
『そ、それは…嫌…です』
あんな豚みたいな男に体を触られるのはもう嫌だと、少女の目が言っていた。
『それに闇属性魔法には相手の精神、心に働き掛ける魔法も存在する。相手の受ける恐怖を倍増させたり、眠らせたり、幻覚を見せたりとかな』
そう言うとレイは、少女に向かいの牢屋に座っている奴隷を見るように伝える。そこにはもう何日も寝ていないのか、目の下に隈が出来た女性がいた。
『良く見てろよ』
レイは少女をそう言うと、珍しく普段はやらない詠唱を始めた。
『かの者を安らぎの世界へと誘へ。【夢への誘い】』
レイが魔法を掛けると、向かいの牢屋の女性の目がスッと閉じ、後にスースーと寝息を立て出した。
『す、凄い…』
魔法を始めて見たのか、少女は思わずそんな事を口にした。
『練習すればお前にも使えるようになる。と言うか使えなければ本当に体を売る事になるから、それが嫌なら死ぬ気で覚えるしか無い』
無意識に生唾を飲む少女。
『後は魔力の使い方だな』
そう言うとレイは指先から魔力が流され、少女の魔力と混ざり合って動き回る。
「ッ!?ん…!」
突然体の中を弄られる感覚に、少女から艶の入った声が漏れる。それを我慢しているのか口を固く閉ざして、ボロ切れの服をギュッと握り締めている。
『集中しろ。魔力の動いている感覚を確りと覚えろ』
『は、はい…』
ちゃんと分かってるのか不安になりつつも少女の体の隅から隅まで魔力を循環させる。体中を這うように魔力が伝い、頻りにビクビクと体を震わせる少女。
レイはそれを軽く無視して、ある程度覚えられるであろう時間を取ってから魔力を動かすのを止める。
「ハァ、ハァ、ハァ」
魔力の流動が収まった時の少女は、息を切らしながら頬を染めて、心ここに在らずと言った感じで潤んだ目を虚空に向けていた。
『今の感覚を頼りに魔力を動かす練習をしろ。そうすれば魔法を発動するした時にスムーズに発動出来る』
『はい…』
本当にどうしたのだろうかと内心首を傾げていると、レイの肩に乗っていたシエルがヒソヒソと話し掛けて来た。
「レイ、今分かった事なんだけどさ。レイの魔力に触るのが愛撫近いって言うのは、どうやら精霊だけじゃ無いみたい」
(という事はまさか…)
嫌な汗が背中を伝う。
「もう気付いたと思うけど、レイに魔力を流されるって事は、内側から体を愛撫されてるような感じになってるみたいだね」
(何て事だ…)
思わず顔を手で覆いそうになってしまうが、そこは堪えて平静を装った。取り敢えずこれはあまり使用しないようにしようと決め、少女から手を離す。
「これで教える事は全てだ。後は自力で何とかしろ」
「え?行っちゃうの?」
「当たり前だ。俺はお前を助けに来たんじゃ無い。この先に居る領主を引っ捕えに来ただけだ」
好い加減義勇軍もレイが壊した抜け道を通って追って来ている。最低限の事は教えたし、ここ等で寄り道を終えて目的を終わらせたいのだ。
「ここから先どうするのかはお前の好きにしろ。幸せになれるかなんて俺は知らんが、精々足掻いて、強く生きれば、それなりの人生を生きて行けるだろう。せめて死ぬ時になっても後悔しないように気を付けるんだな」
前世の俺みたいに、という自嘲の言葉を心の中で呟きつつ、レイは少女の前から立ち去り、ピグマの反応のあると思われる扉の前にやって来た。
近くで見ると、石造りの空間とは似ても似つかない豪華な扉だった。装飾もレリーフも全て金色だ。この世界にメッキ技術があったかどうかも分からないが、どちらにせよ趣味が良いとはお世辞にも言えなかった。
こうも露骨に周囲の景観とそぐわないこの扉を見ていると、一目でここには何かがあると主張されているような感じすらして来る。罠という可能性は、領主の性格的に無視して良いだろう。
そんな事を思っていると、後ろからガタガタと音が聞こえたかと思ったら、レイの来た通路からローグ達義勇軍がやって来た。
「お前は!こんな所で何をしている!?」
裏切りを警戒してか剣を構えるローグ達。
「お前等が屋敷に進入したと同時に、あの豚が通路に入って行くのが見えたから、逃げられないように後を追ってたんだよ」
その言葉は、暗にお前等が遅過ぎた所為で俺が動かなくちゃならなくなったと言っていた。
その意味に気付いたのはローグだけのようだが、彼は眉をピクリとさせた後に「そうか」と言うだけで何も追求しては来なかった。
一応警戒は解いたのか剣ローグが剣を下ろすと、周囲もそれに倣う。
「という事は、この扉の向こうに領主が居るという事か?」
「恐らくな。何の目的でここに来たのかは分からないが、この部屋に入ってから何やらコソコソやってるようだな。隠し玉でも用意してるのかね」
「分からんな。だが領主の屋敷には、大まかに調べても宝物庫が見当たらなかった。恐らくここが宝物庫なのかもしれないな」
「自分の命よりも金かよ」
となると外の警備も、自分の命の為にでは無く、自分の財産を守らせる為に用意された者達だったという事になる。警備兵達が聞いたら何て思うのだろうか。
「もし本当にここが宝物庫なら、もう逃げ場は無い。一気に押し入って、奴の首を取る」
ローグも、ローグの仲間達五人もやる気は充分だ。
「何か隠し玉があるかもしれないから、気をつけて行けよ」
「何だよ。ここまで来て随分と弱腰じゃねーか」
昨日レイが気絶させた大柄な男がしたり顔で厭味を言う。
「一応注意しとけって意味だ。お前等がちゃんと仕留めてくれれば、俺の負担が減るんだからな」
飽くまでも自分の為である。別に目の前の男達が何人死のうがどうでも良いのだが、作戦が失敗に終わるのだけは看過出来ないのだ。
それにさっきまで小さく動き回っていた反応が、今では全く動かなくなっている。恐らく敵を待ち構えて入って来た所で何かしらするつもりなのだろう。
これ等の理由から一応注意喚起はしておいたが、殆ど聞く耳持たずだ。精々ローグが気に留めている程度である。本当にこいつ等大丈夫なんだろうかとレイが眉を顰める中、遂に号令が出た。
「行くぞ!」
ローグの号令と共に、義勇軍が扉を蹴破って一斉に押し入る。
瞬間、宝物庫内部から突風が発生。義勇軍に襲い掛かった。




