首を斬って心を折る
フレッド達がウルフの群れに襲われ、ジムが死んだ日の翌日の朝。ヨダ村の一画に、村人全員が集められていた。レイ達は勿論、フレッドやエリック、それにフレッドの母親の姿もある。というより村の皆がその集まりの中心を見て騒ついていた。
その中心には豚のように肥えた身なりの良い中年の男と昨日の事件で関わった貴族の息子、彼等を守るように展開している鉄のプレートメイルに身を包んだ武装した兵士達、そして両手両足を縛られた上に全身傷だらけになったフレッドの父親の姿があった。切り傷は無く全て打撲痕だ。殴られた拍子に切ったのか口の端から血が流れている。
「なあレイ。何で俺の父ちゃんが殺されなきゃならないんだ?もしかして、昨日の事が原因か?俺があの貴族を殴ったりしたから」
震える声を聞いて隣を見ると、フレッドが拳を固く握って唇を噛み締めていた。その更に隣ではエリックが険しい表情でフレッドの服を掴んでいる。貴族の息子の方がそれを見てニヤニヤしていたが、レイと視線が合うと慌てて視線を逸らした。
「それなら俺達だって無事じゃ済まない筈だ。どっちかと言うと、前に話してた納税関連じゃないのか?」
レイ達がそんな事を話していると、兵士の一人が前に出た。
「これより!領主ピグマ=ハウゼン様に狼藉を働いた不届き者の処刑を執り行う!この男はハウゼン様に謁見する栄誉を得たにも関わらず、そのハウゼン様を口汚く罵った上に、そのご尊顔に拳を叩き付けるという暴挙に及んだ!」
言われて見ると、ピグマ=ハウゼンの頬に殴られたような痣が出来ていた。同じ日に貴族の顔を殴るとは、流石親子と言った所か。そんな所は似なくても良いだろうに。
「平民でありながら領主様に手を上げた罪は万死に値する!よってここに死刑に処すものとする!」
「何が領主様だ…!俺達の事なんか麦を作る道具程度にしか考えて無え癖によ…!」
先程まで黙っていたフレッドの父親が一転して口を開いた。一目で分かる通り相当ダメージを受けているのだろう、息も絶え絶えで苦しそうだ。
口上を述べていた兵士が命令すると、フレッドの父親の側に居た兵士二人がフレッドの父親を地面に押さえ付けるが、それでも力を振り絞って口を開いた。
「皆聞いてくれ!アイツは、ここの領主は、俺達の事を人間だと思って無え!」
その言葉に騒然とする村人達、フレッドの父親は彼等に向けて、自分が昨日何があったのかを話し出した。
ーーー
「頼む!どうか今年の税の引き上げを撤回してくれ!」
その日、領主と直接話す事が出来たフレッドの父親は、床に膝と両の拳を着いて頭を下げていた。日本で言う所の土下座に近い形だ。言葉遣いはなっていないが、田舎育ちの学の無い庶民に敬語を話せという方が無理な話だ。
「今年は麦の調子が良く無えんだ。豊作の年の蓄えももう殆ど残っちゃいねえ。このままじゃ俺達は、今年の冬を越せなくなっちまう。だから頼む!この通りだ!」
額を床に着けて懇願する。それを冷めた目でみるピグマはそれを見て鼻で笑うと、「客人がお帰りだ」とだけ言った。
「待ってくれよ!俺達にだって生活があるんだ!何も無しに引き下がれるかよ!」
「おいお前!領主様に対してその言い方は何だ!」
「煩え!下っ端は黙ってろ!」
注意して来たピグマの護衛を一喝していると、ピグマが低い声で笑い出した。
「生活だと?貴様等如き平民の生活と、儂等貴族の生活を一緒にするんじゃ無い。この村は儂の領土だ。儂の物だ。儂の物をどう使おうが儂の勝手だ」
「ふざけんな!この村は俺達の村だ!家を建てたのも、畑を耕したのも、麦を作ったのも全部俺達だ!本来何もして無えアンタが勝手に奪って良い物じゃ無えんだよ!」
「分からん奴だな。言ってみれば貴様等は、儂の領土に住まわして貰っている立場だ。家主に家賃を払うのは当たり前の事で、住み続ける限り拒否する権利は無い。例え家賃が高くなろうがな。それが出来ないのなら、他の土地に移り住めば良い。尤も、領土間の行き来には通行料が掛かる。貴様如き明日の食事にも困る貧乏人が用意出来る額では無いがな」
恐らく町で普通に暮らしている人なら払えなくは無い額なのだろうが、そんな人はそもそも生活に困ってはいない。困るのは生活がギリギリの底辺に位置する人間達で、そんな人達は通行料を払えるだけの金が無い奴ばかりだ。
そうやって上手い事住民に逃げられないようにしているのだろう。考えた人の性格の悪さが伺える。
「テメェ…!」
ピグマに掴み掛かろうとしたフレッドの父親だが、それは護衛の兵士達に取り押さえられて叶わなかった。
「所詮平民は、貴族に搾取されるだけの奴隷に過ぎんのだ。麦を納められないのであれば、貴様等に生きる価値は無い」
「ッ!このクソ野郎がッ!!」
フレッドの父親は怒りのまま自身を取り押さえていた兵士達を力づくで振り解くと、全力でピグマの顔を殴り飛ばした。農夫の鍛えられた腕で殴られたピグマは椅子ごと後ろに倒れる。
音を聞き付けて付近の兵士達が次々と部屋に雪崩れ込み、たちまちフレッドの父親は大量の兵士達によって押さえ付けられた。しかしそれでも尚、フレッドの父親は全力で暴れながらピグマを睨み付けていた。
「俺達はテメェの道具でも無けりゃ奴隷でも無え!領主だからって何でも思い通りになるとか思ってんじゃ無えぞ!」
「き、貴様…平民の分際で!何をやっている貴様等!早くその野蛮な男を引っ捕らえろ!村の住民の目の前で、その首を刎ねてやる!」
領主の命令で大勢の兵士達がフレッドの父親を拘束すべく襲い掛かった。全力で抵抗したフレッドの父親だったが、多勢に無勢で捕らえられ、領主の権限によって打ち首が決定した。
ーーー
フレッドの父親の話が終わると、場はシンと静まり返った。あまりにも酷過ぎる領主の物言いに、誰もが言葉も出なかった。
「俺達は領主から見りゃ、死んでも構わねえ存在として扱われてやがったんだ!」
フレッドの父親のその言葉に、村人達から次々とピグマへの批判の声が上がる。
「ふざけるな!」
「俺たちの事をバカにしやがって!」
「俺達を奴隷と一緒にすんじゃ無え!」
「静まれー!!これ以上騒ぐ者は、反逆罪として纏めて処刑する!」
兵士達が一斉に抜剣して構えると、村人達は皆押し黙った。いきなり呼び出されて農機具も持っていない彼等では、武装した兵士達には歯が立たないのは分かり切った事だ。
村人達が大人しくなったのを確認すると、兵士の一人がフレッドの父親に近付いた。以前レイの頭を踏み付けた奴だ。
同時にフレッドの父親が地面に押し付けられた。あまりに暴れるので、首を跳ねるのに邪魔にならないように、無理矢理身動きを取れなくしたのだ。
「父ちゃん!」
村人達が息を呑む中、フレッドがいの一番に飛び出した。エリックも袖から手が外れて、完全にフリーになるが、それを見越したレイが足を掛けて転ばせた。盛大に転ぶフレッドを、母親のポーラが押さえ付ける。
「何すんだよ母ちゃん!離せよ!早くしないと父ちゃんが!」
フレッドの叫び声だけが虚しく木霊する。そんな中で口を開いたのは、フレッドの父親だった。
「フレッドォォォォォ!!!」
「ッ!?」
「負けるなよ!へこたれるなよ!俺が居なくなっても、強く生きろ!」
それは、父親が息子に遺した最期のメッセージだった。残された短い時間を使って、息子に送れる精一杯の言葉だった。
そしてフレッドの父親は更に、この場にいる村人全員に向けて、傷だらけの体で、残された生命力を搾り出すようにして、吠えるように叫んだ。
「俺達は奴隷なんかじゃ無えッッッ!!!」
その言葉の後、フレッドの父親の首は刎ねられた。胴体から離れて転がる首、一拍遅れて斬られた場所からドバドバと血が溢れた。
あっという間の出来事。誰も言葉を発する事も無く、フレッドの父親は処刑された。
ピグマとその息子は処刑が終わると、兵士達を連れて屋敷に戻って行った。後に残されたその場には周囲から泣き崩れる村人達の声が上がっていたが、フレッドには呆然としたまま何一つ聞こえていなかった。まるで時が止まってしまったかのように、フレッドも、フレッドの父親も、ピクリとも動かなかった。
ーーー
フレッドの父親の葬儀は直ぐに行われた。と言っても教会も無い辺境の村では、葬儀なんて遺体を墓に埋めて墓石代わりの木をクロスさせて紐で縛って作った簡素な十字架を立てるだけだ。珍しいと言えば、見た目肝っ玉母ちゃんでフレッドの母親のポーラが涙していた所だろうか。ワンワン泣き喚くような感じでは無かったが、静かに涙する様子は、紛れも無く一人の女性であったと言える。
葬儀にはフレッドの父親の他にジムの分も同時に執り行われた。まだ遺体も見付かってないのにと思われるだろうが、そこは森の中で見つかる保証が無い事と、単にジムの両親がせめて墓くらい立ててやりたいとの要望からだった。
フレッドは新たに建てられた二つの墓の前に立ち尽くす。片方は自分の友人、そしてもう一つは自分の父親の墓だ。その顔に表情は無く、まるで目を開けたまましでいるかのように、ただ呆然と立ち尽くしていた。
そんなフレッドの後ろでは、エリックを始めとしたレイ達が集まって(レイ以外が)心配そうにフレッドを見ている。慰めてやりたいが、何て言葉を掛けてやれば良いのか分からない子供達には、ただ見守る事しか出来なかった。
「………なあ、レイ」
この場に居るのを知ってか知らずか、フレッドがレイに声を掛けた。
「…何だ?」
「これって、夢か何かか?本当は目が覚めたら、俺はベッドに寝っ転がってるんじゃないか?」
精神の負担に耐え切れなくなって現実逃避し出したのだろうか、突然そんな事を言い出した。こうして紡がれる言葉にも覇気は無く、まるで魂と共に口から漏れたかのような感じだった。
「何なら俺が今直ぐ叩き起こしてやろうか?残念ながら、これは紛れも無く現実だ。強い奴が全てを得て、弱い奴が全てを失う、クソったれな現実だよ、フレッド」
「じゃあ、俺の父ちゃんは弱かったって言うのか?父ちゃんは弱かったから死んだのか?」
そう聞くフレッドの声は荒んでいた。恐らくイエスと答えれば即座にレイに殴り掛かったかもしれない。尤もそう言うつもりはレイには無かったが。
「弱かったと言うよりは、望んだ物に対して力が足りなかったと表現すべきだろうな」
フレッドの父親は貴族を説得して税を軽くして貰おうとしていた。そしてそれを叶えるに足る力が無かったから死んだのだ。レイは遠回しにそう言った。
「貴族を説き伏せるだけの力が無かった。村の皆を奴隷呼ばわりされて、堪えるだけの力が無かった。取り押さえようとした兵士達を退ける力が無かった。極端な話、もしそれ等の中のどれか一つでも持ち合わせていれば、少なくともフレッドの父さんは死なずに済んだだろうな」
言葉で勝てなくても、力で勝てなくても、最悪耐え忍ぶ力があれば少なくとも死刑にはならなかったのだ。戦って勝つ事も、我慢する事も出来ないのでは、生き残る事は出来ない。フレッドの父親の立たされた状況というのはそういうものだったのだ。
子供のようにあれも嫌これも嫌では世の中は生きられないのは、地球でもこの世界でも変わらない。時には我慢しなければならない事が必ず出て来るのだ。
「それがお前が言ってた、耐え忍ぶ戦いって奴か?」
それは数日前にレイがフレッドに向けて言った事であった。フレッドにしては珍しく覚えていたらしい。
「その場でどうにか出来るんなら話は別だけどな。そうで無いのなら、時には泥を被り、歯を食いしばって堪える事も必要だ。死んでしまえばもう戦う事も、怒る事も、動く事すら出来なくなる」
そう言ってフレッドの前に並べられた二つの墓を見る。彼等はもう動く事は無い。仮に動き出したとしたら、それはもう生きていた頃の二人では無く、ただの二体の魔物としてだ。
何をするにも、先ず生きていなければならない。そうでなければ何も成す事は出来ないのだ。
遠くで馬の嘶く声が聞こえて来た。何事かと見てみると、貴族達がお帰りらしい。二台の馬車に乗り込む貴族達の姿があった。
「ん?あれ?」
「ちょっと待って。あれって…」
馬車の後ろには、兵士達に連行される三人の女性の姿が有った。皆十代後半の村の娘だ。朝に何度も顔を見ているから分かる。
「なるほど、そういう事か」
「そういう事って…どういう事だよ」
「貴族がこの村に来た目的だ」
連れて行かれている三人は村特有の芋っぽさの無い掛け値無しの美人だ。大方妾と称して気に入った女を連れて帰るつもりなのだろう。そしてそれこそが性悪領主がこんな辺境にまで足を運んだ理由だ。
則ち、好みの女を自分の目で見極める為。
「自分の趣味に合う女を自分の物にする為に態々こんな所にまで足を運んできたと」
「何だよそれ…!そんな事の為にアイツはここに来て、父ちゃんを殺したのかよ!」
「アイツにとって俺達は奴隷みたいな物だってのは、お前の父親が言ってた事だろ」
連行される女性達の後ろには、一人の男が膝から崩れ落ちていた。恐らく、あの中の誰かと婚約でもしていたのだろう。
「婚約者がいても御構い無しか。益々性根が腐ってやがるな」
陰でレイがそんな事を言っているのも知らず、馬車は村を出発した。出来ればそのまま二度と来て欲しくは無い。恐らく、村の皆がそう思った事だろう。
「なあレイ。教えてくれよ。俺達はどうしたら良いんだ?俺達は、こうして我慢する事しか出来ないのか?」
拳を血が出て来そうなくらいに固く握ったまま、フレッドはそう聞いて来た。普段の遊びの内容を聞くような、そんな気楽な感じとは程遠く、とても重苦しい声だった。
「さっきも言った通りだ。力が無いなら、堪えるしかない。何かを成し遂げたいなら、何かを守りたいなら、それに見合う力を付けろ。腕でも頭でも、権力でも良い。相手と張り合うだけの力を身に付けろ。そうしないと戦っても勝てはしないし、何も守る事は出来ないぞ」
そう言って、レイは踵を返した。慌ててユニスが追いかけて来る。
「レイ!どこに行くの!?」
「畑。少しでも麦の収穫増やさないと、もしかしたら冬を越せないかもしれないからな」
フレッド達の所を辞去して畑の方へと向かうレイ。
「お兄ちゃん。フレッドお兄ちゃん何か怖かったよ。喧嘩でもしたの?」
追い付いたユニスがそう聞いて来た。最後まで目を塞がれていたユニスには、フレッドの父親の死に様も、それに対する貴族への怒りも理解出来ないようだ。
「そんなんじゃ無い。あれは自分の思い通りに行かなくて苛々してただけだ。暫くすればいつも通りに戻るから、心配は要らない」
「本当?」
「ああ、本当だ。だから気にするな」
髪を梳くように撫でてやると、嬉しそうに顔を綻ばせた。殆どケアどころか碌に洗ってもいない髪はゴワゴワであまり触り心地の良いものでは無かったが、それも今更だろう。今でこそ水を引いて秘密基地で毎晩洗っているから何とか我慢出来ているが、レイも帰らずの森の中に湖を見付けるまでは碌に洗えない髪や頭皮の痒みに悩まされたものだ。
(しかし…)
周囲を見渡すと、村人達が皆が暗い顔をしているのが一目で分かる。領主の横暴とフレッドの父親の死で心が折られてしまっていた。
ピグマ=ハウゼン。領主というのがどれだけ偉いのかは分からないが、自分の家で大人しくしていれば良いものを、勝手に現れて好き勝手村を荒らして、挙げ句の果てに税を重くして生活を苦しめるとは。やってくれる。
別に村そのものに思い入れは然程無いが、ピグマのやり方には少々腹が立った。
(このまま黙って引き下がるのは、流石に無いよな)
正義感とかでは無い。これは単なる自己満足の為だ。自分らしく生きると決めた以上、昔のように堪えるだけという訳には行かない。仮にその所為で村に居辛くなったとしても、もう二度と、やられるだけの自分には戻るつもりは無かった。
(やられた分はきっちり返す。待ってろ豚野郎。俺の気に障った事を必ず後悔させてやる)
レイは自宅に戻ってユニスを家に帰すと、一人ある場所へと歩き出した。




