貴族がやって来た
そろそろシリアス方面に話を進めますか。
暫く暗い話が続きますが、どうかお付き合い下さい。
レイの住むヨダ村に一番暑い季節がやって来た。地球で言う所の夏と言うべきなのだろうが、ヨダ村は一年を通して極端に気温が高くなる事は無いのでそれ程暑くは無く、全体的に見れば少し暑いくらいのレベルだった。
それでも動いていれば汗は掻くくらいの気温で、かく言うレイも額から流れる汗を拭いながら鍬を振るっていた。六回目の暖かい季節が来てから父親のランドがやっている畑仕事の手伝いが始まり、やはりフレッド達と集まる機会もかなり減った。それでも時々は集まって遊んだりもするので、それ程変わりはしない。
とはいえ今日は集まれるような暇は無く、レイは今日も今日とて畑仕事の手伝いだ。
畑仕事とは言っても、今持っている畑は全て麦が植えてあるので、今やっているのは新たな畑作り、つまり開墾である。ヨダ村には空き地が多く、それと反比例して人口が少ない。辺境の地だから仕方ないのかもしれないが、逆に言えばその分個人の畑が増やせるからラッキーなのかもしれない。
地球のように機械は無いので全て手作業で行われ、最終的に開墾した内の幾らかの畑が成人した時のレイの畑になる。まあレイは成人したら村を出るつもりなので最終的には全てランドの物になるだろうから無駄な仕事をしている気もするのだが。
それでもこれはこれで中々に体を鍛えるのに丁度良いのだ。この世界では体が一番の資本だ。成人してヨダ村を出ても貧弱な体ではやって行けないかもしれない。だから体を鍛える為にも畑仕事というのはありかもしれない。とは言え子供の体力では少々厳しい物があるので、そこは魔法で補助して日々を乗り切っている。
これは身体強化と言って、魔法というよりは魔力の操作技術の応用みたいなものだ。文字通り魔力によって体を強化する技術で、レイはそれを使って筋力や筋持久力、更には純粋な肉体の強度を補っていたのだ。お蔭で近くの畑で働いていたフレッドが疲れてフラフラになっても、レイは汗を掻く程度に収まっている。
「あ゛〜!何でレイは元気なんだよ!どこかでコッソリ手抜いてんじゃ無いのか!?」
「抜く訳無いだろ」
地面に倒れてレイが元気な事に不服を申し立てるフレッド。倒れながらもそこまで騒げるのならフレッドも十分元気である。
というかレイからしてみれば魔法も無しに一日中働いてまだそれだけ元気なフレッドの方が異常である。
「と言うか、お前の場合は疲れたと言うよりも面倒になったって言うべきなんじゃないのか?」
フレッドは興味のある事に関してに限定すれば、ある意味体力は無尽蔵と言っても過言では無い。だからこうしてダラけるのはやる気が無い証拠だ。
「ヴッ!で、でも疲れてるのは本当だからな!嘘は吐いて無いもんね〜」
舌を出して屁理屈捏ねるフレッド。真面目に相手すると面倒なので適当に聞き流して置く。地球の頃から培って来たスルースキルは異世界でも大活躍である。
(しかし…)
フレッドの事は意識の端に寄せ、中心に置くのはランドの所持する麦畑だ。この時期なら青々と生い茂るとは言わないが、それでも実りへ向かう麦が茂る麦畑。それが今年は、どこか青さがくすんで見える。
麦畑の側でレイの父親であるランドと、フレッドの父親が会話しているが、その表情は明るい物とは言えなかった。
フレッドの父親はフレッドと同じ赤茶けた髪をした偉丈夫で村の小さな自警団を束ねている存在だ。とはいえヨダ村のようなちっぽけな村にはお似合いのちっぽけな規模の自警団なので、仕事も森から魔物が出て来ないか見張る程度だ。
村を守る重要な役割にも関わらず貧乏な村の為納税は免除されず、その為こうして畑を耕しているという訳だ。まあそれでも年に数回ウルフを狩って来るのだから実力も村の中ではある方だし、その素材を売っているので村の中ではかなり裕福な方だ。
そんな男が苦い顔をするという事は、あまり良い話では無いのだろう。恐らくは今年の麦の話だ。
(今年は豊作とは行かなそうだな。最悪少し厳しい生活になりそうだ。…ただでさえ薄い味のスープが更に薄くなるのか)
麦粥なら麦の量が相当減りそうだ。今から寒い時期の事を考えて憂鬱になる。別に【アイテムボックス】を探れば食べ物は沢山あるから空腹に喘ぐ事にはならなそうだが、だからと言って美味しく無い飯を食べて平気という訳では無いのだ。
「今年は苦労しそうだな」
「ん?何か言ったか?」
「いや、何も」
子供にそんな事を話した所で意味など無いと、フレッドに話すのは止めておいた。安易に不安を煽るような事を言う必要も無い。
「そもそもさ、何でこんな事しなくちゃならないんだよ」
「将来立派な農夫になる為じゃ無いのか?」
「俺は冒険者になりたいんだ!」
「分かってるって。でもそれとこれとは別だろ。この村にはこの村の掟がある。この村を出るまでは、お前はただの村人で、この村の掟を守らなくちゃならないんだからな」
例え本人が必要として無い事であろうと、余程理不尽で無い限りは従うべきだろう。開墾だって決して無駄な作業という訳では無いのだ。フレッドが貰う筈だった分はフレッドの父親が相続し、その分フレッドの実家は裕福になって生き残る確率が上がるのだから。
「お前が冒険者になる事を疑ったりはしない。でもそうなると村を出たら、殆ど親と顔を合わせる事も無くなるんだ。今の内に親孝行しとけ」
「チェッ!お前まで村の皆みたいな事言うのかよ」
「それはお前が『大きくなったらドラゴンを狩る!』なんて村の皆に言ったからだろ」
フレッドが冒険者志望なのは最早村中に知れ渡っているから、畑仕事なんていう興味の無い事に関してはやる気が直ぐに無くなるフレッドに、皆同じ事を言ったのだろう。
「嘘じゃ無い!俺は絶対にドラゴンを狩ってみせるんだ!」
「だったら先ずは麦穂を刈れるようになれ」
畑相手に苦戦するような奴がドラゴンを倒す事は出来ないだろう。ただの農民ではウルフすら単独では倒せない。フレッドも暇を見付けては闇雲に棒切れを振り回して素振りをしているが、それだって効果があるとは限らない。
いや、寧ろ無いと言って良いだろう。フレッドがやっているのは感覚だけ冒険者に成り切るごっこ遊びの延長だ。型も体の動かし方も滅茶苦茶な素振りでは大した意味は無いだろう。
つまり今のフレッドでは、ドラゴンどころかウルフすら倒せないという事だ。ならば精々畑仕事で力だけでも付けておいた方が良い。そっちの方がまだフレッド為になる。冒険者なるにせよ、ならないにせよだ。
ーーー
それから更に数日が経過したある日、珍しく家の手伝いが無かったレイ達はいつもの場所に集まって鳥籠をして遊んでいた。
初めて遊んで以来、子供達の遊び心か闘争心かは分からないが、心の中の何かに火を点けてしまったらしく、皆こうして集まると大抵この鳥籠で遊んでいる。最近ではよりスリルを求めて罰ゲームが追加され、最初に定めた回数で一番鳥役をやった回数が多かった奴が何かしらの罰ゲームをやらされるという、レイからしてみれば傍迷惑でしか無いルールになっていた。
罰ゲームはその日その時によって変わり、例えばフレッドの時は頭に花を飾って家に帰らせたり、ジムの時には四つん這いになって一番鳥役が少なかったネリーの椅子になったり、コニーの時にはその日一日女口調で喋らされたりと様々だ。
実はレイもフレッド達の結託による集中攻撃によって罰ゲームを受けさせられており、その時は勇者ごっこの時にやっていた魔王の演技や、自宅までユニスを背負って帰るといった事をやらされたが、それは既に記憶の奥底の黒い表紙の歴史書に封印された。最後の行に流石に一対七は分が悪かったと書かれているのも、恐らくもう二度と見る事は無いだろう。
そんな昔の事はさておき、鳥籠で遊んでいる中、ジムが何かを発見した。
「ん?何だあれ?」
皆その一言に鳥籠を中断してジムの下に集まる。
「どうしたんだジム」
「ほら、村の入り口の向こう。何か凄えのが見えるぞ」
ジムの言っていた方には、ヨダ村に向かって来る二台の馬車があった。遠くて細部までは見えないが悪趣味な程に装飾の施されたその馬車の周りを、結構な数の護衛が囲んでいた。
「何だあの馬車」
「行商のおじさんじゃ無いわよね。あんな凄い馬車じゃ無いもの」
「それに周りにいる人達も凄い強そう。何か馬車を守ってるみたいだね」
「大人数に守られる程の奴って事は、あの中にいるのは貴族かその辺だろうな」
しかし、こんな辺境の村に一体何の用があって来たのだろうか。自分の生まれ育った村にこんな事を言うのもどうかと思うが、レイの住むヨダ村はかなりの僻地に存在している。村の入り口は今レイ達が見ている一本のみ、そして残る三方向を魔境と呼ばれる危険地帯である帰らずの森に囲まれてしまっている。観光スポットなど存在せず、主産業は農耕による麦。
来ても何の面白みの無いただの辺境の村に、貴族が一体何しに来たと言うのだろうか。
「貴族!?あの中に貴族が乗ってるのか!?」
しかしそんな事は村の子供からすればどうでも良いようで、フレッドは初めて見る貴族の馬車に目をキラキラさせていた。
「なあ、もっと近くで見ようぜ」
そう言うなり、フレッドは我先にと駆け出した。
「あ、おい!クソッ!お前等はここで待ってろ!アイツ連れ戻して来る!」
「そんなに慌てなくても、近くで見たくらいで怒られたりはしないだろ?」
辺境と言えど貴族の存在は教えられている。平民とは違い、国から領地を任される偉い存在だという事も。そして下手に無礼な態度を取れば牢屋に入れられ、最悪殺される可能性があるという事も。
しかしたかが馬車を見たからと言って牢屋に入れられるような事にはならないと、普通なら誰もが思うだろう。
「それかまともな貴族ならな…!!」
「え?」
あの悪趣味な装飾を見れば、まともな貴族では無い事は明らかだ。乗っているのはほぼ百パーセント性根の腐った屑貴族だ。
しかも見に行ったのはお調子者のフレッドだ。近くで見るの『近く』がどの程度なのか分かったものでは無い。下手すれば本当に間近で見る可能性も否定出来無い。
そしてそんな至近距離で騒ぎ立てれば、性格の悪い貴族ならその場で殺そうとして来てもおかしくは無い。
「兎に角お前達はここで待ってろ!良いな!?」
「あ、レイ!」
レイは返事を聞かずにフレッドを追い掛けた。何かに興味を示した時のフレッドの体力は馬鹿に出来ない。身体強化をして全力で追い掛ける。出来ればフレッドが馬車と接触する前にどうにかして引き止めたい所だ。
ーーー
フレッド馬車の通る小道に一番乗りでやって来た。途中後ろを振り返る事は無く、ひたすら馬車のみを見て真っ直ぐ向かって来たのだ。
「うわ〜、スッゲ〜」
近くで見るとその凄さがハッキリ分かる。派手な装飾を施された馬車は煌びやかで豪華だ。その周りを取り囲む護衛は皆屈強な男達ばかりで、身に付けられた鉄の鎧が太陽の光を反射していた。
産まれて初めて見るド迫力の光景に、フレッドは目を奪われていた。そして気が付けば小道の直ぐ傍まで近付いてしまっていた。
「凄え!こんな馬車見た事無えや!」
そんな風にはしゃげば、当然護衛もフレッドに気付く。
「おい!お前こんな所で何やってんだ!邪魔だからどっか行け!」
出て来たのはとても大柄で、それに比例するかのように態度も大きい男だった。男はフレッドに近付くなり追い払おうとして来た。
「何だよ!別に近くで見るくらい良いじゃん!」
「煩え!こっちは忙しいんだよ!ガキが周りをチョロチョロされたら気が散ってしょうが無えだろーが。とっとと失せやがれ!」
「ーーグゥ!?」
男の蹴りがフレッドに直撃した。蹴飛ばされたフレッドは地面を転がり、腹部の痛みに咽せる。
「ゲホッ!ゲホッ!何すんだよ!」
「フンッ、テメェがいつまでもそこで突っ立ってんのが悪いんじゃねーか」
「クソッ、このーーー」
頭に来たフレッドは相手が武装した兵士だという事も忘れて突貫しようとするが、突然後ろから襟を掴まれて引き止められた。
咄嗟に後ろを見ると、そこにはフレッドの襟を掴むレイの姿が。
「レイ!?何しやがーーうわっ!?」
レイは文句を言わせる間も与えずフレッドの服を引っ張って体制を崩させると、フレッドの頭を地面に叩き付け、そして自分も頭を地面に擦り付けた。
「すいませんでした!!!」
渾身の謝罪に相手もキョトンとしている。レイは相手に何かを言わせる隙を与えず、頭を上げて口を開く。
「いや〜申し訳無い。こいつ調子に乗るといつもこういう馬鹿やらかすんですよ。こいつには俺やこいつの両親、果てには村長からもキツく叱っておきますんで、ここはどうか、お兄さんのその体のように大きな器で許してやって下さい。この通りです」
慣れない笑顔を作って捲し立て、無理矢理頭を下げさせたフレッドと共に土下座する。途中でフレッドが力強くで頭を上げようとして来たが、身体強化で強制的に押さえ込んだ。
「何をしている」
そんなやり取りをしている内に馬車がレイ達の直ぐ横に来たようだ。馬車の木製の窓が開けられ、中に乗っていた豚のような顔をした貴族と思しき男が顔を覗かせた。
フレッドにとっては念願の間近での馬車だが、生憎今頭を上げさせるつもりは無い。そんな事をすれば喚き出すのは目に見えている。
「いえ、大した事はありませんよ。そこのガキ共が近くで煩かったもんでちょっと叱ってやってただけです」
そう言うと豚顔の貴族、略して豚貴族はレイ達の事を見る。その目はまるで地面を転がる虫を見るような目だったが、当然レイ達は絶賛土下座中の為顔を合わせる事は無かった。
「そんなガキなんぞ放っておけ。平民如きに儂等の時間を取らせるな」
「ハッ!了解しました!」
男がそう言うのを聞くと、豚貴族はカーテンを閉め馬車を進ませた。
馬車を見送った男はレイ達に向き直ると、土下座するレイの頭を踏み付けた。突然の痛みに思わず「グッ!」と声が漏れる。
「あーッ!!」
「レイ様の頭を!!」
「何じゃ此奴は!!今直ぐこの場で埋めてやろうか!!」
突然の暴挙に精霊達が騒ぎ出した。ティエラに至っては凄い物騒な事を言っている。
『止めろ』
「でもさレイ!」
『ここで騒ぎ起こしても何も良い事は無い。あるのは面倒事だけだ。耐えろ。俺だって死ぬ程嫌だけど我慢してるんだ。本当に仕方なくだけどな』
仮に今この場を力尽くで収めたとしても、その後の貴族とのゴタゴタまで面倒見るれるだけの保証は今のレイには無い。
今はまだ力を付けている真っ最中だ。力を付けて、パワープレーが可能になるその時まで、この屈辱は取っておく。前世のようにやり過ごすのでは無く、来るべき時にやり返す為に。
レイが我慢しているのに自分達だけ怒りに任せる訳には行かない。精霊達は不服そうにしながらも引き下がった。
「良かったなオメェ等。ピグマ=ハウゼン様の慈悲深さに感謝しろよな」
「ハイ!それは勿論ですとも」
努めて明るい声で言うと、男はフンッと鼻を鳴らして護衛の列に戻って行った。
暫くして馬車と護衛が遠ざかったのを確認してから、レイは頭を上げる。ゴリラみたいな大男に踏まれた頭がズキズキと痛んだ。
「ハァ〜痛ったぁ。普通子供の頭を鉄の防具着けた足で踏むかよ。獣の糞とか踏んで無いだろうな。そうだったら大惨事だ」
本人の居ない所で散々陰口を叩くレイ。その横でフレッドがジタバタと暴れていた。もう馬車も十分離れたし、もう大丈夫だろうとフレッドを解放した。
「何で止めたんだよ!アイツは俺の事馬鹿にして、しかも蹴りやがったんだぞ!」
起き上がるなりレイに当たり散らすフレッド。それを呆れ混じりに見ながら、レイは理由を話す。
「頭に血が上って見えなかったんだろうが、お前が反撃しようとした時、あの野郎腰に差した剣に手を掛けてやがったんだよ。もしあのままお前が突っ込んでたら、今頃斬り殺されて、不敬罪として処理されてただろうな」
フレッドの顔から血の気が引いて行く。
「何だよ…それ…」
「確かにアイツがやった事は悪い事だ。まだ何もやって無い子供を蹴り飛ばす事が良い事な訳が無いからな。けど俺達には、それを悪だと言って裁かせるだけの力が無い」
所詮子供の出来る事なんてたかが知れてる。そして何の権限も無い辺境の農村の子供が、貴族に雇われた兵士に勝てる道理は無い。
「おかしいだろそれ!何でそんな奴が貴族に雇われてんだよ!貴族ってのは凄え偉いんだろ!?そんな奴が何であんな悪い奴を見逃してんだよ!」
「あんな悪趣味な馬車に乗ってる奴がそんな正義感を持ってるように見えるのか?あんな、明らかに国民の税金を無駄使いして作りましたよって言ってるような馬車に乗ってる奴が、まともな奴だと思うか?」
土下座していたから顔は見えなかったが、声を聞けば分かる。あれは煩わしさを前面に押し出した声だった。
『平民如きが邪魔しやがって』と、そう暗に言っているような感じだった。
「この世の全ての人間が良い奴だと思うな。世の中には人の足引っ張って喜ぶクズが存在すれば、自分の都合の為に他の奴を平気で殺す悪党だっているんだ」
世界が変わろうと人の悪意は変わらない。だからレイは人が信用出来ないのだ。いつその悪意が自分に牙を剥くか分からない。これだから人は信用出来ないのだ。
「………」
「分かったらもう行くぞ。皆待たせてるから」
レイは何も言わないフレッドを引き連れて、元の道を戻って行く。
「レイ!フレッド!」
「お兄ちゃ〜〜〜ん!」
しかしその前に皆の方から現れて、更にユニスがレイの胸に飛び込んで来た。レイはそれを受け止めると同時に回転して勢いを殺す。
「お前等、待ってろって言った筈なんだけどな」
「そうなんだけど、やっぱり心配だったから」
「……それはフレッドが心配だったのか?それとも俺一人じゃ心配って意味なのか?」
「い、いや、そういう意味じゃ無いんだけど…」
困った様に指と指を突き合わせるコニー。つまり居ても立っても居られなかったという事なのだろう。
「お兄ちゃん!大丈夫!?頭痛くない!?」
「ああ、大丈夫だ、だから泣くな」
ユニスの頭を撫でてやると、痛いくらいに顔を擦り付けて泣きじゃくった。
「つーか、一体どの辺から見てたんだ?」
「確かにレイが頭を下げてる時だったな」
「…それは何と言うか、随分かっこ悪い所見られちまったな」
土下座して頭踏まれるシーンなんて好き好んで見せられる物では無いだろう。
「そんな事ないよ!レイとってもかっこ良かったよ!」
「いや、それはそれでおかしくないか?」
土下座する姿がかっこ良いと言われても嬉しいとは思えなかった。
「フレッドを助ける為にやってたんだもの、かっこ悪い訳無いでしょ。まあ流石にあの笑顔はどうかと思ったけど」
「おい、それはどついう意味だ?」
「いや、何つーか…レイが笑って話してるのって、気持ち悪いよな」
「もう少しマシな言い方無かったのかよ…」
慣れないなりに必死で作った渾身の笑顔だというのに、言うに事欠いて気持ち悪いとは酷過ぎる言い回しだった。
しかし周りはそうでは無いようで、当事者のレイとフレッド、そしてレイにしがみ付いて泣きじゃくるユニス以外の全員が笑い出した。
周りの笑い声と、そして直ぐ側で響くユニスの泣き声に「お前等な……」とがっくりと項垂れるのだった。
ーーー
その後特に遊ぶような気分にもなれずに解散となった為、特に何かする事も無いレイはユニスを家に帰した後、村を適当に散策していた。
相も変わらずこの村は長閑だ。先程悪趣味な馬車に乗った貴族がやって来たにしては何も変わりは無い。恐らくその貴族を歓待している村長辺りが頑張っているのだろう。そのまま誰の迷惑にならない様に押し留めて貰いたい物である。下手に村で問題を起こされても困る。
「ん?」
「あ……」
その辺を歩いていたら、偶然フレッドと出会した。何やら気不味そうな顔をするフレッド。普段なら元気に声を掛けて来るのに珍しいが、それは昼間の事があるからなのだろう。
あまり会話したそうな顔でも無かったので、レイはフレッドを無視して一人散策を続ける…のだが、何故かその後ろからフレッドが付いて来た。
「…ねぇ、何であの子ついてくるんだろ?」
思った事は何でも口に出すフラムが真っ先に疑問を投げ掛けて来た。
『そんな事は知らん。フレッドに直接聞け』
「僕達精霊の声が聞こえるのは今の所レイだけだよ」
実際には精霊達との会話で賑やかな空間なのに、それが見えない周りから見れば子供二人が無言で歩く重苦しい空間になる。レイもそのことに気付いているが、その気になればフレッドの方から話し掛けて来るだろうと何も言わずに歩き続ける。
「なあ」
「ん?」
そして案の定フレッドの方から話し掛けて来た。
「お前は、悔しくないのかよ」
何が、とは聞くまでも無いだろう。あの馬車の近くで有った出来事の事だ。
「あんなに馬鹿にされて、頭まで踏まれて、何で全く怒らないんだよ。ムカつかないのかよ」
「ムカつかない訳無いだろ。あんな大人気無い真似されて」
「じゃあ何でお前はそんなに平気そうなんだよ!」
ここで『子供が大人に勝てる訳無い』と言うのは簡単だが、それだと納得し無さそうだと感じたレイは、少し考えて別の答えを探す。
「…仮にだ。俺達があの兵士に立ち向かって、運良く勝てたとして、その後どうするつもりだ?」
「どうって、謝らせるんだよ!」
「俺が聞きたいのはその謝らせた後の事だ」
「え?」
やはり何も考えていなかったらしい。子供だから当然だし、仕方ないのだろうが。
「良いか?事はドラゴンみたく倒せば終わりって訳には行かないんだよ。仮に倒せたとしても、その時には周りにいた他の兵士達も出張って来る。そうなれば勝ち目は無い」
だが一番の問題はその後だ。
「それで捕まるだけで済めば良いんだけどな。最悪の場合、貴族を襲った罪で一家郎等皆殺し、なんて事もあり得る」
「そんな、俺達は貴族に何もして無いだろ!」
「貴族の護衛を攻撃したって事は、そう取られる事もあるかもしれないって言ってんだ。しかもあの馬車に乗ってた貴族は、お前が蹴られても、俺が頭を踏まれても何も言わなかった。つまり、俺達平民を助けるような善人では無いって事だ。下手に怒らせれば、俺達の命だけじゃ無い、俺達の家族の命まで危険に晒されるかもな」
少々盛り過ぎな面もあるかもしれないが、その可能性も全く無いとは言えないのが大人の世界だ。加えて貴族の世界はレイも経験は無い。何が起こるのか分からないのだ。せめて最悪を想定しておいて損は無いだろう。
レイは立ち止まり、フレッドと向き合う。
「お前に、家族の命を賭けてまで戦う意思はあるのか?」
「それは……」
フレッドは答えない。いや、子供がそんな重い選択を答えられる訳が無い。大人ですら答えを出せない場合もあるのだから。
「俺はそこまでして戦う必要は無いと思った。だからムカつきはしたけど、それで戦おうとは思わない。それが答えだ」
「そんなのって……!」
「別にそれが絶対の答えって訳じゃ無い。これはただの俺の個人的な意見だ。お前に強制するつもりは無い」
けどな、と付け足して、
「ただ前に突っ込むだけが戦いじゃ無いんだよ。時には今回のような、耐え忍ぶような戦いもある」
「……俺はーーー」
「ちょっと待ってくれよ!」
フレッドが何かを言いかけた瞬間、近くから何やら揉めるような声が聞こえて来た。あの声は聞き覚えがある。あれはフレッドの父親の声だ。
声のした方に行ってみると、フレッドの父親とレイの父ランドが、何やら男と揉めているようだった。男は上質な着物と帽子を被っていて、明らかに平民では無さそうだ。さっきの貴族の関係者が何かだろうか。
「俺、前に見た事あるぜ。あいつ、領主が寄越した徴税官って奴だ」
「なるほど、つまり税金絡みの揉め事って事か」
レイ達が話している間にも、向こうの話も進んで行く。
「何度言われても変わらんよ。これは領主ハウゼン様直々のお達しなのです」
「だからって、収穫の殆どを持って行かれちまったら、俺達はこの冬を越せなくなっちまうだろーがよ!」
「そんな事は貴方方でどうにかして下さい。私は命じられた通りにやってるだけなので」
「クッ、テメェーー」
フレッドの父親が徴税官に掴み掛かろうとするのを、ランドが必死になって止める。
「そこを何とか…私達にも生活があるんですよ」
「そう言われましても…私にもどうしようも無いんですよ。私は飽くまで徴税官。とても領主様に口出し出来る立場では無いですし、下手に誤魔化した事がバレれば私の首が飛ばされるんですから。兎に角、収穫量の九割、きっちり払うように。私は伝えましたからね」
そう言うと徴税官はそそくさと引き上げて行った。
「クソッ!俺達が死んでも構わねえってのかよ。この村の領主様は」
苛立ちに拳を合わせる。それで状況が改善する訳が無いのは分かってるが、そうする他に、その苛立ちを抑える術が見当たらなかったのだ。
「しかしどうしよう。このままじゃウチは冬を越す事が出来ない」
「それはこの村に住む全員がそうだ。下手すりゃ冬を越した時、村には誰も残ってねえかもしれねえ」
今年の育ちの良く無い作物の内九割も持って行かれたら、家族の何人かを奴隷に差し出しても凌ぎ切れるとは限らない。最悪、村の住人全てが奴隷になるか死ぬかする可能性が出て来る。
「そんな…じゃあどうすれば」
「……確か今、村に領主様が来てる筈だ。こうなったら領主様に直接頼みに行くしか無え」
「でも、これは領主様が決めた事なんだろ?そう簡単に変えてくれるかどうか」
「やってみなきゃ分からねえよ。どの道やらなきゃ滅ぶだけだ。ならやるっきゃ無えだろ」
俺は行くぞ、そう言ってフレッドの父親は村長の家へと向かってしまった。ランドは一瞬だけ手を伸ばしたが、特に引き止める言葉も浮かばず、力無くランドを見送った。
その様子を見ていたレイ達は、近くの段差に背を預けて座り込む。
「…なあ」
「ん?」
「この街に来てる領主って、もしかしてあの貴族か?」
「だろうな。あの徴税官も、ハウゼンって言ってたし」
あの時馬車に乗ってた貴族もピグマ=ハウゼンと呼ばれていた。つまりあの貴族こそが、税に収穫された麦の九割を要求した貴族という事になる。
「クソッ!何なんだよ貴族ってのは。そんなに偉いって言うのかよ!」
「落ち着け。取り敢えずお前の親父さんが頼みに行ったんだ。俺達が騒いだって仕方ないだろ」
レイ達に出来るのは、結果が出るまで待つ事のみだ。下手に騒ぎ立ててもマイナスにしかならない。
(とは言え、相手はあの性悪貴族だ。…無事終わってくれれば良いんだけどな)
産まれてから六度目の夏。レイの二度目の人生に暗雲が立ち込め出した。




