短剣と闇夜の黒猫
明けましておめでとう御座います!
本年も人嫌いの転生記を宜しくお願い申し上げます!
という訳で今年初の投稿です
秘密基地の工房スペース。そこは今、サウナ宛らの熱気で満たされていた。その空間の中で腰を下ろすレイの目の前には炉があって、その中には轟々と燃える炎と、それに燃やされる金属の姿があった。
レイは土魔法で作ったやっとこでそれを掴むと、慎重に炉の中から出す。熱で真っ赤に光るその金属を土製の土台の上に乗せると、同じ土魔法で作った槌で叩く。
カンッ!カンッ!と小気味良い音を立てながら金属は形を変え、次第に形状を鋭くさせて行く。
レイが今やっているのは鍛造だ。砂鉄を手に入れてから数ヶ月。その間帰らずの森の調査と食材となる魔物や植物の確保、それに並行して砂鉄の確保と製鉄を行った結果、数ヶ月で玉鋼と銑鉄が結構な量手に入ったのだ。
本来なら後にこれを売って金に変えるのだが、既に魔物の皮で作れる物は粗方作ってしまい、最近では木製の家具や道具なんかも大体作り終えたレイは暇を持て余していた。何だかんたこれ等の作業は作業の中に魔法を使う事が多い為、良い練習になるのだ。
そこで何か無いかと考えた結果折角だから鍛冶もやってみるかと思い、現在に至るのだ。
「そろそろじゃぞ」
色が黒くなって来た所でティエラから声が掛かる。土属性の精霊であるティエラには金属の状態が分かると言っていたので、レイに頼まれて鉄が弱くならない温度を教えて貰っているのだ。
鉄は焼いている時のちょっとの温度差で品質が変わる。その細かな見極めは、今日始めたばかりのレイには不可能だった。なのでティエラに手伝って貰ってそれを補っているのだ。
金属をやっとこで掴み水の中へ。ジューッ!と音を立てて金属が急激に冷やされる。取り出された金属を魔法で慎重に形を整え、鋭い刃を作って行く。そして出来た刀身を予め木で作った柄に固定する。
「出来た…」
完成したのは一本の短剣だった。装飾等は一切無く、余りに無骨過ぎて両刃の包丁にも見えるそれは、炉の炎に照らされて鈍い光を放っていた。
「やったぞレイ!良くやったのじゃ!」
肩に乗ってキラキラとした目でレイの作った短剣を眺めるティエラ。まるで玩具を手にした子供のようである。本人に言ったら怒るかもしれないから言わないが、純粋という点ではある意味同じだろう。斯く言うレイとて少なからず感動していた。
「ね〜ね〜」
自分の作った短剣に見入っていると、後ろからフラムに袖を引かれた。
「あれ、どうするの?」
そう言って指差す先には屑鉄と化した金属の小山が。
もうお分かりだろうが、この山は全て失敗作である。叩く途中で割れてしまったり、出来たは良いがかなり歪になってしまったりと理由は様々で、実は作り始めから今回の成功までに軽く数週間は経過していたりする。
「どうするって…どうしよう」
「考えてなかったんだ…」
武器を作るという事に夢中になりになっていて後の事を考えていなかった弊害がここに来て表面化した結果であった。
尤も完全に要らない物という訳では無い。後で纏めて打ち直して粗鉄として売るなり、それとも何かしら鉄を用いた実験材料にでもするなり、使い道も色々だ。
まぁいずれにせよ今は使い道が無いので、適当に纏めて【アイテムボックス】の中に入れて置く事にした。
「さて、それじゃあ早速試し斬りにでも行くか」
いなくなった失敗作の事は綺麗に忘れ、レイは完成品の短剣を魔物の皮と木で作った鞘に収めると、精霊達を連れて夜の森に繰り出したのだった。
ーーー
走る、走る、走る。ただひたすらに走る。
「はぁ、はぁ、はぁ」
周囲は木々に覆われ、月の明かりすら遮られた薄暗い森の中を、少女は己の視力のみで、乱立する木々を見極めて避けながら走っていた。
少女はガリガリに痩せ細った体の上にレイが来ていた服よりも更にボロボロな、それこそボロ切れと言っても差し支え無い程の物を身に纏い、更に両手に手錠がされていた。だがそれよりも特徴的なのは、闇夜に溶け込むような黒い髪に、頭から生えた三角形の耳と、ボロ切れの隙間から出ている黒くて細長い尻尾だった。
獣人、この世界においてそう呼ばれる種族の彼女は他の奴隷達と牢屋付きの馬車に乗せられ、奴隷商によって王都に連れられる途中だった。
しかし途中でウルフの大規模な群れに襲われ、護衛も奴隷商も殺されてしまった。そして次にウルフ達が狙ったのは、牢屋の中にいた奴隷達であった。
彼女は他の奴隷達が襲われている隙に、ウルフ達の目を掻い潜って逃げ出して来たのだ。奴隷商が殺される前に護衛達が大半を仕留めてくれたからだろう、数の減ったウルフ達に見つかる事無く逃げ出す事が出来た。
しかし安心は出来ない。そこに居た奴隷達を粗方食べたら、次は逃げた彼女を匂いを頼りに追い掛けて来るだろう。それまでに出来るだけ距離を稼がなければならない。ウルフ達が追うのを諦めるくらいに。
種族の特徴で夜目が利き、そのお蔭で木にぶつかる事は無いが、それは何の気休めにもならない。それはウルフ達とて同じなのだから。
背後から鳴る草を掻き分ける音を、彼女の耳が捉えた。
(もう追って来た)
種族の特徴である高い身体能力も、痩せて弱った体では十分に発揮出来ない。ウルフ達を振り切る事も出来ず、無駄に高い五感が自分に危機が迫って来ているのを教えるのみである。自分の耳が嫌いになりそうだった。
「あっ…!」
足が縺れて転倒してしまった。直ぐに立ち上がろうとするが、足の筋肉が痺れたように力が入らない。急がなければならないのに、そう思えば思う程、体は言う事を聞かなかった。
そうこうしている内にウルフが三頭、草叢を掻き分けて現れた。ウルフ達は少女を見つけるなり即座に駆け出した。一瞬にして少女に接近し、骨が浮かぶ細い喉笛に牙を伸ばす。時間が引き延ばされ、全てがゆっくりとスローモーションの世界、まるで自分が死ぬ瞬間を長く見せびらかすような感覚。
体から血の気が引き、寒気が走る。その寒気が、体から自由を奪い、少女を動けなくさせた。
ただ死を待つだけの苦しい時間。そんな中で、少女とウルフ達の横合いから別の存在が草むらを掻き分けて現れると、先頭のウルフの喉を斬り裂いた。
暗い中、夜目の利く少女の瞳はその姿を映し出す。そこに居たのは、少女と変わらない年頃の少年だった。少女よりかは幾分マシな、けれど十分にボロい服を着た人間の少年は、次の瞬間には跳ねるように一歩踏み出すと、手にした短剣でもう一頭のウルフに刺突を放つ。
それを後ろに跳んで躱すウルフだが、少年はそれすらも読んだかのようにもう一歩踏み出して距離を詰め、首に短剣を突き刺した。
速かった。鋭い五感を持つ獣人の少女から見ても、ウルフと遜色無いレベルの速度で移動した少年の移動速度は、同じ年頃の獣人のそれに匹敵するだろう。
残されたウルフは不利を悟ったか、一目散にその場を逃げ出した。見れば、最初に喉を斬り裂かれたウルフも動かなくなっている。
人間より高い身体機能を持つ魔物の、特に速度に秀でたウルフ相手に一撃で仕留めるなんて、並の戦闘技術じゃ無い。少なくとも、目の前の子供に出来るとは思えない。もし少女が知り合いからそんな話をされても、間違いなく信じないだろう光景が、目の前にあった。
「良し、これなら十分使い物になるな」
自分の持つ短剣を見て満足そうに呟く少年。そして次の瞬間には少女を無視してスタスタとどこかへ行こうとする。
「ま、待って…!」
思わずそう言っていた。一人になるのが寂しかったのか、彼と一緒に居れば助かるのではと思ったのかは分からないが、ほぼ直感的に、自分の中の何かが声を掛けるべきだと判断したのだ。
少年は少女を見ると、思い出したかの様に「ああ、そう言えば居たな」と宣った。確かに今の戦闘からすれば居ても居ないような存在感だったかもしれないが、流石にその言い方は失礼だと思った。
「何か用か?」
続いてそう聞いてきた。しかし反射の域で声を掛けた少女に少年と話す事など考えてる筈も無く、ただ必死に何を話すべきかを考えるだけだった。
話し掛けておきながら何も言わない少女に、少年は訝しげな視線を送る。
「そこに転がってるウルフなら好きにしても良いぞ。俺は別に要らないし」
少年からそう言われるが、そうでは無い。少女は首を横に振った。しかし、次の瞬間少女の腹から大きな音が鳴り出した。「やっぱり腹減ってるじゃん」と言う少年に、少女は顔を真っ赤にして俯いた。
少年は溜め息を吐くと、どこから取り出したのか木の枝を集めると、掌から火の玉を出して火を点けた。そしてウルフの死骸から肉を剥ぎ取ると、切り分けて木の枝に刺し、火に掛けて焼き始めた。
肉の焼ける香ばしい匂いが鼻を刺激し、口の中が涎で一杯になる。程良く焼けた所で、少年は枝を一本持つと、それを少女に差し出した。
「え?」
「取り敢えず食べろ。じゃないと話も出来なさそうだ」
肉と少年を交互に見た少女だったが、次第に肉の匂いと空腹に負けて枝を受け取る。そして一気に肉にかぶり付いた。ここ数ヶ月碌に食事も摂れなかった体に、肉の味、脂の甘みが染み込んで行く。
そこからはもう止まらなかった。止められなかった。少年がジッと少女を見ているのも気にせず、ただひたすらに目の前で焼かれる肉を食べ続けた。少なくなれば少年が新たな肉を用意し、焼けた肉を少女は一心不乱に食べ続け、気が付けばウルフ二頭分の肉が全てが少女の胃袋に収まってしまった。
「本当に良く食べるな。空腹だったとは言え、その体のどこに入るんだか」
呆れたように言う少年を見て、少年が一口も食べてなかった事を思い出した。
「えっと…ゴメン」
「何が?」
「全部、食べちゃって…」
「ああ、そんな事。気にするな。さっきも言ったけど、俺は別に要らなかったから。ウルフの肉って不味いし」
貧しそうな格好をしている癖にウルフは不味いからと毛嫌いする余裕があるというのは、奴隷の身の少女からは羨ましく見えた。
少女からすれば、例え不味かろうが食べなくては生きて行けないから、そうやって選り好み出来る少年が裕福に見える。
「それで、結局お前は俺に何の用なんだ?」
少年に言われて、自分が何を話すかを考えていなかった事を思い出した。自分はこんなに馬鹿だっただろうかと思いつつ、必死に頭を悩ませる。自分はどうして欲しいのか。ここはどこか、近くに街はあるのか、そもそもこれからどうすれば良いのか。分からない事だらけで考える程思考がこんがらがって行く。
「た…」
「ん?」
「助けて…!」
そして諸々考えた結果、出てきた言葉はそれだった。
「…一応ウルフからは助けてたと思うんだけどな」
違う、そうじゃ無いと首を振る。色々と全て引っくるめて助けて欲しいのだ。
「私、どうすれば良いか分からなくて…」
「つまり面倒を見ろと?」
言い方は悪いがそうなる。少女は頷いた。要は自分にはこの状況をどうにかする術が無いから、それをどうにかして欲しいのだ。相手は同じくらいの年頃の少年だが、彼はウルフ三頭を相手に二頭を討ち取って見せた実力がある。助けてくれるのなら実に頼れる存在だ。
「……無理だな」
しかし、少年からの答えは非情な物だった。
「なん、で…?」
「ウチの家は貧乏なんだよ。いや、家と言うより村がだな。今でさえ殆ど味の無い食事が日常なんだ。もう一人養う余裕は無いと断言出来る」
「でも、さっきウルフを…」
ウルフを仕留めるだけの実力があるなら、最低でも実家は猟師辺りになる筈だ。それなら暖かい内に沢山狩って、冬の内に少しでも干し肉にして置くだろう。猟師の家系は冬場はそうやって凌ぐ物だと少女は聞いた事がある。そしてウルフの肉は美味しく無いから食べないという事は、ウルフよりも上質な獲物を沢山食べてる証。それなら食うに困る事は無い筈だが。
「俺が自力でウルフを狩れるって事は。村の誰も知らない。というか誰にも言ってない」
「…どうして?」
それだけの実力なら、村に沢山貢献出来る事がある筈だ。きっと裕福な暮らしが出来るだろう。それなのに何故言わないだろうか。
「こんな幼い子供が魔物を狩る程強いとか、普通は聞いたら気味悪いとか思われそうじゃん」
「そんな事は…」
「そうか?人間っていうのは、得体の知れない存在に対して本能的に恐怖する物だと思うんだけどな。見た事の無い魔物とか、原因不明の流行病とか、後はまあ、俺みたいな常識外れな存在とか」
「う……」
極当たり前の事を言うような少年の言葉に、少女は言葉を失った。
話している内容は自分が恐れられてるかもという話なのに、少年はそれを何て事の無い話のように言っているのだ。少年は自虐ネタのつもりで言っていたのかもしれないが、ちっとも笑えない。
そんな事を当たり前のように言ってのけるような人生を送って来た少年を、笑う事は出来なかった。
「それはつまり理解出来ない存在だからだ。自分では理解出来ない。だからどう対処すれば良いか分からない。だから怖くなる。そしてそんな人間達が複数人で集まると、自然とその異物を排除しようとするだろうな」
異物の排除。その言葉が意味する事は、今までの話を聞けば容易に想像出来た。
「ウチの両親は良くも悪くも平凡だ。長年一緒に暮らしてたから良く分かる。仮に教えたとしても、それを受け入れるのは難しいだろう。それは年月を掛ければより顕著になる。物凄いスピードで強くなる俺は、きっと自分の息子が化け物になって行くように見えるだろうな」
淡々と、まるで他人事のように語るその様子は、その見た目とは酷くアンバランスに見えた。
「人の口に戸は立てられない。誰か一人にでも村人に知られれば、瞬く間に村中に広まるだろう。そうなれば面倒は避けられない。だから俺は誰にも言わない。友達にも、両親にも、妹にも。誰一人にも告げる事なく成人して村を出る。そのつもりだ」
「………」
少女は何も言う事が出来なかった。奴隷として連れられ、知らない森で魔物に殺されそうになった自分も相当酷い人生だとは思うが、少年のそれは少女のとは違う意味で過酷な物だ。誰にも秘密を打ち明ける事も出来ず。常に本当の己を押し殺して生きるのだから。それは苦痛を伴う生き方だ。誰も信じる事が出来ず隠し事をして生き続けるのだから。
しかし、そこで一つ疑問が生まれた。
「何で、私に…?」
何故そんな大事な事を自分に話したのだろうか。誰一人同じ村に住む人達には誰一人伝える気が無いのに、何故自分には話してくれたのか。
「お前には見られてしまったからな。今更隠しても仕方ないだろ。それに万が一お前がその事を吹聴しようが、信じる奴なんていないだろうからな」
実に良く考えられていた。もしかしたら『お前になら』何て言ってくれるのかもと思っていたが、そんな事は無かった。
「まあそういう訳で、ウチの村でお前を養う事は出来ない。養えるだけの余裕も無いし、下手すれば真っ先に売られて奴隷行きって可能性もあるしな。責任を持てない以上、助ける事は出来ない」
『半端に助けても余計悪い結果にしかならないからな』と言われてしまっては、強く言う事は出来なかった。少年が助けないと言ったのは、自分の為だけじゃ無く、少女の事も考えての事だったから。
耳をペタンとさせて項垂れる少女を見て、少年は煩わしそうに溜め息を吐いた。
「ただ、お前が助かる為の手助けをする事くらいは出来る」
「え?」
「さっきも言った通り俺の村に住まわせる事は出来ない。頼れる物も絶対に安全な場所も無い。それでもお前が死にたく無い、まだ生きたいって言うのならーー」
少年は一拍置いて言う。
「お前がこの森で生きる為の知恵と力を与えてやる」
「っ…!?」
そんな事出来る訳が無い。ここがどこだかは知らないが、どこであろうと森の中は魔物が昼夜問わず徘徊し、互いに食らい合う悍ましい場所だ。そんな場所で生きて行くなんて無理である。無茶である。無謀である。
「そんな事…」
「出来ないって思うんならそれで良い。他に方法が見つかるのならそれをやれば良い。だけどもし何の方法も浮かばないのにそんな事言ってるのなら、お前はここで一人、誰にも看取られ無いまま死ぬだけだ」
死ぬ。その言葉に、先程の光景がフラッシュバックする。自分に迫って来る濃密な死の気配が一気に込み上げて来る。そう、これは恐怖だ。あの時感じた寒気もきっとそうなのだろう。体が寒くなり、耳が倒れ、体は震える。
「嫌……」
か細く漏れた声。しかしそれは、紛れも無く少女の気持ちその物だった。
「嫌……死にたく…無い……」
「ならやるしか無いだろ。それがお前の生き残れる可能性がある唯一の方法ならな」
確かにこのまま震えているだけでは死は免れないだろう。奴隷にされる事を承知で少年の村に着いて行くという方法もあるが、それでは結局自分は救われないままだ。リスク承知で森で生きるか、それとも生き残る事優先で奴隷として生きるか。
ふと、視線を落とした先に自分の両腕を縛る手錠が目に入った。
奴隷。その待遇は酷い物だ。普段は檻に閉じ込められ、食事は一日一回あれば良い方。酷い時は二日水のみなんて時もあった。衛生状況も最悪。何人もの奴隷達が空腹や体調を崩して衰弱し、死んで行った。
そうだ。奴隷になっても生きられる保証は無いのだ。同じ死の危険のある選択肢。しかし奴隷になればどんなに良くても奴隷のままだ。それに比べてこの森で生きていけるようになれば、以降自分の自由に生きる事が出来る。
そこまで来れば、もう悩む事は無かった。
「やる…!」
「そうか。なら先ずは腕を出せ」
「?」
一体何をするのかと不思議に思いながらも、手錠の付けられた腕を差し出す。
少年はその手錠に手を触れる。すると次の瞬間、彼女の腕を縛っていた手錠はバラバラになって地面に落ちた。
「……え?」
突然の出来事に呆然とする少女。そのまま自分の手を見る。そこに自分の両腕を縛る錠は存在せず。あるのは手錠の跡が残る自由になった腕だった。
信じられないと思うと同時に、凄いと思った。今まで自分を縛り付けてきた手錠。それは獣人の力でも壊せない丈夫な物だった。それが一瞬で、しかも触れただけで壊れてしまった。
「これで少しは動き易くなるな。次はコイツだ」
今度は少年から何かを手渡された。見ると、先程ウルフを殺した時に使っていた短剣だった。
「性能はさっきお前が見た通りだ。少なくともウルフなら簡単に刺し貫ける。他の魔物まで大丈夫かは試してないから知らないけどな」
『力は与えた。次は知識だ』そう言って再び少年の対面に座る。
「この森は帰らずの森と呼ばれる魔境の一つ。その外側を囲うようにして出来た森だ。言うなれば帰らずの森の入り口みたいな物だな」
「魔境…」
少女もその魔境の事は知っていた。魔物の生息する場所の中でも特に危険な地域の事だ。知らない内にとんでもない場所に来てしまった。というかあの奴隷商はそんな場所の近くを通ろうとしたのか。その所為でこんな死にそうな思いをしたのかと思うと酷く腹が立つが、今はそれどころじゃ無いとレイの話に意識を集中させる。
「帰らずの森一帯はその殆どが草木に覆われていて、森の奥へ行く程緑は深くなる。それに応じて魔物も強い奴が縄張りを作っている。この辺りはウルフかゴブリンくらいだ」
簡単に言うが、ゴブリンは兎も角ウルフは猟師でも避ける凶悪な魔物だ。決して戦って良い相手では無い。
その筈なのだが、少年がウルフを狩る姿を見てしまうとそうは思えて来ないのが不思議だ。あのウルフが偶然弱かった訳では無く、少年が異常なまでに強いだけなのだ。
そう少年に教えたのだが、帰って来た答えは…
「ウルフなんてただ突っ込んで来るだけの猪と殆ど変わらない雑魚だろ。突っ込んで来た所にその短剣を顔とか喉に突き刺せ。そうすれば一撃だ」
さっきと言い本当に簡単に言ってくれる。何て事無いように言っていて調子に乗ってるように見えるが、実際ウルフを一撃で倒すのだから本気でそう思って居るのだろう。
「ま、言うよりも実際に見せた方が良いだろうな」
そう言って再び立ち上がる少年。どうしたのかと思っていると、周囲からガサガサという物音と獣の唸り声が。
「ッ!?」
「どうやらさっき逃げた奴が仲間を呼んで仇討ちに来たみたいだな。探す手間が省けて好都合だ」
そんな呑気な事を言ってる場合では無い。ウルフの最大の脅威は単体よりも群れた時にあるのだ。獲物を集団を囲んで逃げ場を塞ぎ、その持ち前の素早さを活かして獲物を翻弄。隙を見せたところを急接近して仕留めるのだ。
そうこうしている内に数頭のウルフが草むらから現れる。気の所為か先程のウルフ達よりも大きい感じがする。
「何時まで座ってるつもりだ?そのままだと良い餌だぞ」
少年にそう言われるが、ウルフ達の唸り声が恐怖を呼び起こしてしまったのか、足に力が入らない。
その様子を見た少年は溜め息を吐くと、片手を横に出す。すると間も無く地面が剥がれるように小さな欠片が次々と宙に浮き、少年の掌に集まる。欠片は掌で固められ、一つの形を作り出す。
それは短剣だった。少女に渡した短剣とほぼ同じサイズの土の短剣。しかしそれは形が出来たと同時に色が変わり、真っ黒に変わった。
「魔法?」
今のは紛れも無く魔法だった。自分と同じくらいって事は、大体五、六歳の筈。貧乏な村出身の筈の少年が何故魔法を使えるのだろうか。
「ちょっとそこで待ってろ。少し間引くから」
まるで多く育ち過ぎた作物を扱うような態度の少年。しかし、間引くと言うのはどういう事なのだろうか。普通に全滅させるのと違うのだろうか。
しかし少女のその疑問の答えが出る前に、状況は動き出す。ウルフ達が少年少女の周りをバラバラに走り回り出した。
「遠くからちょこまかと。来る気が無いならこっちから行くぞ。遠くに居た事を精々後悔しろ」
少年は短剣を順手に持つと、その場で一振りした。空振りと同時に鳴る風切り音。瞬間、周りを走っていたウルフの一頭の胴体が突然分かたれた。
他のウルフ達はそれを見ても走り続けるものの、今のを見て警戒を強めたのか少し距離を開ける。
「無駄だっつーの」
少年は表情を変えずに短剣をもう一振りすると、またしても一頭のウルフが斬り裂かれて生き絶えた。
この時少女の耳には、ある音が聞こえていた。それは、空振りした短剣の風切り音が斬られたウルフの所へ移動したような音。
「風の…刃…」
「分かったのか。その通り。これは風属性魔法の一つ、風の刃を敵に向けて飛ばす【風の刃】だ」
説明する間にもう一振りして、更に一頭ウルフを仕留める。
「ほらほらほら。早く何とかしないと、俺に近付く前に全滅してしまうぞ」
少年の言葉を理解したのか、それとも本能的に距離が意味を成さないと理解したのかは知らないが、ウルフ達は走り回るのを止めて一斉に接近し始めた。
「漸く来たか。おい、良く見ておけよ。今からコイツでの戦い方を見せてやる」
接近して来るウルフ達を見据え、少年は腰を落として深く構える。そして自分に食らい付こうとしたウルフの眉間に短剣を突き刺した。しかしそこで止まらずに素早く短剣を引き抜くと、逆手に持って反対側から向かって来たウルフを上から刺し貫く。そしてそのままウルフを振り回して他のウルフを蹴散らすと、刺さっていた奴を投げ飛ばして新たに向かって来たウルフを三頭纏めて吹き飛ばした。
その後直ぐに少年は少女の方を見ると、空いていた左手を振る。少女の顔の直ぐ横を見えない何かが通り過ぎ、その後ろ、少女を襲おうとしていたウルフが縦に寸断された。先程使った風魔法だろう。
少女を守りながら、流れるような動きで次々とウルフを始末して行く。動きは決して速くは無い。最初に見た時と比べて明らかに遅いのに、少年はウルフ達を圧倒していた。向かって来るウルフの眉間、頭、喉や下顎等を突き刺して一撃で無力化。それで対応し切れない時は空いた手足で打撃を与えたり、刺したウルフを叩き付ける等して効率的に敵の数を減らして行く。
そして遂に残されたウルフは一頭だけになっていた。生き残っていたウルフは尻尾を巻いて情け無く逃げ出した。
「悪いが、今回は一頭足りとも逃がすつもりは無い」
少年が左手を正面に翳すと、少年と少女、そして逃げていたウルフを囲うように地面がせり上がって壁のようになった。
「さて、ここからが本番だ」
先程から自分を見つめていた少女に向き合う。
「あのウルフは逃げられないと分かったら、どうにかして助かろうと襲い掛かって来るだろう。お前が仕留めろ」
「え!?」
唐突な実践授業に驚きを隠せない少女。しかし少年は待ってくれない。首根っこを掴んで無理矢理立たせると、ウルフの前に突き出した。
すると襲われると勘違いしたウルフが破れかぶれで突撃して来た。
少女の体に、恐怖の感覚が蘇る。体が震え、硬直する。
『突っ込んで来た所にその短剣を顔とか喉に突き刺せ』
脳裏に先程の少年の言葉が思い出され、気が付けば体が言われた通りに動いていた。鈍くて緩慢な動き。なのに短剣は吸い込まれるようにウルフの眉間に向かって行き、頭を刺し貫いた。勢い余って少女は押し倒されてしまったが、そこからウルフが動き出す事は無かった。
「な?簡単だったろ?」
少女からウルフを退かしながら少年が言った。辺りは死屍累々、その全てがウルフの死骸で、生きているのは一頭足りとも存在しなかった。
「難しく考える必要なんて無い。ただ突っ込んで来たウルフをその短剣で串刺しにしようとすれば良いだけ。後はウルフの方から刺さりに来てくれる」
確かにそうだった。少年の言葉に無意識に従って行動していたら、本当にウルフの方から刺さりに来た。まるでそこに最初から向かっていたかのように。
「一番大事なのはウルフが目の前に来ても冷静でいる事だ。焦ると余計な動きをして要らない怪我をする危険性が高まるからな。さて、これで教える事は全て教えた。ここから先はお前一人でどうにかしてくれ」
「もう…行っちゃうの?」
分かってはいたが、本当に助けてはくれないらしい。
「当たり前だ。そもそも俺に出来るのは手助けまでだ。そこから先はお前自身が何とかしなきゃ駄目なんだよ。これは何もこの状況に限った事じゃ無い。どんな時も、最終的には自分が動かなきゃ何も始まらないし、何も出来はしないんだ」
『まあお前が生きて行ける事を適当に祈るくらいはしてやるよ』そう言って少年は少女の頭を撫でた。小さく、けど温かい手が、少女の頭を優しく撫でる。
不思議な感覚だった。ただ撫でられてるだけなのに、不思議と心地良い感覚になる。あまりの気持ち良さに耳が垂れ、自分から手に頭を擦り付けてしまっていた。
「ミィ〜、ミィ〜」
「…何か本物の猫みたいだな」
少年の手が離れる。つい「あ…」と口走ってしまったが、少年には聞こえなかったようだ。
「じゃあな」
背を向けて去って行く少年。何故か少年が遠ざかって行くと、少年が居なくなると思うと、急に寂しさが込み上げて来た。
無意識に手が伸びてしまうが、もう届く距離には居ない。名前を呼んで引き止めようとしたが、その時になって、まだ名前も聞いていない事に気付いた。
もう少年が草むら入って行ってしまう。その時、先程言った少年の言葉が思い出された。
『自分が動かなきゃ何も始まらないし、何も出来はしないんだ』
思い出した瞬間、少女の口は衝動と共にうごきだした。
「な、名前…!」
「ん?」
「名前…何て言うの?」
行かないでとか、もっと他に言う事はあっただろうに、出て来た言葉は何故かそれだった。でもそれで良かったのだとも思う。多分行かないでと言っても素気無くあしらわれていただろうから。
だからせめて名前だけでも聞きたかった。自分を助けてくれた少年の名前を。
「……そうだな……もしまた俺と会う時まで生きていられたら、その時に教えてやる」
そう言い残して、今度こそ彼は行ってしまった。
残された少女は一人、大量のウルフの死骸の中心で思う。助ける事は出来ないと言いつつ、森で生きて行く為の道具と情報を教えて、更に自分達を襲ったウルフの群れの殆どを倒して、オマケにウルフと戦う方法も教えてくれた。そして最後に言っていた一言。
『また会う時まで生きていられたら』
それはつまり、少年はまた会うつもりでいるという事なのかもしれないと少女は思った。少年は自分が生きている事を信じてくれていると。
それ等を踏まえた上で思う。何て優しいのかと。一見冷たい態度とは裏腹に、言葉の端々に優しさが紛れている。奴隷にされてから冷たい扱いばかりだった少女には、そんな微粒子レベルで存在する優しさすら温かく思えた。
そして同時に思う。きっと少年の本質はとても優しい物なのだろうと。ただ周りが信用出来ないから、不用意に人を近付け無いように冷たい態度で接しているだけなのだ。
自分の頭に触れる。少年が優しく撫でた場所には、まだその余韻が残っている。結局一人になってしまったが、寂しさはそれほど無かった。気分もそれ程重く無い。きっと生きる目的が出来たからだろう。
また少年と会う時まで生き残る。そうしたら今度こそ名前を教えて貰う。冷たくて、だけど優しい少年の名前を。そして今度は、自分が少年の力になるのだ。誰も信用出来ない少年に、自分が側で支えてあげるのだ。
それが誰にも話せない事を唯一話してくれた少年への恩返しであり、今の少女の願いだった。
気が付けば寂しさは消え、代わりに空腹がやって来た。さっきウルフを二頭も平らげた腹がキュルル〜と可愛く鳴る。差し当たっては腹拵えから始めよう。全てはそれからだ。




