不連続パソコン小説「単語売り」
蜘蛛の脚のように鉄道路線にまたがる昇降口。その出入り口から下水口の汚泥のように吐き出された人々が、駅前の広場を、思い思いの方向に散っていく。広場の壁面に貼られた近日公開の映画『ランドシェル』のポスターの前を通り過ぎていく、フリーター、学生、サラリーマン、であろう人々。
「サラリーマン……サラ・リーマン、真面目系金髪OL……パラリーマン、パラレルワールドをまたいで商売する商社のサラリーマン……ドロリーマン、泥で出来たモンスター、変身能力のあり……サラマンダーリザードマン、火属性のリザードマン、略してサラリーマン……デロリンマン、は、既にあるな……」
僕はベンチに腰掛けて、歩き去っていく同じ年ぐらいのサラリーマン達をそれとなく意識しつつもなるべく見ないようにしながら『サラリーマン』という単語から連想するものを膨らませ、泳がせ、掛け合わせて新しい単語を作り出し、次々と携帯電話に打ち込んでいく。
学生の頃はいちいちメモしてから家に持ち帰って再度ワープロに打ち直して保存していたものが、いまはこうして携帯でメールに打ち込んでやってそれをパソコンに送れば、あとはコピー・アンド・ペーストしてそれで終わり。便利になったものだ。
ただ、気を付けなくてはいけない。ひとつもふたつも型が古い僕の携帯は、メール製作中に着信やメールがあると、打っていたメールのデータが飛んでしまうのだ。妄想想像に囚われすぎないよう細心の注意を払い、こまめな保存を心がけねばならない。
ピロリロリン。丁度、保存したタイミングで、メールが届いた。ヒヤリとする。「あと十五分ほどで着く。先に店に入っていてくれ」了解と返してベンチを立つ。軽い立ちくらみがした。
いつもの喫茶店に行く。学生の頃から通った店だ。ここは普通の店より開店が早く、えらくボリュームのあるモーニングセットが食べられる。待ち合わせと伝えて奥まった席に入り、メロンクリームソーダを頼む。メロンクリームソーダ……メロウクリーム、メロクリ、グリーンサンダー、メグロのサンタ……人を待つ時間は苦手だ。携帯をいじっていても手持ち無沙汰でいるような、なにか浮いていような、そんな不安さ、自分自身への不確かさを感じてしまう。
メロン、マスク、グリーン、ミドリ、フルーツ、ハム……連想を転がして加速させるが、こんな時はろくな単語が出来ない。携帯で時間を見る。カレンダーを見る。メールを見る。写真を見る。歩数計を見る。また時間を見る。繰り返す。
居心地の悪さに身じろいでいるうちに、メロンソーダがやってきた。銀色に輝くロングのスプーンで緑の湖の上のアイスの孤島をつついていると、気まずさがわずかにほぐれた。
こんこんと窓を叩くものがあり、そちらを見れば待ち人来たり。さっき外で手を振っていた淡い髪色のとっぽい男は、颯爽と店内に入ってきて、向かいに座るとコーヒーを頼んだ。
「待たせたな。早速、商談といこうか」
せかっちさは学生の頃から変わらない。端末を出す相手に、慌ててこちらも携帯を手にする。パソコンから携帯に送っておいたメールを更に相手の端末に転送する。メール内の単語は、パソコンで全てネット検索にかけられて、かぶりのないことが確認されている。別にかぶっていても構わないのだが、こと創作においては、かぶっていない方が都合が良いことが多い。
「よし、待ってろ」
単語がチェックされている間、僕はメロンソーダをつつく。
まるで売血だといつも思う。
でもいまのぼくには他に出来ることがない。
コーヒーが来た。飲みながらのチェックが続けられている。
しばらくして、メールが僕の携帯に返送される。
「チェックつけた単語を買わせて貰うよ。あとで確認してみてくれ」
「まいど」
「金は今日中には振り込むよ。……おまえ書いてるのか?」
ふいに事もなく聞いてきた相手に、こちらも事もないのを装って返す。
「書いてるよ」
ストローを持つ手が感覚的に遠のくのを感じた。
「そうか……それじゃまたな」
こちらの動揺とは裏腹に、たいして興味もなさそうに言うと、相手はやってきた時と同様、颯爽と去っていった。伝票をかっさらっていく男らしさも忘れない。僕はなんとなく、すぐには店を出づらくて、氷が溶けて薄くなったソーダをみみっちく啜って時間を稼いだ。
「お待たせ」
男は路肩に止めさせた、女の車に乗り込んだ。
「ずいぶん早かったのね」
「時は金なり、さ」
「その金を結局、無駄にしてるんじゃないの?」
呆れたように言う。
「なんのことだ?」
「いつまでこんなこと続けるの? 同情のつもり? お互いの為にならないと思うけど」
「そうかな? 少なくとも俺は得してるけど」
「無意味な単語を一つ千円も二千円も出して買うことが? あきれるわ」
男は苦笑して、座り直してシートベルトを締めた。
「作家が傑作を産み出すにあたって、もっとも大切なものってなんだと思う?」
「スピード、生産力、締め切りかしらね」
いかにも編集者らしい発想だな、と男は笑った。
「違う。ひらめきだよ。天啓。インスピレーション。それに比べれば、いまきみが言ったものなんか、それこそ無意味だ。時間をかければどうにでもなるからな。でもこの単語群はそういったものではない。一見、無価値に見える単語も、才能のあるものが見れば、大きなひらめきや物語のほとばしりを産む。それを形にする能力さえあれば、それは莫大な利益をもたらしてくれる」
「ずいぶん、高く買っているのね」
「文字通りね。さあ、無駄口はやめて、警察が切符を切りに来る前に車を出してくれ」
「……じゃあ、なんであのお友達は、単語を自分で利益に変えないわけ?」
せっかちな男が、珍しく少し間をおいて答えた。
「さてね」
駅前に戻ると、人通りは落ち着いていて、いつもの、自分好みの平日の駅前がそこにあった。閑静で安穏。ただ、広場の壁面に貼られた『ランドシェル』の宣伝ポスターの極彩色のカラーリングだけが、異物のように目に突き刺さる。いや、本当に心に来るのは、むしろそのポスターの「原作:」の文字の横に書かれた先ほどの友人の名前と……学生の頃、酔った弾みに冗談半分で自分が売り渡した『ランドシェル』の単語そのものだった。彼が紡いで世に出した物語は自分が『ランドシェル』から連想した物語とは全く違ったけれど、しかしもう世間的にはそれこそが『ランドシェル』なのだ。自分の物語ではない……
(書かなくちゃな)
ランドローム、ランドクーシャ、ランドール……思いに反して僕の手はいつものように、脈絡のない、どうでもいい単語を、携帯電話に打ち込んでいた。ランドルーム、ランチシェル……