不連続パソコン小説「編集者、の・ようなもの」
「……はい……ではあと12ページですね。……ええ、いいペースですよ。では次回もこの調子で……はい、よろしくお願いします。ええ……頑張って下さい。……はい、原稿期待しています」
遠く聞こえる彼女の声に、目が覚める。二、三度身じろぎしてから観念して、まだ重い目と怠い身体を起こして、キッチンに向かう。あくびをかみ殺しながら、ふたり分のコーヒーを淹れて、声のした隣室に向かう。
休日にも関わらず、彼女はぴしりと決まったスーツ姿で、窓際のデスクに座り、書き物をしていた。後光のように射す、プラインドを擦り抜けた昼過ぎの厳しい陽射しが、彼女のメガネの銀色のフレームにかかって鋭く輝き、遅起きを糾弾するかのように目に刺さる。
「あら、おはよう、隆くん。ちょっと待って。もう何件かかけるから。そしたらお昼に行きましょう」
眩しさとは相反して、彼女の声は優しく澄んでいる。
自分が寝間着のTシャツ姿であることにえもいえぬ居心地の悪さを感じる。
「……仕事?」
「最近始めた、ちょっとしたバイトよ」
ありがとう、と笑顔でコーヒーを受け取りながら、なにかを確認し、彼女はまた電話を始めた。
まだパッとしない頭のままソファに座り、邪魔にならないように静にコーヒーを啜る。
「あ、幼獣100%先生ですか? お世話なります、酒々井編集事務所のものです。はい……はい、そうです。はい……はい。それで原稿は? …………ああ、そうですか。それは……厳しいですね。……ええ、スケジュール的にもまずいです。本来なら昨日までに下書きまでは終わらせていないと……はい、はい……」
しばらくスケジュールの再調整について話し合い、電話は終わった。
「……わかった。編集者さん?」
「編集者、の・ようなものね」
彼女は苦笑しながら、なにかをチェックしている。
「の・ようなもの、って」
ぼくは首をかしげた。
「だって、編も集もしないもの。ただ数回、電話するだけ」
「電話するだけ?」
ますますわからない。
「きみのバイトは画家か、物書きか、漫画家か……まあ、何だか知らないけど、その手のなんらかの作家先生に電話して……あ、でも編も集もしないのか? なら資料を集めたり、内容を確認したり、なにかアドバイスをしたりとかするんじゃないのかい」
彼女は首を振る。
「資料を集めたりも、内容を確認したりもしないわ。アドバイス……というか、励ましや締めきりまでのスケジュールの確認や調整の手伝いぐらいはするわね。あまり立ち入った話はしない方が良いのよ。そしてなにより相手を責めたり、モチベーションが下がるようなことを言うのは絶対にNGなの。とにかく聞き役に徹する」
「それだけ?」
「それだけ」
「なるほど、つまり……臨時のマネージャーみたいなものか」
「そうよ。ちょっと高価なスケジューラーか目覚まし時計かもね」
「ふーん、しかしそんなのが商売として成り立つのかい?」
ふふふ、と彼女はその細い顎を手のひらに当てて意味深に笑う。
「隆くん、世の中にはね、他人が見てないと仕事が出来ない、一人だとついつい、仕事をサボッてしまう、というヒトが存在するのよ。困ったことに個人事業主、自営業の人の中にもね。この仕事はそういう人達に依頼されて定期的に電話をかけることで『見張ってるぞ』、『ちゃんと仕事してるか』と軽くプレッシャーをかける仕事なの。締め切りがあるのにだらけてしまう、あとちょっともう少しだけと自分を甘やかしてしまう。そういう人は案外多いものなのよ。そして、自分でそれがわかっていてもやめられない」
「需要と供給、か」
「そ。隆くんもやってみる? あなた今どうせヒマなんでしょ。この仕事、特に盆と暮れは忙しくなるのよ」
「主に女性の仕事じゃないのかい?」
「声が良くて喋れる男性は常に需要があるのよ」
「なんだかぼくには難しそうだけどなぁ」
「一案件、一万円よ」
「…………………」
「あ、BLラブ美先生ですか? お世話なります、酒々井編集事務所のものです。はい……はい、そうです」
漫画家、の・ようなお客様に電話をかけながら、編集のような、そうでもないようなことをしているぼくは、思った。需要と供給。高度に機械やプログラムが発達し、こんなこといくらでも他で代用できるはずの現代でも、人間はこうやってまだ互いに他人を必要としているんだなぁ……などと当たり前過ぎることを。
ちなみに「なぜ編集しないのに編集事務所なのか?」と彼女に聞いたら、社長はこう言っていたらしい。
「気分よ」
そういうものなのかもしれない。
この仕事、結構需要あると思うんですけど、どうでしよう?
もしこれ読んで、実際やってみて成功して大金持ちになった人いたら、
アイデア料でなにか粗品ください。