道をゆく助手の物語
君は道をゆく途中の博士だった。
家に引きこもり読書に耽る君は、よくいる変わり者の女の子に過ぎなくて、
君を博士と呼ぶのは、ただひとり僕だけだった。
はじめ君は僕を厄介がっていた。
男など信用できないのだと言っては、僕に軽蔑の言葉を投げた。
女の子は信用できるのかと聞いたとき、苦手なのだと小さく言って、僕はその様子を可愛いと思った。
「可愛いものが欲しければ、他を当たれ」
赤くなった頬に気づかれて、余計に軽蔑された。
僕はめげずに君の傍にいて、することがないので世話を焼いてみた。
寝食を忘れがちな君に昼食を分けに行くうち、君がゆく道の話をするようになった。
君は何か遠い、遠いものを探求していた。
深い海の底に沈んでまどろみ続けているような、遠い宇宙の星に根を張っているような、
果てのないものだ。
「博士、次はどこの本が欲しい?」
僕は少しずつ、少しずつ気を許されて、君の求める本を探す手伝いをするようになった。
君はラテン語をすらすら読めるくせに、英語はてんで駄目なのだと知って、やっぱり可愛いと思った。
ふて腐れた顔はしたけど、君は何も言わなかった。
君は活字の間に顔を埋めながら、古めかしい書物の中に埋もれたニュアンスを必死で探っていた。
内容が気になってラテン語の辞書を出してみたけど、遠まわしな言葉ばかりが並んでいて、よく分からなかった。
君の探求が少しずつ進んでいくのに合わせて、僕が君の傍に座る距離も近くなっていった。
僕は、君と書物や図書館の話を交わすようもになった。
イギリスのある図書館の貸し渋さについて冗談を飛ばしたとき、君は初めて笑ってくれた。
「紅茶は大いに評価できるのだがな。あと蔵書だ」
君が紅茶を好くようになってくれたのは、僕が抱くひそかな成果だった。
博士には紅茶が似合う。古めかしい書物にも。
それは僕の勝手な持論であって、でも間違いないと思っていた。
君は変わらず、どこか遠いものを追いかけていた。
周囲の誰もその価値を知らなかったが、ラテン語の書物を置いていた小都市の図書館などは、
その価値を知っているのかもしれない。
彼女の探求には終わりがなかったが、区切りはあった。
抱えていた大書をひとつ閉じた時、君は僕が思わず嬉しくなった、あの一言を言ってくれた。
「人を横に置くのも悪くないな。君ならだが」
僕は君の手を取ろうとした。
小さな指輪も準備していた。
けれど君はそれからすぐに、どこかへ行ってしまった。
古めかしいラテン語の書物は山と積まれ、
紅茶の缶にはまだ、お気に入りの茶葉がたくさん残っていた。
「博士」
君の探求には終わりがなかった。
何か遠い、遠いものを探求したのだから、どこか遠いところに行ってしまったのだろう。
帰宅中の失踪という結論を僕は受け入れなかった。
僕だけは知っていたのだ。彼女はその日、家に帰ってきていた。
しっかり鍵をかけた部屋の中、僕が帰ったすぐあとに、君は行ってしまったのだ。
僕はラテン語の辞書を、もう一度手に取った。
君が見ていたなら、不純な動機だと言うだろう。
気になったと言ったなら、分かってくれるだろうか。
君の探求を。
宇宙の果てに浮かぶ星の向こうに眠るものを。
君が至った場所が、どんな所なのかを。
僕は君が使った書見台に大書を置いて、最初のページをめくった。
遠まわしな言葉の中に、君がゆく道が見えてくるような気がした。