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序章 # まだ元気なうちに

実際に行ったことです。

始まりは、NEO MANHATTANではなかった。


6809でもない。OS-9でもない。

一枚の古いフロッピーディスクでもなかった。

小学校六年生の息子の、夏休みの自由研究である。テーマは、「コンピューターの歴史」だった。

昔のコンピューターについて調べたい。そう言われれば、こちらにはいくらでも話せることがある。エニアックの話。パラメトロンの話。

私がパソコンを使い始めた頃、当時はマイコンといったが、コンピューターは今とはずいぶん違うものだった。


日本だけでも、

シャープのMZ-80K,MZ-700,MZ-2000,MZ-2500。

NECのTK-80、PC-8001、PC8801。

シャープのX1、X1 Turbo。

富士通のFM-8、FM-7、FM-77、FM77AV。そして、FM-11。

日立のベーシックマスター。

CPUはZ80や6809。


メモリは8キロバイトから64キロバイトという世界である。

プログラムは最初はカセットテープ、後にフロッピーディスクに保存した。

インターネットなどない。パソコン通信もまだない。音響カップラーで計算機センターにつなぐ速度といえば 110ボー、速くて300ボーが始まり。

分からないことは、本を読む。雑誌を読む。英語文献にあたる。

知っている人に聞く。そして自分で試す。そういう時代だった。


息子には、まずエミュレータで見せてみた。

昔のパソコンのソフトを、今のPC上で動かすものだ。

画面には、40年前とほとんど同じものが表示される。

私の会社で作ったゲームも動く。音も鳴る。40年前の作品だ。


便利な時代になったものだと思った。

ところが、息子はどうも実感が伴わないらしい。当然かもしれない。

目の前にあるのは、いつものWindows PCである。

その中の一つのウインドウに昔の画面が出ているだけだ。

YOUTUBEの動画と変わらない。

これが本当に、昔のコンピューターだったのか。

どれくらい大きかったのか。どうやって使ったのか。ディスクとは何だったのか。キーボードを打って、画面に文字が出るというだけなら、今のPCと何が違うのか。画面だけを見ても、分からないのだ。

---


《 1 それなら、本物を出してみよう 》


それならば。昔の機械を見せればいい。

家には、天井裏倉庫に、沢山残っている。会社で使ったパソコンや個人で買ったパソコンなど、捨てずに長い間しまい込んでいる。

代表的なのをぴっぱり出してみよう。

FM-8 FM77AV FM-11だ。しかし、きちんとしまい込んでしまったのか、見つからない。

仕方なく、片っ端からパソコンを引っ張り出した。

ほとんど使われなかった、PC-8801MkIIがまず出てきた。そして、FM-7。

これらはとてもきれいだ。旬が過ぎたころに、ソフマップで買ったものだ。

そして、FM-11は?といえば、完全に部品取りでばらしたものしか出てこなかった。おいおい、完璧なFM-11EXと会社で使っていたFM-11AD2+はどこだ!

ほかに。

SORDのFuture32という68Kマシン。そしてPC-286、PC9821Ce、PC-98DO、MZ-2000、もちろん四十年近く前の電子機器である。電源を入れれば必ず動く、などという保証はない。

コンデンサは古くなる。ベルトは劣化するので、フロッピードライブも動くとは限らない。

接点も酸化する。

そもそも、最後に電源を入れたのがいつだったか思い出せないものもある。

それでも、少しずつ接続する。

ディスプレイはソニーのマルチスキャン17インチモニターだが、重くて天井裏からおろせない。それから、軽い200ラインモニターは死んでいる。グリーンモニターもあるがこれもだめだ。結果、ゴミ出しをしたようなものだ。

しかたないので、現在のモニターにつなげるケーブルをヤフオクで買った。

イイヤマのモニターはきれいに出る。

さて、便利なPC98DOは10年ほど前に、メディアコンバーターで大活躍したのっだか、電源が壊れていたのを思い出した。やはり壊れている。

さて。きれいそうなPC-8801MK2である。シングルドライブのもので、本当に使っていなかった。フロッピーディスクドライブが生きているかな?

電源ケーブルをつなぎ、スイッチを入れる。すると、画面が点く。文字が出る。ROM-BASICが起動した。やったね!

フロッピーもブートしそうだ。アクセスランプが点灯し音もした。

よっしゃあとエアーダスターでほこりを吹き飛ばし、用心に、まずクリーニングディスクを入れる。

「ガッ、ガッ」「かちんかちん」

と、今のコンピューターからは聞こえなくなった音がする。こんなに、うるさかったんだねと思う。

今度は、残しておいた、マスターフロッピーディスクを入れる。

「かちんかちん」という音がひとしきり鳴り、そして、プログラムが起動した。

「おおっ!」

N88-DISKBASICが起動した。ドライブは正常だった。


後ほど、キーボードのスイッチが2つほど死んでいるのがわかった。

初代PC8801のキーボードこっは内部配線がほぼ同じとみて、開けると、やはりそうである。とりあえず取り付けてみると、スイッチは全部死んでいなかったのでこれで行くことにする。

---


《 2 四十年前のソフトが、まだ読めた 》


四十年前に使っていたソフトウェアが、たくさんあった。

保存していたフロッピーディスクを入れる。

読める!プログラムが起動する。

PC8801mkIIなので、ゲームはほとんど動かないのが残念。

98DOが動けばよかったのだが、先ほども言ったが電源が壊れている。

CP/MやDUADPCなどツールは大丈夫だ。ユーティリティもある。

当時使っていたフロッピーも読める。

かちんかちんという大きな物音に息子が何か?と気付いてやってくる。

動く、使える、遅い!そこが面白かった。

昔のゲームが起動した、というだけではない。

エディタを使える。ソースを読める。プログラムを書ける。

コンパイルできる。アセンブルできる。ディスクを読み書きできる。

しかし、とっても遅い!(笑)

つまり、四十年前のコンピューターが、それなりに働く。

当時初めてPC-8801に触ったときの学生時代のように、ワクワクした。


FM-8ダメだった。これは残念である。私が一番最初に手に入れたパソコンである、しかし、後ほど手に入れたFM-7が動いた。やったね。息子に当時の話ができるよ。

FM77AVがあればと思う、これは究極の拡張をしている。オプションカードもたっぷりある。しかし、なぜか見つからない。

仕方ないので、5インチフロッピーである。フロッピードライブはFM-8用のTF-20だ。確かFM7用のFDインターフェースカードがあったはずだと。何日か掛けて天井裏のオプションカード箱をごちゃごちゃ探すと、出てきた。アルミホイルで包んだ、FM-7用のマウス、FM-7用のFMサウンドカード、漢字ROMカード、音声合成カード、PIAカード、そして、簡易な拡張ボード。これは電源が壊れているので、電源ユニットを入手後つなごう。

TF-20は、以前ヘッド駆動がうまくかったが、今回はつなぐと動く!夏なので、グリスが柔らかくなっているのだろう。TF-20はバイトでセールスをしたのでとても詳しい。ヘッド駆動がリニアモーターなので、劣化がほとんど無いのだ。ドライブさえ回れば大丈夫なのである。

やったね。FM-7用のデモソフトが動いたのには懐かしく感動した。

この時、FM-11のカードもごっそり出てきたので。ばらばらのFM-11を組みなおそうという気になった。256KBのメモリーカードが2枚、128KBが1枚。マウスインターフェースカード、リアルタイムクロック付きの漢字ROMカード、I8088カード、残念ながらマンハッタンとV20差し替え8087付き8088CPUボード、そして768KBメモリーとR2D2-HDIは行方不明のAD2+の中である。

5インチ2Dをケースにはめて、マザーボードを見ると、ライザーカードに電解コンデンサーが見える。これは交換だ。8088カードも電解コンデンサー交換だね。というわけで、交換。4層基盤は手ごわすぎで、仕方なく付いているコンデンサーのリード線を切断してそのリード線に新コンデンサーをつけるという手抜き業をした。現代のコンデンサーは同スペックでもコンパクトなのが幸い。8088カードはセラコンの足が取れてしまった。手持ちがないのでつないでおく。これは後で交換だ。

このマザーボードは63C09化していてクロックを交換してあって、3MHz動作に改造済みだ。そしてメインCPUボードも63C09化している。これは2メガのままである。コマスワープロは6809の未定義コードを使っているので、使えないのだ。

とにかく、つないだ。電源を入れると、動いた。OS-9がブートした。やったね!

ところが、F-BASICがきちんとBOOTしない。ディスクドライブが変なのだろう。シークがきちんとしない。CPUを8088に変えて、BOOT。CP/M-86だ。これは接触具合が悪いのかBOOTしたり、しなかったり。

BOOTしたときに、DDT86で、BOOTROMをSAVEする。MIYAZAKIさんが欲しがっていたので送る。これでFM-11シミュレーターが完成するかな。


安定して動作するOS-9モードに戻す。いやあ懐かしい。


息子が、FM-11を見て、ごつくてカッコいいと言ってくれた。このFM-11は昔、つくば85を見に行った時、富士通の人に会って、ゴミでもらったマシン

。FM-11 EXのリセットスイッチが壊れていた機である。まずは動いたことが嬉しい。早くAD2+とEXを探そうと思う。

---

《 3 昔、FM-11は仕事場だった》


FM-11は、私にとって思い出深いパソコンである。

RS-232Cのボードもつけて、会社ではデバッグマシンとして、FM-TOWNS時代も使った。

FM-11はOS-9マシンである。会社のものは、メインメモリー1MBにRAMDISKボード2MB SASIハードディスクをつないでいた。そしてManhattan Systemを使っていた。Z80 の6MHz版が乗った優れものだ。

プログラム主体がFM-TOWNSのFMRに移るまで、私はFM-11をクロス開発環境として使っていた。

PC-88SR以降シリーズ。

X1シリーズ。

FM7・77シリーズ。

それらのマシン向けのプログラムを、FM-11上で作っていた。

部下の何人かはMSX向けのソフトも開発していた。

この、OS-9の環境下でManhattanを通してCP/MのLSI-Cが利用できる。

これが大きかった。

当時の私にとっては、FM-11は小さなワークステーションだった。


FM-11はすごいぞ、見つけられなくなっているFM-11には、68008カードも刺さっていて、実はこのカードは遅くて困りものだがCP/M-68Kが使えて、当時の主力なCPUのソフトはそれなりに全部使えたのだ。

そのことを、息子に昔話として説明する。


しかし説明しながら、別のことを考え始めていた。


発見できたら、Manhattanは、今でも動かせるのだろうか。一応2010年頃には動かしているのだが、それから15年経っている。RATOC社製の拡張BOXもあって、AD2+本体にはマンハッタン2枚と2HDとR2D2-11 TheRAMカードという構成のマシンがしまってある。EX本体には、68008ボード純正Z80カード、MDC-HDDボードと768KBRAMカードと2HDボードが刺さっている、そういった構成にしていたはずである。

出てきたらいいなあと思う。どこにしまったのだろうか。結構目立つマシンなのに。


《 4 資料も残ってるんだ 》

当時のPCだけではないのが私のコレクションである。

スチール本棚には、当時の資料が大量に残っている。

メーカー提供の技術書やマニュアル、仕様書。

このあたりは開発会社だから持っている。メーカー提供のプリントアウト。

廃棄処分の時にしっかり貰ってきている。

そして、1980年代から2000年頃までに読んでいた技術系パソコン雑誌。

必要な資料がどこにあるかも、意外なほど覚えている。雑誌の大半は段ボール箱の中だが、一般書籍は書棚にある。

何かを調べていて、

「これは確か、あの本に載っていた」

と思うと、書棚の本を探せる。

何十年も前に読んだ図や表が、そのまま残っている。

発掘というほど大げさな作業ではなかった。

資料はずっとそこにあり、確かめることが出来る。本にある印刷ミスや間違いは赤ペンで修正してあったりする。

そして私の頭の中にも、どの情報が、どの本にあったかという索引が、まだ残っていた。

---

《 5 ただ整理するつもりだった》


もともとは、整理するつもりだった。

年齢を重ねた。脳梗塞も経験した。狭心症を患ったのがきっかけで、長男から、お父ちゃんには宝物でも、僕から見たらゴミだよ。分かるようにしてと言われたことがきっかけである。

幸いなことに、脳梗塞もリハビリ出来て何一つ不自由はない。狭心症も治療した。頭もまだまだ働き、昔のスタイルならプログラムも書ける。

古い資料を見れば内容も思い出せる。しかし、いつまでも同じようにできるとは限らないのである。

だから、『元気なうちに整理しておこう』『災害が起こる前に何とかしないと、何もかも台無しだ』そう考えた。

2000年頃に、昔のフロッピーディスクをある程度イメージ化したが、ハードディスクがテラバイトに達した現在、まだまだたくあんあるのでもっとイメージ化できる。行方不明のソースを探し保存する。

機械が動くうちに状態を確認しラベルを書いておき、何がどこにあるのか分かるようにしておく。本来なら、それで終わるはずだった。

---

《 6 ところが、昔とは道具が違った》


整理を始めて、気づいた。会社を辞めた2000年頃の昔とは環境がまるで違う。

RAID5のハードディスクは8テラバイトもあり、実質6テラつかえる。

手元の古いノートPCでさえ、16メガバイトのメモリーに1テラバイトのSSDが入っている。当時では考えられないほど大きなメモリがある。

つまり、20MBが広大なHDDだった時代と比べ、ストレージ容量も事実上気にしなくてよい。

それに、Visual Studioがあり、これは無料である。巨大なソースコードを検索できる。バイナリを解析できる。作ったディスクイメージを何枚でも複製できる。

各種PCエミュレータもあるし、作れる。

古い8ビットCPUなど、現在のCPUから見ればほんの小さな存在である。

そして、もう一つ大きな違い。2000年ごろにはなかったもの。

AI君である。ChatGPT君はイメージ化したマニュアルを読めるのだ。

分からないコードや膨大なイメージファイルから、必要なものを読むことが出来る。

資料を整理し、仕様を確認し、プログラムが書ける。

デバッグもできる。古いバイナリを逆アセンブルして、何をしているのか探すことが出来る。ネットを検索して、情報を読み出せる。

ネット上には、昔の資料がボランティアの手でごっそり乗っているが、個人で探すのは大変であり、英語文献など手に負えないが、AI君達は英語圏のAIなので苦ではない。


昔インタラクティブアセンブラというプログラムがあったが、それが本来の姿で使えるのだ。

こちらが昔の経験や資料を探し出し、説明すると、AIが現在の計算能力とコード生成能力を使い、仮想CPU空間で試し、提案する。

それをこちらが実際コンパイルし、実機で試すことができる。

エラーが出れば、エラー表示を解析させることが出来、原因究明はそれなりに早い。


そこで、考えが少し変わった。

資料を保存するだけではなく、《何か作れるのではないか。》と思った。


---


《 7 最初は、フロッピーだった》


古いフロッピーディスクを、今のPCへ保存したい。

だがUSBフロッピードライブでは読めない。昔使えた98DO+は動かない。

PC8801MkIIに読ませればいいのであるが、実際、エミュレーター用にそういうフリーソフトがあり、D88などのフォーマットが策定されている。以前の2000年頃には、先の98DO+というマシンでこれを使い一旦内蔵HDDに読み込み、ネットワークドライブに保管していたのだが、今は壊れてしまった。

PC-8801MkIIをシリアル通信でWindows PCにつなぐ方法でするしかないのである。これもフリーソフトがあるにはあるのだが、PC8801MkIIでは、遅く、不都合が多い。

このPC-88自身にフロッピーを読ませ、セクタデータをWindowsへ送る。

この作業ソフトをChatGtp君に作ってもらおうというのがスタートであった。

USBシリアルのソフトは私は作ったことがないのである。

PC8801mkIIにBASICのソフトを送り、カッチンカッチンと読ませるソフトからスタートした。最初は4800Bpsである。そのうち9600Bpsで使えるようになった。

FM-7が復活しているのだが、ソフトの送り込みが面倒なのだ。LOAD "COM

0:N81X"というPC88で使える業が出来ない。

簡易に、シリアルから読むソフトをBASICでかいてフロッピーに書き込むツールを作った。TF-20が動いて使えるのがありがたかった、すぐに9600BPSで使えるようになった。

5インチ2HDは、PC-9821APと外付け5インチFDである。

古いディスクを読む。

読み出したデータをD77、D88、RAWイメージとして保存する。

最初は単なる保存作業だった。エラーがあれば、リトライさせ、ドライブを変えて、同じセクターが読めないか試せるようになった。

ところが、破損FDが読み出せるようになると、きれいなFDに書き戻して実機で動かしたいのである。また、内容のファイルを取り出せるようになると、戻し手、再アセンブルしたくなる。

特にOS-9のディスクを読めるようになると、中のソースを利用したくなるのである。ファイルシステムをAIに研究させ、そして取り出すことが出来るようになった。

一つできるたびに、次のことが見えてきた。

--

《 8 そして、6809を動かしてみた》


FM-11のソフトウェアを調べる。

OS-9のモジュールがある。

Manhattan関係のプログラムも残っている。


`pCPM`

`pOS9`

`ApIf`

`ApDv`


名前を見るだけで、昔の記憶が戻ってくる。


それなら。

6809そのものをWindows上で動かしてみたらどうだろう。

既にFM-11シミュレーターがあるが、もっと便利に使いたい。

最初は、本当にそれだけだった。

エミュレーターソースをAIに書かせた。かけるじゃないか、すごい。

小さな6809エミュレータ。命令を一つ実行する。レジスタを見る。

次の命令を動かす。SWIで止める。

1文字出力1文字入力を付けると、なかなかシングルボードコンピューターで昔のモニタープログラムを動かすみたいで、うれしくなった。

デバッグ用に、逆アセンブラを付けてもらった。

システムコールを付ければOSそのものになりそうである。


OS-9で使われるSWI2が気になり始める。

SWI2を実装したら、OS-9のプログラムが動くのではないか。

OS-9プログラムが動くなら、RBFディスクも読ませたい。

RBFが読めるなら、昔の開発環境をそのまま使えるかもしれない。

CP/Mも動かしたいし、Z80も載せよう。

Manhattanのそっくりさんを作れるじゃやないか。

気がつけば、資料整理とはずいぶん違うことを始めていた。


《9 1999年から動いていた、もう一台のFM-11 》

そして、この試みに大きな助けとなる存在もあった。

知人のM氏が開発してきたFM-11シミュレータ。

開発が始まったのは、1999年頃だった。

当初はLinux上で作られ、後にWindowsのMSC環境へ移り、

現在ではMicrosoft Visual Studio上で開発されている。

FM-11AD2+の63C09仕様。

そのシミュレータの上では、OS-9そのものが動く。

純正のCP/Mも動く。

各種I/Oも、実際にOSを使えることを目標として実装されている。


M氏は、単にFM-11を知っている人ではない。

かつて63C09へOS-9を対応させる改造計画の、ほぼ中心にいた一人だった。


当時は何人かのメンバーがいた。しかし歳月は長い。すでに亡くなった人もいる。現在でも、あの時代のソフトウェアを実際に読み、修正し、コードとして扱える人は、もう多くない。


M氏も私と同年代である。それも、この開発を「いつかやればいい」と思えない理由の一つだった。

M氏のシミュレータでは本人が8088カードを持っていなかったので実装は出来ていないのだ、というわけで、先に書いたBOOT-ROMイメージが意味を持つ。コードを提供したところ、8088ではなくV30や80186が実装されてしまった。(笑)


《 10 まだ、間に合うね 》

昔のコンピューターそのものは、いずれ壊れる。

磁気ディスクも永遠には読めない。紙も劣化する。


そして人間の記憶も同じである。

今なら、「これは、あの本に書いてあった」と思い出せる。

Manhattanをどう使っていたか覚えている。その当時の資料もある。

FM-11でどうやってクロス開発していたか覚えている。

もちろんいくつか開発したゲームのプログラムは、バックアップが残っている。

M氏のBBSでは、63C09やOS-9について今でも話を聞ける。

ソースを見せれば、「ここはこうだった」という話ができる。

今ならまだ、『資料と、ソフトと、機械と、人の記憶が同時に残っている。』

そして現在には、それを扱うための強力なPCとAIがある。

ならば、今やるしかない。


《 11 保存するだけでは、もったいない 》

最初は、残しておこうと思った。

しかし途中から、それではもったいないと思うようになった。

プログラムは、ファイルとして保存するだけでは分からない。

動かしてみればいい。

OS-9も。CP/Mも。Manhattanも。

四十年前のソフトウェアを、四十年前と同じように使ってみる。

そして、昔できなかったことまでやってみる。

複数のCPUを同時に動かす。

OS-9のマルチタスクを再現する。

Windowsのファイルも使えるようにする。

昔のRBFも、CP/Mディスクも、F-BASICのファイルも一つの環境から扱う。

当時のManhattanをそのままコピーするのではない。

もし、あのシステムが開発され続けていたなら。

今のコンピューターの上で、どこまで進められるだろう。

その試みに、一つの名前を付けた。


『NEO MANHATTAN』


《 12 息子の自由研究から始まった》


振り返れば、奇妙な始まりだった。

息子が、「昔のコンピューターって、どんなものだったの?」

と聞かなければ、

古いパソコンを何台も出してくることもなかったかもしれない。

電源を入れなかったかもしれない。

四十年前のディスクがまだ読めることにも、改めて気づかなかったかもしれない。

エミュレータの中では、昔のコンピューターはきれいに保存されている。

しかし実機には、スイッチの重さがある。ドライブの音がある。待ち時間がある。ケーブルがある。壊れることもある。

そして、当時のプログラムが、本当にそこで動く。その姿を見て、懐かしいと思った。ワクワクしたとき再演したのである。

面白いと思った。

そして、もう一つ思った。

**まだ自分でできるうちに、やっておこう。**

保存するだけではなく。

動かして。確かめて。できれば、その先まで。

-

こうして、一人の初老となった男の資料整理は、

いつの間にか、四十年前のコンピューター環境を、現代のPCとAIでもう一度作り直す計画へ変わっていった。

まだ完成形は見えていない。途中で何度も壊れる。間違える。

昔の仕様を勘違いする。四十年前のバグまで引きずり出す。

それでも、一つずつ動いていく。そして今、

Windowsの画面の中で、6809が再び命令を実行しようとしている。

そして、Z80がOS9のファイルシステムで動くのである。


第一章  『6809を動かしてみよう』へつづく。



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