妹のような幼馴染が可愛いとは限らない
マット・モーリス子爵令息 主人公
アン・フォンタン男爵令嬢 マットの自称「妹」
クーディ・レイラ伯爵令嬢 マットの婚約者
【2026/03/31(火)以下達成!】
1 位[日間]ヒューマンドラマ〔文芸〕 - すべて
6 位[日間]総合 - すべて
着飾った紳士淑女が手を取り合いダンスを踊る。それが夜会だ。しかし、ダンスホールの中央にいる1組の男女の姿は異様だった。
男の方は顔立ちの整った青年だった。騎士のように筋肉質ではないが背は高く、手足が長い。その長い腕を伸ばし、1人の令嬢の頭をガッチリと掴んでいた。それはまるで、決して自分に近寄らせまいという意思を感じる。
酔っぱらっているのかと思われたが、男はふざけている様子はない。むしろ、非常に冷めた目で令嬢を見据えていた。
彼はマット・モーリス。
この夜会を主催した子爵家の次男だ。
モーリス家の当主と跡取りの長男には領地経営の才覚があり、彼らは領地を確実に発展させ、下位貴族としては豊かな部類に入る。そんなモーリス家の次男であるマットは子爵家の領地経営の補佐となっても、文官を目指す事になっても問題がないよう勉学に励み、王立学園にて優秀な成績を修めた。
本人は品行方正かつ成績優秀。実家の子爵家も問題がないどころか、運営は右肩上がり。学園在学中にマットはレイラ伯爵家から婿入りを望まれ、今年、跡取り娘クーディとの婚約が決まった。
ところが、マットには1歳年下の幼馴染の令嬢がいた。アン・フォンタン男爵令嬢。現在、マットが頭を鷲掴みにしている女性だ。アンはジタバタもがいているというよりも、クネクネと体をくねらせている。
「やだぁ、マットぉ。離してぇ」
「断る」
騒動に気が付いて、人をかき分けてきたのはアンの父親であるフォンタン男爵だ。
「マット!い、一体、何の真似かね!?」
「自分の貞操を守っています」
「はあああ!?」
マットの父とフォンタン男爵は学園時代からの付き合いという事で、マットが10歳、アンが9歳の頃からモーリス家にも出入りしていた。アンは年齢が近く、顔の良いマットを気に入り、常に付いて回るようになる。しかし正直、鬱陶しかった。
アンはマットを見付けると飛び付いてくる。言葉の通り飛び付いて体重をかけてくるので、子供のマットは支えきれず倒れこんでしまい、下敷きになり何度も痛い思いをした。また、腕にしがみ付いて離れず、マットが何をしていようが、お構いなしに付きまとい、お喋りを続けるのだ。読書好きのマットにとって横でペチャクチャと話されるのは非常に不愉快で苦痛だった。自室に逃げ込もうが無作法にも勝手に入ってくる。フォンタン家の教育はどうなっているのだ。
1度、保護者にこの様子を見せたら、注意してくれるのではないかと思って、父とフォンタン男爵がいる客間に行ってみたが、反応は期待していたものではなかった。
「はっはっは!アンはすっかりマットに懐いてしまったな!」
「だってぇ、お兄様みたいなんだもぉーん」
見かねた父が注意してくれたのだが、この親子にはまったく響いていなかった。
「はっはっは!アンのことは妹だと思ってくれたまえ」
「きゃー!アンのお兄様よぉー」
「……そうか、なら遠慮はいらないな。アンの事はマットの妹のように接する事にしようか」
マットの父とアンの父が「妹」だと言ったので、その時からマットはアンを「妹」として扱う事にした。妹ならば遠慮はいらないのだ。
世の中にはマナーというものがあるのだと説明をした。そして、人の嫌がる事はやってはダメだと教える。もちろん、自分だけではなく家族もアンを叱る。しかしアンの奴は説明しても反省しなかった。
注意をしても改善されないので、対応を変える事にした。
飛び付かれそうになれば避ける。アンが顔面から床に倒れても気にしない。腕にしがみ付こうとしたら逃げた。マットは運動も得意だ。年下の女の子にかけっこで負けはしない。息を切らして「待ってぇ」と叫んでいても無視だ。部屋には鍵を取り付けてもらった。
それにしても曲がりなりにも貴族令嬢だろう。いつまでも9歳の幼子のままではいられないというのに、本当にそれでいいのかフォンタン家。
アンは気に入らない事があるたびに、フォンタン男爵に言いつけていたが「え?だって“妹”だと思えって言いましたよね?」で済ませた。「他人」であれば多少の遠慮はしたかもしれないが「妹」であれば気遣いなんて必要ない。
ちなみに4歳年下の本物の妹のシスティに対し「アンタなんてニセモノの妹なんだから。アタシだけが妹なんだから」などと言って、泣かせた際はメチャクチャ叱った。父も母もメチャクチャ叱った。そもそも、偽物はお前だし、年下の子に意地悪するな。
そして、少し経つと父も別にフォンタン男爵とは親しい間柄ではないと気付いた。向こうが一方的に近寄って来ている。
大人同士ならば適当にあしらっていれば、さほど害はないようだが、アンがシスティを虐めたあたりから潮時だと判断したようで、父は、家族の付き合いだけでなく、仕事での関係も減らしていった。
マットは12歳になる頃には王立学園に入学し、併設している寮で暮らすようになったので、ほぼ会う事はなくなる。後から聞いた話だが、両親をはじめとした家の者はフォンタン家にマットの帰省の日程を教えていなかったらしい。
さて、こうしてモーリス家はフォンタン家と意図的に距離をおいていたはずだったが、再び、マットとアンの二人は急接近し始める。正確にはアンが付き纏い始めたのだ。
マットの婚約が原因だ。普通なら逆に没交渉となるはずだが、どこからかマットの婚約を聞きつけたアンは、自分はマットの「妹」みたいな存在だと言って行動を共にしようとしてくるのだった。
ならばと、マットも再び「妹」のように接した。
「前触れもなく家にやって来るな。非常識だ」
「了解も得ずに、人の部屋に入るな。非常識だ」
「婚約者との外出に付いてこようとするな。非常識だ」
「抱き付こうとするな。非常識だ」
「腕に絡み付くな。非常識だ」
「本物の妹でさえしない事を、何故するんだ。非常識だ」
妹が非常識な真似をしたら、諫めるのが兄だ。
本日の夜会でも、マットが婚約者のクーディ・レイラ嬢をエスコートしているにも関わらず、踊って欲しいと言ってきたので断ると、幼児のように頬を膨らませているので「自分の歳を考えろ」と伝えた。
婚約者のクーディと一緒に、挨拶回りを一通り終わらせた後。クーディは友人らしき令嬢達に声を掛けられ、「女同士」で話がしたいと誘われていたので、マットは席を外す事にした。
そして、一人になったところにアンが突撃してきたのだ。
「マットォ~」と甘ったるい声を出して。
婚約者がいるにも関わらず、異性とベタベタとしていたら誤解を生むので、過度な接触はやめろと伝えたはずなのだが。
そっちがそのつもりなら、こう。
マットは抱き付こうとするアンの頭をがっちり掴み、路上に放置された家畜の排泄物を見付けてしまったような顔になっていた。
「分かったから、アンを放さんか!」
「放したら襲い掛かるのでは?」
フォンタン男爵への返答は、すでにマットにとってアンは信用に値する人間ではないと物語っている。
「そんな訳ないだろう!」
「そうですか……じゃあ」
手を離した瞬間、アンはそのまま腕を広げてマットの胸を目掛けて飛び込んでいく。
「もうっ!マットのイジワ……ボギャーーッ!」
「アンーーッ!」
華麗に避けるマット、顔から床に突っ込むアン、そしてフォンタン男爵の悲鳴がホールに響く。
***
「ああ、夜会の夜にこんな騒ぎを起こして」
現れたのは、マットの父であるモーリス子爵だ。
フォンタン男爵はモーリス子爵に向かって怒鳴り散らす。
「この落とし前を、どうしてくれるのだ!」
「うん、もう金輪際、付き合うのは止めよう。絶縁だ」
「そうだ、絶縁だ!……なんだとぅ!?」
唾をまき散らしていたフォンタン男爵が固まった。
「マットは正式な婚約者がいるんだ。過度な接触、非常識な真似は控えるよう、アン本人にも、フォンタン家にも、再三、伝えていたはずだろう。それを無視し、息子に付きまとうなど、一体どういうつもりなのか理解に苦しむよ」
モーリス子爵は息子に似た端正な顔を歪ませる。
「い、いや、アンはマットを実の兄のように思っていてだな」
「12歳の実の妹どころか、7歳になる兄の娘のメイリーンですら、私に飛び付くなんて真似はしませんよ」
心底嫌そうなマットを見て、フォンタン男爵はモーリス家の面々がおかしい事に気が付いた。
「お、お前達はアンが可愛くないのか!」
「うん」
そろって頷くモーリス親子。
「な!今まで散々私の世話になっておいて、この恩知らず共が!」
「恩?それは、フォンタン家が手に負えなくなった仕事を代わりに引き受けた事かい?それとも、君の無計画な橋の補修で足りなくなった木材と人員を調達してやった事かい?いや、君が連れて来た投資話の仲介役を論破した事かな?結局、それは詐欺だったが、君は既に多額の資金を投資していて手遅れだったねぇ」
別にモーリス家はフォンタン家に恩などない。むしろ、煩わしいとさえ思っていた。だが、代わりに引き受けた仕事では人脈を広げ、橋の補修では職を探しているモーリス領の領民を連れていったので、損はしていない。投資詐欺も早めに情報を仕入れた事で、本当の友人達に警告も出来た。
しかし、フォンタン男爵は早々に詐欺に引っかかっていたので借金をかかえてしまった。その金を貸りている相手こそモーリス子爵なのだ。
学生時代から優秀だったモーリス子爵に世話になっていたのはフォンタン男爵だ。
「だ、だが没交渉となるなら、借金はどうする?」
「ああ、王立銀行に債務権利を譲ったから問題ないよ」
本来は、貴族同士の借金を国への貸付と変更させ、貴族間のパワーバランス調整するための制度だ。申請すれば、王命がなくとも使用可能だが、実際の返済額よりも低い額で銀行に権利を引き渡すため、王家からの要請以外で行う家は少ない。
「な、なんだと!勝手な事を!」
「利息も期日も変わらないのだから問題ないだろう」
***
そう言われてしまえば、フォンタン男爵は黙るしかなかった。
「いた~い」と、スンスン泣くふりをする娘、アン。
女は顔と体が良く、中身は空っぽな方がいいはずだ。娘は母親そっくりの良い女に育ったのに、何故こんな事になるのだ。
アンは一人娘だ。仕事の出来る金持ちの令息を婿にし、悠々自適に暮らす事を目的としていたフォンタン男爵は、学生時代から優秀だったモーリスの息子マットに目を付けていた。アンもマットを気に入っており、ゆくゆくは2人を結婚させようと決めていた。アンのような娘に好かれたら、どんな男も悪い気はしないだろう。
フォンタン家から婚約の話を持ちかけずにいたのは、モーリス家からの打診を受けるという形にすれば、より支度金を引き出せると考えていたからだ。
しかしフォンタン男爵の人生プランは危機を迎えた。
マットを婿入りさせれば、借金も帳消しになる計画であったが、モーリス家は、アンを差し置いてレイラ伯爵家との縁組を決めてしまったのだ。
こうなれば妾でもいい。政略婚ならば、愛人をつくるなど、よくある事だ。モーリス家は抜かりない。愛人の一人や二人を付けて、婿入りさせる交渉など容易いだろう。
なのに、何故……!
「ま、待ってくれ!私も学生時代から君を兄のように思っていたのだぞ!」
フォンタン男爵は貴族として優秀とは言い難く、力のある貴族家との人脈もない。モーリス家に縁を切られたら困るのだ。ところが、モーリス子爵は目を丸くしたかと思うと、小さく噴き出した。
「君は私より1つ年上だろう。それは無理があるよ」
学生時代、フォンタン男爵はモーリス子爵より1学年上であったが、留年し、2人は同学年となった。だが、フォンタン男爵は2度目の留年になりかけた。
「君の父上と私の叔父が友人でね、2人に頭を下げられたのだよ」
2回目の留年はあまりに恥さらしだ。どうか、面倒を見てやって欲しい。
「若造に向かって、大の大人2人が頼んでいるんだ。さすがに断れなくてね。でも、約束は学園を卒業するまでだったからね。もう十分だろう」
気が付くとフォンタン男爵とアンはモーリス家の侍従と侍女に囲まれていた。
「お客様のお帰りだ。玄関まで見送りを頼むよ」
***
ホールの中央では、フォンタン男爵とアン嬢がモーリス家の使用人達によって連れ出されていく。
「ご心配ありがとうございます。でも特に問題はなそうですね」
クーディがそう言って「自称友人」達を見ると、彼女達はそれぞれ不愉快そうに顔を歪むのを隠そうと扇子を広げている。
マットとの婚約が決まると、さほど親しくもなかったにも関わらず、彼女達はさも心配するかのようにアン・フォンタンの事を知らせてきた。マットが「妹」のように大切にしている幼馴染で、顔は愛らしく男性が好みそうな女性的な体付き、そして愛嬌のある性格で、若い令息達からは非常に人気があるとか。
今日も「自称友人」達に、マットのいない場所に連れ出され、愛されない女がいかにみじめかを話されていたのだ。
しかし、アン・フォンタンの存在など、婚約が決まる前の調査でクーディは把握していたし、今回の騒動についてもモーリス家は、事前にレイラ家に話を通していた。
「鬱陶しいハエを始末する予定なので、少々不快な思いをさせてしまうかもしれません」
マット本人にも言われていた。この夜会で完全に決別する予定だと。
マットはアン・フォンタンの事など大切にするどころか煙たがっている。
しかし、わざわざ彼女達に教えてやっても意味はないと分かっていたので、適当に相槌を打っていた。彼女達はマットに愛されない哀れな婚約者としてクーディを蔑みたいだけなのだから。
マット・モーリスは下位貴族でありながら、学園の成績は優秀で、1学年上の王太子殿下にも覚えめでたい。卒業後は側近の打診があり、爵位はないが出世間違いなしの将来有望な令息だ。また生家のモーリス家は領地経営も商いも成功している。
高位貴族の跡継ぎの令息達には、とっくに婚約者がおり、割って入るのは困難。つまり、マット・モーリスは手に届きそうな高嶺の花なのだった。また、容姿も整っており、人当たりも良い彼を条件抜きに慕う令嬢も多い。
「ほほ……モーリス様は誠実な方でようございましたねぇ」
対して自分は、愛想もない性格と地味な容姿。長所と言えば、伯爵家の後継として相応しい能力と、その爵位くらいだ。おかげ様で、このように嫉妬されて、嫌味を言われてしまうが、実害がない限りは問題はないので、適当に受け流している。
そのような態度でいるから、「自称友人」を余計に苛立たせるのだが。
「クーディ嬢!」
フォンタン親子を追い出したマットが戻ってきた。
自分を見つめる、その視線は飛び切り優しくて、クーディは胸の奥でフワリと広がる何かを感じているが、それが何かは分からない。だが決して不快なものではない。
何故なら、マットの前だと無理をせずとも笑顔をつくる事ができるのだから。
親子二代に渡って、ハエみたいな奴に付きまとわれていたという話。
この話の人物紹介などを3月29日17時に【短編の後書きとか解説とか 】で公開します。ご興味のある方はご覧下さいな。
【ちょこっと解説】
モーリス子爵は厄介事からも自分達の利益を引き出す才能があるので、決定打がない限りは付き合ってましたが、アンが末っ子のシスティに意地悪をし出した事で、完全シャットアウトを決めました。
うちの子を虐める子供はいりません。
とは言え、アンはモーリス夫妻やマットの注意を聞かず、マナーも教養もない娘に仕上がったので、システィの事がなくとも縁談は結ばれませんでした。




