Part5 告白
歓迎会から一週間が経った。
竹元さんと私は、単なる上司と部下以外の何ものでもなく、メールがくることも無かった。
というより、竹元さんは明らかに私を避けている。
奥さんに疑われたのだろうか。
ちょっと心配にもなる。
仕事の話でも、竹元さんは私に対してあまりに素っ気ないから、周りの人達から心配された。
「佐藤さん、何か失敗したの?」
なんて、言われたりして。
「ああ…したかも」
私は答えながら苦笑した。
失敗は…
そういう関係になったことも、好きになったことも、全てだ。
だけど私だけの失敗じゃないでしょ…
竹元さんのせいにもしてみる。
いろいろ考えていたら、なんだかとっても惨めな気持ちになった。
「ゴメン、ちょっと医務室に行ってくる」
竹元さんに聞こえないように、小声で言った。
「大丈夫?付き添う?」
同僚の女の子が心配そうに言ってくれた。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
具合が悪いわけではない私は、ひとり、医務室のベッドで携帯の着信履歴なんかを眺めていた。
そして、すぐにアキちゃんの名前を見つけた。
「アキちゃんともあれ以来会ってないな…」
週一回は必ず来てたんだけど。
もしかしたら、風邪引いてるとか…
でも、今週は用事が無かったのかもしれないし…
だけどだけど、用がなくても現れてたんだし…
”ああっ!なんっか気になる!”
いらいらして掛け布団を勢いよくどけたら、隣の壁に肘をぶつけた。
「どうしたの」
先生が驚いてカーテンを開けた。
「すいません…何でもないです。もう平気なので戻ります」
私は急いで身支度をし、医務室を出た。
デスクに戻る前に、更衣室に寄ってアキちゃんに電話をかけた。
呼出し音が足の先まで浸透しそうになった時。
『もしもし』
アキちゃんのあったかい声が、携帯から聞こえてきた。
「出た」
『人をお化けみたいに言わないでくれる?』
「幽霊になったかと思ったよ。あれ以来、来ないからさ」
『そっか。そうだったな…ちょっと休んでて』
「やっぱり、体調悪かった?」
『違うよ。旅に出てました。それよりさ、今日暇?』
「夜のこと?」
『いや、今から』
「は?」
『サボるの』
「ええっ」
―――――…
「サボって高尾山…」
「空気が美味しいなぁ」
何故か私たちは山の中にいる。
結局私は、アキちゃんに誘われるがまま、ここまでついてきた。
「あっちが新宿で、あっちが横浜」
東京のビル群がちっちゃく見える。
ガイドさんはアキちゃんだ。
「さて、上まで行く?」
「無理!私、職場から直行でヒールだからここが限界!」
アキちゃんはつまらなそうに私の手をとると、来た道を戻りはじめた。
そんな、玩具を取り上げられた5歳児みたいな表情をされると、なんだか申し訳ない気分になる。
「ゴメンね」
「ん?大丈夫だよ。怒ってないし」
アキちゃんはにっこり笑った。
「でも、どうして高尾山なの」
そう質問したら、笑顔が消えた。
「…アキちゃん?」
「たまには自然に触れなきゃ。コンクリートに囲まれた生活はよくないよ」
「うん…」
それはそうなんだけどさ。
なんだかアキちゃんの様子がおかしい。
言いたくなさそうだし、聴くのはやめようと思った。
聴かないことでアキちゃんが辛い思いをしないなら、それが一番だと思ったから。
しばらく無言で歩き、京王線のホームまできた時だった。
「…舞?」
アキちゃんが聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言った。
"舞"って…
隣を見ると、これ以上ない悲しい表情をしたアキちゃんがいた。
でも、すぐいつもの穏やかな顔に戻った。
「ゴメン、見間違いだった」
「舞って…彼女、とか?」
「違うよ」
「でも、知り合いなら探した方がいいんじゃ…あっ。私がいてまずいなら離れるし」
私はアキちゃんが見ていた方を見回し手を離そうとすると、力強く引っ張られアキちゃんの胸元に引き寄せられた。
「…菜々、本当に見間違いだから」
アキちゃんは全くの普通の顔で言った。
「そう…」
「菜々」
「うん?」
「ちょっとだけ、甘えさせて」
―――――…
あのあとアキちゃんは、私のマンションにやってきた。
私を抱きながら、明らかに違うひとを抱いていた。
おそらく"舞"というひと。
私は勝手にそう思った。
そして、アキちゃんは彼女を想って泣いている気がした。
「アキちゃん」
「うん?」
「…なんでもない」
本当は私を見て、と言いたかった。
どこまでもわがままな私…
「あれ?」
飲み物を取りに立ったとき、鏡をふと覗くと、キャミソール姿の私の胸元に紅い跡を見つけた。
「どうかした?」
アキちゃんがベッドに腰掛け、シャツを羽織りながら言った。
「ううん。キスマーク、ついてるなぁと思って」
私は水のボトルを渡しながら、アキちゃんの隣に座った。
「あ。ゴメン!」
「いーよ。このくらい」
私が笑って答えると、アキちゃんはため息をついた。
「どうしたの…って、聴かない方がいいのかな」
そっとアキちゃんの顔を見ると、彼は少し考えて、話し出した。
「さっきの、見間違えたっていうのさ、本当なんだよ」
「うん」
「いるわけがないんだ」
「舞、さん?」
「…うん」
アキちゃんは、ボトルをサイドテーブルに置くと、私の手を優しく握った。
「叶わない恋をしてるひと?」
「…舞はさ、兄貴の高校の同級生でずっと好きだったんだ」
「うん」
「俺が高校三年のとき、受験勉強を手伝ってくれてさ。彼女と同じ大学に入りたかったから、かなり頑張って」
思い出話をするアキちゃんの表情は明るかった。
「合格した?」
「ああ。で、ついでに想いも告白してさ。そっちも合格したわけ」
「やるね〜」
「だろ?」
楽しそうなアキちゃんを見ると、私も楽しくなる。
誰かと気持ちを共有出来ることが、こんなに心地好いなんて知らなかった。
「彼女との毎日はすごく楽しくて、自分が優しくなれて」
「うん」
「それに彼女は俺の幸せを一番に考えてくれるひとだった」
私は、大学生のアキちゃんと、舞さん(どんな人かわからないけど)を思い浮かべる。
「毎日一緒にいたんだ」
「超ラブラブじゃん」
「で、付き合い始めてちょうど一年目にさ…」
"うんうん"と頷きながら、アキちゃんの次の言葉を待っていた。
でも、なかなか続きが聞こえてこない。
「アキちゃん?」
アキちゃんの手を握る力が強くなった。
「アキちゃん…どうしたの」
「…だんだ」
「え?ごめ、もう一度…」
「彼女は、死んだんだ」