Part2 恋人
言葉少なに電車に乗り、私たちはアキちゃんのマンションに着いた。
さっきはあんな風に流れに任せてしまったけれど、こうやって現実が近付くと尻込みしてしまう自分がいる。
まだ、アキちゃんほど割り切れていないのかもしれない。
緊張して全身が心臓になってしまったかのようで、手が、震えてる。
「適当に座ってて」
それほど広くはないワンルーム。
家具はモノトーンで揃っていて、綺麗に片付いていた。
部屋の中に入ると、アキちゃんの匂いがした。
不思議なことに、この香りに包まれると、少しずつ落ち着いてくる。
「クローゼットは絶対開けないでね。
全部詰め込んであるから」
「え?
超綺麗好きなのかと思ってた」
「適当だよ。
今日はこうなるだろうと思って何とかしたの」
「それでクローゼット…」
「っていうか、こうなるだろうって…
私はまんまとアキちゃんの予定通りに動いているわけね」
「自信あったしね」
「どうして?」
「昨日、俺のこと誘おうとしたでしょ」
私は昨日の行動を思い出した。
なんでアキちゃんを引き止めたんだろう。
考えたら恥ずかしくなって、クローゼットの戸に手を掛けた。
すると。
それを見たアキちゃんが、力強く抱きしめてきた。
「ダメだって言ったでしょ?」
「あ。そうだった」
「約束は守ってね」
来る、と思ったときには、私たちはすでにベッドの上にいた。
落ち着いていた鼓動が、また早くなる。
そして、迷いがまだあった。
「まだ間に合うよ」
「逃げるなら早めにお願いします」
笑いながら私の髪の毛を撫でるアキちゃんが、とても大きく見えた。
私の上に股がったまま、答えを待ってくれている。
「あと5分待てる?」
ちょっとからかってみた。
「は?何その拷問。
耐えられません」
そう言いながら唇を首筋につけ、手は服を脱がし始める。
「私まだ答えてないよ」
「ええっ…もう止まりませんよ…」
泣き真似をする姿が面白くて。
なんか可愛くて。
アキちゃんが犬なら、しょぼんとした尻尾が見えそうな感じで。
私はアキちゃんって男の人をもっと知りたくなった。
ひとつになれば、少しはわかるかな。
「答え。
たくさんキスして欲しい」
「それは…」
「どっちかっていうと、私がアキちゃんを食べちゃいたい気持ちだよ」
顔が、身体中が熱くなるのを感じた。
こんな言葉を言える自分が信じられない。
結局、私は彼の魔法にかかってしまったみたいだね。
私の言葉を聞いたアキちゃんは、優しい目をして、深いキスをくれた。
心のざわめきやウズきが、鎮められていく。
“今日は寂しくない”
私たちは、なかなか離れることが出来ず、何度も、何度も身体を重ねた。
繋がりがなくなって、独りになることが怖かったのかもしれない。
――――…
「アキちゃん、
私が叶わない恋愛をしてるようなことを言ったけど、
どうして?」
ベッドの中で天井を見たまま聞いた。
アキちゃんは、私の鎖骨辺りを指でなぞっている。
どうやら彼は女性のデコルテが好きらしい。
「心がよめるから」
「本当にっ?!」
身体を彼の方に向けると、アキちゃんは私の首にある小さなホクロを擦りながら笑った。
「嘘」
「…」
心臓も普通に戻った。
「…」
あからさまに不機嫌な表情を浮かべるわたしに、“ごめん”と言うと、
話始めた。
「一ヶ月くらい前にさ、見かけたんだ」
私を?
「30後半位の人と一緒だった」
ああ、あの時かな…
「男の人が言い訳を言って、
必死に謝ってたところ?」
「ごめん、
聴くつもりはなかったんだけど、
内容が内容だけにフリーズしちゃってさ」
「そうだよね…私が貴方の立場でもそうだわ」
アキちゃんが小さな顎を私の頭にのっけて、抱きしめてくれた。
その腕の中で思い出していた。
あの日は、約束がキャンセルされたんだ。
本当は夜に食事に行って、お泊まりするはずだったんだけど。
ドタキャンの理由、その日の彼の言葉なんかが思い出されていく。
胸が握り潰されたように痛い。
「佐藤さん。
名前で呼んでもいい?」
私の記憶を絶ちきるように、彼が優しい声で質問してくれた。
「えっ?!
ああ、もちろんいいよ」
私の答えを聴くと、彼は頭の上から顎を外し、私の目の前まで下りてきてキスをした。
「アキちゃん?」
キスがどんどん激しくなる。
戸惑いながらも一生懸命ついていこうとしていたら、頭の中の記憶が薄れていった。
「んんっ…」
「菜々、もう一度名前呼んで」
「アキちゃん…」
“貴方のおかげで切なくならずにすんだ”
そう付け加えようとしたけど、そんなこと、彼はわかりきってる。
彼の言っていたことが本当なら、彼もまた、叶わない想いを抱いているはずだから。
毎日切なくて。
毎日想うだけで。
毎日なにも変わらない。
私も彼の気持ちを受け止めたい…
「アキちゃん…今日はずっと一緒にいて…」
彼に抱かれながら、精一杯の気持ちを込めて伝えた。
―――…
その日の夜。
私は、アキちゃんの部屋でオムライスを作り、テレビを見ながら二人で食べた。
“美味しい”と言って、頬っぺたをリスくらいに膨らませて食べるアキちゃん。
「かわいい」
思わず呟いた。
「かわいいじゃなくて、かっこよくなりてぇな」
残りを全部口に入れると、パンッと手を合わせ、ごちそうさまと言った。
「誉め言葉だよ?」
「微妙。その誉め言葉」
「じゃあ、カッコいい」
「だよな~」
謙遜しないの、と笑いながら話していると、私の携帯から間抜けな着信音がした。
「なんだそれ」
「いいでしょ…」
待ち受け画面を見ると、“竹元さん”と出ていた。
「あ…」
出ない方がいいかな、とか考えていると、アキちゃんは
「タバコ吸ってくる」
と言って、ベランダに出てくれた。
私ははやる気持ちを抑えながら、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あっ。菜々子?今大丈夫?』
「うん、大丈夫!」
声が高くなってる。
『よかった。
すごいニュースがあるんだよ。
実は今度さ、異動でそっちの部に移ることになったんだ』
「本当ですかっ?!」
私は思わず立ち上がり、テーブルに膝を打ち付けてしまった。
「いった~…」
『あっはっはっ。大丈夫?』
「うん。平気。
じゃあ毎日会えるんだ…」
『そうだね。俺も、すごく嬉しいんだ』
心の中が熱くなって、興奮で指が震える。
「…また飲みに行こうね」
『ああ、もちろん。じゃあまた』
切れた携帯を胸に押し当てて、ふうっ、と一息つくと、我に返った。
「アキちゃん、呼ばなきゃ」
ベランダに出る窓を開けると、星の少ない夜空を見上げるアキちゃんがいた。
「彼氏だね」
「彼氏っていうか…」
「奥さんにはバレてないんだ?」
私はアキちゃんの隣に立って、めったに車が通らなそうな道路を見ながら話した。
「バレてたら、会社にいられないでしょ…」
「だよね」
「遊びっていうか、暇潰しっていうか、そんな程度なんだろうって頭じゃわかってるんだけど」
アキちゃんは新しい煙草に火をつけた。
「好き、がやめられないの」
白い煙が闇に吸い込まれていく。
でも、臭いだけは二人に、同じようにまとわりついていた。
「わかるよ」
「アキちゃんも同じなの?」
「いや、違うけど。
やめられないのはわかる。
それは俺も同じだから」
アキちゃんは、そう言うと部屋の中に入って行った。
取り残された私は、少しだけ寂しさを感じ、急いで後を追いかけた。
考えてみれば勝手な話だ。
自分は恋人との電話を優先し、彼を追い出したくせに。
満たされない気持ちを、彼に救ってもらったくせに。
「私、そろそろ帰るよ」
アキちゃんは“送るよ”と言って、また、私の先を行く。
「ありがとう…」
私は一生懸命アキちゃんについていった。
アキちゃんの家の最寄り駅に着くと、予想外の明るい笑顔で彼は言ってくれた。
「自分のこと、最低だとか思わないでよ?」
頭に手をのせる。
「菜々がそう思うってことが悲しいから。
あと、彼氏とのことで俺に気を使わないでいいよ。
愚痴でも、ノロケでも言って」
アキちゃんは手を頬に移動させると、そっとキスをした。
そしてイタズラっぽい笑顔を浮かべると、
「俺は、貴女のいっちばんの味方だよ」
と、カッコいい事を言ってくれた。
帰りの電車はガラガラで。
今日の出来事が思い出される。
思い出していたら、涙が溢れて止まらなかったので、最後尾の車両の一番端に立っていた。
まあ、泣いていたって気にする人はいないかもしれない。
竹元さんだってそうだ。
今だって、綺麗な奥さんと寝てるかもしれない。
でも、アキちゃんはきっと気にしてくれる。
その晩は変に興奮して眠れなかった。
竹元さんが近くにやってくる嬉しさと、“味方”のアキちゃんがいること。
正義の味方かは、ちょっと疑問だけど。
そして数日が過ぎ…
いよいよ竹元さんが異動してくる日がやってきた。