ちゃんと見てなかったのはあなたでしょう
醜いと思われて婚約解消された令嬢が、実はとても美しかった話
「お前との婚約を解消する。」
金髪に青い瞳の美しい青年が、嫌悪感を隠しもせずに、うっとうしそうに言い放つ。
煌びやかな公爵家主催のパーティ会場で、人目を避けるように俯いていたリリアーナは、告げられた言葉の意味を理解できないという様に、顔を上げてポカンと口を開けた。
目の前で冷たい瞳を向けるその青年の横には、以前から噂になっていた子爵家の令嬢がべったりと張り付いている。スラリとした身体に長い手足。波打つ豪奢な濃いめの金髪は艶やかに輝き、ほくろのある口元が妖艶で美しい令嬢だ。とても婚約者がいる男性にする距離感ではない。
「お前みたいな気持ちの悪い女が婚約者など、ずっと嫌だった。ずっと我慢していたのに、跡継ぎが生まれたからお前は伯爵家を継げないという。こんなのは詐欺だ。これまでの時間もお金も全部無駄だった。私には他に愛する者がいるし、お前との婚約は解消だ。金輪際、我がブラッドウッド伯爵家とは関わってくれるな。」
声が通るせいか、周りにいた者達がクスクス笑ったり、ひそひそと囁き合ったりしている。
馬鹿にしたような目で見られることには慣れている。
それでも、こんな人のいるところでこんな話をするのも筋違いというものだろう。
そもそも堂々と婚約者以外に愛するものが居ると宣言するなど、普通ではない。
珍妙な化粧を施されたリリアーナは長い前髪の間からじっと婚約者だった目の前の男を見つめる。
あぁ、こんな顔していたんだ。
最初誰かわからなくて、誰かと間違えているのかとびっくりしてしまったわ。
10才の時にお父様に連れてこられた婚約者のエリオット様だったのね。
私より1つ年上だったから18才ね。
「まぁ、お姉さまったら、婚約破棄されたのね。お可哀そう。」
横から急に現れた妹のミランダが楽しそうな声色を隠しきれずに、近付いてきた。
シフォンを何重にも重ねられた淡いブルーの豪華なドレスを纏い、大きなアクアマリンのネックレスとイヤリングを揺らした妖艶と話題の美少女だ。
「だから、生活を改めた方が良いといつも言っていたでしょう。お姉様は自分を磨くこともせずに、遊び惚けて、エリオット様に恥ずかしい思いをさせてばかり。いつかこんな日が来るのではないかと心配していたの。でも、仕方ないわね。私の親友であるアンジェリーナの方がずっと美しくてエリオット様に似合うもの。その格好も、こんな素晴らしい会場に相応しくないわ。なぜ、準備してあげたドレスを着なかったの?」
ため息をついて扇で口元を隠しているが、にんまりと笑っているのが透けて見える。
時々エリオット様にくっついている令嬢、アンジェリーナというのね。その令嬢と目線を合わせてニヤニヤしている。
そもそもこのドレスしかなかったのだから私に選択肢などありはしない。
化粧だってそうだ。いつも公の場へ赴くときは、必ず義母と妹が来て、ドレスを用意され、化粧の指示をされる。リリアーナの抜けるような白い肌に似合わない茶色がかった地味なドレスに、切ることを許されず、いつもは邪魔で耳にかけている長く伸びた前髪は目が見えないよう下ろされ、艶が出ないように調整して塗られた油のような整髪剤をつけられて、あっという間に噂になるほど珍妙な令嬢の出来上がりだ。
リリアーナはサンチェス伯爵家の長女として生まれた。
母は侯爵家の令嬢で、とても聡明で美しかった。
そのため、伯爵家に嫁ぎ、無能だった父の代わりに領地経営を行っていた。
その陰で父はずっと母に劣等感を持っていて、外に愛妾を作って入り浸っていた。
私は母が亡くなる8歳まで、このままだといずれあなたが伯爵家を継がないといけないのだからと領地に足を運び、母を手伝いながら共に領地経営について学んだ。
母が亡くなると父は愛妾を連れて戻ってきた。
男爵家の令嬢だったという義母は、妖艶な美人で、1才年下の妹を連れていた。
父とそっくりの髪と瞳をしていて、母と婚姻中に愛妾に産ませた父の子供だった。
義母も妹も父と同じで、プライドが高く勉強や仕事を嫌い、派手な事が好きでいつも茶会やパーティを楽しんでいた。
リリアーナは家族の中には入れてもらえず、父がするはずの伯爵家領主としての仕事を幼いリリアーナに押し付けた。右も左もわからないリリアーナを助けてくれたのは昔から支えてくれている侍女長と執事だ。そして母の親友であり、ラミレス公爵家の公爵夫人であるフローリア夫人とその息子である、リリアーナの3才年上のノアだった。
公爵家と懇意にしている母の事も気に入らなかった父だが、母が亡くなった後、格上のラミレス公爵家との関りは失いたくなかったことと、義妹をノアの婚約者にしようと画策していたため、この二人にだけは丁寧に対応していた。もちろん、本来会いに来てくれている相手である私に会わせず、妹に対応をさせようとしていたため、しばらくしてラミレス公爵家は我が家に遊びに来ることもなくなった。
ちょうどそのころ、父は裕福な伯爵家の三男であるエリオットを婚約者として決めたのだ。
完全にお金の為の政略結婚だ。
「婚約解消、承りました。父にはお話はして頂けますか?」
ミランダの嫌味を無視してリリアーナが美しい声でエリオットに問う。
「サンチェス伯爵にはすでに了解を得ている。代わりに今までの支援金は返金不要ということで話はついた。散々な婚約期間だった。」
鬱陶しそうな表情でこちらを見もせずに手で虫を払う様な仕草をする。
「そうですか…。6年間の婚約期間でしたが、至らない婚約者で申し訳ございませんでした。あなたのお顔もよく知らなかったので、最初は人間違いかと思い、驚いてしまって申し訳ございません。」
美しい淑女の礼をするリリアーナの言葉に周りがザワッと騒いだ。
6年間の婚約期間があって顔を知らないだなんて、婚約者として何をなさっていたのかしら?
そういえば、夜会などにはいつもあのアンジェリーナ様を連れていらしたわ。
え?ではリリアーナ様は誰にエスコートされていたの?
いや、いつも屋敷に籠ってそう言った夜会には出てなかったようだぞ。
周りが様々な憶測を話し出す。
さすがに婚約者としてドレス一つ贈ったことのないエリオットは、分が悪いと思ったのかアンジェリーナを連れてそそくさと離れようとした。
「やぁ、楽しそうな話をしているね。」
少し低く落ち着いた優しい声が聞こえて、その場に居た令嬢達が目を輝かせた。
「ノア様!」
ひと際大きな声で喜色のこもった嬉しそうな声を上げたのはミランダだ。
妹のミランダにはまだ婚約者がいない。
まだノアの婚約者の座を諦めていないのだ。
艶やかな黒髪に透明度の高い美しいセルリアンブルーの瞳。
キリッとした涼やかな目元に高い鼻梁、口角の上がった色気のある口元に笑みを浮かべて現れた、この会場の主催者であるラミレス公爵家子息であるノアの登場に、令嬢達が黄色い声を上げた。
公爵家子息であり、王太子の友人でもあるノアは、高位貴族の男性の中でも王太子に次ぐ人気を誇っている。文武両道で剣も強く、馬の扱いも上手い。宰相である叔父について政治を学び、優秀な王太子の側近でもある。
「お会いできて嬉しいです、ノア様!」
頬を染めて上目遣いで挨拶をするミランダを、ノアは微笑んで見つめる。
「…何度も言っているのに、君は相変わらずだね、ミランダ嬢。君に僕の名を呼ぶことは許してないというのに。」
微笑んでいるが、リリアーナにはわかる。
ノアの目が氷の様に冷たくなっている。
「まぁ、だって…ノア様と私は幼馴染ではないですか。幼少のころからの仲なのですから…。」
戸惑ったように笑顔を張り付けて、ミランダがノアの方へ手を伸ばすと、ノアはその手を振り払った。
「触らないでくれるかな。不愉快だ。今後私を名前で呼ぶことがあれば不敬罪で訴える。」
「そんな…。」
涙を浮かべ、ノアを見つめるミランダを無視して、ノアはリリアーナの前に立った。
「リリー。会いたかったよ。婚約解消したんだね。」
「ノア様…。はい、父も了承しているそうです。」
「ああ。私の方でも報告は受けているよ。これでもう、何の遠慮もない。」
「え?」
ノアはその場で膝をつくと、リリアーナの手をとる。
「リリアーナ・サンチェス伯爵令嬢、ずっとあなたを見ていました。美しく賢く我慢強く成長していくあなたをずっと愛していました。これからもあなただけを愛し、守ることを誓います。どうか私の妻になってくれませんか。」
まっすぐに見つめる宝石みたいに輝く湖の様な青い瞳に、リリアーナは胸が高鳴った。
頬を染めてはにかむように笑うと小さく頷く。
「はい。ノア様…。私もずっとあなただけを愛していました。どうか私をあなたの妻にして下さい。」
リリアーナの返事を聞いた瞬間、嬉し気に表情を崩すと、立ち上がりギュッとリリアーナを抱きしめた。
「ありがとう、リリー、やっと君を手に入れた。」
背の高いノアに抱きしめられると、リリアーナは包まれている安心感にホッとする。
いつも私を助けてくれた大好きなノア。
いつも傍に居てくれた。
サンチェス伯爵家に来ても、リリアーナに会えないとわかってからは、ノアは信頼するサンチェス伯爵家の執事であるバーンズと侍女長のサリーを使ってリリアーナの様子を報告させ、彼らを介してリリアーナに連絡をとってくれた。
領地に視察に行くときにはいつもノアが一緒に来てくれて、誕生日には贈り物をしてくれた。
ずっと兄の様に私の事を助けてくれていた。
だが今年の春、弟が生まれた。
伯爵家を継ぐ弟だ。
そうなると私は後継として不要となった。
まぁ、当主としての仕事など何一つしていない父に代わり、弟が立派な当主になれるのかは知らないが、もともと伯爵家を継ぐ予定の私だから調った婚約も解消されるだろうと思っていた。
そのあとは、どこかの金持ちの後妻とかお金の為に売られるのだろう。
全くやってられない。
そう思っていたのに…。
見上げると愛し気に私を見つめるノアの美しい顔がある。
「また、変な油塗られてる…。」
くすっと笑うノアに、リリアーナは困ったように笑う。
「君にドレスを用意しているんだ。まだパーティは始まったばかりだし、今から着替えないか?」
「でも…。」
「大丈夫、実は張り切った侍女達が準備しているんだ。行こう。」
「お…お待ちください!!ノア様、あなたは姉に騙されているんです!!」
ノアがリリアーナの腰に手を当て、行こうとするのを阻むように、ミランダが前に出る。
「姉は…このように醜くて、公爵家の妻として相応しくありません!!家でもいつも私達家族を困らせて…婚約者だったエリオット様にも見捨てられるような令嬢ですよ!」
ミランダの言葉に、ノアの妻の座を狙っていた令嬢達もうんうんと頷く。
「また、私の名前を許可なく言ったね。いい加減にしてくれないか。相応しいかどうか、見ればわかるよ。皆さん、しばらく私たちが戻るまでパーティを楽しんで下さい。」
「ええ、そうね。お騒がせして申し訳ありません。息子はようやく実った初恋に浮かれているのです。しばらく私に免じてお時間をくださいな。」
その場に颯爽と現れたラミレス公爵夫人に、集まった貴族も静かになる。
去っていく二人を睨みつけるミランダは悔しそうに唇を噛んだ。
信じられない、あんな女のどこがいいの?楽しいことも全くできない、お茶会一つまともに参加したこともないつまらない女なのに。
仕事だけしていればいいのに、私の邪魔するなんて…!!!
綺麗な顔をした婚約者がいることも納得できず、早々に友人を紹介してやった。
思った通り、アンジェリーナは彼の心を捕らえて、みじめに婚約破棄されたというのに…!!
私はノア様と結婚するつもりで婚約者がいないのに。
なんであの女がっ!!
それからしばらくして、ラミレス公爵夫人が嬉しそうに皆に報告する。
「皆さん、お待たせしました。息子のノアと、婚約者となったリリアーナの準備が整ったようです。」
その声に集まっていた貴族たちは扉を見つめた。
開かれた扉から現れた美しいノアと、その隣にいる妖精の様な儚げな美少女に人々は言葉を無くした。
ピンクブロンドの艶やかで真っ直ぐな髪をハーフアップで結い上げ、ノアの瞳と同じセルリアンブルーの刺繍のたっぷり入った豪奢なドレスを纏い、長い前髪はその美しいピンクの瞳が見えるまで切られている。いつもは長い前髪で見えなかったその瞳の、長いまつ毛に彩られた美しいピンクの瞳に、その場に居る者たちからため息が漏れた。
リリアーナは母に似た美しいまっすぐなピンクブロンドの髪に珍しいピンク色の瞳を持つ美少女だった。
細い顎に小さな顔。小ぶりだが綺麗に通った鼻と小さなピンクの口元。
瞳は大きく髪より濃い色の長いまつ毛に彩られたその瞳で見つめられると、思わず見惚れてしまうほど、妖精の様に美しい顔をしていた。華奢な体なのに、胸は大きく、折れそうな細い腰に、庇護欲がそそられる。
ノアは初めて会った時、天使が目の前に降ってきたのかと思ったのだ。
リリアーナはその見た目だけではなく、心の美しい少女で、愛妾のところから戻らない父に代わって幼いなりに必死で母を支えようと学んでいた。弱音を吐かないその清廉さは、ノアの庇護欲を大いにそそった。
守ってあげたい。自分がリリアーナの安心して甘えられる場所になりたい。
弱い所を見せて欲しい。僕の前では泣いていいって。
深く恋に落ちたノアは必死にリリアーナを支えた。
サンチェス伯爵家の執事や侍女と仲良くなり、協力を仰げるようにし、エリオットと婚約した時も、絶望したが、それでもリリアーナの傍に居ようとあり続けた。
「皆さん、私の最愛の婚約者を紹介します。彼女は愛妾のところに入り浸る父に代わり、必死で母親を支えてきました。母が亡くなると同時に愛妾と再婚したサンチェス伯爵に仕事を押しつけられ、公式の場では義理の母親と妹に先ほどの様なドレスや化粧をされ、虐げられてきました。まあ、おかげで変な虫がつかなくて良かったんですけどね。」
悪戯っぽく笑うノアに、照れた様に頬をピンクに染めて笑い返すリリアーナに、近くにいた令息達が頬を染めた。
「そ…そんな…。こんなに綺麗だなんて知ってたら…婚約解消なんてしなかったのに…!」
リリアーナに見惚れていた元婚約者のエリオットが呟く。
その声が聞こえたのか、ノアは彼に視線を送ると軽蔑したように冷たい目で睨んだ。
「ブラッドウッド伯爵令息殿。君は忘れているのだろうけど、サンチェス伯爵家の領地に通りがかった際、視察に来ていたリリアーナに一目ぼれしたのは君だよ。君が我儘を言ってこの婚約が調ったのに、一番近くで守れるはずの君は、虐げられ、珍妙な令嬢に仕立て上げられるリリーを嫌悪して見ようともしなかった。リリーが12才の誕生日から贈り物さえしなくなったね。隣にいるその彼女の事はいつまで大事に出来るのかな。」
冷えたその声に、エリオットは殴られたような衝撃を感じた。
そうだ…。
なぜ、忘れていたんだ。
あの時、領民と微笑むピンク色の美少女…
この人が良いと父にお願いしたのは僕だった…
一体いつから…彼女をちゃんと見てなかったのだろう…。
「エリオット様?」
眉間にしわを寄せて不機嫌そうにエリオットを見つめるアンジェリーナを見下ろす。
あんなにリリアーナと比べるべくもないと思うほど美しいと思ったその顔は、どこか傲慢で意地悪そうに見える。そうだ、もともとミランダに紹介されたんだ。
そのミランダを見つけると、驚くほど顔を歪ませてリリアーナを睨みつけている。
醜悪なのはどっちだ。
彼女を見てなかったのは私だった…。
何も見えていなかったのは…。
エリオットはその場でガクリと膝をついた。
その後、ノアは直ぐにリリアーナを自身の公爵家に連れ帰り、早々に結婚式の日取りを決めた。
周りも驚くほどの根回しで、母親であるラミレス公爵夫人も呆れつつ、可愛がっていたリリアーナが娘になることを喜んでくれた。
サンチェス伯爵家は、長く伯爵家を支えていた執事のバーンズと侍女長のサリーが、リリアーナの輿入れと共に、高齢を理由に引退したため、執務の出来ないサンチェス伯爵の無能のせいで、収入が激減し、厳しい生活を余儀なくされているとのことだ。
このままでは弟が伯爵家を継ぐ前に没落するのでは…と懸念されていたところ、
姉を冷遇していたとして、なかなか婚約者が決まらなかったミランダが、貴族に嫁ぎ先がないため、裕福な商家の後妻に入り、その支援を受けているそうだ。
商家はあくまで平民の為、働いたことのないミランダには地獄のような日々だったが、仕事をすることの難しさを知り、それを子供の時からしていたリリアーナを初めて尊敬したそうだ。
「ねえ、何を考えているの?リリー。」
窓の外をぼんやり見つめていたリリアーナを後ろからギュッと抱きしめながら、ノアが愛しさのこもった甘い声で問う。
リリアーナはその安心できる温かい腕の中で背中を預けると幸せそうに振り返った。
「フフ…幸せだなって思っていたんです。」
「幸せ?」
「はい。私…、家族に虐げられていたけど…ずっと幸せだったんです。ノア様がいたから。今はもっと幸せです。」
そういって安心したように笑うリリアーナの笑顔を、ノアは蕩ける様に甘い瞳で見つめるとそっと唇を塞いだ。
「一生幸せにするよ。」