第零話 冒険者の駆け出し
これは、株式会社ITの第三話です。
走る。ひたすら走る。ぐんぐん走る。いっぺんの余地もなく走る。
――いや、少し言いすぎた。
兎に角、全力で走っていた。
村の周りを一周するように目印を立ててルート決めをしたけれど、いかんせんヒズメル村は小さく、一周六百メートル程しか無いため(測ったことはないが何となく)、十七周もしないと目標には届かない。
が、ここで諦めるほど僕の心は半端ではない。
現在十六周目、まだまだスピードを落とさずに走り続ける。
このぐらいになると、村の皆も起き始め、出会う人も多くなる。
「あら、おはよう」
「おはようございます! エナミ婆ちゃん」
前は十週くらいでこのタイミングだったので、努力が実になっているのが結果として現れている。嬉しい。
「おはよう」「おはよう」
「トマイさんケレーさんおはようございます!」
足を止めるわけにはいかないので短い挨拶になるのは申し訳ない。先程も言ったように、僕は半端でないのだ。
「おはよう、アマ!」
「あ、う、うん、おはよう」
アマはもう少し前のめりになっても良い気がする。今の僕くらいにはね。
………………。
スタート地点が見えてきた。さっきの話はここまで。
「大丈夫ー?」
僕が視界に入ったらしく、スタート地点に立っていた、クアリが尋ねてきた。
「うん! だいじょーぶー!」
勿論足を止めずに、通りすぎながら叫ぶ。ちょっと過剰な気もしたけど。
「分かったー!」
律儀に返答に返答を重ねてくれる。いつも思っていることだが、クアリは本当に真面目だ。しかも頼もしい。
彼女に何回助けてもらったか数えきれないほどだ。
本に書いたら辞書並の厚さのクアリ教典が完成するな、絶対。
彼女の一個下というのは妙なプレッシャーを感じてしまう。
皆が皆この水準を保っているなら、どうやって戦えば良いんだ?
そのまま十七周目を走り終え、体を翻して背中から落ちるように倒れこむ。
ふぅ。と文字通り一息つき、腰から上を起こして、用意されていた水を喉に流す。
「今日はまた一段と速くなってるよ」
「ほんと? やった」
体感で感じ取ってはいたが、言葉で聞くと尚更嬉しくて笑みが溢れる。
「ふふっ。――あ、そうだ。軽くサンドイッチ作ってきたけど、たべる?」
「食べる!」
クアリが見せたバスケットから顔を出したパンを引きずり出し、挟まっている物も見ずに頬張る。
「うま!」
「良かった」
何種類か入ってる。ハムにレタス、ケチャップだと思う。味的には。レタスの歯切れが良く、いつもよりしゃきしゃきとしている気がする。
「レタスとハム、後は卵にケチャップだったかな、確か」
惜しい。卵が調和しすぎて気付けなかった。今日の唯一の心残りだ。
まあ、まだ早朝も早朝なので唯一かは知らないが。
本当にこれだけが心残りなのか訝しむなら、この先を読めば分かる。
「はい、着替え」
「さんきゅー」
貰ったサンドイッチを胃袋に納め終わったくらいに、汚れるから、と持っておいてくれた僕のシャツ達を受け取り、着替える。
いやまあ勿論、こんな野原で、しかも女性の前なのだから上着だけだ。びしょ濡れなのも主に上だからね。
「下は着替えないの?」
「へ?」
「あ! ――いや何でもないよ?」
赤くなりながら何故か疑問形で否定した。十八にもなる男がパンイチで立っている姿を少し遅れて想像したらしい。
クアリは気を抜いているとこういう天然を見せる。それは平和って事だから別にいいとは思うけれど。
「ほ、ほら、一回家に戻れば? 水浴びとかしたいでしょ? ね?」
「う、うん」
この前の押し売り商人の勢いを借りたような威圧感を感じたので、了承した。
そこまで恥ずかしいことだったのか。いじるのはやめておこうかな。
僕とクアリは同じ方向に足を進める。
「……今日はいつもより元気そうに見えたけど、何かあったの?」
いじらないと決めた以上、話をさっさと変えるのが得策だと判断した。
「それはね、――さっきのサンドイッチ、どうだった?」
「サンド?」
質問を質問で返された事実に困惑しつつ、まだ食べてから一時間も経っていない記憶を掘り起こし、頭の中で吟味する。
前のクアリの味もついでに思い出す。
「……あ、レタス」
「そう! 今朝良いのが採れたの」
「確かに、かなり歯応えがあった」
採れたて新鮮の枕詞で美味しくない物は非食用しか無いんじゃないだろうか。
いや、確か鮪とかはイノシン酸が死後から生成されるとかで、採れたてはうま味がなくてあまり美味しくないとかなんとか。
――待て、鮪って何だ? 魚か? 魚で有るって書いてあるし。
というか、良いレタスが採れたからとここまで喜ぶのは、主婦が市場で安い買い物が出来た際の気分と同じ感覚だろうか。
「そんなに嬉しいことだったんだ」
「そりゃあ、勿論。皆に美味しいご飯が作れるじゃない」
「サンドイッチは確かに美味しかった」
「でしょー」
むふーとでも言っていそうな自信満々なドヤ顔でアピールしてくる。
僕はいっこ下ではあるのだが、身長は勝っているので、それも合わさってか、小動物的なかわいさが強く響いてきた。
「うん、まあ、流石だよ、クアリは」
「あ! また呼び捨てにしたー! 私はクアリ姉さんって呼んでって言ってるでしょ」
「それは……昔からクアリで呼び慣れちゃってるし、しょうがないじゃん」
「あ、それか、――お姉ちゃんでもいいよ?」
――さっきも述べたが、僕は今年で十八。昔から馴染みには当然、実の姉が居たとしてもお姉ちゃんと簡単に呼ぶ年齢じゃない。
「恥ずかしいから駄目」
正直に言ってしまった。隠しきれるはずだったのに。うだうだ言って逃れるはずだったのに。
「もー、そういう所、ずっと子供だよねー」
「こ、子供とかガキとか言うな! お姉ちゃんとか言う方が子供だろ」
「――ガキなんて言ってないけど……? というか、別に大人になってもお姉ちゃんとかお兄ちゃんとか言ってる人はいると思うよ」
「その人はその人。僕は僕なんだ」
「お~、なんかそれっぽい」
そうこうしていたら、隣り合っている僕とクアリの家の真ん前にいた。
少し前にも言葉にしているが、ヒズメル村は小さいのであっという間に家に到着する。
「じゃ、さっぱりしたらまた出てきてね」
「うん」
クアリに一時の別れを告げ、我が家に帰って、水浴び場に向かう。
因みに、家で待っているような人は居ない。両親は八年前に他界したし、兄弟姉妹も僕の元には産まれていなかった。
汗に濡れた衣服を脱いだことで、一糸纏わぬ生まれたままの姿、要は裸になり、全身に元々桶に溜めておいた水をぶっかける。
かけた水が肌を流れ、体の汚れと共に身を、更に心まで清らかにしてくれる。
水滴に乱反射する日光が何もかもを美しく見せる。
これなら「水も滴る良い男」だって言われても仕方ないだろう。
――気持ちいい。
暑く火照った、オーバーヒートした肉体を冷やすだけでこんな快感を得られるのだから運動する価値は十分にあると思う。
それでもやらない人はやらないと言うのだろうが。
水浴びと着替えを済ませ、家の中に再び入る。
「さて」
かまどに火を入れ、五徳の上に、鉄を曲げて作られたシンプルなフライパンを乗っける。
それが温められてきたのを確認し、予め切り分け、塩漬けにしておいた鶏肉を取り出す。
軽く水で塩を洗い落とし、軽く水気を拭き取る。塩をすり込む前より、少しだけ桃色の落ちた肉を、フライパンへ。
――――の前に、油を少し流しておく。
そして今度こそ、肉を熱された鉄の上に載せる。ジュー、と表面、それから内側へ少しずつ火が通っていく音がする。
先にサンドイッチを食べたにも関わらず、既に腹が飢餓を訴えてきた。
………………頃合いかな?
鶏肉を木製のへらで引っくり返してみると、程よい焼き加減を表す橙色が眼前に飛び込む。……これはヤバい。
ハザードランプ点灯。
裏面も大体同じ時間焼き、一度確認。仕上がりを確認したら、完成。
塩漬け鶏のステーキ。
表面上に現れた艶が輝き、焼きたてだからかまだジュージュー鳴いている。
それに加え、煙からは心地よい香りが鼻腔を刺激する。
ああ、もう限界だ。右手の装備をへらからフォークに持ち替え、左手にナイフを装備。
――人に振る舞う訳でもないのでそのままがっつくことにした。
フォークで口まで運べるくらいのサイズ感に切り、整え、刺し、持ち上げた。
朝の日差しを照り返し、宝石のようにその身を輝かせている。それを逸らすことなくストレートコースで口に入れる。
一番に感じたのは間違いなくうま味。鶏の持つ油が弾け、途方もない旨さを味わわせてくる。
流れるように塩味も入り、凝った味付けをした訳でもないのに、舌の肥えた上流貴族も満足できるであろう完成度を演出していた。
一枚分を丸々食べ終え、外出用のシャツ、ズボンを着こなす。走っていた時に着ていたものとあまり相違ないが。
言っておくと、これは僕のファッションセンスが無いのではなく、ただ単に種類が無いだけだ。
兎に角、外出用を着たのだから、勿論外出する。
と、ドアを開けたらクアリがずっとそこにいたみたいに待っていた。
「ちょっとー、遅い」
「そんな直ぐに準備できないよ」
バックを持ち直して言う。話すのを忘れていたが、僕は背中に背負えるタイプのバッグをしょって家を出た。
「それじゃ、行くよ」
グッドサインで指した先には四輪の、人が六人は乗れそうな囲われた台にくくりつけられた馬――名前はサブレだ――がいた。
所謂馬車というやつだ。クアリはサブレの後ろぐらいにある御者台に腰を下ろし、手綱を取る。僕は後ろに積まれた荷物の間を潜って荷台に乗り込む。
「それ!」
クアリがサブレに手綱の操作し、指示された通りに道に沿って目的地に向かう。ある程度整備されてるとはいえ、土が剥き出しになっただけなのでかなり揺れる。
慣れると心地良いものだが、最初は吐きそうだった。クアリは初めから大分余裕があったんだよな。
険しい山道を登ったりすることはないのだが、なかなかの距離の道を進むので、いつもの様に雑談で暇を潰しながらゆったりすることにした。
「今日も野菜、一杯だな」
荷台に相乗りしている木箱の中には赤黄緑の野菜らがどっさりと入れ込まれている。中には朝食べたのと同タイミングに収穫されたであろうレタスもあった。
「そうそう。レタスだけじゃなくてね、トマトも綺麗でしょ」
閉じた目が逆アーチ状に曲がっている。
「やっぱり祈りが届いたのかな」
「そうなんじゃない? シンミンに届いたんだよ」
「ちゃんと様をつけなさい」
「はいはい……」
「絶対わかってないでしょ」
そんな事を言われても……。
六柱が一つ、生命を司る命の神、シンミン。
会ったことが無いのだから敬意も何も無いだろう。
「あ、今日も寄り道するから宜しくね」
「また?」
「もう慣れたでしょ」
「慣れてもめんどいもんはめんどいよ」
否定もしないし、宜しく任されるつもりであるが、僕のキャラクターが許さなかったので口先だけでもそう言っておく。
「え、じゃあ、しょうがないかあ」
途端にテンションを落とす。飼っていたペットを亡くしたぐらいの悲哀な顔をする。
「…………ああもう分かったよ。何処でも付いていくって」
「本当!? 良かった」
心底安心した笑顔を見せるもんで、超速で折り曲げたキャラが正しくなかったと感じる。
感じさせる。
そこからの会話、クアリは声のテンションが少し上がっている。
「どうせ付いてくるなら何処寄るかは決めておくべきだよな」
「私は、……やっぱりブティック」
「いつも通り」
「ダメ?」
「口に出してないよ、そんなことは」
「顔に出てるの」
咄嗟に顔を隠したが、よく考えなくともクアリは前を向いていたので意味がないし、見えない時点でハッタリでしかない。
数秒の間の行為がバレないように自然に話を繋げ――
「そ、そんなわきゃねえだろい」
「分かりやすすぎてちょっと心配……」
――ようとしたがスキル不足で大失敗した。
「……しょうがないだろ、クアリの言うことに間違いはないんだから」
「もしかして、今の褒めてくれた?」
「事実を述べただけです」
クアリは微笑みながらありがとう、と言ってくれた。めちゃくちゃに良い顔をしている。
そのまま何ともない雑談を続けて。
「あ、森が見えてきた」
今進んでいる道の左手、その大体が木で覆われている。名前は覚えていないが、確か……。
「伝説の巨人って本当にいるのかな」
「それだ」
意図はしてないだろうがクアリが補足してくれた。
「それだ?」
「いや、なんでもない。巨人は居るか、だっけ?」
不思議そうな顔は無視して巨人伝説の話に乗っかる。
「ああ、うん、そう。聞いたことあるでしょ? 土地の怒りを静めたっていう」
「小さい頃によく話されたな」
昔大地震、もとい土地の怒りが起こった。その時に人の二、三倍の体躯を持つ巨人が森の奥に神殿を建立し、その身を捧ぐことで収めた、静めた。
語り口調や端折った部分を除けば大体そういう話だったと思う。
「その巨人って、今も居るか、――あるかって言った方がいいのかな。……まあ、いいや。居るのかなって思って」
「さあ?」
「こういうのは居たとしたら、で話すの」
「なんなんだその押し付けは……」
これは僕が悪かった、のだろうか。まあ、いいや。
「そうだな……。会おうと思うならその神殿に行ってみるのが一番だとは思うが」
「やっぱりそうだよね」
クアリはそのまま続けて話す。
「入ってみたいなあ」
「無理なもんは無理だろ」
会話を続けながらも森を見ていた視界に入ったのはある看板。
この森、立ち入るべからず。
誰かが勝手に立てたものではなく、今向かっている王国によって立てられたもの。
先に言っておくが、別に、それに僕らが従っているのはそう言っているから入らないという、とりあえずでも愛国心でもなく、はっきりとした害があるからだ。
――その森には、魔物が棲んでいるから。
「勿論、魔物に殺されたくは無いけどさ、どうにかならないかな?」
「立ち入り禁止なんてする程なんだから、一般人の僕らじゃどうにもならないよ」
「そうだ! サブレのフルパワーで一気に突っ切るとかは」
「木々の間をこの馬車が通るのは無茶だと思うけど」
「馬車は置いていくんだよ」
「僕達はどうすんの」
「勿論サブレに直接ライドオンするの」
どうよ! とクアリは自信たっぷりに胸を張っている。
クアリは確かにしっかりとした真面目な人間ではあるのだが、それと破天荒であることが共存共生しているというのだから驚きだ。
「無茶だろ。というか無茶苦茶だろ」
「まあ、確かに……」
「うん。だから」「二人が乗るのは無茶だったね。やっぱり私一人で」「サブレに負担多すぎだって!」
とんでもない見落としに気付いたように、はっとした顔で確かに、と再び言った。
「それじゃ、この作戦じゃだめかー。しょうがない」
これが村一番のしっかり者なのかと考えるとうちの村は廃村の危機に瀕しているのかもしれないと思った。
……まあ、これを見ても未だにクアリはしっかり者で真面目だと思えてしまっているのだから、僕もその村の一員である。
そうこうしているうちに、視界にはもう目的地が見えてきていた。
遠くにあるのに、なお大きく見える壁、そこから突き出て、はみ出ている城の天辺。
その城、――確かフリードレート城だったはず――そこに住まう王族が統治しているのが、先も話に出た目的地、セイクレート王国だ。
◆◆◆◆
「お待ちください」
王国へ続く門扉に辿り着くと、王国兵士に止められた。兵士と言われて想像できる、如何にもな甲冑を着込んだ二人組だ。
こんなことはあまり無い。
――というか、兵士自体、居ることが珍しいので気になってはいた。
「ん。……えと、何ですか?」
クアリがサブレに一時停止の指令を与え、兵士へと向き直る。なにもやましいことは無さそうな顔をしている。――実際なにもないんだけど。
「荷物のチェックをさせてもらいます」
「……まあ、いいですよ」
渋々の了承を受けた二人は木箱を開ける。僕は邪魔になると思い荷台から降りていた。そのまま一通り箱を開け、元に戻した。
「申し訳ありません。通ってもいいですよ」
「あの、何かあったんですか?」
つい気になって質問してしまった。
「いや、それがですね……。――不法侵入者が出まして」
――不法侵入? 王国にか? ……いや、でも、王国の壁は越えるなんて事は考えられないぐらいに高い。
出来るとしたら飛行魔法だが、使ったとしても、魔力感知式の防壁があったはず……。
「不法侵入なんて出来るんですか? 王国に?」
「実際に起こってしまったんです。しかし、方法が分からないんです。侵入者を捕らえることは出来ず、また現れる可能性がある、として、こうした検閲が実施されているんですよ。お手数お掛け致します」
「……待って」
今度はクアリがストップをかけた。
「侵入方法は不明、容疑者を捕まえていないのにどうして入ったことだけが分かるの?」
「すみません、少し説明がざっくりしていましたね」
話していたのとは別の方の兵士が話してくれる。
彼が話してくれたのも含めてまとめると、まず、セイクレート王国に不法侵入者が出たということ。
ここも深掘りすると、普段別に王国は今回みたいな検閲もなにもしていない。
代わりに、自動魔力感知を用いた人の出入りの記録をしている。
一応解説すると、人が持つ魔力は独自の波を持っており、それを利用すれば誰が入り、そして出ていったかを簡単に記録できる仕組みだ。
かなり高度な魔術体系で、王国随一の魔術師をもってしても数ヶ月かかるシステムらしいが。
その中に、不思議な記録があったらしい。
一回しか記録されていない魔力。
……いや、これ自体は過去にもある事例というか、外から移住し、王国民になったばかりだとそういう記録もあるらしいし、王国に少しの間滞在するというのもよく聞く話ではある。
……というか、先の前提の説明のせいで勘違いしてしまうかもしれないが、この魔力は波のない平坦な魔力、つまり、人が持つ魔力でなく、魔道具等の魔力であるらしい。
それらは本来、使用時でない限り人よりも遥かに小さい魔力しか感知できない。
それが感知出来る、ということはそれを保持する人の魔力がほぼ無いに等しいということ。
記録されなかった人物が入ったか、出ていった可能性。
そんな事例は今まで無かったと王国側が考慮し、議論を詰めに詰めた結果、不法侵入者として捜査している、そんな感じらしい。
「不法侵入というか、犯罪者または犯罪者予備軍というイメージです」
便宜上そう呼んでいるんです、と兵士は付け加えた。そこまで事情を話していいものなのかと思ったが、聞いてしまった以上、僕らも共犯である。
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそすみません」
社交辞令も終わらせ、やっとこさ門を通った。
ただ今通った門から大きな石畳の道が一本、中心の城へと繋がっており、その城からまた別の大道が十字の形で四本伸びている。
その他にも、網目のように小道があちこちに張り巡られて、残った隙間を埋めるように住宅や商店が建っている。
今日はその内の一つに用がある。
門から少し進んだ所、城を中心に見て左手にあるのが、八百屋カンプレン。店先には多くの野菜が並んでいる。何ヵ所か空いている棚にはうちのものが入るのだろう。
「トワズさんこんにちはー!」
「よお、クアリ! 具合はどうだ?」
「バッチリです」
このおっさんが言う具合は、人と野菜、両方のことだ。
「ニト! お前も元気か?」
「すこぶる調子良いですよ」
「はっはっは! そりゃあ良いこった!」
この筋骨隆々で声の大きいおっさん、トワズさんは会話をしながら軽々と木箱を一人で運んでいく。一応、あれ結構な量入ってるはずなんだけどな。
「おお~! いつにも増してかわいいじゃないか~!」
正直、僕にはいつもより美味しかったとしか言えないのだが、専門家であるトワズさんからしたら見た目から違うらしい。ノリノリで店頭に並べていく。
「そうなんですよ、今回は自信作です!」
クアリも改めて嬉しそうにしている。
「いやー、お前らん所の子らは本当に良くできてるよ! 良い環境なんだろうな」
この頃には殆どの野菜が並べられていた。
「よし! じゃあ、いつものと、……これだな」
トワズさんはクアリに袋を手渡して、空になった木箱の横に水の入った桶を置く。その中に魚が泳いでいる。
「これは?」
「セクネテルール港産の奴だ! あんまし食ったことないだろ? 魚は」
「まあ、確かに」
「お土産にくれてやるよ」
ありがとうございます、と嬉しそうにクアリは受け取った。まあまあな数があるので何人かに分けても良さそうだ。
「泳がせてるからある程度は持つぞ。――あとは、あんまりないだろうが盗まれないようにはしろよ!」
「はーい!」
クアリは大きく手を振りながら、僕らはカンプレンから先、城付近へと進んでいった。
行ったことはないが、ここ以外にも何ヵ国か王国は点在している。
当然と言ったら当然ではあるが、ここほど民を考える王族がおわすのはこの国以外に存在しないと思う。
福利厚生や公共設備が充実し、貿易も発展していて物資に困ることもない。
福利厚生のための課税制度はあるが、それも当然の暮らしやすい環境といえる。
しかし、村出身の身からすると敷居が高い、というか敷金が高い。
……いやまあ、敷金は冗談にしても(そもそも敷金なんて無い)、資金が無いのは事実であり、それだから僕らはこんな出稼ぎのような形をとっている。
何でそんなことをいきなり話したかといえば、そんないいところには、それに見合ったいいお店があると、そう言いたかったから。
僕らの目の前にあるブティックもその一つだ。
クアリは窓から華のある女性用服をまじまじと見つめていた。「いいなあ」と切望を漏らしながら。
「……なあ」
「んー? 何?」
此方を向く素振りも無しに聞き返してくる。
「いつも思ってたんだけど、中に入って見れば良いんじゃ」
「いやいや、私の服装見てよ」
言われたので眺めてみる。リボン付きのブラウンのワンピースの下に長袖の白シャツ、胸辺りにマツバギクのブローチ。
………………いつも通りだな。綺麗にしていて、華麗に着こなしている。
「そう! いつも通り、村での格好なんだよ!?」
「なんだよ!? ――って言われても、別に似たような人は周りにもいるし、気にしなくても大丈夫じゃないか?」
今しがた見ていたような服を着た人が居ないわけでもないが、多いわけでもない。
というか、さっきは華があると述べたが、俺からしたら少し華美すぎる、派手だなと思っている。
あんなにいっぱいフリルって要るのか?
……まあ、デザインに突っ込むのは野暮ったいことではあるとは思うが。
「いやいやいや、私の方がワンランク下じゃん」
「何のランクなんだよ」
「おしゃれ番付」
「貼ってあったかそんなもん」
「いや?」
「そりゃそうでしょみたいな顔で返すな。最初に出したのはクアリでしょうが」
それに、と付け加えてみる。
「十分今の格好も綺麗だと思うよ。ああいうやつはちょっと派手すぎる気がするし」
「あー! それ、良くないよ」
「え?」
「人の好みを自分の好みで否定することはね、自己中心的で、人の気を削ぐことなんだよ? 服で例を出すなら『どっちの服が似合うと思う?』って質問に『どっちでも似合うよ』って返すぐらい重罪だからね? あ、でも、この例だったらはっきりこっちが良いって言うのが正解だからね」
「ええと、ごめん」
本心混じりの言葉だったのだが、結構真面目に怒られてしまった。まだまだ未熟者である。
「綺麗とか言ってくれるのは嬉しいけど、次から気を付けてね」
「はい……」
「あーあ、気分が削がれちゃったなー、下がっちゃったなー。もう一軒ぐらいブティック見れたら良いのになー」
「……」
これがしたかったのだろうか。
「分かった。もう一つ行こう」
「うんうん、それじゃ、しゅっぱーつ!」
そのままもう一つのブティックに向かい、馬車を止めて入った。
もう一つ立ち寄った方はさっきよりもリーズナブルで落ち着いたものが多かったのでクアリも気にしなかったようだ。
好みを否定するなと言っていた割に強いこだわりがあった訳では無かったらしい。見ている間に、
「どっちの服が似合うと思う?」
と復習問題を出された。
どちらもコートなのだが、白か赤かという二択だった。先程履修したことなので戸惑うことはない。
「赤じゃないか?」
「うーん、でも、少し派手すぎる気もする」
納得いかないというか、取りあえず当たりの反応ではない。早速例外だった。分かるわけが…………いや、待てよ?
人の気持ちに関するものに復習とか履修する問題は無いだろう。だとすれば、これは僕の呼び方が悪かった。
これからは解に理にあったものは無く、また解は複数あり尽きないということから「理不尽」と呼ぼう。
他にも並べられた衣服を観覧し、自分の体に当ててみたりと小一時間はそこで過ごしていた。
因みに実際に購入した服はない。こういうのは勢いに任せて買ったりせず、ウィンドウショッピングだけで済ませたりするのがクアリの真面目ポイントだ。
現時点のポイントを総合すると明らかにマイナスなのは気のせい。
◆◆◆◆
太陽は既に沈みかけて、更に紅く燃え始めた頃、満足したようにクアリは手綱を握っていた。
かなりハイテンポの鼻唄をしている。びーぴーえむ? でいえば百八十はあるだろう。
「ふー」
一呼吸置いた。やっぱり難しかったらしい。
「あ、そういえばさ」
いきなり話を出してきた。
「何処行ってたの?」
「? 何処って――」「ブティックに行った時、途中からいなくなったでしょ」
これに関しては単に描写不足なのだが、僕自身は理不尽二択の後にブティックから一足先に出ていた。
そのまま過ごしていたというのは後々聞いた話である。
買ったかどうかなんて合流すれば一目瞭然だ。僕の語り口調で分かる人もいるのだろうか。
「で、何処にいたの?」
「……言っただろ。他の服屋だよ。メンズがあまりなかったから」
「ふーん。で本当は?」
「……」
口をつぐんだ。黙った。
嘘なのは聞いた瞬間から判っていたというぐらいに――実際に判っていたのだろうが――虚言が流された。
「大体分かるけどね」
「……」
今度は諦めの沈黙だった。クアリは敢えてその大体分かったことを言わない。
僕の口から言わせたい。そういう魂胆は丸見えではあるが、それ拒絶できる理由も逃げ道もなかった。
「……ミョウタ用具店」
やっぱりね。
呆れるように捨てられた言葉をそのままに。
「諦めてなかったの、まだ」
――当たり前だ。夢はそう簡単に諦められるものではない。
「ニト、あなたが思っているよりも良いものではないの」
口調は明らかに硬くなり、語りかけるように僕を諭す。
「どんなことにだって良いことと悪いことはある」
「デメリットに対してメリットが少なすぎる」
「少ないとしても、僕にとっては大切なメリットだ」
僕の、僕自身の気持ち。
「……確かにそうかもしれない。でも、それの負の部分、怖さを知っているでしょ」
怖さ。危険。確かに僕らはよく知っている。だが、そんなもの。
「このまま何もしないよりはましだ」
「それで、――それで命を失ってしまうとしてもなの?」
その声には確かに怒気が孕んでいた。しかし、クアリは眉の端を大きく下げ、目を細め、それでも僕の目を真っ直ぐ見ている。
まるで泣いているかのような、それとも、もう涙を流しているかのような顔だった。
「…………問題はない」
「……そこまで、――そこまでしてなりたいものなの、冒険者は」
ああ。そうだ。
――例え母が、父が、冒険者として此の世を去っていたとしてもだ。
「……」
クアリは黙り込む。口では出さなかったが、僕は目を逸らしてしまった。答えていた。
「……エナミ婆さまが悲しむよ」
「そうかもしれない」
「トマイさんもケレーさんも」
「当然だとは思う」
「アマだって頼りにしてるんだよ?」
「確かに、その通りだとは思う。けど」「私が」
僕の弁明、および言い訳のようなものを遮られる。
「……私が!」
クアリは言った。今まで聞いたことが無い程の声量で。
「私が心配なの! 私は両親を失ったことを聞いて立ち尽くしていたニトを見た! ショックで食べ物を喉が通らないニトを見た! ――ニトは、あなたは辛くなかったの!?」
………………そんな訳が、ない。
時が止まったようだった。吐きそうで堪らなかった。
それでも、事実を受け入れて、今ここで心臓は鳴っている。
確かに、あの気分をクアリや村の皆に味合わせたいなんてことは絶対にない。
その上で僕には夢という意思を持っている。自分勝手かもしれないけど、だから。
「ニトの身は気にしなくてもいい、って? それこそ自分勝手に言わせてもらうけど、あなたのことで嫌な気分になるのはヒズメル村の皆なの。――ほんとに、ニトは昔から熱くなると周りが見えなくなるよね。良くないところだよ、うん。そう。良くない。それはまともなように言うなら、物事に集中しやすいってことなのかもしれないけど、単に向こう見ずなだけだからね。特に今回の場合は。だからさ、私に……」
矢継ぎ早に話したからか、少しの間声が止まる。そして、絞り出すようにして続けた。
「私に、心配させないでよ。怯えさせないでよ」
――何も言えなかった。クアリは少し俯いてから、前に向き直った。僕は荷台の壁に体を預けて後ろ向きに体を直した。
どう返せば良かったのか。
無理に我を通せば良かったのだろうか。
それとも、彼女の言葉を受け入れれば良かったのだろうか。
どっちにしたって兎に角、話し出せることではなかった。
それに、こういう話は初めてではない。
何度も止められ、何度も諭され、何度も何度も遮った。
心配なのはとっくに分かっていることで、例えばクアリが言っていたとしたら絶対にさせたくないのもよく分かる。
だが、僕には憧れがあった。
実際には冒険者になったことで村に帰ってこなくなった両親だが、生前は僕に旅の話をしてくれた。
この辺りではまるっきり見たことがない太陽が燃える灼熱の砂漠や雪の降る青白い街、雲に手が届く天空まで伸びる山に宝石輝く深淵行きの洞窟なんかのこともよく聞いていた。
――それに、未だに魔物が通常に歩き回る北の大地も。
「……ねえ」
クアリと喧嘩したことから逃げるようにしていた思考を、クアリに現実へと戻された。
「……どうしても、なんだね」
それは確認だった。
「どうしても、だ」
自分でもこんなにも直ぐに答えられたことに驚いた。迷わなかった。
「そっか、……そっかあ」
しょうがないなあ。そんな風に諦めた笑顔が少し見えた。
「ま、止めることは出来ないよね。あの時から、いや、あれより前からの夢なのは分かってたし」
「……いいのか?」
「いいも何も、ニトが決めるものでしょ、そこは」
別に、クアリの許可が無いとダメって訳ではないが、つい聞いてしまった。
心では、クアリは認めてはくれないと思っていたからかもしれない。
「血筋とかそういうものなのかな。同じ職業を選ぶのって」
背中合わせのままで話を続ける。
「血筋?」
「いや、代々同じことをしたりさ、その一族で続けられてくことってあるじゃん。フリードレード家とか」
確かに、フリードレード家は全員聖職者であるというのは有名な話だ。
「やっぱ、こう、産まれたときからそういう衝動があるからそうなるのかなって」
いでんしレベルで、的な事か。
「そういうのとは少し違うんじゃないか」
「少しって?」
「親とか先代がしたことに興味を持ったり、受け継がれたものしか知らないからその職業をやる、てなものだと思う」
――僕がそうだったように。
「……」
クアリが前方の安全確認をしながら考え込む。僕はその終わりを待つ。
「……さっきの話に戻るんだけど、ニトのやりたいことは私は止めない」
クアリは少し脱線した話題を戻した。
「けど、守って欲しい約束があるの」
約束。ここでNOという理由は無い。
「何?」
「まず絶対無茶しないこと。約束とは言ったけど、これは国の法律くらい絶対だからね」
「勿論」
「次に、誰かといること。一人の冒険者は賊に襲われたりするらしいから」
「了解」
「最後。他の人を頼ること。村の皆や私、冒険者広場の人達とかね」
「了承」
「人は一人で出来ることは無いからね」
「無いってことは流石にないと思うけど」
「いや、無いよ。生きることすら一人じゃ出来ないんだから、私達がやることは誰かがいないと成り立たなくなる」
「……確かに」
「分かった?」
「はい」
クアリは満足したような嬉顔を見せた。サブレが小さく鳴いた。
「で、いつからやるつもりなの」
「冒険者をってこと?」
「そう。今ここで行ってきますって訳でもないでしょ」
「まあ……」
準備とかあるからな。それを進めるためにこそこそ冒険者の用具店に寄っていたわけなのだが。
「後は何が足りないの?」
「殆どは揃ってて、足りないのは日用品とか」
荷物を運ぶリュックサックに防寒具、野宿に備えた簡易セットもある。無いのは食料系や洗濯物を干す為の折り畳みハンガーとかか。
「それなら、けっこう直ぐに出れそうなんだね」
「うん」
食料系は出る日に整えた方が持つし。
「出ようと思えば明日から出れる」
「成る程。出る前に村の皆には説明しといてね。場合によっては説得が必要だと思うけど」
只でさえ人が少ないヒズメル村から一人居なくなるのだからそりゃ反対はあるだろう。
ただ、両親の定期的な冒険を容認していたのだから、それほど強く止めてくることはないだろうな。
一番大変だったのは目の前の人物だし。
「じゃ、帰ろっか」
サブレがさっきよりも大きく鳴くと、少しスピードを上げる。
この帰りはこれ以上会話をしなかったが、それ以上に帰った後の村での会話が多くなった。
大丈夫なのかと心配する声に大丈夫と返したり、会えなくなるのかと悲しむ声にまた会いに来ますと返す。
アマが大声で泣き出すほど悲しんだ時は驚いた。内気な少女の代名詞と思っていた彼女がここまで感情を出すのを初めて見たからである。
総じて、自分が思っていたよりも気に掛けられていたのは意外だった。
唯一エナミ婆さんが反対していたが、意外に魚が好物だったらしく、昼に貰った魚で懐柔できた。
これにはトワズさんに大感謝するしかない。
なんやかんやで、僕は冒険者になるための終わらせることが出来た。後は始めるだけである。
足りないものは出発した後にセイクレート王国にでも寄って買えばいい。
明日にはこの場所を発つから、ここでしておきたいことはやっておきたいが、……何だろうか。何かあったか?
………………思い付かない。
――まあ、いいか。
二度と帰ってこれないわけじゃない。ヒズメル村に戻った時でいいだろう。
故郷はいつまでも故郷に変わりないんだから。
と、家の戸を叩く音が聞こえる。来客だ。
「はーい、何でしょうか」
そう声に出しながら扉を開ける。
「って、アマか」
「……」
黒髪の女の子がひとりぽつんと立っていた。目の周りが赤く腫れている。
「どうした? 結構暗くなってきてるから早めに家に戻った方がいいぞ」
「……」
なんだかもじもじしている。迷っているような、躊躇っているような、自信の無い待ち姿だった。
「なんか言いたい事があるのか?」
「……!」
目を丸くしながら、頷く。隠していたつもりだったのだろうか。
「取り敢えず、一回入るか」
またコクリと頷いたので、体を逸らすようにして入るスペースを作り、そこからアマが入った。
僕の家の中をきょろきょろと見回っている。初めて玩具をもらった時ぐらいに目を輝かせている。
やましいものは無いが、ここまでされると恥ずかしい。
僕が指差した机とセットの椅子に行儀良く座ると、また緊張した面になってしまったが。
「……えーと、どうしたんだ?」
思えば、アマと話す時は大体、彼女の親が一緒にいるので一対一で話すのは初めてじゃないだろうか。
あったような気がするが、覚えていないし、あまり対応が分からない。
「…………」
それはアマも同じのようで、いつにも増して無言だ。早く帰らせなきゃいけないが、彼女が話し出せるように急かさずに待つ。
「……お」
お?
「お兄ちゃんって、さ」
お兄ちゃんか。人が少ないこの村でそんな風に呼ばれるとは思わなかった。いつもは弟扱いなので凄く新鮮に感じる。
「なんで、冒険者になるの」
変なフレッシュさを受け取っていた僕にそんな質問を投げ掛けてきた。
「……なんでか? ――それはな」
意味のない溜めを入れて、ほんのちょっとだけ勿体ぶってみる。
「したいから、さ」
「したいから?」
「そう。どんな人生を歩むことになっても、願望は必ずある」
それがどんな欲望で、どれ程の野望なのかは大小あるだろうけども。
「"生きる"と共にある願望は忘れられないから、果たすんだよ」
「……」
アマは少し目を大きくして、俯いてしまった。
しまった。かっこつけた(つもりで)回答をしてみたが、普通に答えた方が良かったか。
「ご、ごめん。ちょっと調子乗った言い方したな。最初にも言ったけど、昔からの憧れだったからだよ」
「憧れ……」
アマがそう反復する。というより、反芻しているようだった。少し待った。
「……じゃあ」
一瞬だけ言葉を止めた。本当にほんの一瞬だけ。
「私も、冒険者になりたい」
…………まじか。
まさか、そんなことを言い出すとはまったく想像していなかった。
アマは冒険したりとか外に出るタイプでは無いから尚更で。
「お兄ちゃんみたいに、なりたい」
「……そうか。なら」
何処かに余りがあったと思い、それを探しに席を立ち、それを持ってくる。
「……何、これ」
「これはな、目印だ」
物体の説明をすれば、鶏の骨を小さな棒状にし、赤のラインを入れたもの。同じく鶏の血で引いている。
「毎朝僕がジョギングしてるのは知ってるだろ」
「うん」
「これはそのコースの途中の木にくくりつけてある」
勢い余って作りすぎた一つを机に置く形でアマに渡す。
「先ずはこのコースを毎日、を最初からは流石にきついな。そうだなあ、……一日おきにやるんだ。それでも十分に大変だと思う」
アマの頷きを確認して続ける。
「体力がついてきたら毎日するといい。次、健康に気を遣うこと。肉、野菜をバランス良く食べてしっかり眠ること。丈夫な体じゃなきゃ冒険は無茶だ」
健康は美容に繋がる。整った顔を持っているアマはその辺りも気を遣って欲しいのが正直な所だが、今は母親がその役目を負っているはずだし、いつか気にする年齢になるのも事実だ。
「最後に、実行するのは成人してからだ。国で色々違うが、まあ十八になれば大体は問題ないな」
身体的にも身分的にも子どもはだいぶ不利になる。本音を言うなら――
「僕が心配になる」
「……うん」
分かってくれたようだ。
◆◆◆◆
「これはクアリが言っていたんだが……」
といった感じに僕が言われたことをアマにも言ってみたが、いつもなら寝ている時間だからか、うとうとしていてあまり聞けてなさそうだった(本人は努力していた、と思う)。
正直、僕の言葉より重要だと思っている。とりあえず、彼女の家まで送り届け、再び我が家へと戻った。
扉を開けると、いつも寝ているベッドや、鶏肉を焼き上げたキッチン、保存品を入れていたチェスト等々。いつも通りのそんな風景がやけに目に入る。
――そうか、暫くは帰ってこないんだ、僕は。
急にそんな思考に陥った。
別に、そうなったから冒険者になりたくないとかそんなことは無いが、なかなかの寂しさを感じた。
毎日鳥を食べれる保証はないし、毎朝村の皆と顔を合わせることも無くなる。……クアリとも。
「……」
悲しくなんかない、また会える、――そう、自分自身で決めたんだ。
両親の見た景色をこの目で眺めることに。
御伽話のような楽しい話を持ち帰ってくれば喜ぶだろうなあ。そんときはアマも沢山笑ってくれるだろう。
ああ、でも、エナミ婆さんはそんな無茶をするなとか説教するかもな。そうだ、トマイさんとケレーさんにはペアルックの物なんかあげたらどうだろう。
クアリには何処かの綺麗な服でもプレゼントを……。
……………………。
――分かった。分かったよ。
少しだけ、悲しいよ。だけど、これは仕方のないことなんだ。
冒険は各地に赴くことで、出会いと別れは少なからず生じる。
そこでつまずく訳にはいかないし、仕方がない。そう、仕方がない。
「……はあ、誰に言い訳してんだろ」
クアリと話してるんじゃないんだし。
変なモードに入ってたので、頭を振ってリセットしてからベッドに飛び込む。
ふかふかしていないので少し痛かったが、一人言い訳タイムは終わった。
「あ、そうだ」
そういえばまだ、あれを入れてなかった。
――両親の死を告げられた日、知らせは村の皆からでなく、うちの村に来るには、やけに整った燕尾服を着た真っ白な仮面の男、所謂代理報告人に教えられたことだ。
プラスにしろマイナスにしろ何かしら大きな事をしたことを冒険者の親族に伝えるその男(スナグモと名乗っていた気がする。
その後の衝撃が大きくて覚えていないのだ)はクアリと鬼ごっこをしていた僕の前に現れた。
「あなたがヒズメル村のニト、でしょうか?」
「? はい」
この地の人間でないのか、少し片言の敬語で聞いてきて。
「誠に残念ですが、あなたのご両親にあたる冒険者、ヨムさんと、イクグルさんは北の大地にて亡くなられました」
変わらずの片言で淡々と声にした。録音メッセージを流すように。確か、僕は目を見開いて、手をぶらんと下げて、こう呟いた。
「え?」
動作はそれだけで、それ以上何かは出来なかった。が、代理人は僕に近づき、腰を屈めて目線を僕に合わせた。
「本当に、悲しいことです。」
両肩に橋を架けるように手を置きながら話を続ける。
「大丈夫です。我らが神によってこの地へと還元されました」
何が大丈夫?
フォローにはまるでなっていない。だがそんなことも言い出せないほど固まっていた。
すると、男は先程よりもかなり小さい、僕にだけ聞こえる声量で言葉を残した。
「お父様と、お母様がどんな最期か知りたかったら、これを持っておきなさい」
元気にしてください、などと喋りながら僕の右手を両手で握りこむ。何かと一緒に。
何を言っていたかは正直覚えていないが、さっきと同じ中身の無いものなのは分かる。
「では、ここで失礼いたします」
仕事を完遂したようで男はそれだけ言ってさらりと去っていった。と、同時に僕は家の方向へ走った。
「ちょ、ちょっと! ニト!」
クアリの制止も聞かず、走った。あの場所にそのまま立っていたくはなかった、というのもある。
それよりも、男が渡してきたこれは人にあまり見せるものではない気がしたからというのが強い。
チェストの隅に隠し棚にあるので其処に入れようとした時に、初めて貰ったものを見た。それが。
――これ。薄い板。
黒い石かなんかをやや長方形に加工されており、握りこめる大きさでかなり硬い。
ただ、金属の重さにしては軽く、指先で叩くとカンカンというよりカッカッとした音が聞こえてくる。
これを入れておける小さなフラップポケット付きのリュックを見つけるのに少々苦難した。
「よし、ここに入れました!」
僕の冒険者としての二大目標の裏の方、仮に"ミニカード"と呼ぶことにしたこれの正体の判明及び、関係していると思われる両親の死の真相を知ること。
達成するにはこれが唯一の手がかりになる。なので、声出しでの確認は必要なことだ。
……まあ、兎に角、最低限用意が必要なものはこれで揃ったということになる。
出発できる。
ここまで来ると、ちょっとした嬉しさが湧いてくる。
勿論、ここからが始まりなのは分かっているが、念願叶うってのはどうにもテンションが上がってしまうだろう。
……この勢いで徹夜をしてもいけないから、ここで寝てしまう方が良い気がした。
目を閉じる。そのまま楽な姿勢になり、意識を夢に移していく。近くの草原に遊びに行く前日ぐらいには寝つけなかったが、夜も夜だったので流石に眠れた。