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株式会社IT  作者: おじぎ猫
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第三話 『北』③

 星々が輝きを増し、黒は段階を上げて漆黒へと染められていく。微かに木の葉の間から覗く光で照らされた土を僕らは走っていた。


「まだ着かないのか、ニト」

「もう少しで開けた場所が見えてくる筈です」


 『北洋道』の用心棒サテサテを倒したはいいが、本隊が突入するタイミングまでの時間、三十分が過ぎようとしている。急ぎ消失の御札を見つけ、隠されたアジトを露わにしなければいけない。


 と、木と草が生い茂った空間から局所的に整地された空間へと移り変わる。


「ここだ、二人とも」


 やはりここだけ極端に木の数が少なく、見通しの利くエリア。一応の確認のため腰に吊るした魔道具、鏡筒抜(きょうつつぬ)けで何もない所を覗き込む。すると、真白く光ったテントが確認できる。


「あそことあそこ、そしてあそこの草が剥げている場所にアジトはあります。周りの背が高い雑草の何処かに隠されている可能性が高いのでその中心で探しましょう」

「「「了解」」」


 僕とキルニさん、ケルイさん、ドキウさんの三つに分かれて探索する。周りを調べるだけとは言っても、周囲が長いため中心に立って回転するだけでは正しい場所は探れない。縁に沿うように動きながら雑草を調べていく。


「ニト」


 キルニさんが話しかけてきた。


「キルニさん、反対回りで調べていった方が早く見つかると思うんですけど」

「他の二人は一人で探っているのだ。私達だけ素早い探索をするのは不公平だと思うぞ」

「……何の話がしたいんですか?」


 もっとマシな言い訳を考えないあたり、思惑を隠すつもりもないようだ。キルニさんは目線を合わせず、緑に手を入れながら言葉を紡いでいく。


「……さっきの戦い、流石と言うべきか。君の素晴らしさを酷く痛感させられた」

「ありがとうございます。急に褒めてくるのは慣れてきたんですが、今回のそれは僕を守る必要がないと宣言するものだって捉えていいんですかね」

「残念だが真逆だ。君を一人にはしておけないとやはり再認識したという話をしている」

「何でですか。確かに日常生活はクアリに頼っている部分はありますけど、冒険者としての能力は申し分ないと……」「北の大地に行くのだろう、君は」


 心臓が跳ねた。以前に彼女に話していた事柄なので驚く訳は無かったのだが、どうにも彼女の言葉には裏があるように感じたのだ。


「……前にも言った通りですよ。残念ながら良い仲間は見つかっていないんですが」

「君は薄情なのだな」

「薄情? 誰かを無下にしたような覚えはないですよ」

「いいや、君は人の想いを踏みにじり、まるでそれを別物かの如く投げ捨てている」

「僕、何かしちゃいました? ――本当に何か悪いことしてしまいましたか」

「隠さなくてもいい。私とクアリを置き去りにするつもりなのは分かっているんだ。――私達を北の大地へ連れて行こうとしない理由を教えてくれ」

「……心を読んだのなら分かっているんじゃないですか」

「あの言い訳がましい言い訳のことを言っているのなら君の脇腹をくすぐるぞ」

「罰がしょっぱい……」


 どうして彼女が知っているのか、とは思わない。迂闊にも、心の読める彼女の前で考えてしまったのだから。

 

「……当たり前じゃないですか。二人は僕の目的のために存在しているんじゃない。この先何十年続くかもしれない未来を失ってしまうかもしれない冒険(これ)に付き合わせるのは――可哀想ですよ」


 ……はあ、とあからさまに大きな溜め息が聞こえてくる。そして、キルニさんはいつもの冷静な声で話し始める。


「意外かもしれないが、私は神よりも嫌悪しているものがある」

「……偽善者、とかですか」

「違、――いやまあ、間違っていなくもないが、だが正解とはアナウンスしない」


 渾身の推測が大当たりとはならなかったので、ならばと考え込む。ふと、彼女の顔を見ると、子猫を見るような柔らかい笑顔を浮かべていた。

 

「私だよ。世界を我が物顔で見つめ、神の代行人だというだけで頭を下げられ、あくまでそれを善いことだとする偽善者が嫌いだ」

「……そんなことは」「あるさ」

「私はそういう奴だ。実際、心から敬虔な者の幸せを願ったことはない。精々、風邪は引くなと思うくらいだ。お父様や弟のように他人の幸せを願えない人間だったんだよ」

「……」

「心が読めることは共感することであって、同感することじゃない。自分の考えとは違くたって理解できるというちょっとした特技さ。同情は出来るかもしれないがな」


 彼女は何を言おうとしているのだろうか。この言葉の先が僕には夜よりも真っ暗に見えた。


「だが、君には同感出来た。心から、心底、本心で同感出来た。君にとってはなんてことのない一言だったかもしれないが、あれは十何年生きてきて初めての同感だったんだ」

「……僕みたいな考えの人は他にも居ます」

「ああ、確かに居る。だが、初めては君だ。この世界を探し回れば後五人はいるだろうが、それでも初めては君だ。初めての友達も君だ。一緒にご飯を食べたいと思ったのも、一緒に寝たいと思ったのも、頭を撫でたいと思ったのも、腕を触りたいと思ったのも、――ずっと、一生側に居たいと思ったのも、君が初めてだ」


 心臓が更に大きく跳ねる。心音が五月蝿(うるさ)くてうざったらしい。


「私は酷い人間だ。葬式で泣き崩れ、嗚咽する遺族を慰めてやれもしない(くず)だ。君は尊い人間だ。いつでも抱き締めたいし、笑顔を向けあっていたい宝だ」


 彼女は(はや)るものを抑えるかのように一呼吸置く。


「君だ。君が良い。だから、君が決めたことに最後まで付き合いたい。いや、付き合わせてくれ、お願いだ」


 言いたいことはあった。貴女はそんな人間じゃない、優しくて素晴らしい人間だと。だがこんなものは心に留めておくだけで十分だ。彼女にとって思って口にしてもらいたいのは、僕の答えだ。


「――いや、答えはまだいい。口に出すな、考えるな。私はズルい人間だから、せめてここはフェアにいきたい」

 

「……僕は何をしたら良いんですか? それにフェアって、誰かと競ってたりでもするんですか」

「いずれ分かる。その時に答えを聞かせてくれ」


 重要な所を逸らされているような気がするが、口を割らせようとは考えられなかった。なので少しの疑問を晒す。

 

「詳しく話せないのは分かりました。けど、告白するタイミングって今でしたか?」

「なんとなくだ」

「即答して欲しくない回答ですね……」

「別に良いじゃないか。君はつらつらと理由を述べる私が好きなのならばいくらでもするが」

「勘弁してください」


 人として大きなターニングポイントであった気がするが、彼女の態度は変わらない。僕の心拍も平常を取り戻している。朝が毎日訪れるように、空気は当然に流れていく。



 

 大きな音を立てないように注意しながら草を掻き分けると、明らかに自然に生えたものでないものを見つけた。縦に細長い長方形の紙に言語なのか記号なのか読み取れない模様がしたためられている。その上にはぼんやりと魔法陣が浮かび上がっていた。


「キルニさん、これ……」

「ああ。思ったよりも早く見つかったな」

「確認の必要はないでしょうし、剥がしちゃいましょう」


 御札に手をかけめくるように持ち上げると、抵抗もなしに地面を離れる。直後、大きな異物を感知した。茶色は少しも見えなくなり、夜景に溶け込もうとする黒いテントが真横に現れる。


「……驚きだな。触れる距離まで近づいていたのに全く気が付かなかった。一体どういう原理なんだ?」

「魔法なのは分かるんですが……後でクアリに聞いてみましょう」


 ユンクォさんが固まる。――まあ、一緒に行く口実のためだし、そっちもやり易くなったし許してくれ。そんな風に小さな独り言を呟いていた。


「キルニさん?」

「――いや、何でもない。それよりもさっさと二人と合流しよう。他のテントも見えるようになっているしな」

「ああ、はい」


 ユンクォさんに言われて気付いたが、僕らの横にあるものと同じものが二つ顔を出している。二人も御札を見つけたようだ。


 バラけた位置に戻るように動けば、先にドキウさんと合流する。


「中の奴らは気付いてないっぽいな。見張りが居るのが逆に警戒心を緩めているみてえだ」

「トラップが仕掛けられていないのも含めて幸運でしたね」


 これ以上会話する前にケルイさんも合流した。もう本隊がこちらに向かってきていてもおかしくない時間。僕達は少し離れた木陰に身を休ませ、交代の見張りが出てこないか監視しながら変化を待つ。


「後は本隊が来れば終わりか」

「先遣隊としては随分優秀な結果じゃねえか?」

「『音断壁(メョーナ)』を使っていること自体想定外なんですよ。潜入依頼で大規模な魔法を使うのはリスクが伴いますから」

「魔法を感知されるとバレてしまうから、ですか」

「空気中の魔素の変化を認識出来る程優秀な魔法使いが居た場合の話ではありますがね」

「本当に『海坊主』にそんな奴が居たら、盗みをするよりその知識を活かした方が良い気がするがな」

「全くもって帽子の嬢ちゃんの言う通りだぜ」

「魔力消費量が激しいのは聞きましたが、範囲を縮めて自分達の周りだけに張り続けた方が楽じゃないんですか?」

「……正直に話すなら、あれは結構疲れて大変なんですよ。魔力消費も大きいですが、結界を維持するのは精神力を削られるんです。小規模で使えば魔力消費は抑えられますが、変わらず心は抉られていくので大して最大起動時間は変わりません」

「……成程。勉強になりました」

「勉強って、ニトは魔法を使わねえよな。ジョブ変える予定あるのか」

「いえ。クアリに教えてもらったりしているんですが、魔力で魔方陣を組むイメージがつかないので難しいですね。ただ、魔法を使いたいのはあります」

「イメージがつかない……ですか。それだったら、これを使ってみますか?」


 ケルイさんは腰に差していた魔法の杖を手に取る。


「魔方陣を記憶してあります。私の魔方陣依存なので強度は落ちてしまいますが、魔力を籠めることが出来るなら魔法が使えると思いますよ」

「使ってみて良いんですか? 貴重なアイテムに見えますけど」

「スペアで四本程あるので気にしなくていいですよ。気に入ったのならあげます」 

「……じゃあ、少し使わせてもらいますね」


 魔法の杖を受け取る。スキルを使った時に感じる魔力とは違う、ある程度まとまった固まりを三つ程感じる。これが保存された魔方陣だろうか。


「ケルイ、この杖は何個魔方陣を記憶できるんだ?」


 ユンクォさんの質問にケルイさんはすらすらと答える。

 

「四つ記憶できますが、それには複雑な魔方陣三つのみ入れています。魔方陣を記憶させるなら杖を持ちながら展開すれば後は勝手にしてくれますよ」

「分かった。――ニト、少し貸してくれないか?」

「良いですけど、何を入れるつもりなんですか」

「君に使えそうなものだ」


 握りこんだ杖をじっと見つめ検分すると、杖の先に淡い緑の光を纏った模様が浮かび上がる。魔方陣が仕事をすることなく姿を消し、彼女は満足そうに杖を手渡してきた。


「『身体強化(ヘゥズキレ)』。強化魔法の一種で、戦士の君には相性が良い筈だ」

「……ありがとうございます」


 思っていたよりも扱いやすそうな魔法だったのでつい反応が遅れる。

 

「……その反応、私がどんなものを入れると思っていたんだ」

「特にこれといったものは無いですけど、……まあ、特には」

「煮え切らない態度だな……」


 上手い返しも思い付かず、どう誤魔化そうか考えてきた頃。徐々に人の気配が強くなる。一人二人ではなく、大量に。しかし物音はよく耳を澄ませないと聞こえない位には抑えられていた。


 ふと、肩を叩かれる。背中方向へ首を曲げると、キスリさんと『北洋道』団員らしき男達数人が立っていた。


「お疲れ様。消失の御札は?」

「ここに」


 回収していた御札三枚を渡すと、サイドのショルダーバッグに丁寧に仕舞う。背後の二人へ向けて真っ直ぐで艶のある声で指示を出す。


「GOよ」


 その合図を待っていた漢達は勇猛果敢な笑顔をぎらつかせ、ケースを付けたり突起を丸くする等で殺傷能力を下げた武器を構える。近づいてくるまでは一切しなかった足音が響き、土煙が昇った。


 木と木の間、雑草の上、星光の下。至る所から益荒男が現れ、闇夜に紛れた布を剥がす。眠っていたのか、油断していたのか。突然の出来事に目を丸くした者達を拘束していく。


 これがこの作戦が夜に実行された理由の一つ。どんな人間でも睡眠は必要であり、睡眠時間が必要である。目の前の闘争でも、『海坊主』のメンバーは対応が遅れてあたふたしている様子だ。『北洋道』は何十人も投入しているが、全体の三割程度しか活動していない。


「この調子だと直ぐ終わりそうね」

「あっけないな。サテサテみたいな奴が居るかと期待していたんだが」

「サテサテ?」


 ユンクォさんの呟きにキスリさんが反応する。

 

「見張りの中に居た自称用心棒のことです、団長。ここに来る道中にゴツいリザードマンが居ませんでしたか」

「ああ、あれ? 『音断壁』も使ったみたいだし、大分強かったようね」

「大分じゃねえ。ニトが居なかったら撤退も選択肢にあったぐらいにはきつい相手だった」


 へえ、と感嘆符を溢しながら、僕の体を舐めるように見回す。


「君を呼んだのは間違いじゃなかったようね。流石だわ」

「僕だけの力じゃありませんよ。ドキウさんが先陣を切らなければ戦術を考える暇はありませんでしたし、ケルイさんが場を整えていなければあれほど動けていませんでした」

「謙遜はいいわ。よいしょが出来ないドキウがあなたをそう評価するなら間違いないわよ」

「いーだろが。正直者が得するんだぜ」

「あなたを依頼人との交渉に連れて行かなくなったことを覚えてないの? 社会を生きる上で仮面を被れるようにしろって何回言ったか覚えてないわよ」

「俺は隠すのが嫌いなんだよ。男ならめそめそしないでオープンに、だろ」

「曝け出すのは胸筋だけにしてください。空っぽな頭を公開し続けて辛くなるのは自分ですよ」

「……ケルイ、何か言葉キツくねえか?」

「いや、別にめざましい活躍が出来なくて凹んでるとかそういう訳ではないです」

「……あなたもそういう部分さえ治れば交渉が楽になるんだけど」


 『北洋道』の三人の掛け合いを聞いていると、居心地の良い暖かさを感じる。


「幹部の二人組って繰り上がり式なんですか」

「ん? 随分唐突な質問ね」

「いや、他の団員との距離感とは違うなと思って。組織の仲間というより友達って感じだなあ、と」

「……ニト君はすごく交渉術に長けているわよね。君が察した通り、二人は『北洋道』以前からの知り合いよ」

「というか、設立を提案者が団長、資金繰りを私、戦力としてドキウをメインに旗揚げしたのが『北洋道』です。今の団員達は全員キスリが連れてきました」

「連れてきたというか、篭絡したっていうか……。とにかく、団員全員が男で()()()()なのはそういうことだよ。子持ちの奴が加入した時は背筋が凍ったぜ」

「変な言い草をしないでドキウ。私は配偶者を襲う程節操のない女じゃないわ。ただ、相手の方が我慢しきれなかっただけよ」

「十分アウトだろうが!」

「見た目からは想像できない程の純情ですね。そんなんだからいつまでも所帯を持てないんですよ」

「男に言い寄られる格好ばっかしてないで、偶にはおしゃれしなさい」

「だああ、うっせえ! 顔と体が良いお前らには分かんねえ悩みだよ!」


 と、ここで誰かが近寄って来る気配を感じる。何もかもが太い男達の中に咲く一輪の花。自分の身長と同じくらいの長い杖を持った女の子が僕らの方へとたとた歩いて来た。


「ニト~!」

「クアリ」


 僕の近くで膝を揃えてしゃがむと、眉間に皺を寄せ心配そうな表情を浮かべる。


「大丈夫? ケガしてない? 怖くなかった?」

「大丈夫。怪我は僕より他の人の方が酷かった。そして僕を何歳だと思ってる」

「二十一歳でしょ。忘れる訳ないじゃん」

「違う。子供扱いするなって話だ」

「子供扱いしてないよ。幼馴染扱いしているんだよ」

「僕を扱わないでくれ。僕はクアリの所有物じゃない」

「そうだな。私の所有物だからな」

「それも違う!」


 ユンクォさんの一言に訝しげな顔へ表情を切り替えるクアリ。


「……キルニさん。まさか……」

「ああ、悪い。先駆けてしまった」

「マジですかあ~……。反応は?」

「微妙だな。のらりくらり耳触りの良い言葉で逃げられるかもしれない」

「やっぱりそうですよね……。私のも真面目に受け取ってくれるかどうか分からないですし」

「ちょっと待ってくれ。二人は何の話をしてるんだ」

「君の話だ。だが君には分からん」

「私からも話すから待っててね」

「?」


 僕は理解できずに固まってしまった。ドキウさんがケルイさんへ肩を寄せる。


「おい、ケルイ。……もう恐怖の域だろこれ」

「一つ感情を失って産まれてきたとしか思えませんね」

「二人とも、こんだけ役者が揃って内緒話とはつれないわね。私にも聞かせてよ」


 キスリさんが参戦すると幹部組は明らかに気まずそうな顔をしていた。

 

「いやー……団長にするような話じゃねえんだけど」

「お、男同士の秘密の内容ですよ。女子禁制です」

「えー、そう言われると尚更気になるのだけれど」

 

 依頼中とは思えない程和んだ空気の中、『北洋道』団員の男が駆け寄って来る。見たことある顔だと思ったら、ファルシオンを研いでいる時に話しかけてきた男――カナサだった。


「団長! 親玉らしき奴を見つけました!」

「……分かったわ。今向かう」


 雑談は自然に打ち切られ、僕達は二番目に近いテント跡(幕は剝がされて骨組みの細い丸太が少しだけ残っている)へと誘導された。四肢を縄で結ばれ、胡坐をかく形で座らせられた男達が蹲っている。

 それらから隔離されている瘦せ細った男が目に入る。


 夜の黒さに負けないクマを目の下にしつらえ、頬こけた顔は男の不健康さと気味悪さを演出している。男の横にある一際綺麗な寝床は彼が優遇されていた証に見えた。


「くそっ! 解きやがれこの野郎!」


 細長い眉を逆八の字にひん曲げ、三白眼を不規則に揺らしながら暴言を吐いていた。拘束しても暴れているのか男が一人後ろから抑えている。


 キスリさんは激昂している男の精神状態など顧みずに話し出す。


「こんばんは。あなたが『海坊主』のトップかしら?」

「ああ、『海坊主』? いいや、知らねえ……」


 間髪入れずに男の腹に蹴りをかます。悶える男のぼさぼさの短髪を掴み、下を向くことを許さない。


「ああ、悪かったわね。私達が勝手にそう呼んでいるだけなんだから、分からなくても仕方がないわ」

「げほっ、げほっ! いきなり何を……」「あなたは、私達の愛する国で盗みを働き神が見守る天の下でのうのう生きてる屑ども。そのてっぺんかって聞いてるのよ」


 ドスの効いた低い声。当人でないこっちの胃が縮みそうな脅しだった。だが、見た目よりも強靭な精神の持ち主らしく、男に慌てた様子はなかった。蹴りを入れられたからか怒りの色も消えている。


「は、はは……喧しい女だな。俺が拒否したって決めつけるだけだろ」

「確かに決めつけかもしれないけど、あなた自身がそういう人柄に見えるってことを考慮して話しているのかしら」

「人格否定なんて酷いな。俺も人なんだから傷つくんだぜ」

「沢山の人を傷つける行為をしているあなたに、傷つけられることへの批判をする権利があるとでも?」

「あんたは神様かなんかかよ。権利を勝手に奪ったりするなよ」

「それ以上口答えせず、さっさとはい(イエス)いいえ(ノー)か、答えなさい」

「怖えな、言い逃れは出来ねえってか? はいはい、わーったよ。俺がここの頭さ」


 湿気の強い笑顔で僕達を嘲る。


「……意外と正直ね。往生際は弁えてるのかしら」

「自慢じゃないが、物事を冷静に判断するのは得意分野なんだぜ」

「その判断力をこんなことに使う理由は何なの」

「この判断力があるからこんなことになってるんだよ」


 さっきよりも馬鹿にするようにけらけら笑う。僕にはそれが気持ち悪くて仕方がない。アジトを襲撃され、碌に抵抗も出来ずに捕まり、詰問されている今。何故こいつは余裕綽々と笑っていられる?


「俺は冷静に考えてみたんだ。冒険者として誰かの願いを聞き、自分の全てを以て成就させる毎日を過ごすべきかどうかをな。……答えはこれさ。誰かの為じゃなく、自分の為に力を使い、幸せになる。な? 誰よりも良い人生を過ごしてると思わねえか?」

「……あなたに大切な人は居なかったのかしら」

「自分より大切な人間は居ねえよ」


 僕の抱いた気持ち悪さは嫌悪感というより、違和感への興味というべき代物だった。


「もういいだろ、団長。こいつと話してても気分が悪くなるだけだ」

「……そうね。全員の拘束は終わった?」


 答えたのは『北洋道』団員。スキンヘッドが特徴的だった。

 

「テントの中に居た者、先遣隊が気絶させた見張り達全員拘束済みです」

「ご苦労様。お前達、全員担いで……」


 キスリさんが指令を言い終わる瞬間的だった。小さな影が一つ、雷のようなスピードで僕を横切る。それは痩せこけた男の鼻を叩き折った。


 強烈な痛みで気絶したらしく、悲鳴は聞こえなかった。力なく伏せた男の横には手頃なサイズの石が転がっている。


「キルニさん!?」

「何してやがんだ!」


 僕らが驚愕に心を染められている中、犯人である彼女は冷静に手についた土汚れをはたき落とす。


「悪い。口で説明していては間に合わなかった」

「……どういうことですか?」


 聞こえたのはクアリからの一文だけであったが、ここにいる全員が考えている事項だ。

 

「あー、まあ、言ってもいいか。――どうやら、こいつは魔道具か何かを使おうとしていたらしい。多分指輪の形をしている奴だ」

「……魔力は感じなかったのだけれど」

「僅かだが、腕が揺れるのが見えたんだ」


 信じられない様子で苦笑いするキスリさんを横目に、ケルイさんはぴくりとも動かない男の手指を確認する。縛られた指を確認し、不思議な模様が描かれた環状の金属を珍しそうに眺めていた。


「……これは――隷属の指輪ですか。なんてオーパーツを……」

「隷属の指輪?」


 クアリの付き添いで魔道具店に通っているが、同じような魔道具は見たことがない。僕の様子を見たクアリが解説してくれる。


「確か、何百年も前に存在していた帝国の遺品だよ。短命の帝国(ムズキウ・オアピウィ)なんて揶揄される奴隷制のあった独裁者の国」

「クアリさん、詳しいですね」

「その道の専門家に比べたらこれぐらい浅知恵ですよ。――でも、危険性のある魔道具は全部破壊されるか、無理な物は遥か地中や雲の上に封印されたんじゃありませんでしたっけ」


 幼馴染が言っていることが間違いだとも思えない。しかし、その帝国の遺品とやらの一つはケルイさんの手中にある。


「ムニナには多くの物が流れ着きます。帝国の遺品(ジアルヨエ)シリーズは封印を解いたか、大昔にこっそり持ち帰った者が居たという通説が定番になっていますね」

「待てよ。大昔とかよりも今の話をすべきだろ。結局こいつはそのリングで何をしようとしたんだ」

「僕もドキウさんの言う通りだと思います。キスリさんを隷属しようとしたんでしょうか」

「……いや、隷属の指輪は対となる首枷(くびかせ)を着けた生物でないと従えることが出来ないですから、その線は薄いでしょう」

「じゃあ、隷属している誰かを呼ぼうとしたってことですか」

「恐らく……」


 歯切りが悪くあやふやな回答から彼自身も納得がいっていないことが分かる。ここで、横に居たユンクォさんが顔を顰めて思案していることに気付く。


「どうしたんですか」


 彼女は僕の耳に口を寄せ、こんなことを耳打ちした。


「周りが五月蠅(うるさ)い。森に居る生物達がざわめいている」

「……人間じゃなくても心の声って分かるんですか」

「ちゅんちゅんがうがう言うばかりで理解も出来ないし、大きな感情の揺れがある時限定ではあるがな。だが、問題はそこじゃない。騒いでいる奴らの中でもとりわけ大きい声の生き物がこっちに向かってきている」

「その情報、絶対僕だけじゃなく皆にも伝えた方が良いと思うんですけど」

「私も同意見ではあるんだがな……」

「――あ、そうか」


 彼女の能力は他人に口外してはいけない。僕ら三人以外に正体が悟られてしまうからだ。つまり、いざこの発見を伝えたところで理由を問われれば、僕達ではなく彼女が非常にまずい事態になる。


 先程指輪の使用を阻止した時は雑に誤魔化していたが、このパターンでは彼女に超聴覚でも無ければ説明が出来ない。


「――やっぱり超聴覚か」

「いや、無茶ですって」


 超聴覚を扱える種族は人種においては唯一(ただひと)つのみ。残念ながらそれはティピカルではないため理由としては使えない。

 

「無茶ではない。君ではなく、私なら、虚構だが強力なアリバイを持っている。……流石君だ、私に決心をくれてありがとう」

「いやいや、ちょっと何を……」


 僕が止めるよりも早く彼女は一歩を踏み出した。頭上にあるキャスケット帽に手を掛け、外す。(あらわ)になるは神々しい金髪。光が射してすらいないのに煌めいて見える程美しいそれは、後頭部上方でさらりと纏められている。


 しかし、注目を集めたのは更に上。折れ曲がった三角形を成し、内部からはふわふわの毛が飛び出している器官、耳である。それはティピカルのものではなく、森に生息しているような動物の耳だ。


「……え? キルニさん、それって……」


 クアリの反応も明々白々。むしろ、彼女の正体を良く知る僕達だからこそ困惑が大きかった。『北洋道』の皆は納得したような顔を見せている。


「……成程。あなた、獣人族(ブルビース)だったのね。道理で……」


 命種族、ブルビースは東の地方を中心に生きる人種だ。野性的な動物と類似する部位を持つことが特徴とする種族の彼女、――ユンクォさんに生えている狼のような耳はぴょこぴょこと動いていた。


「……耳にはちょっとしたコンプレックスがある。それであまり見せようとは思っていなかったんだが、急事に不要な詮索があってはいけないからな。仕方がない。……私はブルビースの特性、超聴覚で周囲を探っていた」


 独り言らしく冗長な説明をし始め、僕はどうするのかを見届けるだけしか出来ない状況にいた。出来たとしても衝撃の真実を前に動けていたかどうか。

 

 ユンクォ・フリードレートがブルビースである。これはもう一つの真実を示していた。――セイクレート王国の王族であるフリードレート家はティピカルではない、という真実を。


「その隷属の指輪の仕業かどうかは分からないが、とにかく、危険かもしれない何かがこっちに近付いてきている」

「何か? 人じゃねえのか」

「人にしては荒々しすぎる。詳しくは分からないが、恐らく大型の動物だ」

「距離と方角は?」


 ケルイさんが続いて質問をする。

 

「北西から、……二分……いや、この速さだと一分もかからないくらいかもしれない」


 キスリさんが直ぐに大声で『北洋道』団員らに指令を下す。

 

「あんた達、話は聞いてた? 隷属の指輪で操られているとしたら、ここで人を襲うよう命令している可能性が高い。カナサ隊は『海坊主』の連中を担いで直ちに撤退し、ミア隊はここに残りなさい! "こわーい動物さん"はミア達と私ら三人で対処するわ!」

「分かりました、団長! ――お前ら! でかい奴は二人がかりで! 細い奴は背中に担いで運べ! 力自慢は二人まとめてだ!」

「「あいよ!」」


 カナサは気絶している頭領らしき男を運びながら細かい指示を与えていく。


「ミア隊はテントを出来るだけ撤去して! 終わったら戦闘準備!」

「了解です。――お前ら、速く動け! 邪魔なもんは全部どかせ!」

「「はい!」」


 ミアに持っていた冷静沈着なイメージと掛け離れた態度で現場を回していく。

 

「ニト君、もう少しだけ付き合ってくれるかしら」

「……勿論です。ここで降りる理由がありませんし」


 ユンクォさんには言いたいことがあるが、緊急事態の今は後にするしかない。


 ――瞬間、殺意を感じた。面と向かっているキスリさんの向こう側、茂みが動く。そして、つんけんした毛並みの中型動物が飛び出してきた。口を大きく開いて牙を剥き出しにしている。


「キスリさん!」


 横方向へ飛び込む形で彼女を庇うと、上を通り過ぎる形で攻撃は外れる。


「大丈夫ですか!?」

「えぇ……あなたのおかげでね。それよりも……」

 

 彼女の視線を追って振り返れば、涎を垂らし、荒々しく息をする狼が立っていた。


「……この森に生息している灰色の狼(ゲルーワエ)。いつもは大人しい種の筈」

「あれが大人しいって言われても納得はいきませんけどね」


 この時点でも驚いてしまったが、脅威はこいつだけではなかった。


「だ、団長! 至る所から狼が! しかも興奮してる!」


 血走った目に鋭い銀毛。いつからいたのか、それが周囲の茂みからぞろぞろと現れる。


「多分、嬢ちゃんの言ってたデカブツが森に入ったせいだ! 興奮状態で理性を失っちまってる!」


 ユンクォさんは大型の声が五月蠅すぎて狼らの接近に気付けなかったのか。――いや、大型の何かに気を取られていたというだけで、彼女は確かに()()()()という声を聞いていた。


 どう考えようと、脅威は消えてなくならない。『北洋道』団員達はと狼の群れは既に乱闘が始まり、僕らの前に居る獣が再び牙を向けている。僕とキスリさんは姿勢を直し、武器を構える。


「大丈夫ですか」

「心配しなくても服が汚れただけよ。あなたが庇ってくれなければ重傷だったかもしれない。――っと、来るわよ!」


 狼は何度か吠え、僕らの方向へ駆けてくる。僕はファルシオンのカバーを外し、飛び込んできた牙を受けた。


 凶暴な一撃は体重が乗っており重く、胴体が後方へよろめいてしまう。が、それをキスリさんが片手で支え、片手を狼に向けた。


「『水流(セナルーメ)』!」


 掌の先で急速に組み立てられた魔方陣から水の束が放出される。圧縮した水圧に押された狼の体は浮かび上がり、あっという間に木の天辺へと到達、重力に従って落下した。


 あの高さから落ちて無事である筈もなく、ぴくぴくと体を揺らすばかりで襲ってくる様子もなかった。僕は支えられていた体を起こす。


「ありがとうございます、キスリさん」

「いいえ、盾になってくれたのはあなたよ。感謝するわ。それより、他の狼も対処しないと」


 僕らが他の状況へと目を向けると、クアリが目に入る。杖を掲げ、目を瞑って動かない。狼が彼女を挟むように立っていた。


「彼女が危ないわ。助けに……」「必要ないですよ」

「え?」


 僕は自慢げにこう口にした。

 

「あいつはとんでもなく強いですから」


 直後、クアリは杖と片手をそれぞれ狼へ向ける。二匹のスピードは衰えず、射程圏内と判断したかギザギザの牙を見せる。


「……『(ヒルコーア)』」


 だが、狼は前に進めない。むしろ後退した。杖先と腕の先、()()に出現した魔方陣から発生した突風に扇がれたのだ。キスリさんの目の色が変わる。


「……魔法の二重発動⁉︎」


 飛ばされた猛獣の片方は上手く着地が出来ずに転ぶ。狼達は後退しただけで止まることはなく、素早く攻めへスイッチ。クアリは杖を突き立て、片手で地面に触れる。


「『隆起(ゲリアナイテペ)』」


 二本の柱状に伸びた地面が荒れ狂う狼の腹部を貫き、穴から溢れた赤は周囲の触れた物体を等しく赤へと変色させる。痙攣は少しの間続いていた。


 休む間もなく、クアリの周囲には三体の狼が現れる。どれも息が荒い。


『隆起』を発動した隙に背後から迫っていた狼の首をノールックでキャッチ、前方の二匹に注力する。


「『発射(スラテナ)』、『隆起』」


 杖を地面に刺すことで一体を『隆起』で狩りながら『風』の応用魔法、『発射』で手元の狼と残りをぶつける。よろめいた二匹を丸ごと貫いてトドメをさした。


 眺めていたキスリさんが信じられないような顔で唖然としている。 


「……あの魔法技術の高さ、世界でも有数の化け物じゃないの……?」


 勝手に口から出たであろう独り言に僕は肯定しなかったが、同じ考えではあった。

 

「キスリさん、ヘルプはあいつよりも別の人を優先すべきです」

「……そうね」


 僕達は話の合間合間に襲いかかってきていた狼達を処理しながら厳しい戦況の者を探す。大きく苦戦している姿は見られなかったが、標的が大きい分、目に入りやすいドキウさんが狙われているようだった。


 僕はドキウさんに近付いていた一匹を切り伏せ、もう二匹をキスリさんが『水流』で退けた。急な援護で一瞬驚いていたが、直ぐに安堵の表情になる。


「大丈夫ですか!」 

「二人とも助かったぜ! 如何せん数が多くて困ってたんだ!」

「本当! この森にこんな大量の数が生息していたのは知らなかったわよ!」

「俺だって知らねえよ! というか、襲ってくる奴らは全員とっちめちまって良いんだよな!?」

「問題ないわ!」

「おっしゃあ! 腕が鳴るぜ!」

 

 僕らは襲いかかる爪や牙を全て弾き、どうにか対処していく。大量に居たとはいえ、無尽蔵に出てくる訳ではない。二十秒も経たずにラッシュは沈黙していった。


 だが、ユンクォさんの宣言した時間を考えれば二十秒"も"とは楽観して言えない。息を整え、僕は辺りを見渡してユンクォさんを探す。


「キルニさん!」

「何だ、ニト!」

 

 長い距離を無視して速攻で答えてきた。

 

「デカブツはどれくらい近付いて来てますか!」

「近い! 近いとしか表現できない位には近い所まで来ている! 鼓膜が破れそうだ!」

「僕の声良く聞こえて……」


 僕の声良く聞こえてますね、と殆ど話した時だった。カナサが、ドキウさんが、クアリが。武器を持ち、立っていた人間達全員が気付く。


 異常な殺気。誰かに向けたものではなく、あるがままに振り撒かれた災害のような殺気。似たような気迫を集団で受けたばかりだが、レベルが違う。


 誰に言われるまでもなく全員が特定の方向に警戒した。耳を研ぎ澄ませ、地響きの震源に目を光らせる。


 大きくなる咆哮は重低音をベースにした広い唸り、踏まれた草木がざわざわと悲鳴を上げていく。恐怖感が高まっていく中、遂に正体が更地へと飛び出してきた。


 茶色の長い体毛が脂で濡れ、黒い鉤爪と一転して丸っこい瞳が毛塊から見え隠れする。純粋な瞳ではあったが、可愛らしさは少しも感じられなかった。何故なら、その毛塊はドキウさんやサテサテと比べ物にならない巨大物体だったからだ。


 ぼさぼさで荒れた茶で隠されているが、足や顔の形状から類い稀な成長をした熊だと判る。首には厳つい枷が着けられていて、息は非常に荒かった。


「ひ、ひいい!」

 

 一番近距離に居た『北洋道』団員数名がが恐怖で顔を歪ませ、棍棒を投げ捨て一目散に走り出す。男達の中にはカナサやミアも居た。


「馬鹿野郎! 熊相手に逃げる方が悪手だ!」


 ドキウさんの制止も間に合わず、手を我武者羅(がむしゃら)に振っているカナサの背中を、のっそりと巨熊の爪が切り裂く。重い液体が溢れ落ちる。


「……あ……え」

 

 切り裂かれた胴体は向こうに立つ熊の足が見える穴が開いており、多量の血液と共に重力に従う。明らかな致命傷は彼の命の終わりを他者へ宣告する。


「……っ!」


 声が出ない。目が離せない。初めて目撃する死は僕を行動不能に至らせるに十分な衝撃だった。


「カナサ! おい、嘘だろ! カナサ! ――! くそ、くそ!」


 取り乱したミアが直剣を両手で構え、本物の化物を相手に立つ。だが、目には怯えが、足には震えが見える。


「落ち着いてください、ミア! 冷静さを欠くなと教えたでしょう!」

「……カナサがやられて黙ってろって!? そんなこと、出来る訳ねえだろ!」


 だが、彼には全てを覆い隠す程の怒りがあった。気合で震えを抑えて剣を握り直し、熊を睨みながら詠唱する。


「……命を司る神よ、我の血肉に眠りし(まこと)の力を開放したまえ! 『限界突破(ルムテナカービ)』!」


 詠唱を終えると、ミアの肉体は膨張し、スマートさを微塵も残さない筋肉達磨へと変貌する。沸騰した血液は皮膚を通して赤鬼の様相を成していた。ミアが持っているせいで短刀に錯覚してしまう直剣を構え、膝を曲げると(もも)が張って血管が樹状に浮かび上がり、伸ばすと赤い鬼が前方へ高速移動する。


「ガアアアアア!」


 直剣は巨熊の前足に振り下ろされ、表皮に切り傷をつける。しかし、内部までには到達していない。熊は前足を振り上げ、ミアを上空に跳ね飛ばす。


「アガ⁉」


 言語機能を失った叫びが響き、赤く発熱する肉体は緑に生い茂る地面へと叩きつけられた。呻き声が漏れてはいたが難なく立ち上がる。が、既に前足が眼前へと近付いていた。

 

「『水流』!」


 ケルイさんの『水流』はミアの肉体を押し出し、前足は地面を陥没させるに留めた。外見は理性的ではないが、思考は理路整然としているらしくケルイさんに殺意を向けるようなことはなかった。


「このまま一人で戦わせては不味い! 動ける奴はフォローに回りなさい!」


 ケルイさんの指示に対して一人の団員が声を出す。

 

「け、けど! あいつに寄ったってカナサみたいになっちまうだけですぜ!?」

「ミアを同じ目に合わせたいのかと言っているんです!」

「――馬鹿が! 幹部が冷静にならなくてどうする!」

 

 ドキウさんからの拳骨で錯乱していた様子は消え、焦りは見えなくなった。


「……すいません」

「ミアの援護は俺と……くそ、ニトは無理か」


 申し訳ないが、未だに僕の焦点はカナサにばかり集中していて動けなかった。その癖やけに周囲の状況は伝わってくる。


「私と合わせろ、ドキウ」


 最初に名乗りを上げたのはユンクォさん。

 

「帽子の嬢ちゃんとか?」

「キスリ、ケルイ、クアリの後衛、私とドキウ、あいつの前衛で対処する。あの首輪の破壊を最優先に行動するのが最善だ」

「まあ、嬢ちゃんの言う通りだと思うが……」

「なら行くぞ。赤鬼が倒れたら戦力が欠ける」「いきなりかよ!?」


 ドキウさんは驚いてはいるが自然に並び、三名の魔法使いは行動の見やすい後方を陣取る。


 速かったのはミア。一撃目と同じ位置に斬りかかり出血を狙うが浅く、巨熊の動きに衰えはなかった。


「『水流』!」「『隆起』」


 ケルイさんはミアのフォロー、クアリは傷への追撃を狙う。が、(かわ)される。


「意外とすばしっこい……!」

「なら、俺達が止めりゃあいい!」


 熊の爪を避け、着地した足に向かって背に負っていた大剣を突き刺す。ドキウさんの全体重を乗せた剣は足を貫き、先端は地中まで到達する。


 暴れて抜けようとするが、深く刺さり杭の役割を持った大剣によって右足は空中に向かうことが出来ない。


「左足は私が!」


 クアリは片手で構えていた杖を両手に持ち替え、下部を地面に突き刺す。


「『成長(ロウゼ)』、『変形(ヤドゥヘウコウナ)混合魔法(ヘゥーズカア)、『根蛇(ビウア・エウテペ)』!」


 二重魔方陣が展開、地面から何十もの根が暴れていた足へ伸びていく。何本か避けたが全てを避けられず熊の前左足は固定される。キスリさんはユンクォさんへ声をかけた。


「キルニ! 後ろ足は私が止めるから首輪を!」

「任せろ!」


 ユンクォさんは前足が動かず安全地帯となった巨熊の顔側に立ち、キスリさんは少し大回りで尻側に回った。


「『噴水(スウィー)』!」


 設置された魔方陣から水が奔流となり、熊の後ろ足を濡らしていく。熊自体は痛みによって意識を向けている余裕はなさそうだった。


「喰らいなさい!」


 彼女が上投げで投擲したのは複雑な魔方陣が描かれた正四角形の石。既に魔力が籠められているらしく魔方陣が輝いている。


 起動した魔法は水をみるみるうちに冷やしていき、両後足の周囲に氷が形成されていく。近くの雑草の先まで凍った足は動かせる気配が無かった。


「……」


 熊の眼前で呼吸を整え、ユンクォさんは自らの胸倉を掴む。


「……『身体強化』」


 上半身の中心に練り上げられた魔方陣はユンクォさんの体を人間の最高峰へ仕立て上げる。固めた拳を構え、首輪に向かって振り下ろした。






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