邂逅②
「誠に、申し訳ございませんでした!」
俺とミシュの前に蹲る男。ミシュは初めて会った時と同じゴミを見るような目で見下していた。喰らった経験しかなかったので、横から見ると新鮮で少し面白い。
男の頭を地面に押し付けているのは、手の内にいる人物への怒りとこちら側への謝意が含まれた複雑な表情で腰を曲げる女性、アマ。
「自分の勘違いで杖を向けてしまったこと、本当に取り返しのつかないことをしたと思ってます! どうぞなんなりと!」
男が涙でくぐもった声でそう述べた。
「いや、別に怪我をしたとかじゃないから大丈夫なんだけど……」
「なーに言ってるんですか市郎! アマ姉さんが来てくれなかったら頭吹き飛んでたんですよ!? 同じ目に合うべきです!」
「姉さん? やけに敬しい態度じゃないか」
「私の右腕を助けてくれたんですよ!? むしろ命の恩人本人であるあなたの方が敬うべきでしょう。アマ大・先・生と!」
「えっと、流石に小恥ずかしいから止めてくれないかな」
「分かりました姉さん! 市郎、そのままで!」
「……何か色々助かったよ。ありがとう、アマ」
「いやいや。私はこの馬鹿を止めに来ただけだから」
「すいませんでしたあ……」
「身内の愚行を身を挺して止めるお姿、美しいったらありゃしませんよ!」
ミシュ、お前そんなキャラだったっけ。態度が気持ち悪いし、アマへの信頼度が限界突破している。
「というか、私人逮捕で刑罰まで勝手に決めるな」
「権利はあります!」
「権利云々関係なく人は人を殺めることが出来るだろ。とにかく止めといた方が良い。そろそろこいつが可哀想になってきた」
自分の判決がさらりと仮決定されている恐怖から蹲っている体がふるふると戦慄いている。
「さっきの俺と似たような思いをしてるみたいだしな。俺が許すからミシュは何も言うな」
男の顔が随分明るくなる。
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、人の心臓握ったくらいの仕事はしろよ?」
「はい!」
「……意外ですね。市郎はもうちょっとしつこいものかと」
「俺を油汚れと間違えてないか?」
「いいえ、そんなまさか。定期券で乗った電車のアナウンスくらいにしか思ってませんよ」
「……ちょっとしつこいけどどうでもいいくらい?」
「はい」
「……」
まあ、正直に言えばさっさと終わらせたかった。謝られる側はあまり気分が良くない。いや、謝る側が楽とか思っているわけではなくて、正義のヒーローみたいな面をするのが嫌ってだけだが。
「……イチロウさん、神様ぐらい心が広いんだね」
「ん、皮肉をここで言うのは変じゃないか?」
全く知らない話を振られた顔をしたアマを見て、初めて世間一般の意味で発されたことだと気付いた。まずい、ええ格好しい奴だと思われてしまう。
ミシュはなんとなく意図を分かってくれたようだが、支持はしてくれなさそうな顔をしていたので自分で話を逸らす。
「と、ところで、まだ名前を聞いてなかったな。アマの仲間なんだろ?」
自己紹介を頼むと、急いで立ち上がった。
「はい、俺はセウっす! アマ姉さんと一緒に冒険してます! 得意なのは水系統の魔法っす!」
想像していた口調とは打って変わった後輩口調に困惑してしまったが、単純に疑問を浮かべて流してみる。
「水系統ってのは?」
「あ、そういえば魔法についてはあまり知らないんでしたっけ。人によって使いやすい魔法が違うんすよ」
「なるほど。アマにもあるのか?」
「あるにはあるけど……。私はあんまり使わない」
「姉さんは脳筋ですから。メインはスキルでっ」
セウが頭に拳を下ろされる。重く体に響く音がしたので中々の威力だったと思う。
「脳筋はやめて。格闘タイプならいいって言ったでしょ」
「わ、分かったよ。――ともかく、魔法は人によるって話です」
「はあ」
セウの知識はためになったが気になることが増えた。どうせならまとめて聞くのがいいだろう。
「なあ、セウ」
「はい?」
「魔法とスキルについて詳しく教えてくれないか?」
「はい、いいですよ」
初めて起動したゲームのチュートリアルを聞いた気分であった。
魔法とスキルは大体似たようなものであって、これらを分ける大きなファクターは神様を介すかどうかという部分だそう。
スキルは神様にやって欲しいことを頼んで発動する仕組みで、頼みを言葉にした詠唱が必要。魔法は詠唱は必要ないが、自身の魔力を変換するための魔方陣を組む必要がある。
スキルはある程度改変が可能で、アマは自身が最も得意とするスキル、『抜刀』を抜刀する構えから高速化する部分を応用し、高速移動として応用、先程も使っていた肉体を鉄のようにするスキル、『鋼鉄』も対象をセウに替えて発動することでダメージを軽減していた、らしい。
魔方陣は組める形には本人の肉体の性質が関係し、組みやすいものとしにくいものがどうしてもあるらしい。これが魔法の得意系統として現れてくる。大方種族に依存するものと考えられているようだ。因みに組む速さ、規模は慣れとのこと。
セウはこの手の話題になると止まらないタイプらしく、矢継ぎ早に情報をもたらしてくれた。
「……てなもんで。魔法を理論的にまとめる考え方がポピュラーになったのは意外と近年で、――といっても三百年程前なんですが、フィーリングやイメージからの発想が苦手な人でも魔法が使いやすくなったんすよ」
「へえ」
学校で習ったのだろうか。彼は魔法の歴史についても詳しかった。ミシュも食い入るように耳を傾けている。
「とまあ、俺が知ってるのはこんくらいすかね」
「ありがとう。今後も頼む」
「いえいえ。またのご利用を……って今後?」
「……ああ、セウにはまだ言ってなかったね」
アマが説明を引き受けてくれた。
「ほら、国王様から依頼が来たって話。あれ」
「……あれって嘘じゃなかったんだ。光栄なことだけど、じゃあ依頼内容は?」
「異世界から来た彼ら二人、イチロウさんとカイヤ・ミシュールさんを手伝いなさい、だって」
「……へ?」
勿論直ぐに受け入れられる訳はなかった。
◆◆◆◆
「……本当っすか、イチロウさん」
「ああ、アマが言っていることは全て事実。だから現地の協力者として二人が選ばれた」
「私としては、この世界についての知識と土地勘が頼りになります。カエズ国王の姉方を見つけるという目的がある以上、技術だけではどうにもならない部分が多くありますから」
ミシュの補足で納得した様子を見せるが、セウの表情にはまだ曇りがあった。
「……分かったには分かったんですけど、でもやっぱり俺と姉さんに頼んだ理由が分からないんすよね」
「理由? くじ引きで決めたとかじゃないか?」
「市郎、それだったら国の者から派遣した方が確実です」
「確かに」
今考えれば、それだったらというか、そうじゃなくても国の兵士の方が良い部分が多いんじゃないか?
わざわざこの二人を選んだ訳は何なんだ。
「……あの、私、心当たりが一つ」
「本当か? アマ、一発かましてくれ」
「遊芸はやらないよ? ……私達、どっちも人を探してて」
人を?
「もしかして二人もカエズの姉を探してるのか」
「いや、違うよ。顔も知らない」
「イチロウさん、国王様のこと呼び捨てしてんすか!? すげえ……」
「もう、話が進まないから」
「……ふふっ」
ついに堪えきれず微笑んでしまった。
「? 笑う所あった?」
「いや、ほんと仲睦まじいなって。見ていて少しほっこりした」
どちらも俺の命を刈りかけた準死神ではあるが。我ながら受け入れが早い。
当の本人であるセウは少しがっかりしたように声を上げる。
「イチロウさんもそう見えるんですか? よく言われるんすよね。俺らは自覚ないけど」
「気を許し合う仲ってこんなもんなんだろうな、と感心してしまうぐらいだよ。いい姉弟仲だなって」
「あー……」
アマはやはり、とでも言いたげに口を開き、通過儀礼を事務的に済ますように続ける。
「私達、姉弟じゃないよ」
「マジで?」
「本当」
「……マジか」
予想外にも程がある。これで姉弟じゃないって、驚きが隠せない。セウとか姉さんって言ってるやん。
「兄妹みたいなのはイチロウさんとカイヤさんを指すもんでしょ」
「――いや、俺らも兄妹じゃないぞ」
「え、本当に?」
「マジだ」
「えぇ、本当に……?」
数秒前の俺が鏡写しで現れ、実際のきょうだいって、どんななんだろう……。と一言挟んだ後、飽和しきった副題から本題へと帰ってきた。
「……私は七年前に失踪した冒険者たちを探しているの。一人は冒険者のコミュニティで『落下』のニトとして名を馳せてた」
「『落下』って、ニトには悪いが弱そうだな」「お兄ちゃ……ニトさんは弱いどころか、一対一で勝てる相手は居ないと囁かれている実力者。弱くないからね」
「お、おう、分かった」
気持ち食い気味で返されてしまった。まろび出た一人称からニトに特別な思いがあるように思える。
「その、ニトとは知り合いなのか?」
「ニトさんとクアリさん、――ニトさんの幼馴染にあたる冒険者は私と同じ村出身で、特に、ニトさんは私の師匠に位置付ける存在なの」
「……なるほど」
「数少ない情報をまとめた結果、北の大地に向かったことだけが分かってる」
頭の中にふわりと湧いたものがあったが、俺がそれを挟む隙間もなく、次が語りはじめる。
「俺は七年前に起きた大災害、岩雨の元凶を探してるっす」
「岩雨……岩の雨?」
「名前の通りっす。掌で握れるものから腰から上を吹き飛ばせるものまで、大小様々な岩が北の大地付近から近場の村や国に降ってきた災害、それが岩雨」
「待て待て、一体何が起こったらそんなことになる」
「神様の怒りだ~とか、何処かの大魔女が~とか広まっている話はありますが、事実としては不明です。……けど、俺は見たんす。恐らく、原因である存在を」
「……それが巨人か」
「はい。俺の大切な人達を根こそぎ奪っていったあの雨の最中、空を一直線に、北の大地へと飛んでいく姿が見えたんす。今回の噂は、この森に帰ってくる途中に王国を経由したのかと思ったんでけど」
あまりにも雑な推理だが、彼が巨人のこととなると目の色が変わるのは少し前に知ったばかりのことだ。それに、――つい付け足してしまった言葉なのだろうが――雨に付けられた修飾節は彼の経験の悲惨さを酷く演出する。
「……お気の毒に」
「いいっすよ、沢山言われましたから。――それより、共通点の観点で言ったら、やっぱり北の大地っすよね」
「あー、それについて少し気になってたんだが、北の大地ってのは一体何処なんだ?」
「文字通りです。地図は……」
「カエズに貰ったのがある。これで説明してくれると助かるよ」
「勿論。寧ろ、手間が省けた」
麻袋から抜き出した紙で作られた筒の紐を解き、年季が随分入ってないピカピカの地図を開く。……よーく考えなくても端が焼かれたように汚れて崩れた地図を渡すっておかしいな。そりゃ新品を渡すのが王国の義理だよな。
「聞いてますか?」
「聞いてる聞いてる、すごい聞いてる」
「適当……もう、続けるよ? ……今、私達がいるのが中央地方と呼ばれる地域。で、他の地方はここを中心として各々東、西、南の地方に分かれているの。大体この辺りは名前の通りだから分かるとは思うけど」
アマはポイントごとに指を地図へ置き、乱雑な情報を補正していく。
「種族、地理、信仰される神など地方ごとの特徴はあるけど、要点の北の大地から。地図を見れば分かる通り、北の大地は全くと言って良いほど調査が進んでない」
確かに、大陸の絵図、『中央地方』と刻まれたエリアの上には碌な地形が描かれておらず、代わりに印刷ミスを疑ってしまうほどの木の群れがびっしりと刻まれていた。
「調査隊は幾度か出されたことがあったみたいだけど、その全てが結果を持って帰ることはなかったって」
「無事ではあったのか?」
「いいや、命を持って帰れたのが全体の一%にも届ない、しかも大半は五体満足とはいかなかったって聞いてる。心を削られたものも当然に」
「……とんでもないな」
音もなく頷き、数々の尽力によって発見された情報を分け与えてくれる。
「彼らによって判明した事実は三つ。一つは、北の大地を覆う森林、これは内部まで天から目を通さぬように敷き詰められていること。二つ目はそのせいか、スキルが使用できないこと。三つ目は……」
「ちょ、ちょい待って? さらっと言ったがスキルが使えないってかなりの問題じゃないか?」
セウのような魔法使いならともかく、戦士タイプのステ振りでは影響が大きいだろう。仮にゲームの縛りにしたって重すぎる。
「確かにその通り。けど、重要なのはこの後の三つ目」
アマは神妙な顔で踏み込むような勢いで口を開く。
「調査隊を襲ったのは犬や鳥や熊――形だけで力は二割増しらしい。けど、全て、間違いなく、確実に魔法を使ってきたらしいの。北の大地以外で存在が確認されなかった彼らはこの特徴から、魔物っていう総称で呼ばれてる」
魔物という言葉を聞いて、己の中にあったFAWへの違和感に気付く。RPGじゃ草むらを歩くだけでエンカウントする魔物。この世界に来てからそれの類いを見たことがなかった。だが、当たり前だったのだ。
「……魔物は北の大地にしか居ないのか」
「そう。ただでさえ戦闘能力が高いのに、しかも使う魔法が見たことのないものばかりで対処のしようがない」
「初見殺し持ちは手練れでも簡単に対処できない。ゲームオーバーは当然ですね」
「あたかもビデオゲームのような物言いをするなよ、ミシュ」
「最も理解しやすい方法は換言です。画面の向こうに例えたからって他人事に思ってる訳じゃないですからね」
「……悪い」
「生きてるからいいですよ。それより、お二人は目的の関係上、そのハードコアなステージを攻略したいってわけですよね?」
「うん。でも、探検する仲間が集まらなくて……。とりあえずあの場所に立ち入るなっていうのが暗黙の了解だから」
「調査隊が出ていたって話は」
「調査隊はかなり前から――具体的には二十年ほどは出てない。北の大地を調査しようって奴が居ないの」
「募集の張り紙は偶にあるっすけどね。確か東の地方だったような……」
「変わり者のおじさんが出してる奴ね。ずっと張ってあるから空振りしてるんだとは思う」
「……成程。大体は掴めました」
簡単なヒントが大量に散らばっているおかげで、カエズの意図は俺にも分かった。
「カエズは北の大地に答えがあると睨んだらしいな」
「そのようですね」
同じ結論に辿り着いていたミシュも相槌を打つ。
「答えって……国王様のお姉様が北の大地に居るってことっすか!?」
「神の言葉が聞けるカエズ達が見つけられないんだ。あり得るのは天が覆われている、スキルが使えないイコール神様の力が届かない場所だと考えるのも妥当だ」
とはいえ、二人の話を聞いた所だと、今のメンツで突撃しても最悪全滅、軽くて一人。しかも殆どの確率で足手まといの俺が退場する。
俺には異世界に渡る際のチートスキル付与なんかされていないし、ましてや主人公補正もない(たまたま駆けつけたアマに助けられた後にほざけることでもないが)。
幸運なんて何度も引き寄せられるものではない。やはり今すべきなのは……。
「「先ずはもう一つの仕事から終わらせ」」「よう」「ましょう」
「うわっ、びっくりしたわ!」
「こっちの台詞ですよ。いきなり被せないで下さい」
「いやいや、被せてきたのはミシュの方だろ。俺の方が少し速かった」
「なーにぬかしてるんですか。私の方がコンマ一秒速かったです」
「本当かあ? 嘘ついてねえだろうなあ?」
「そんな睨みを利かせても事実は怯みませんからね」
「あーそうですか。ならソフィア! 計ってたか!?」
ソフィアがただの空間から現れる。
「もー、二人が話してたから黙ってたのに。……えーと、ミシュの方がコンマ一秒速いわね」
「くっそお……!」
「へへん。私に勝てると思わないことですよ?」
「二人とも何で競ってるのよ。結局は一緒なんだから特に変わらないし」
「姉さん、売られた喧嘩は買わなくちゃいけないんですよ」
「いつ市郎くんが喧嘩売ったのかしら」
「全くその通り! ミシュの方が挑戦者だからな?」
「どっちも違うわ。それに、事情を話さないと変人認定されちゃうわよ?」
「変人? 俺とミシュ、どっちがどうしてそう思われるんだよ」
「いや、当たり前に話しかけてきてるけど、私二人の網膜に映ってるイメージなんだから、当然あそこの二人には見えないじゃないの」
「「……あ」」
「……あの、何してるの?」
不思議そうにアマ達がこっちを見ていた。
「えーとな、これは……。ミシュ、どう説明すれば?」
「……実は、私達の中には神様が宿ってるんですよ」
「え」「神性を殆ど喪っていて力はありませんが、会話ぐらいは出来るんですよ」
おいおいおい、ペテン話し始めちゃったよ。
『しょうがないじゃないですか。人工知能の解説とか過程が長くなるだけですよ』
『ちゃんとテレパシーで会話してくる辺り本気で騙す気なんだな。オーケイオーケイ乗っかります』
「神様って、お二人の世界の神様ってことですか?」
「正確には俺の世界の神様なんだが、まあ解釈としちゃあ曖昧でも問題はないか(嘘だし)」
「曖昧であるが故に私達が器として意識を持ちながら存在している訳ですし(適当ですけど)」
「な、なるほど?」
「とりあえず別の神様が居るってことでいいんすよね?」
「その通り。いい理解力だ」
「あざっす!」
「そういうこと……なのかなあ」
どうにも曖昧過ぎる部分があるのは誤魔化し、そういうものだと納得してもらおう。
「で、もう一つの仕事って何なんすか?」
「俺達の計画、ITプロジェクトを王国と親交のある国に通達することだ」
「……骨の折れる作業だね。確か東、南、西に一国ずつ存在するはず」
「全部渡るまでにどれだけ時間を喰うかっすね……。最低三、四ヶ月はかかりますよ」
「いや、それはアナザーを使えば直ぐに終わる」
「シミュレーション結果ではありますけど移動時間だけなら三日ぐらいで終わります」
「……これって慣れた方が良いの?」
「悪いがその方面で。俺は解説出来るほど理解出来てないし、もし分かってても解説出来る自信がない。気になるなら移動中にミシュに聞いてくれ」
「了解」
「姉さんにだったらこの世の全てを教えます」
「ミシュ、自分の知ってることしか教えられないの知ってるか?」
「知らないものは存在しないと思い込めばこの世の全てを知っているということになります」
「今直ぐソクラテスと押し問答してこいや」
「知らないので無視します」
「無敵かよ……てか絶対知ってるだろ」
「褒めてくれて嬉しいですよ。――では、三人とも、アナザーに乗りましょう」
ミシュはアナザーへと指を指す。習うより慣れろで行くつもりらしい。
「待て、アナザーに乗ること自体は賛成だ。けど、どうするんだ? アナザーには席が二つしかないじゃないか。また増やすのか?」
元々一席だったコックピットは、席が増設されたが最大数は二。四人が座るスペースは無い。
「席数をこれ以上増やすにはアナザーのスペースが足りなくて、もし増設するならアナザー自体を改修する必要が出てきます」
「今は無理な相談なんだな。じゃあ、どうするんだ」
「考えがあります。私の指示に従ってください」
ミシュは俺らに指示を出しながら、アナザーを乗り込み待機状態にするようソフィアに伝える。
「先ずは市郎とセウが乗り込んでください」
言われたままに実行する。
「ここに座ればいいんすか?」
「ミシュが言うにはな」
押し出された背もたれに体重を預けると、セウは感動を小さな息と共に吐き出す。
「ベッド以外にここまで快適な物があるなんて……」
俺の感覚では、この座り心地はほど良いと言えるものだが、セウからすれば大分高級品に思えたらしい。クッションとか持ってきたら売れそうだな。
「ミシュ、次は何をするんだ」
「市郎達はもう何もしなくても大丈夫です。次は私達が乗ります」
「え? いやだから、何処に乗るのかが問題じゃ……」
俺の疑問を聞き流し、当然のように満席の空間に寄ってきて、また当然のように俺の太股の上に腰を据えた。頭の天辺が良く見える。彼女は首をくるりと向け、またもや当然だと主張する。
「ほら、これでアマ姉さんがセウの上に乗れば全員乗れます」
「……いやいやいや! 問題ないのかこれ!?」
「システム上で問題はありませんよ。飛行は可能です」
「物理的な所は良いんだ! 精神的な所だ。お前が俺に密着するのが怖くて仕方がない!」
「それどういう意味ですか」
やっばい、本気トーンだ。
「か、勘違いするな! 決して俺はお前がこうすることに抵抗を覚えていないことに戦慄し嘆いた訳ではなく、お前のツッコミ攻撃を避けることがほぼ不可能なことにビビりまくっているだけだ!」
「……怒ってませんから、必死に意味の分からない弁明をしないでください。――嫌われるようなことをしたとは思いますが、これ程とは……」
「嫌ってるとかじゃないんだって! 本当に! むしろ逆! ミシュがここまで俺に心を許してるとは思わなくて」
「……もう、三年以上の付き合いで信頼が無い訳ないじゃないですか」
――やはりおかしい。唐突に信頼度が最高潮まで達している。出発前のミシュでは考えられない立ち回り、言動で、俺からすればびっくり箱かお化け屋敷と変わらなかった。返事の仕方が本気で分からない。
「え、ああ、おう」
当然、あやふやな答えをお返ししてしまった。
「……煮え切らない返事ですね」
これ以上追求するつもりはなかったのか、一言だけで感想は終わった。が、少なくとも嬉しそうな表情は見えない。
どうしようかどうしようか、と付け加えるべき事項を考えているうちに、話題は乗り方の問題へ。
「さあ、アマ姉さんも乗ってください」
「いや、ミシュちゃんぐらい小柄なら良いかもしれないけど、私とセウじゃきついんじゃ……」
「そうっすよ。姉さんが乗ってきたら俺の脚がぼろぼろにっ!」
セウがまた失言を言い切る前に、アマが尻から跳ねるようにして乗り込む。相手の安全を考えない速度で腹部に命中し、えずく声が周りに微かに響く。
真後ろで小刻みに震える男をただの座席シートとみなして扱いながら、荷物のリュックを置き、口を開く。
「何処から行くの? 先ずは東?」
「……いや、西から行きましょう。一番距離が短いルートですから」
ミシュは『セウを無視する』を選択。まだセウを許していない節があるので違和感はない。かといって、擁護できるポイントは俺の視点からも確認できないため、暖かそうな席だなと思うことにした。
「「了解」」
剥き出しだったコックピットが再び胸部に格納、液体で満たされる。アマ達は咄嗟に顔を上げるが、縦横無尽に機内を動く液体からは逃れられない。呼吸が出来ていることに驚嘆しているのが目に見えて分かった。
「これも魔法じゃないって、異世界どうなってるの……」
「慣れればひんやりとして気持ちいいぞ」
「流石に適応力がずば抜けてると思うんすけど……」
明らかに二人よりも乗っているんだ。適応もそれなりには済んでいる。背中をなぞられている感覚に襲われている二人は座りがぎこちなかった。
WITHから届けられた大量のステータスで風景が(勿論全体ではないが)隠される。システム上、WITHを着けていない二人にこの情報は見えないのでまだ景色が展望出来ている筈だ。
俺の視点では複雑且つ膨大な情報量で模様にしか見えないが、ミシュは軽々と処理していく。まあ、実際はソフィアも協力しているのでミシュだけの力ではないっちゃない。
「何度も見てる筈なんだが全く意味が分からないな。任せっきりになっちまう」
「その点で言えば、市郎も操作はやっておいた方が良いですよ。万が一、私もソフィア姉さんも運転が出来ない事態になったら、次点で名前が上がるのは市郎ですからね」
「やあ……ミシュが居ない時ならともかく、ソフィアが居なくなる時があったらどちらにしろアナザーには乗れないんじゃないか?」
「WITHが故障する可能性はありますから。一応、象に踏まれても絶対に破損しない強度にはなってますけど」
「そのキャッチコピーが付いてるなら大丈夫だろ。俺寝てるわ」
「信頼しすぎでは?」
「看板に偽りなし。だろ?」
「まあ、否定はしません」
「ゾウ? 初めて聞く名前だね。二人の世界の生き物?」
「そう。鼻が長いのが特徴で、人間の数倍は大きい動物だな。一般的に動物と言えばで思いつくランキング四位ぐらいには入るんじゃないか」
「メタファーとしても使われますよね。ほら、えっと……」
「サーカスの象か。トラウマの例え話でよく使われる」
「そうそう、それです」
「サーカスの象ってどういう話なんすか? 前提としてサーカスが分からないっすけど」
「サーカスは火吹きとかロープの上でのバランスとか、普通は出来ない見せ物をやる曲芸師の集団のことだと思えばいい」
セウは深く頷く。
「で、曲芸の中に象を使ったものもあるんだよ。別に芸自体は悪くないんだが、演技する以前、象を何処かに置いておく必要がある。それで、逃げられても困るから逃げないように拘束するんだが、ここで使うのは細い鎖なんだ」
「細い鎖……あれ、さっきゾウは人間の数倍は大きいとか言ってなかったっけ」
「ああ。この鎖は象のパワーがあれば余裕で破壊できる代物だ。だが、象は逃げない。何故かっていったら……」「小さい頃から同じ方法で拘束されているからですね」
……いきなり横から台詞を取られてしまったが、言いたいことは一緒だ。しかし、頭をくしゃくしゃにする権利は貰ったと考えておく。
「えっと、どうして子供の時から小さい鎖で捕まえておいたら逃げなくなるの? 結局意味が掴めてないんだけど」
「姉さん、さっきもイチロウさん達が言ってたじゃないか。トラウマのメタファーだ、って。要は、ゾウは昔のトラウマに囚われて逃げないんすよね?」
「その調子だと、解説しなくても分かりそうだな」
「お二人の話が分かりやすいんすよ」
相手が当然知らない話をしただけなのに優越感に満たされる。こっちがセウの素なのだろうか。だとすれば、とんでもなく人をおだてるのが得意だと思った。一方、膝上に乗っかった相棒は未だに?マークを頭上に浮かべている。見かねたセウが口を開く。
「あのな、姉さん。子供の頃に大した理由もなく鎖で繋がれたらどうする?」
「え、抵抗するよ。鎖が取れたらやった奴をボッコボコにする」
アマの腕力で襲われると考えると、身震いが抑えられない。
「じゃあ、どうやっても鎖が取れなかったら?」
「いや、どうにかして……」「全力を発揮しても、身を削っても、道具を使っても、あれもこれもして、それでも壊れる様子が無かったら?」
アマは理不尽な状況に隠さず嫌そうな顔をする。
「もう諦めるしかないじゃん」
「姉さん、正解」
「え?」
セウはこっちに『後は任せた』とアイコンタクトを飛ばす。美味しい所はくれるらしい。やはりこいつはおだて上手だ。
「……正解って言うと努力を否定するような形になるが、まあクイズとしては正解なのは間違いないしいいか」
御託は置いといて、結論への補足をする。
「セウの誘導でアマが導いた結果と同じく、象はその鎖で繋がれたら諦めてしまう。自分の足に巻き付けられたこれからは逃れられないと学んじゃうんだよ」
「……あー……あ! はいはいなるほど!」
少しずつ上がったトーンが頂上に届き、合点がいったようで、何度も頷いていた。この二人が居たらセールスマンの安い商売より易い商売に引っ掛かりそうだなと深く思った。
ここで、ひとしきりステータスが流され景色がよく見えるようになると、次の目的地がポイントされる。
この世界の測量術が発展しているかは不明のため実距離は出ていないが、地図上に描かれた基準に則れば十八時間で国に着くことになっている。
設定が終わったようで、中途半端に人の形を成していた機体は完全に形成され、ブースターが点火される。オーバーテクノロジーによって緩和されたGを肌に受けながら上昇していく。地面が離れ、草木を通り抜け、気がつけば森を見下ろせる位置で浮遊していた。
「うわあ、こんな景色、見たことない……!」
「やっべえ……」
二人が感動しているのも束の間、直ぐに一定の方向に飛行を始める。
「皆、目的地に着くまでは休んでて良いですよ」
「それもいいけど、親睦を深めるために軽いゲームしない?」
ゲームか。こっちにどんな文化があるのか調べられるいい機会だ。
「俺は賛成だ。ミシュは?」
「異論なし。ソフィア姉さん、アナザーの制御お願いします」
俺とミシュにだけOKと返事が聞き取れる。これで空から隕石がふってきたりしない限り安全だ。
「……姉さん、ゲームってもしかしてあれ?」
「そう、セウと初めて会った時もした奴」
「恒例の儀式みたいなものなのか」
「YES! ある程度親しくなったらやろうって決めてるゲームなんだ」
「どういうゲームなんですか?」
「あ、でもここじゃ出来ないかも。机が必要なんだけど」
「机なら仕舞ってありますよ」
ミシュが空中でパソコンキーボードを叩くようにして指を操ると、席の間から横に長い長方形が顔を覗かせる。縦に仕舞われていたそれは広い面を上にして倒れ、展開。ギリ肘が掛けれる位置まで大きさがある机が現れる。
「これで大丈夫ですか?」
「うん。これくらいあれば出来るよ。ありがと」
確かにインパクトが弱いものではあるが、もう驚かなくなったのかと個人的に思った。
「今からやるのは言っちゃえば力比べ。腕力で勝負するゲームだよ」
そう言いながら腕をくの字に曲げ、肘を机の端につける。僅かだが前傾姿勢をとっている。
「こういう形で握手して、肘をつけたまま、相手の手の甲を机にくっ付けたら勝ちってルールだよ」
まるで腕相撲のような形だ。まるでというか、そのものだった。
「成程な。一ついいか?」
「なに、イチロウさん?」
「多分ここに居る誰にも勝てないんだが」
勘違いやら偶々やらで事情は違うが、俺は三人とも全員に己が命を脅かされたことがある。過去の経験から学び、対処する俺の本能が、『やめとけやめとけ』と叫んでいる。
「大丈夫ですよ市郎。なんとかなりますって」
「やってみなくちゃ分からないっすよ」
「そうそう。私は本気出さないし」
自分より小柄の女性にハンデありで勝負すると宣言されたことも含め、情けなくってしょうがない。が、三人の言うことも一理ある。
「……よっしゃ、絶対全員倒す!」
――第一回戦、俺対アマ。開始の合図と共に全力を注いだが、抵抗がまるで出来ずにぶっ倒され敗北。アマの方が呆気にとられていた。
「かなり手加減したんだけど……」
――第二回戦、ミシュ対セウ。少しの間鍔迫り合いが続き、メトロノームのように組まれた手が揺らいでいた。ミシュは袖の短い服を来ているため二の腕の筋肉が膨らんでいるのが分かる。
セウが苦悶を、ミシュが余裕を顔に見せ始めた時。
「なっ!?」
第三者から見ても握力が上がったことが分かる。握り合っていた筈の拳は僅かにセウの方が開き、力を籠めるには不十分な形のままスパートに出たミシュの猛攻を受けた。結果、耐えきれずにセウは敗北。セウは痛そうに叩きつけられた右手を抑えながら戦慄する。
「このパワー、姉さんに並ぶ……!」
FAWに来て初めての戦闘要素がこれか。まあ、魔物もわんさかは居ないし、いきなり殺し合いが発生する程治安が悪い訳でもないため当たり前ではある。
――続けて第三回戦、俺対セウ。
「男同士の勝負だ。手抜くなよ?」
「もちろんっすよ!」
両者セット。アマの細い手とは違い、掌が広いそれは圧迫感が大きかった。だが、それだけだ。ただでさえダイジェストで恥をかいているんだ。勝てなくっても、タメは張ってやる。
……結果、意気込みだけはあった。
強いて言うなら、彼が全力でやってくれたのが俺のプライドを一応保たさせてくれた。
後に聞いたらアマの八割と拮抗はしたらしい。早く言ってくれ。顔を隠したくなるくらいには恥ずかしい台詞を吐いてしまった。
「市郎、真面目にやってくださいよ。八百長ばっかしても面白くないですよ」
「本気で指摘するのやめてくれ。一番心に来る」
「ごめん。あまり鍛えていない体なのは分かってたんだけど……」
「この流れで謝罪も心を抉るスコップになることは分かってくれ?」
悪気がないのは伝わるのだが、かえってタチが悪い。
「出身世界によって発生する差なんすかね……元の世界だとイチロウさんの腕っぷしはどのランクに属してたんですか?」
「自慢じゃないが、知り合いの男子全員に腕相撲は勝ったことないぞ」
「自虐ネタなんかやったら本当に心折れますよ?」
「始まりの女が言うんじゃねえ。……ほら、次は最強決定戦。俺で遊ぶよりずっとマシだろ」
「そうですね。今は市郎をいじめるよりも腕相撲の方が楽しいです。最強という称号も、ずいぶん魅力的ですし」
「男以外でも最強は憧れるものなんだな」
「生物なら当然です」
残るマッチはミシュ対アマ。席の都合で俺とミシュ、セウとアマは対戦不可能だからだ。
計三回の戦を支えた机の上に二つの肘が位置につく。どちらも男衆のそれよりも細く、華奢だ。体格差があるためミシュの方が手は小さい。
開始の合図はセウ。合図は地域や家庭によって細かいところが違うと思うが、今回は『よーいドン』で統一している。
「それでは第四回戦、アマ対カイヤ・ミシュール! 準備は宜しいですか?」
「問題なし」
「いつでもいいよ」
「両者、準備完了です!」
お互いの掌を合わせ、握り込まれた拳に未だ力は入っていない。やけに熱の入った合図役の声を聞きながら、この遊戯で初めての緊張感を肌に感じていた。本人らは全く感じていないだろうが、空気が冷たく感じる。
「……それでは」
セウが喉を鳴らし、次の一言に備える。緊張感が最高潮に達した頃、肺一杯に酸素を溜め込み、声を上げた。
「――よーい……ドン!」
二人の顔から余裕が消える。腕の筋肉が収縮、隆起しているのも見える。確実に力と力が衝突している。
――しかし、動かない。
鉄骨で建設された陸橋のように、標本図鑑に留められた蝶のように、少しばかりも映像であろうとしなかった。
力量差がない完全な拮抗。血管が浮き上がり、表情が苦しくなったとしても、手の高さは変わらない。不動の状態が十秒を過ぎても、動いているのは観戦者の心持ちだけであった。
お互いがお互いの力量に驚愕し、また、今それとぶつかっていることに喜色満面になる。ライバルを見つけたことへの喜び、高揚感が外側からも読み取れた。
膝の上にプレイヤーが存在する以上、動きたくても動けないもどかしさに駆られ始めた頃、無限に続きかけていた均衡が崩れる。
僅かに下を位置しているのは、小さな方の手。
ミシュの眉間に皺が強くなる。現れた差の正体は実戦経験の数であり、平たく言えばスタミナの差であった。
フルパワーを維持しきれなくなった隙を逃さず追撃。少しずつ、だが着実にテーブルとの距離が縮まっていく。
腕の角度が四十五度を過ぎた頃、俺はまた別の変化が起きていることに気がついた。アーチ状の腕が倒れる速度が遅くなっている。抵抗が強くなってきているのだ。
火事場の馬鹿力という奴だろうか。後数センチでも押されれば負けだが、しかし、この位置でまたもや拮抗し始めた。一度下げられたテンションは業火の如く燃え上がり、ボルテージは度を過ぎて爆発しそうな勢いにまで昇っている。
アマチュアのアームレスリングよりよっぽど白熱した戯れが始まってから三十秒。終わりはいきなり、静かに訪れた。ミシュは火事場力によって均衡を維持していたが、遂に底まで使い果たし、事切れたようにテーブルに手の甲を落としてしまったのだった。
「勝者っ、アマ!」
セウはアマへの尊称を忘れながらも結果の宣言を掲げる。疲れ切った二人は背もたれの男衆に倒れ込み、俺達はそれを受け止めた。
「大丈夫か⁉︎」
「頑張り過ぎだよ姉さん!」
俺とセウの語調が強いのは、単に盛り上がった名残であった。
「……い、良い、勝負、でした……」
「そっち……こそ……」
勝利を祝われるべき勝者と健闘を讃えるべき敗者、両者は拳をぶつけ合い、真っ白に燃え尽きた。