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株式会社IT  作者: おじぎ猫
11/17

邂逅①

 さて、これまで剣と魔法の世界での三日間を語っていった訳だが、どうだっただろうか。

 

 とか言いながら初日と三日間の一日目を全く話していないな。どれ、それも含めて軽く振り返ってみるとしよう。


 五月二十日。FAW(ファンタジーワールド)にやってきた日だ。ドリルのように世界を越える方法は負担が大きく、俺もミシュもソフィア、もといアナザーも丸一日休み。特にアナザーが使えないのが原因で本当に何もしなかった。


 五月二十一日。この日は因果値の調査とかでアナザーを動かせなかった。八割解析できれば同時作業でも問題ないが、それまでは計測場所がずれるのも良くないらしい。


 なのでミシュとこの先の計画について話し合ったり、芸人顔負けの漫才をしていた。わざわざ伝える内容でもない。


 五月二十二日。森の近くにあった王国、セイクレート王国での情報収集。ある程度の方針をここで固める。


 そして五月二十三日。セイクレート国王との交渉成功。プラスで情報も手に入れた。


 ……とまあ、こんな感じか。

 

  語ったり飛ばしたり、語らなかったりの三日間がもうすぐ終わる。大体やることも決まり、ここからは異世界冒険譚だ。

 

 だが『もうすぐ終わる』と言った通り、少しだけ残っている話がある。


 あまり話したくはないんだがな。それというのも、これは俺が未熟だったと理解する話だから。戒めとして忘れることはないが、気がひける。


 まあ、うだうだいっていてもしょうがない。前置きもここまで。三日間の締めを語ろう。 


 ――勇者、についてだ。


          ◆◆◆◆


 王様と交渉し、神様に呼び寄せられ、多くの話を聞いた後。

 

「……見てくるだけにしては時間がかかってると思ったら」


 拠点の森、アナザーを横目に。


「神様と話してきた、って……。存在すると推測は出来たものの、いざ聞くとふざけてるように聞こえますね……」


 ちょっとした報告会が開かれていた。因みに、カエズの言っていたことを配慮して神様とどうやって会話したことは話せないと伝えてある。


「嘘はついてないぞ。実際新情報を沢山持って帰ってこうして提供してるじゃないか」

「分かってますよ。市郎は真面目ですから」

「……ああ」

「煮え切らない返事ですね。私が褒めたのが珍しくて浮かれてるんですか」

「俺そこまでテンション上がってるように見える?」

「いえ、いつも通り、ふっ、いつも通りの顔ですよ」

「おいなんで笑った? 絶っ対失礼なこと考えたろ」

「ふふっ、違いますよ」

「ソフィア、あいつの思考覗き見してくれないか」

「女の子の頭の中を探るなんて、男としてどうなんですか」

「人にはプライバシーってあるのよ?」

「味方が居ねえ!」


 どうしてこうも標的になりがちなんだ。俺っていじられキャラなのか? 勘弁してくれ、望んでいない個性だ。

  

「それで、そのアマさんはいつ来るんですか?」

「海女さん?」

「イントネーションが素潜り漁師じゃないの。最初の時は下げてたのに」

「いやなんかボケた方がいい雰囲気かなって……」

「言いたいことは多いですが、とりあえず絶対芸人向いてませんよ」

「自覚してる。悪かった」


 調子乗ってると意外と及第点は取れるんだが、意識すると()がグダグダになってしまう。不安定な性格には困りものだ。


「間が開いてないんですよねぇ。コツって程ではないですが、相手が一番癪に障るタイミングに打ち込むのが効果的ですよ」

「所構わず苛立たせる精神災害人間の完成じゃないか」

「ほら、ピッタリなツッコミが返ってくる」

「お見事~!」

「わざわざ姿を出して拍手喝采する程じゃねえだろ! 皆出来るわ!」

「いやいや、市郎は結構批判家気質ですからツッコミが向いているんだと思いますよ」

「ミシュと話してたら口がとんがっても仕方がないと思うけどな」

「……ぐすん、酷いです」

「ごめんごめん言いすぎちゃった悪かったから泣かないでくれ!」


 本気で泣きそうだったので心の中から謝意を示す。……確かに相手を考えていない無慈悲な一言だったが、免疫はここまで低くなかったような……。


 十秒ほど経ちミシュに余裕が戻った頃、ある限り自然にソフィアが話を戻す。


「……お笑いの指南はそこまでにして、海女、じゃなくてアマはいつ来るの? 市郎くん」

「シンミンの話を聞いてから国を出る筈だから、えーと、どれくらいだろうな。――三時間はかかるんじゃないか? 歩きで王国までいくらなのかは分からないけど」

「単純距離で考えて、四時間は必要じゃないですかね」

「あー、それなら五時間?」

「話を聞く辺りは妥当でしょうね」

「なら、私はアナザーのメンテナンスをしておきます」

「了解」


 アナザーは息切れるまで走れば丁度の位置にある。ミシュは風で靡く葉を携える木々に挟まれた草原を踏み抜き、あれこれと思索しながら歩いていった。


「ソフィア」


 声が届かない距離まで離れたと判断し、頭の中、正確にはアナザーからミシュを経由して繋がっているAIに語りかける。経由しているからといってミシュに会話が丸聞こえにはならない。

 

「どうしたの?」

「ミシュ、変じゃないか?」


 ソフィアも同じ疑問を抱いていたようで、反論されることもなくすんなりと話し合いが始まった。

 

「……変というより、前のミシュに戻ってきているイメージが強いわね」

「前ってのは、NW(ノーマルワールド)に来る前か」

「ええ。見た目相応の少女に」

「……NWでの三年間では見たこと無かったな」

「あなたのことを信用するようになったのかしら」

「あまりにも突然すぎないか。昨日は違ったろ」

「アナザーがあるとはいえ、磐石に体勢を備えているNWから離れているのよ? 数少ない頼り先にもたれ掛かりたくもなると思うわ」


 ……違和感が多い。今回の件だけじゃない。俺の人生が想像し得ない道を辿った二年間。話題に上げてはいたが、あまり()()()()()()のだ。いつか、夢見心地だったと形容した記憶があるが、そう表現した理由もこれにある。合点がいかない。不思議なのだ。


「……なあ」

「?」

「相手を傀儡、ほぼ無意識のマリオネットとして従える技術とかって知ってるか?」

「傀儡化……いえ、聞いたことはないわね。魔術ならまだしも」

死霊術(ネクロマンス)とかか?」

「NWの、更には私なんて概念すら無いであろう大昔の伝記の記述だけどね」

「……じゃあ、ミシュが人を傀儡化するテックを保持している訳ではないのか」

「ミシュが?」


 話の流れとしては唐突だったので、ほんのり感じていた違和感をソフィアに打ち明ける。ついでに何か心当たりがあるか探ってみたが。


「いいえ。あなたが協力してくれている経緯はミシュから聞いていたけれど、遠隔作動式の毒を使ったことぐらいしか知らないわ」

「……そうか」


 手応えはなかった。

  

「そもそもの話、FW(フューチャーワールド)だと科学技術基本法第二章第十四条より、人間の精神、つまり脳に干渉する技術の開発は法的に認められていないのよ」


 流石未来。モラルの部分も完全に飲み込んであるらしい。と、真っ先に感心してしまったが、直ぐに喉に小骨がつっかかった気分になった。


「ん? おかしいだろ、それ。たった今の状況に矛盾するじゃないか」


 ソフィアは生まれた齟齬に覚えがないようなので、俺は目の前に浮かぶ、白髪で包まれ凹凸に溢れた肢体を遠慮せず眺める。


 非難を多少含んだ光が突き刺さっているが気にかけない。第一、やましい意味などこの行為には存在しない。


「分かった。分かったから、そういう見回し方はやめた方が良いわよ? 軽蔑しちゃう」

「別に()()()つもりはないから安心してくれ」

「なくても待ったなしよ?」

「前提から言えば、俺はソフィアの体なんて見てすらいないけどな」 

「……市郎くんが申したいのは私のイメージのことね」

「YES」


 俺はピラニアかワニのように食い付く。


「ソフィアの人間としての身体は脳にイメージとして送られているだけの情報、だったよな」

「追加するなら、声もデータの一部よ」

「尚更、その科学技術基本法に引っ掛かる内容になる」

「……どうしてかしら」

「有り得るのは二つ。一つは法文を覚え間違えていること」

「AIは記憶領域が満タンにならないと情報を捨てられない。整理はしても間違える筋は無いわ」

「だったら、()()が法の下に居ない物体であること」

「……可能性はあるわね」


 ()()が示すのは俺の左手に巻かれている時計型デバイス、WITH。ソフィアとの会話もWITH抜きでは成り立たない。


 高速道路よりも曲がり角を排除した目で、小さな疑惑に眉をしかめる。彼女が口を開くのはたいして遅くなかった。


「WITHはミシュが父親に買ってもらったと言っていたわ」

「言っていた? ……ああ、WITHが起動される前の事は知らないのか」

「YES。私は初回ダウンロードより前の出来事は口伝か本でしか知らないの」


 また引っ掛かる。


「……本? インターネットじゃなくて?」


 俺の常識におけるAIの大元はインターネットに蔓延る膨大な量のデータだ。正誤はともかく、それを処理できる演算能力と情報通信網上に存在する性質から、人工でありながら人を越える思考体になると考える学者も少なくない。だが、FWのAIは事情が違うようだ。


「インターネットはNWに来て初めて触れた世界よ。私の情報源は電子化された本かミシュ達に教わったことだけ」

「待ってくれ、ならソフィアが持つ情報が正しいとは限らないんじゃないか?」

「いいえ、一個の情報にしても複数の参考をとっているから大丈夫だと思う。ありえるなら本全てを偽情報に置き換えることだけど、フミヤさんがそうするとは思えない」

「フミヤ?」

「あれ、話してなかったかしら。ミシュの父親の渾名(あだな)よ。本名はソア・ミシュール」

「フミヤって渾名らしくないな。本名とも関係なさそうだけど」

「偽名にも近いって言ってたわね」


 父親。父。お父さん。ミシュと初めて邂逅(かいこう)した時も聞いた名詞。二人にとっては相当懇意な間柄らしい。家族だから仲が良いとならなくなってきた現代では珍しい形だ。


 一度聞いたミシュの育った環境を考えると一般の善良な親には思えなかったが、当人からの視点ではまた変わるらしい。


 表向き納得するような仮面を被りながらもう少し話を続ける。


「ソフィアの信用にかけてフミヤが仕組んでいないとしても、WITHがここにあり、ソフィアの記憶と噛み合わないのは事実。不可解な所が多い今、もしかしたらソア・ミシュールに何かヒントがあるかもしれない。俺の夢の三年間にも」

 

 分からないことが増えていく。話を聞けば聞くほど、現状に説明が欲しくなる。まるで洗脳から解けたような、気にならなかった隅の汚れがやけに目に入ってきた時のような、疑問で溢れかえった状況に俺は居た。


 不思議でたまらないのは、ミシュへの信用だけは絶対に失いたくないとあがいた自分の心が座っていたことだ。


 とにかく、ソフィアの話を聞こうとした。その時。


「おい」


 人の声。ミシュのいる方向ではない。声質は硬く、教会に置いていった元気溌剌(はつらつ)な女性の声ではない。落ち着き払ったつもりで、強い感情を抑え込んでいる若い男性の声だった。


 顔を上げる動作の手順はさして多くない。男の姿を捉えるのに時間は要さなかった。


 第一印象は思ったより大きい。大人の余裕を含んでいる風に調子を合わせたイメージが引っ付いていた俺は一種の子供らしさがある外見だと思っていたが、簡単に見上げられる程には大きかった。立てば俺と同じか上だろう。


 そして表情には、隠そうとしている感情の断片が端々から漏れていた。閉じている唇は異様に直線を描き、がっちりと噛み締めていることが読み取れる。熱のこもった瞳が眉間によった(しわ)をまた強くする。


 ターバンを巻き、土汚れにまみれた服は彼の歴史代弁していた。


「あんたらも(うわさ)を聞いて来たのか?」


 右手に持ったいかにもな杖をぶっきらぼうに掴みながら尋ねてくる。


「噂?」

 

 反射で口から出た質問は、初めて聞いたと答えるのと同義であることに後から気付いた。


「だろうな。俺より先に国を出た奴は居なかった」

「お、オッケーオッケー」


 地に付けていた尻を浮かせ、友好的に両手を晒す。

 

「先ずはどういう了見か話を聞こうか。噂ってのが何なのか」「市郎くん! 無闇に近づかないで!」


 首筋に風を感じる。俺が防御する間もなく――出来た所で止めるのは無理であろう杖先を向けられた。視線は知らぬうちに鉄も溶かせる熱線へと変貌していた。熱線はアナザーにも向けられている。


「……お前らが、巨人の(しもべ)か?」


 ここまでの流れの理由をはっきり明かしてくれたその言葉は、あまりにも()()()()()、ターバンを巻いた魔法使いという特徴も相まって彼の立ち姿は勇者の姿にしか思えなかった。


 しょうもない答え合わせと共に、自分が勇者に討伐されるモンスター側に居ることにも知覚した俺は、今の状況の緊急性に内心焦っていた。


「……何も喋れない訳じゃないだろ。弁解もどきを吐き捨てようとしていた筈だ」

「弁解なんかじゃ……」「質問に答えろ」


 咄嗟に反論してしまった。かといって、渋くなる顔を眺めているだけでは最悪首から上が魔法で消し飛ばされる可能性もある。先ずは否定から入るべきか。


「落ち着いて」

 

 ……危ない。ソフィアの声で頭の中に落ちそうだった意識が帰ってくる。

 

「ミシュに今伝えたわ」

「私が来るまではお得意の話術でどうにかしてください!」


 ミシュはアナザーでの介入よりも直接止めた方が適性だと判断したらしい。


 アナザーは強力な兵器としての実力――単純な巨体とオーバーテクノロジーを持つが、巨人だと思われているかいないか関係無く、あれが迫ってきては警戒されてしまう。


 しかし、カイヤ・ミシュールは見た目は子供、頭脳と身体能力は大人(以上)のいんちきな存在だ。相対するまでは油断を誘えるから情報戦で有利に立てる。

 

 どっちにしろ、脳内通信で現実より少し先に届いた助け船は目の前の事を冷静に対処するきっかけをくれた。


「……俺達は巨人の僕じゃない」「じゃあ何だって……」「話を聞け」


 瞳孔が縮み、虚を突かれたような表情が、また切り替わるより速く次の手を打つ。もちろん考えながら。


「お前は噂を聞いてここに来たんだよな? よく思い返せ。どんな噂だった」

「……」


 まるで元から造られて、人の手が入るよりも前から設置されていたと言われても違和感がない程動かない男の奥に、おそらく思慮が溢れている。

 

 確証はない。事実に繋がる根拠は今までに一度もない。だが今、揺らさなければ大きな隙は望めないだろう。隙を作らなければ状況は暗転しない。ミシュが近づいていることには直ぐに気が付く位置に居る彼なら狙いを変えるのは簡単だったからだ。


 完全な推測。ミスれば相手の激情を誘い無事では済まない。一か八かの命懸け(オールベット)で、俺は賽を投げる。


「……本当に巨人が現れたのはここなのか」

「……何だと?」

「あんたが聞いた噂、もしかしなくてもセイクレート王国で広まったものだろ。巨人は森の中で目撃されたのか? 違う。王国内の筈だ」


 アナザーがはっきりと見られたのは昼より前。噂が他の国に届いている可能性は低いし、距離を考えれば彼が聞いたのは話の種になるぐらいの時だろう。


 噂話は盛られてなんぼだが、前提が正しければ彼が聞いたのはオリジナルに近い。森から来たなんて情報はない。有り得るのは……。


「あんたは、巨人に関する迷信の通り、ここに居ると思ったんだ」

「……」


 固まっていた片眉が下がり、鋭いものがまた変わる。怪訝の色だ。目の前の俺が何を言っているのか分からない、と顔に書いてあった。

 

 反応を見るに、この推理は当たっていない。だが、当たらなくても良い。ミシュとの距離は順調に縮んでいる。もう少し気を逸らせれば援護が間に合う。


 と、呑気に考えていた自分があっさりと馬鹿だったことに気付かされることになる。


 青い髪がちらりと見える男の、杖を握っていた手には血管が浮かび上がり、唇が、目が、眉が、何もかもが憤怒に汚れて酷く歪んでいた。殺気立つ気配が、逆巻く空気の渦が、端的に俺へと叫んでいた。「死ね」と。

 

「……巨人伝説は本当だ! 七年前を忘れる奴は居ない。当たり前だろうが!」


 ……()()()? 巨人伝説とやらに関係があるのか? ……違う。今はそれどころではない。

 

 こんな状況でさえ疑問しか浮かばない、いやむしろ、こんな状況だから疑問しか湧いて出てこない俺の脳に辟易し、一つ山場を越えたような気分になる。


 どうということはない。目の前のことを放棄する選択をしたのだ。生きるための矜持を粉々に砕いたのだ。


 もしかしたら俺を致死へと至らせる攻撃に時間がかかり、ミシュが間に合うかもしれない。もしかしたら、意表を突いて彼と距離をとれるかもしれない。


 だが、感じ取ってしまったオーラに当てられた背筋は冷えて固まり、サーッと血が引いていく感覚は嫌にべったりと張り付いている。


 恐怖が心を支配していた。


 俺は一体どれだけ情けない姿を晒していただろうか。想像は出来るが、考えたくもない。


 立っているのがやっとで、生きることにエネルギーを使わなくなったからか、俺にははっきりと知覚できた。表現なんかではなく、物理的に空気が変わったことに。


 ソフィアの話から推定すれば魔素を集めているとは考えられる。残り時間が少ないことがありありと分かる。まあ、諦めてしまった人間には関係のないことだが。


 ……俺は目を瞑ることにした。――自主的にやったように言っても、実際は、ボールが前から飛んできた時の様に、曲がり角で他人とブッキングしてしまった時の様に。

 本能が勝手にしてしまっただけの話であった。


「いちろぉ!」


 久しぶりに、ミシュの叫ぶ声を聞いた気がする。






 ……突風が吹いた。本能はつい目を開いた。

  

「命を司る神よあの馬鹿の身を案じ黒金(くろがね)の如き肉体を与えたまえ『鋼鉄(セツーレ)』ぇ!」

「ぶべらっ!」


 男が横に吹き飛ぶ。お笑いと間違われても仕方がない情けない声が聞こえたような、それか腰が四十五度近く曲がったように見えたが、はっきりとは認識できなかった。速すぎて、綺麗には見届けられなかったのだ。


 似たような出来事を俺は体で覚えている。人を吹き飛ばす膂力(りょりょく)、移動したことに気付けない程の速度。


「市郎! 大丈夫ですか!?」


 魂が抜けたようにへたり込む俺を見て心配してくれているらしい。彼女に無事の意を伝えようとしたが、自分が思っているよりも硬直していたことで体内から空気を上手く吐き出せていなかった。軽い過呼吸で返事してしまっていた。少しすれば直ぐに落ち着く筈。

 

 ――いやしかし、こんな芸当が出来る人物は思い当たる内ではあいつ一人だ。男が消えていった方向へ目を向けると、想像していた人物が男を馬乗りになる形で組み伏せていた。


「いってえ……。姉さん! 一体何のまねを……」

「それはこっちのセリフよ! 宿に帰ったら居なくて、主人に話を聞いたら『巨人が出たって部分だけ聞いて飛び出した』って聞いた時どんだけ驚いたと思ってんの!」

「巨人なんて聞いたら留まっていられないだろ!」

「ちゃんと話を聞きなさい! あんたが寝てる間に王国に飛んできたのよ!」

「飛んできたってことは何処かから来たってことになる! だから俺は……」「王国に現れたのは巨人じゃないの! 確かに巨躯で人の形を保っていたけれど、あんたが言ってる巨人は目撃すらされてない!」


 気圧差で飛び出した魚の目と比べても遜色のない驚き具合に、やはりこいつはギャグの世界の住人なんじゃないかと疑ってしまう。

 

「で、でも、実際居たじゃないか!」


 若干押され気味な男がアナザーを指して必死に抗議をする。口答えしながらも気持ち腰が低い言い争いは、二人をあたかも姉弟(きょうだい)のように幻視させた。

 

「……はあ」


 心底呆れていることをよく表している溜息の後、疲れが隠しきれていない声色で。


「あれ、巨人じゃないよ」

「…………へ?」






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