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株式会社IT  作者: おじぎ猫
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第二話 沿岸の国にて③

 一個目の穴でもあった梯子をキスリさん、僕の順で降り、覗くだけでは見えなかったものが見えるようになる。


 まず、キスリさんが言っていたような広い空間があった。座り心地の良さそうなふわふわの布――汚れ具合から拾い物だろう――が一面に敷かれ、小さい箱がいくつか椅子代わりになっていた。


 一番奥の左側には枝木が積まれていて、布が退かされた右端にはそれらを用いた篝火があった。


 彼らは篝火の周りに集まっていた。


 背丈はまばらだが、成人に見える顔は見えなかった。長命種の特徴は持っておらず、正真正銘、この子らが話に聞いていた捨て子ということになる。


 服装は大体汚れているが、綺麗なものを着ている子供も居た。


「あの綺麗な服は勝負着よ。捨て子だと悟られない為のね」


 分かりやすい視線を送ってしまっていたようで、キスリさんが補足をしてくれる。


 梯子を下る音が聞こえたのだろう。子供達は一人残さず奇異の目を向けてきていた。だが、キスリさんにも気が付いたようで奇異の代わりに歓喜の輝きが宿る。


「……キスリお姉ちゃんだ!」「ほんとだ、キスリお姉ちゃんだ!」「姉ちゃん!」「この間来たばっかりなのに……嬉しいな」「姉さん」「お姉ちゃーん!」


 群体が押し寄せ、キスリさんを囲む。彼女は出来る限りに胸を広げた。


「ふふ、落ち着きなって……。ほら、私は一人しか居ないよ」


 特に小さい子達が我先にと抱きつこうとし、年長者組はこの風景を見て喜びの表情を浮かべていた。

 

「どうしたんですか、キスリ姉さん。短期間で二回も来るなんて……って、十中八九後ろの方のことですよね」


 物理的に頭が一つ抜けた男の子が話し掛けてくる。頭抜けているといっても、子供達のほとんどが腰より低いため精々青年と呼べるくらいの成長度だ。他の何人かも僕を注視している。


「イヌク、紹介するわ。この人は……」「待ってください。当てます」


 腕を組み、体をくねらせながらよーく考えている。そしてはっ、と閃いたような顔をして僕を指差す。


「ずばり、彼氏ですね?」

「馬鹿ね」「あいたっ」


 キスリさんはため息を溢しながらデコピンをかます。僕の方は少し動揺して吹いてしまった。


「違うのかあ」

「まあ、異性連れてきたら確かにそう思われても仕方ないけどね」

「……ごめんね、紛らわしくって」

「あなたは謝んなくていいの。この子が勝手に勘違いしただけだし」


 こういうからかいは慣れているのか、キスリさんが揺れる様子はなかった。

 

「えー、……お兄さん、本当に違うんですか」

「うん、違う。僕はなんというか……一緒に遊びに来た知り合いって感じだよ」

「遊びに来た?」


 キスリさんに周りに居た子供達の何人かがこちらを向いた。


「お兄さんも遊んでくれるの?」「ねえねえ、お姉ちゃんのカレシさんも遊んでくれるって」「ほんと!?」

「ちょっ、僕はキスリさんとそういう関係じゃ……わわっ」


 子供達の集団が一気に囲い込む。一人一人が同じような質問をぶつけながら手を伸ばしてくる。子供をあやすのが得意じゃない僕としては危機的な状況だ。


「ほら、イヌクが変なこと言うから彼が大変なことになってるじゃない」

「だって、二人の姿がお似合いだったんですもん」

「談笑してないで助けてくれませんか!?」


 この間も足元から「どのくらい仲良い?」、「どこで出会ったんですか?」、「やることやったの?」とあちらこちらから疑問が飛んでくる。――なんか一人ませてる奴いるな。


「ねーねー、どうなの?」

「えーと。あのね、遊びに来たのは間違ってないんだけど、その、キスリさんと恋人関係って訳じゃないんだ」

「ほんとー?」

「正真正銘、掛け値なしに、うそ偽りもなく本当だよ」

「そう言ってー、嘘ついてるんじゃない?」

「――いや、嘘なんて全くついてないさ。付き合ってます、って大きな声で言えない奴に彼氏を名乗る資格は無いだろ」

「おおー」「それっぽい」「イケメンだー」


 子供達から感嘆の音が漏れる。大人に言ってもこうは褒めてくれないだろう。


「お兄さん、かっこいいっすね!」

「……あれ? でも、お兄ちゃんが言えないのは、お兄ちゃんが彼氏じゃなくなっちゃうってこと?」


 子供達から残念そうな声が発される。自分から突き付ける予定だったが、察しがいいな。


「分かった? 僕は別にキスリさんと愛を誓い合った仲では」「待って! 彼氏じゃなくなるって話なら、元々彼氏の位置に立ってないとおかしい!」


 名探偵ばりの決めた顔でショートカットの少女が指を指す。周りの反応はというと。


「つまり……元カレ元カノの関係か」「ドラマチックだー」「ドラマチックってより、ドロドロマチックじゃない?」「ドロドロマチックだー」


 勝手に僕とキスリさんの関係が昼ドラの愛憎劇の如く歪曲されている。

 ……昼ドラって何だ。強そう。

 

「ち、違う。まず、じゃなくなるって前提がおかしいんだそれは。資格が無いってことは、彼氏になるという行動すらありえない。もっと前から事実を眺めてみれば分かると思うんだ」

「じゃあ、二人はいつ付き合ったんだろう……」

「だから、付き合ってないんだって」

「嘘だ」「嘘だね」「嘘だー」「……嘘だよね」

 

 …………。

 さっきよりも全力のSOSをキスリさんに送る。『もうどうしようもないです、助けてください』と。

 

「ふふふ。……みんな、その人、ニト君は私の彼氏や元彼じゃないわよー。だって、もう彼女いるもの」

「……へ」

「なんだ、お姉ちゃんじゃないのかあ」「じゃあお姉ちゃん以外の人ってどんな人ー?」「気になるー」

「まさか彼女が居たなんて……。ニトさん、申し訳ないことを言ってしまいました」

「ちょっとお! キスリさん、火に油注がないでくれます!?」


 意地悪が趣味じゃないって嘘だろ。僕を子供達の生き餌にしやがった。僕SOS送ったよな?


「えー? でも本当のことでしょ?」

「いやいや、居るっていうか、大切な人なんて……」「こうやって謙虚ぶるけど、いたく彼女にぞっこんなのよ? 昨日、私の前でもいちゃいちゃしてたしね」

「……お兄さん、すごいっすね」

「すごいすごーい!」「……すごいね、お兄さん」「やってるんじゃん、すげー」


 場の空気が斜め横の方向に上がっていく。すっかり大注目されていた。


「キスリさん! 僕で遊ぶのやめくれませんか!?」

「私は事実しか言っていないわよ?」 

「別世界の僕の話してるんじゃ……あれ」


 僕の周りには相変わらず子供達が群がっているが、キスリさんの周りに何人かまだ残っていた。


「君は……」


 特にしっかりとキスリさんに抱きついたままの子が一人。見覚えのある顔だ。


「……」


 伏し目がちで僕の顔を見ようとしないのが大きな証拠。この子で間違いない。

 僕はゆっくりと子供達の間を抜けていく。


「……えっと、フォアと何処かで?」

「長い付き合いじゃないよ。今日出会ったんだ」


 勝負着とキスリさんが呼んでいた綺麗な衣服を着ているのが彼、フォアを含めて何人かしかいないのは、在庫が余っていないことと、服を着た者の役割を含め考えると、交代制や世襲制なのかは知らないが、少なくとも今日の行為は彼らだろう。


 それ故今日、というワードで不安を煽ってしまったらしい。イヌクと呼ばれた青年や周りの子達が心配そうな顔を浮かべる。


「あー、また違う勘違いをさせてしまっている気がするな。僕は怒りを燃やして足を運んで来た訳じゃないよ。ですよね、キスリさん」


 真っ直ぐキスリさんにアイコンタクトを送る。

 

「その通りよ。元々私が連れてこようと思ったのが始まりだからね」


 似た事を考えていたようで、アイコンタクトを送るまでもなくフォローを入れてくれた。


 彼らは法律上の罪を認識し、犯していると感じている。一瞬盗みをしていることを忘れてしまうぐらいには純粋なこの子らに、ストレスを与えるのは喜ばしくない。


 キスリさんの言葉もあってか、不安は見られなくなった。しかし、当事者は周りほど落ち着いてはいられないようだ。


 こうなるならやらなければよかったが、動いてしまったものは仕方がない。速度を落とさずにフォアへと近づく。キスリさんのスリットスカートに皺が増える。


 工夫せずに手が届く距離になったので、頭の高さをフォアと並べた。

 

「……」


 眼前の命がふるふると小さく揺れている。


「……あのさ、サンドはどうしたんだ?」

「……」


 僕の手で包み込めるほど小さく、一点に定められていない指先を、先程子供達が集まっていた篝火に向ける。


 ファーストコンタクトでは彼らに阻まれ上手く見えなかったが、側に膨らみを失った麻袋とソースで汚れた紙切れが落ちていた。


「みんなで食べたのか?」

「……はい」 


 正直であったがゆえか、恐怖に歪んだ顔を隠せていない。僕は心から、ありったけの優しさを込めた声で、言い聞かせるように発した。


「……良かった。美味しかったろ」


 少年は固まり、僕の言葉を反芻していた。一分も経たないうちに困惑した声を出す。


「……僕、お兄さんに悪いこと……」

「何言ってるんだ。君らが生きるためなら、一つも不満なんてないよ。むしろ嬉しいまである」


 これは本心だ。混じりけのない本心だ。

 

 フォアは目蓋を大きく開き、瞳孔を小さくする。そして、潤み始めた目のまま抱き付いてきた。僕は少年を更に上から包み込む。


 張りつめた緊張が解けたのだろう。僕の半分もない体は胸の中で小刻みに震えていた。


「ごめんな。怖かったよな」


 彼の視点から考えれば予測できる結果だったのに、浅はかな行動をしてしまったものだ。


 ううん、とフォアは細い首を振る。


「……お兄さんには、謝らないでほしい」


 濡れた目線から、幼い小躯の強い抱擁から、触れる体の暖かさから、指一本が丁度入りそうな口から(こぼ)れた言葉に髪の毛よりも細い嘘も含まれていないことが分かる。


「……そうだな。それじゃ、遊ぼう」


 僕は至近距離で花開いた笑顔に、どうしようもない嬉しさが抑えきれなかった。

 

「……ですね! 遊びましょう! 皆で!」


 唯一心配な顔が残っていた(僅かなものではあったが)イヌクが場の空気を盛り上げる。キスリさんは安堵に仕方がないといった感情が笑顔に乗っていた。

 

「何しよっか」「いつものお姉ちゃんのやつがいいー」「お兄さんに教えようよ」「さんせーい!」

「はいはい。すぐ用意するから待っててね」


 一部が跳び跳ねながら何で遊ぶか会議をする子供達に、持っていた小さな荷物から紙やら駒らしき石やらを取り出し並べ始めるキスリさん。


 当たり前に繰り広げられているのであろう光景は、ムニナで一番不幸であるはずの子供達が、視界を埋める下水道の隙間が、この世界の何よりも幸せに見えた。


 だが、これは僕の視点からという前提がついてくる評価で、全員の心を読んだ上の言葉ではない。ユンクォさんが居た方が正確な鑑定が出来ると思ったが、事実として居ない以上、無駄な思考だと悟った。


          ◆◆◆◆


 気がつけば、だいぶ長い間滞在していた。具体的にどれくらいかと言われれば分からないが、一、二時間くらいは居たと思う。いかんせん陽の入らない地下で過ごしていたから確認するタイミングを何度もスルーしていた。


「お兄ちゃんのターンだよ!」


 明朗快活で嘘のつけない少女、キャルが高らかに教えてくれる。


「おっけ」


 今僕が置かれた盤面を眺める。キスリさんが用意していたゲームは一つではなく、簡易的なマップと石を人らしく化粧した駒を使い、紙面上で冒険者として旅し、行く先々でハプニングに見舞われながらもゴールを目指す絵双六や、三すくみの手の相性で勝敗を決め、勝者が紙で作った扇子、敗者がある程度の強度を持った帽子で攻防をするハリセンじゃんけん等、大人子供関係なく楽しめるものが多くあった。


 僕がキャルと遊んでいたのはカードを使ったゲーム。他が手作り感満載の代物だった中、これは上質な固い紙に文字と絵が印刷されている。キャルが持った四枚の手札の裏面には『マジックハイド』とゲーム名が綴られていた。


「早くー!」

「ごめんごめん、考えてた」


 マジックハイドは鳥を六匹集めれば勝ちの戦略カードバトル。僕は適当に、地面へ左から『(ヒルコーア)』、『(ヘレーゼ)』、『(ビーナ)』が描かれたカードを三枚伏せる。


「よし、どうぞ」

「ふーむ……」


 彼女は手持ちのカードを眺めながら、眉間に皺を寄せて考える。


「じゃーあ、『(ヘロウメ)』!」


 彼女が高らかに掲げたそれには『伏せられたカードを一つ表にする』、『これをシークすると手札を一つ失う』の二つの文章が書かれている。


「『火』か。どれにするんだ?」

「うーんと、……これ!」


 選んだのは真ん中の『水』。書かれているのは『シークしたカードの効果を倍にする』と『これが表になっている時、必ずシークする』。僕は手を伸ばし、ひっくり返ったカードを手首と共に捻った。キャルは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。


「えー、『水』かぁ」

「残念」

「くそー」


 このゲームは他のものとは少し違う要素がある。ただ盤上で攻防戦を再現するものではなく、魔法を用いたプラクティカルなシステムだ。表になった印刷の下、薄くかけられた()()()が目を惹き付ける。


 体内に貯められた魔素を魔力として放出する際のエネルギー変換器として機能する魔方陣は、本人の適正のある型、己の魔力で形成したものでなければ効果的な威力は期待できない。


 記憶している限り四回目の帰宅の際、母に教えられたことだ。だが、この汎用魔方陣は別物らしい。


 少女は悔しさを滲ませながらカードに手を重ね、魔力を込める。すると、絵柄が青色に()()

  

 魔法をあまり習得していない僕は詳しくは分からないが、誰でも使える魔方陣というのは恐ろしい革命ではないだろうか。ムニナに集まった魔法技術の粋だ。


 シーク(魔法の発動)された『水』の代わりに手札に残していた『火』を含めて再び並べ直し、もう一度攻撃側が動く。


「しょうがないかあ。じゃあ、これ」

 

 次にティルが使ったのは『鳥』。効果は『鳥を表にする』と、『シークすると鳥を二羽獲得する。ただし表になっていれば鳥を一羽獲得する』。


 指示通りに左に伏せていた『鳥』を表にし、ティルはさっと手を被せる。カードが光ったかと思うと、手の甲に小鳥を模した光が灯った。ティルの小鳥は四羽目。次の攻撃で『鳥』を当てれば勝てる状況だが、ティルは好調という顔ではない。


「次は僕のターンだな」


 マジックハイドは二回攻撃で切り替え(スイッチ)、彼女の攻撃はお預けだ。加えて僕の鳥は五匹。『鳥』を持っているため結果は決まったような状況だが、この決着では僕もティルも面白くない。


「僕は『水』を使う」

「……んえ?」


 明らかに困惑した顔を隠せていない少女にひどく腹を痛められる。相手からすれば煽っている風に見えたらしく、結局不満げに頬を膨らませる。


「ただ勝つより、圧倒的な差をつけた方が楽しいだろ?」

「……そーゆーことね」


 へえ、とでも言いたげなしたり顔で見てくるので、僕も同じ心意気を見せる。一つの場に勝負師が二人と三枚のカード。たとえ自分よりも歳が幼い少女が相手だとしても、絶対に手を抜いてはいけない真剣勝負だ。


「いざ……」

「「勝負!」」

 

 前までの試合も含めたティルの初手の並びを思い返すと、大体が利き手の右手側に置かれていた。しかし、最近の合わせて六回の防御では慣れてきたのか適度に分散されている。その六回は確か、僕から見て左、真ん中、左、右、真ん中、左だ。


 法則性があるように思えるが、彼女は一定のパターンを意図的にするタイプではなく、感覚的な所が大きい。


 そもそもで言うなら、六回だけでは標本としては不十分だ。もし自分の分析に誤りがあって、目の前の少女が計算高い人間であり、僕に予測されづらい流れを構築していたとしても、与えられた情報だけでは見抜けない。


 頭をひねくり回してみたが、結論は何も変わらない。


 直感を信じろ!


「ティル、君が『鳥』を隠したのは……」

「……」

「……真ん中だ!」


 左手で真ん中のカードを叩きつけ、お腹の辺りに感じる魔力を血管に通し、カードに触れる左手からそれへと込める。


 しっかりと力を込めたカードは淡く光り、やがてその光彩は、……青を表した。


「よし!」

「……まだまだ」

 

 言わずもがな、僕がシークしたのは『水』。確率およそ三分の一を外してしまった。だが、チャンスはもう一回ある。


 ティルが並び直したカードを見ながら、手札の『風』を提示する。一度外したからか、背筋に走る緊張が否応なしに増す。


 つい飲み込んだ唾をのど越しで感じながら、視界のカードを逃さない。どれに隠されているのか。……いや、僕が選びたいのは、どれだ。


「……」


 首を振る必要のない程小さな領域を目まぐるしく走らせる。留まることを知らないプレッシャーから逃げるようにしながらふと、一枚に興味が寄る。


 理由などない。付けるならなんとなく。けれど、シークしていない筈のカードが輝いている様に思えたのだ。


「こ、れ、だあああああ! シーク!」


 魔力を流した右のカードは、何のことはない。前と変わらず淡く、そして、光っていただけの光は、()()染まる。


 ……い、いやまだだ。ティルの二回の攻撃を防ぎきれればまだ……。



 

「マジかよ!」

「やったー!」


 あっさりと当てられた『鳥』は名前のままの姿を灯し、彼女に鳥が六匹集まったことを表す。残念ながら負けてしまった。


「勝てると思ったんだけどなあ」

「えへへ。私の方が一枚上手だったね!」


 手札に残していた『鳥』をひらひらと振りながら笑顔を見せ、跳ねて抱き締めてくる。元気で楽しそうな笑みは僕にも移り、どうしても気分が良くなった。


「嬉しい?」

「ん? ああ、嬉しいよ」

「良かったー!」


 彼女はマーキングするみたいに僕の胸に頭を擦り付ける。それこそ気分が良くなっていた僕は、更に気が抜けて、質問をしてしまった。


「なあ」

「?」

「ずっと気になってたんだが、ここの皆ってハグが好きなのか? 遊んだ後とか必ずやってくるし、ほら、今も」


 目を丸くした少女は心配そうに答える。


「やっぱり嫌だった?」

「嫌ってことはないよ。むしろ嬉しい」

「じゃあ、やらなきゃね」


 ……やらなきゃ? 返答の表現に引っ掛かる所があった。まるで後ろにダメがつくような……。


「……どうしたの?」


 ……いや、いやいやいや。そんなことがあるのか?  だが、彼らの生き方を考えれば、合点が……くそ!


「お兄さん?」

 

 僕の考えが甘かった! 甘いと言うよりも、幸福だったと言うべきか? いや、僕には知ることが出来る機会が多かったと言うべきだ。


「お兄さん、お兄さん?」


 ふざけるな。キスリさんの『おぞましい景色』がこれなら、(もっと)もだとしか返せない。


「何か悪いことしちゃった? ねえ?」


 キスリさんは分かっていて……は無かったか。当たり前だ。二つの視点で見なければ気付きづらい。……はあ、何をしてるんだ。どうしてキスリさんに疑惑を持とうとする。今考えるべきは捨て子達の根底にある()()をどうにかして覆す方法を……。


「ねえ!」

「っ!」


 抱き締めている少女から心配の叫びと、涙が溢れている姿が今更頭に詰め込まれる。力も心なしか強い。


「大丈夫ですか?」


 イヌクが声をかけてくれた。他の子も眉をハの字に傾けている。


「ああ、大丈夫。……僕はけっこうひどい顔をしてたか」

「ティルがそうするくらいには」


 言葉を返すのに少し間が出来る。

 

「はは、ごめんな。我ながら結構な負けず嫌いでさ。……ティル、僕は悔しかっただけだ」

「……そうなの?」

「心配かけちゃったな」

「……良かった」 

「遊びになると大人げないのね、ニト君は」


 知らぬ間に近づいていたキスリさんが一言漏らす。


「意外ですかね。遊ぶ時は童心を忘れないでいたいんですよ」

「だからって負けてじゃれるのは子供よりもちびっ子じゃないかしら」

「……恥ずかしい限りで」

「お兄さん、説教されてる?」

「……ふふ」


 誰かが放った一言で、別の誰かが笑う。誰か笑ったと思うと、また別の誰かに伝播する。ぽつぽつと笑い声が増え、やがて全体が仄かな笑いに包まれた。


 ……鎮火にはほどほどにかかった。ようやっと静まってきた頃。


「あー。ティル、もう一度やりたいんだが、いいか?」

「うん、いいよ!」


 私もやりたい! と前向きに傾いた上半身を支えながら答えてくれる。ほぐれた空気に安堵を覚えながら僕はカードを並べ直した。




 あれからもう少し遊んだ後、子供達と一度別れることにした。今日のうちに二回も彼らの顔を曇らせてしまったが、楽しかったという部分の方が大きくあったようで、別れを惜しんでくれた。


「また来てくれませんか!? まだ借りを返せてません!」

「もちろん。必ず帰ってくるよ」


 イヌクとはどのゲームでもいい勝負をした(細かくは覚えていないが、勝敗でいえば半々ぐらい)。


「皆も、またな」

「またね」

「ばいばーい!」「また遊ぼ!」「……今度はもっと遊びたい」「二人とも元気でね!」

「また会いましょう! お二人とも!」


 軽くやりとりが行われて、僕とキスリさんは地上へと上がった。


「ありがとうございます」

「随分と唐突ね」

「子供達に会わせてくれたお礼です。最近はあんな経験していなかったので楽しませてもらいました」

「それはこっちもよ。あの子達は本当にいい経験をしたと思うわ」

「……」

「? どうしたのかしら?」

「……彼らのことについて、少し気になることがあったんです」


 キスリさんは納得した様子を見せた。

 

「なら、歩きながらにしましょ」

「分かりました」


 ここまでの道程と変わらず、キスリさんの後ろについていく形で帰りの道を隙間を縫うように進み始めた。


「……キスリさんの言っていたことは本当でした」

「おぞましい景色、と言ったかしらね」

「はい」


 この世界に生きる同じ人間の筈なのに、何処か違う。が、そうとはいえないぐらいの小さな違和感。確かな解は既に出ている。恐らくキスリさんの頭の中でも出来上がってきている筈だ。


「あの子達には何かしたら必ずハグをする癖がある。人の暖かさを味わいたいからだとか思っていたけれど、ニト君の善意を避けてるって話から別の可能性が出てきた」

「ヒントはティルがくれました。彼らの癖には必要性がある。条件が引っ掛かっている。その条件の話でいったら、キスリさんが考えていた理由も間違いじゃないと思います」

「……温もりが欲しいという共通認識があるから、でしょ」


 僕は同意する。

 

 「あの子達だけの狭い社会では共通認識が簡単に常識になる。常識は基準になるわ」

「例えば、――対価とか」

「……繋がってきたわ。必ずハグをする理由はつまるところ、お(れい)の報酬だから、よね?」

「僕も同じ考えです。しかし、問題はそこではない」

「ええ。何故必ずハグする理由になるか、の方が大事よ」


 キスリさんは当然のように僕の言葉の先を紡ぐ。

 

「皆、何かをされたら何かを返すのが当たり前になっているのでしょうね。まあ、この港国(くに)だからなのもあるでしょうけど」


 それもあるだろうが、思い浮かぶ理由がもう一つある。

 

 「無償の愛を受ける機会が無かった。ティルやフォア、イヌクも。全員がそうなのでしょう。だから、彼らの中には()()()()()()()()()()

「……パッと見じゃ気付けない。会話をしてても気付けない。それぐらいには表面上は普通なのよね」

「盗みをする生活で、表面を繕うのは自然にしてしまう体が出来たんだと思います」


 善意だけを知らない子供達はとても歪で、一種の恐ろしさを感じてしまう。


「……どうするべきでしょうか」

「どうするって……、あの子達を助けるってこと?」

「はい。お金の問題だけでなく、彼ら自身の問題が出てきてしまいましたから。どうすれば善意を教えられるのか、実際に教えて善意として扱えるのか分からないので保険として補う案が必要だと思います」


 キスリさんは困ったような、迷っているような曖昧な顔で噛み砕く。彼女自身に夢物語だと諭された考えを今更持ち掛けたのだ。納得はする。


「……難しい話ね。私が提案してどうにかなるような部分じゃないわ」


 その上で、彼女は否定せず乗ってくれた。道理よりも机上の空論を優先した。僕にとっては嬉しい心境の変化だが、現実を変えた訳じゃない。手詰まりなのは何も変わらなかった。


 思い付くことは出してみたが、やはり厳しいものが多い。一つ案が流れてきても、拾うデメリットがあったり、遠すぎて届かなかったり。


 このまま二人で話していても堂々巡りだ。全く別の刺激が、第三者の意見が欲しい。


 ……ふと、ある人物の顔が浮かぶ。


 もしかしたら、彼女なら思い付くかもしれない。僕よりもよく出来た人間で、真面目な彼女なら。

 

 あまりこういうことには巻き込みたくなかったが、ユンクォさんに聞くよりかは良い選択肢だと思う。お気に入り以外はぞんざいにしがちで有名(ユンクォさん本人談)なあの人にこの手の話題は向かない。やはり、知恵を借りてみるのが得策だ。

 

「……あいつに話してみようと思います」

「あいつ……昨日、ニト君といたキルニって子?」

「いえ、金髪ではありますけど別の人ですよ」

「……金髪が好みなのかしら」

「選り好んではいませんよ。偶然です」


 からかいまではいかない、単純な疑問らしきものをぶつけられた。意識から抜けていた項目なのでそっけなく返す。


「まあ、本当に金髪好きだったら私とは関わろうとはしないでしょうしね」

「タイプかどうかで関係を全て管理しているとしたら、自己中心的にも程がありませんか」

「……大物商人の息子だと実際居たりするから覚えておくといいわよ」


 目をそらしながら話す姿は、内容が実体験からのものだと主張していたので肝に銘じておくことにした。


 直後、僕は目をしばたたかせる。真上からの日光が強制的にさせてきたのだ。五秒あるかぐらいで復帰した視界には、迷い込む前の大道が広がっていた。

 

「脱線してしまったけど、戻ってきたみたいね。それで? (くだん)の人は誰なのかしら」

「――クアリ。村で一番の真面目で、今は一緒に冒険している僕の一個上の幼馴染です」


 そう答えた時。


「やーっと見つけた! 何してんの!」


 横から耳をつんざく大音声が響く。


「朝ごはん買いに行ったかと思ったのに、もう昼だよ! もうお腹ぺっこぺこ!」

「い、いやいや! 自分で勝手に食べろよ!」

「待ってたの! 別の用事かもって一応朝食も買って! いつもの置き手紙無いし!」


 ……。

 そういえば、朝ごはんを買いに行くだけのつもりだったから忘れていた。

 怒り心頭の顔を寄せて詰められ、たじろいでしまう。


「ほら、ほっつき歩いてないで宿に戻るよ!」

「ちょ、ちょっと待って! こうなったのは深い事情があって……」


 キスリさんが止めに入ったことにより女遊びをしてたのかとあらぬ勘違いをされ、結果、クアリにことの顛末を語るのは少し先になるのだった。






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