終えて、始める。
「……食料は持ったか?」
「……はい」
「……タブレットは?」
「……はい。持ちました」
「……じゃあ、着替えは?」 「持ちましたよ」
「……それならぬいぐるみは?」「もう良いですよ」
目の前の機体、AWNSF-anoth3r:3996に乗り込み、起動プロセスを開始する。彼女は一度深呼吸をする。
「……じゃあ、いってきます」
「ちゃんと帰ってくるんだぞ」
その機影は、人形は、空中に浮かんだ一つの大きな穴へと消えた。
◆◆◆◆
「……それじゃ、カンパーイ!」
各々麦茶やコーラ、りんごジュースが入ったコップをぶつける。皆とても嬉しそうで、爽やかな笑顔をしていた。
「いやー、なんだかんだ楽しかったな!」
「わかるわかる!むっちゃ良かった!」
この三年間に満足しているヤツや。
「でもさ、結構めんどくさかったよね」
「俺はあそこに行かなくて良いって思うと最高だけどな」
この三年間に愚痴るヤツもいる。でも、それで良いと思う。
「まあまあ、良いんじゃない?今日は卒業記念ってことで、遊びまくろうよ」
俺たち、38名は今日、高校生という肩書きから卒業した。辛くても、挫けそうでも諦めず走りきった高校生活を終えたのだ。
それでクラスで打ち上げをやろうということになった。場所は高校の近くのファミリーレストラン、複数のテーブルを大体五、六人で座る形でほぼ貸切状態にしている。
「なあ、浅間。お前はどうだったよ、高校生活」
「僕は結構楽しかったと思うよ」
「お前に聞いとらんわ、イゴ」
俺のテーブルにはある程度話の合う友達同士で構成されており、俺としては少々気が楽だと思う。
「あー、そうだな。俺はなんやかんやで良い学校生活になったと思う」
「そりゃ良かったな!」
「なんで他人事?」
「あれ? なんでだろうな」
ハッハッハと豪快に笑い飛ばすのはいつもと変わらない。
「そうだそうだ、飯屋なんだから飯を食べなきゃな!」
テーブルに並べられた料理のうち、オーブンでこんがり焼かれたチキンを手に取り、一口。
「うんま! みんなも食べてみろよ」
促され、俺たちも口に入れると、きつね色に焼かれたパリパリの皮とガツンと来る肉感、ジューシーな肉汁がチキンとして模範解答と言いたいクオリティだった。
「旨いな。ファミレスってこんなに美味しかったか?」
「企業努力って奴でしょ」
「なるほどな」
他にもピザやパスタ、ナゲットと運ばれてくる食事に手を伸ばしながら、他愛もない思い出話に花を咲かせた。
タケが体育祭で無双したときだとか、レンカが文化祭で名女優になったときだとか。
「お、そうだ。みんな大学とか行くんだっけ」
「僕は行きますよ。東京の方です」
「私も同じ所だよ」
「俺は実家の店継ぐんだよなー。えーっと、浅間は確か、工学系だよな。何処だっけ?」
「兵庫だ」
「工学って、本当にロボット大好きだね」
その言葉で俺のスイッチはカチッと音を鳴らした。
「そりゃそうだ。ロボットというもの以上に俺は素晴らしい物を知らない。工場で使われるロボットアームの幾何学的なフォルムを持ちながらスマートに見えるデザインやモーション。逆にペットタイプのロボットならば丸い曲線のシルエットにプログラミングされた相手に懐いているような動き、可愛いの権化と言って差し支えないな。更にアニメの範囲も言うならなんと言っても人形やそれに変形するロボット。作品によってデザイン、装備、設定様々だが変わらずそこには多くの夢」
「はいそこまで」「ぎっ!」
頭にチョップを食らい、大回転していた饒舌を歯でおもいっきり挟み込む。
「お前は変わらんよな。その勢いでとんでもない発明とかするんじゃねえの?」
「確かにね」
賛成するようにみんな笑い出す。語りを止められた悲しみはあるが、それよりも何か違う幸福感を感じた。
そこから暫く飲み食いした後、遊ぶ奴らはゲーセンとか色々寄ってくらしい。うちのグループは二人を除いて解散する予定だ。
「僕たちはちょっと遊んでいくよ」
「ばいばーい」
「じゃあな、二人とも! ゆっくりイチャイチャしとけよな!」
二人とも照れ臭そうに笑顔を見せ、返事をする。この初々しいカップルの噂は聞いたことはあったが、まさか本当だったとは。
「お幸せに」
「うん、ありがとう」
「じゃ、俺らは早いうちにずらかるぞ」
「ああ、バイバイ」
各々同意し、それぞれの帰路に着いた。俺だけ別方向なので少し歩いたところで知り合いは周りに居なくなった。
そのまま電車へ乗り込む。目の前で発車しそうだったので少し走った。車内は車掌のアナウンスが聞こえてくるぐらいで他の喋り声など耳に届くことはなかった。
自分の胸の中に一抹の悲しみを感じるが、それもまた終わるという行為の一場面なんだろうとでも思っておく。
彼らの前では良かったといったが、正直言うと、生活に関してはもっとやりたかったことはあった。
趣味のロボット作りや友達関係、恋愛なんかもしてみたかったが、生憎そういう機会は訪れやしなかった。
自分から行動とかしてみればまた変わっていただろうが、勉強を優先してしまっていた。
いつの間にか着いていた最寄り駅に降り、そのまま徒歩で家へと歩いていく。
――でも、それでも、良いと思ったからああ言ったのだろうか、と自分に問う。
勿論答えは帰ってこない。俺が分からないことを聞いても自分が分からないのではしょうがない。
ここはひとつ、ポジティブに考えてみよう。
俺が高校で過ごした三年間、それに比べたらこれから生きる時間は何十年とある可能性がある。
これから何度でもやれる時間はある。
そうだ、そうだよ。それでいいじゃないか。
ーーとりあえず、未来への希望を感じられた。ので、空を見上げてみる。
今日は雲が全く見えない。沈みゆく太陽、それに赤く染められた空が俺を覆っていた。
何回も見たことあるような風景だが、すごく綺麗に見える。無駄に言葉を足すよりそう表現する方が正しい。
俺は歩きながらたまに空を見上げた。この空をかっこいいロボットが飛んでたりしてたらな、そんな妄想をただただ思い浮かべる。
――あいつもそんなことを思うだろうか。
「……ん?」
空に少し変化が見える。暗くなってきたとか、雨が降りそうとかそういうのではない、何かだ。
なんというか、捻れているような、蜃気楼で歪んだような景色が、本当に空のごく一部だけにフィルターを掛けるようにそこにあった。
……本当に何だこれは?
新たな異常気象って奴か、それとも俺が見ている幻覚なのか。どっちにしたって全く知らない事象なのは確かだ。
取り敢えず、こういうのは写真に納めると後々良いことがある。
スマホをポケットから取り出し、ホーム画面から直接カメラを開き、それへと向ける。
その様子は画面越しでも変わらない。シャッターボタンを一回、ついでに後二回ほど押しておく。
フォルダから先程の三枚を開くと、全ての空は歪んでいた。そして、ある違和感を感じる。
一枚目、二枚目、三枚目と何周かしてみる。
「……やっぱり」
この歪み、どんどんねじれ具合が大きくなっていっている。
それが表すものは?
そう思っていたぐらいだった。
結論から言うと、あれは捻れていたらしい。
しかも空間が。布をつまんでひねったときのように、中心を軸にぐるぐる捻れている。
ぎちぎちと聞こえてきそうなまでになると、それは遂に限界を迎えた。
空が破けた。
高級チョコの包装を開けたように空いた穴からジェット機とか同じぐらいの速度で何かが飛び出す。
一瞬だったためはっきりとは見えなかったが、あれは、架空の話にしか登場しないような、俺の夢である人形の。
「ロボット……?」
衝撃で少し止まっていた脳が無意識の気付きを認識させる。
今のロボが飛んでいった方向は、俺が向かっていた目的地、家の方向だ。嫌な予感がしたため少し走って先へと急ぐ。
嫌な予感というのは、大抵叶って欲しくない未来が予測できた時に使う言葉だ。そして、こういう時程よく当たるものだ。
我が家である一軒家にぶっ刺さっている、ということは無かったが、思いっきり衝突事故を起こしているのは確かだった。
やはり見間違いではなかった超近未来的なロボットが、家に寄りかかるように倒れている。
大きさは全長4~5mといったところか。人間で言うところの頭部から胴体の辺りにコックピットがあり、誰かが乗っているのが見える。
動いている様子はない。あの位置ならば二階の窓から乗り移れそうだ。
俺は一度家に入り、いつもプラモデルの塗装作業のときに着けるゴム手袋を装着してから窓を開ける。予想通り、コックピットがちょうど真ん前に来た。先程の人物がよく見えるようになる。
「……思っていたよりも若いな」
熟練のおっさんパイロットでも乗ってるかと思ったが、それとは真逆の、小柄な少女が座っている。
顔立ちは整っている印象、そして、綺麗な翠色の髪の一部が赤く染められていた。
看護をするにしても先ずはここから出す必要がある。
適当に触れる範囲で何か出来そうなものを探す。
こういうのは大体外部に緊急時の強制解除レバーみたいなのが何処かにあると思うのだが、さっぱり見当たらない。
――そりゃアニメとは違うか。
と、すれば。
「ぶち破るしかないか」
一呼吸置き、拳をしっかりと固める。右半身を後ろに沈め、腕の角度を決める。そうやって溜めに溜めたストレートをガラスに打ち込んだ。
――まあ、よくよく考えると、この程度で割れたら墜落時点で割れてるか、と赤くなっているであろう右手を労りながら思う。
では、どうしようか。何か使えそうなのは、と少し部屋を漁ってみる。
「お」
あった。ワンチャンありそうなのが。
◆◆◆◆
――それから少しして。少女はぐらぐら揺れる視界と共に意識を取り戻す。迅速に現状を把握するため周囲の確認に努める。
すぐに寝かされていることには気付いた。そのまま目を凝らすとぼんやりと人が見える。
「……お父、さん?」
反射的にそう呟いた。何故かといわれても分からない。安心したかったのかもしれないし、怖かったのかもしれない。
「お、起きたか」
だけど、その声は父とは似ても似つかない別人だった。冷静に考えれば、彼に助けられたという状況に気付けたのだろう。
が、余裕のない今では防衛反応のきっかけにしかならなかった。
引きずり出して二十から三十分経ったくらいに、やっと少女が起きた。応急措置は間に合ったようでひと安心する。
目をぱちくりさせて、こちらを見てくる。
「……お父、さん?」
まだあまり視界が良くないらしい。
「お、起きたか」
「軽く手当てはしたから救急車が来るまではしてた方ぎゃっ!?」
意図せず口が閉じ舌を噛む。下から少女の足がそのまま顎を打ち抜く。
寝た姿勢からの一撃で入りが浅く済んだおかげか、意識は飛ばずに持ちこたえられた。
しかし、少女は立ち上がってこちらを親の仇かってくらいに睨んでくる。拳を握りしめて完全に戦闘態勢だ。
「ま、待て! 落ち着けええ!」
無駄のない動きでストレート。これを両手ガードで受けると、瞬く間に左フックが向かってくる。
「は、話を!」
これも、かろうじて間に合った右手で受ける。しかし、その右手を捕まれ、空いた右っ腹に二、三発打ちこまれ、その痛みに耐えれず少しよろけてしまう。
彼女はその隙を逃さず、回し蹴りを頭へと放つ。この時は幸運だった。
足が頭へと触れるが、ほぼ反射で下げた頭の方向が右前だったため衝撃をだいたいいなすことが出来た。
「ぐえ!」
が、回転の勢いそのままに繰り出された後ろ蹴りが腹部にクリティカルヒット。情けなく床にしゃがみ込むと、頭を踏まれる。
「抵抗しないでください!」
今のを喰らってまだ動けたら俺は自衛隊とか向いてたな、と思った。
「抵抗しないから話を聞いてくれ!」
「そういう人は怪しいです!」
「決めつけないで話を聞いてくれ! 痛だだだだ!」
強く頭を踏まれる。これはまずい。救急車で運ばれるのが俺になってしまう。
「俺は君の手当をした! 頭に包帯が巻いてあるだろ!?」
「だから話は聞かないと……、ん?」
ほぼ無意識だろう。彼女の手は頭を触れ、その包帯の存在を確認した。
「……本当だ」
「だから少し話させてくれ、頼む!いや、お願いします!」
もう子供でなくなった男が自分より小さい少女に頭を踏まれ、醜く懇願している様子という見るに堪えない光景だが、仕方がない。
「……」
少しして、頭に乗っかっていた重圧が減圧されていった。申し出は通ったらしい。
「一から説明してください」
正座になりながらこちらにそう命令する。促されたので正座をして。
今、起こったことをありのまま話した。
「……ということでありまして」
先程の出来事で恐怖を覚えたままの俺は馬鹿丁寧な丁寧語で話す。頭痛が痛くなりそうだ。
「成る程。では本当に悪党ではない、と」
「そうでございます。というか、悪党のパターンの方が珍しいでございます」
「そういうものですか。良く分かりました、感謝します。でもその口調畏まりすぎて気持ち悪いから止めてください」
「あ、はい」
いきなりの暴言に本来ならば叱っていたところであるが、相変わらずビビって強気にはなれない。
彼女の口から感謝の言葉など出ず、そのまま時が少し刻まれた後、思い出したように話した。
「あれ? そういえば、私をどうやってコックピットから出して……」
彼女がそこまで言った後、絶句といった表情になる。
視線の先にはコックピット、正確にはそこに空いた人が一人通れるくらいの穴が一つあった。
「さ、さっき超強化ガラスは割れなかったって……」
「ん? はい、その通りです。だから、えっと…………あった」
再び片付けておいたそれを少女に見せた。手で持てるサイズで、片方がすぼまった棒の先端に円状の刃がついている。
「それは!? ……それは?」
――知らないのか。
「ダイヤモンドカッターですよ。ワンチャンこれでいけるかもって思ったので」
「……ダイヤモンド!?」
さっきの二割増しで驚いた。さっきの倍速以上のスピードでこっちに寄り、俺からカッターを奪う。
人を殴ったり驚いたり節操のない子だ。
「話に聞いていたものとは違う……」
「話?」
「あ、えっと」
やっちゃった、とでも言うように口を押さえる。
「話って……、誰の?」
彼女は、ゴミを、いや、塵を見るような冷徹を極めた目で。
「……うるさい。貴方に言う筋合いはないです」
独裁の女王が下僕に自決を命じるときと同じ、冷めきった声で言われた。
「ごめんなさい」
やだこの子、マジ怖い。どこ触っても棘しか生えていないじゃないか。
…………しかし、この少女はダイヤモンドを見たことがないのか。テレビでわりと見掛けるものだと思うけど。
――と、ここで可笑しすぎて受け入れていた謎を思い出したので聞いてみた。
「そういえば、そもそも貴方は何処から?」
「言いません」
「いや、そこを何とか」
俺が言い終わるぐらいにまた凄く睨んできた。懇願作戦は通らないだろうな。
次、と諦めて別のコミュニケーションがないか考えていたくらいで。
「……ください」
そういってカッターを持つ手をこっちに向ける。
「……それを?」
こくんと頷く。――こくん、なんていう擬音が良く似合う頷きだ。
「それなら、さっきの質問に答えてもらえません?」
「……」
聞こえているはずだが、俺の目をじっくり見たまま動かない。――なんか、あれなので見つめ返してみる。
五秒で目を逸らされた。
顔が少し紅くなっていた。
「……もしかして恥ずかしかっ――ごめんなさい何でもないです」
無言でカッターを構えたので訂正しておく。
まだ少し紅い。
「……話します」
――お。
「話します。だから、貴方は二つ私の願いを聞いてください」
成る程。更に交渉材料を要求されるか。
まあ、これ以上駄々をこねると俺の命を引き換えにしてきそうなので、先ずは話を聞こう。
「願いって、例えば?」
「えーっと、……これです」
俺がコックピットから彼女の他に救出していた小さなバッグから、円形のシールを取り出す。ニコちゃんマークが描かれている。
「シール?」
「ええ。これを貼ってください」
想像していたほどきついものではなかった為(さっき言った通り、命を捨てろとか)、易々と首にそれをくっ付けた。
人体は多少凸凹があるが、空気が入ることもなく、ぴったりと肌に吸着した。何故か、少し痛い気もする。
「貼ったぞ。これは何なんだ」
「それは毒が塗ってあります。あ、勿論肌の上からでは効き目がないので針付きステッカーで代用してますよ」
淡々とそう説明した。
…………………………………………。
「うわああああ!?」
ゾンビになりたてが如く首を搔き毟る。
というか、早くしないとマジで死人になる。
焦っているからか、それともそういうものなのか、どちらにせよシールが外れる気配がない。
「大丈夫です! 毒とは言っても死にはしませんよ」
「マジですか!」
ジェットコースターに乗った気分だ。山を過ぎて安堵に包まれる。
「私が効能を起動しなければですが、ね」
いつの間にか持っていたあからさまなスイッチを見せて一言。奪い取るのは不可能だろう。
地表どころか地下に叩き落とされた。
「それじゃ、所謂生殺与奪の権利は?」
「勿論私の独占です」
「……マジか」
これじゃ交渉なんかではなく、一方的な脅迫じゃないか!
……と、心の中で叫びはしたが、もう自分自身は諦めたのか声には出なかった。むしろ、次を煽るつもりでいる。
「……それで、次は何を?」
「今考えてます」
彼女は彼女なりの事情があるのか直ぐに答えは出なかった。
……さて、この取引を成立させるべきなのか。いや、もう辞められないのは分かっている。でも、一応考えているのだ。
――正直、何をさせられるか分からない以上、これに乗るのは利を見れば得策でないのは理解している。
ただ、この状況が控えめにいって意味不明な状態だ。
なんかもうなんでもいいんじゃないか。
損得、危険性。そんなものより興味を優先させたくなった。
「決まったか?」
「……はい。そしたら――」「待て」
なんだよ、と言うようにこっちを向く。
「先に俺の質問に答えてくれ」
いつの間にか敬語を止めていたことに今更気づいたが、今はもう気にしたって意味がない。
「……私は」
渋々了承。そんな意が見て取れる。
「私は、サンランド地区から来ました」
「…………どこ?」
「――やっぱり」
俺の反応は予想通りだったらしい。生まれた疑問への答えは既に用意されていた。
「私は貴方とは違う世界から来た。そういうこと」
そういうこと、か。俺は妙に納得がいった。
今、俺の海馬に刻み込まれたばかりの記憶の不可解さを、不気味なくらいに解消してくれたからか。馬鹿みたいな言葉で。
「今は何年?」
意図は掴めた。
「西暦で二〇二三」
「西暦……、ええと、旧聖暦のことか。それは本当?」
ああ、と頷く。何かを思案しているようで顔が強ばる。
「……私の世界は、三九九六年」「はあ!?」
二十二世紀から来た、とならまだ冷静でいたかもしれないが、四十世紀からとなれば話は別。
今から千九百年程度先などという遠すぎる話、別と呼ぶには随分距離がある。
「つまるところ、タイムリーパーってことか?」
「短絡的すぎ。違います」
「悪かったな、短絡的で」
「さっきも言った通り、私は別の世界、次元から来た」
「西暦の差は、私の世界線が先に生まれ、約二千年後にこの世界線が生まれた可能性。それだけ。Are you OK?」
「OK……といきたいが、可能性? 確定じゃないのか」
「それは――」
急に呻き、頭に触れる。彼女が怪我していたのを、あんだけ元気に動いていたからとすっかり忘れていた。
介抱しようと近づく。
「悪い。無理させたな。少し休んで――」「願い」
被せられた言葉は直ぐに途切れる。意識も朦朧としているらしい。目を開いたり閉じたりしながら言葉を紡ぐ。
「……願いは」
二つ目が決まったらしい。別に起きてからでもいいが、かといって、今目の前の言葉を断ち切る必要はないと判断した。
「何だ、何をすればいい」
「……」
――ほんの一瞬だが、躊躇したように見えた。
「……き」
「き?」
「……起業してください」
「……は?」
それが願い? 起業? 俺が? さすがに突拍子も無さすぎる。
「待てそれは――」
詳細を聞こうとしたが、既に目蓋は落ちきっており、返事をする気配は無い。――ギリギリ意識がある形だったので、仕方はないが。
聞こえるのは外からのサイレンのみだ。
通りすぎる時特有の低くなっていく現象(確かドップラー効果といったな)も起こらず、近くに停まったのが分かる。
意味不明だった状態が更に不明瞭になる。何も分からぬまま、何も見えぬまま、俺はなんとなく、窓の外の星空を眺めた。
――と、これで回想は終わりだ。
◆◆◆◆
「……そんじゃ、乾杯!」
店のあちこちでグラスのぶつかる音がする。
中には黄金色のビールや透き通った日本酒を携えており、皆それをがぶがぶと呑み込んでいく。
あの時と同じ様な輝いた笑顔で。
「いや、まじで皆久しぶりだな!」
「前に」
「くぅ~、美味いな、これ!」
「飲み過ぎないでねタケ、まだまだあるんだから」
元クラスメイトの一人が店の制服を着て、料理を大量に並べる。
「おお、いいね!」
そういって、食指を伸ばしていく。相も変わらず食い意地を張っているのかこの男は。
「飲み過ぎるなっつったって、この面子で飲めるのなんざいつか分からないんだからしょうがないだろ」
そういって一本焼き串を頬張る。
「まあ、二年ぶりだからね」
「しょうがないない」
イゴとレンカ。この二人も変わらずに、熱々な関係を維持しているようだ。
「二年間ずっとそんな感じだったのか?」
「そりゃあ、勿論。ね?」
「うん、勿論」
ね~、と息ピッタリで会話している。
実は双子でしたなんてカミングアウトされても納得しかないだろうな。
「俺も彼女とか居たら良かったな」
話を合わせるつもりで呟くと、タケ達が目を丸くして、笑い始める。
「何言ってんだよ、浅間! お前がモテない訳ないだろ」
「そうだよ、社長さん」
「そうそう」
「いや、縁もゆかりもない」
「嘘だろ~? それ」
「18歳で起業、そこから僅か三ヶ月で疑似アンチグラビティ技術の開発に成功。空飛ぶ車や空中都市を実現出来るようにして、その後も疑似ワープ、AI拡張技術とかなんとか、新技術をたくさん開発。たった二年で世界レベルのトップ企業まで上り詰めた浅間が?」
「なんだ、そのやけに丁寧な説明口調は」
実際、俺がやったことになっているものだが。
「そういうお誘いとかないの? ほら、会社同士の交渉でハニートラップ、とか」
「そんな話何処から出てくるんだ」
「ドラマであるんだよ、そんな話が」
「主演の喜美寿川ちゃんが可愛いんだよね~」
「喜美寿川?」
「あれ、知らない?」
その場でイゴが検索して顔を見せてくれた。なるほど何処かで見たような子だ。
すごく可愛らしい美少女、と評価されるべきだと勝手に思った。
「すっごく可愛い美少女でしょ」
「そうかもな」
あまりにも同意だったためにやんわり認めた。
「一万年に一度の美少女って呼ばれてるんだっけか? すげえよなあ」
「……というか、そこじゃなくて! 浅間に愛人がいるかどうかの話でしょ」
「いや、喜美寿川ちゃんの話出したのレンカだろ」
「なら私が戻してもいいでしょ? そうやって逃げようとしても無駄だよ。さあ、いるの? いないの?」
「僕も知りたいな」
「いや、そういわれてもな……」
と、このタイミングで、俺の太腿の辺りに振動を感知する。しまっていたスマホが犯人らしい。
愛人という、何故かよろしくないものに聞こえる単語にすり替えられた存在しない彼女の話をぶったぎるつもりでブツを取り出す。
画面上の通知に「ミシュ」の文字が見える。
「悪い、ちょっと待ってくれ」
「あ、逃げた」
「俺はここから逃げないから許せ」
そう言いながら、チャットアプリを開く。と、先程の通知のものであろうメッセージが届いている。
――ヤッホー! 元気してる? ちょっと話したい用事が出来たから来てくれない?
「……は?」
なにやってるんだこいつ。
――なんだその文章は。そんな絵文字、今どき見ないだろ
――え~ 別に良いじゃん! いつ来れる?
――今は行けない
――なんで?
――同級生で飲み会中だ。言ったろ
――抜ければ良いじゃん
――話ならチャットで済むだろ
――大切な話なの
「何なんだマジで」
明らかに俺を不快にさせに来ている。
……こんなので奴の思惑通りになってしまう自分が悔しい。
「お前誰とやり取りしてるんだよ」
気がついた時には、タケはそういいながら画面を覗き込んでいた。
「ん? これ女か?」
「え? マジで?」
……まずい。非常にまずい。似たような話をしたままであるというシチュエーションもあり、レンカ達ががっちり食い付く。
「しかも、大切な話って……、やるじゃねえか浅間!」
「完全にクロだねこれは」
「待て、勘違いだ。話を」「やだなー。照れ隠しはいいよ。で、誰なん?」
誤認した(勿論気付いていない)事実を更に深めようと詰めてくる。
「いや、照れ隠しじゃ無くて……」
「往生際が悪いよ。いい加減吐けばいいじゃん」
「待て、お願いだ。俺の話を……」
今度は新たなメッセージに邪魔される。
しょうがないなあ(-.-)私が行くよ(^^)d
急ぎ、来るなと送ろうとした。が、あっさりタケに止められた。
「HA、NA、SE!」
「拒否する」
「なぜだ!?」
「そりゃ気になるだろ? なあ?」
残りの二人はYESと言うようににやにやと笑っている。いじめで訴えたい気分だ。今なら勝てる。
「……残念だが、皆が期待するような人は来ない」
「それじゃあさ、浅間の行動の理由がつかないよね」
「それは……」
弁明を述べようとした辺りで、がらがらと扉の開く音がする。皆不思議そうに扉の方へと向く。
不思議そうに、というのは、今日は俺らで貸しきりの筈だったからだ。
扉を開いたのは、ここにいる面子より明らかに小さい少女。
フォーマルなパンツスーツを着ている。顔は仏頂面で、人を模したアンドロイドと同格だった。
「あれー、あなた、何処から来たの? あなたみたいな子がこんな時間に歩いてちゃだめよ」
クラスメイト兼店員さんが子供に対して対応し始める。
「……なあ」
「……ん?」
「もしかして、さっきのメッセの奴って」
「ああ、あいつだよ」
だから、言ったんだ。お前らが期待するようなのじゃないって。
彼女を確認したタケ達は気まずそうに息を漏らし、そして。
「……流石に未成年に手を出すのは不味いんじゃね?」
「手ぇ出しとらんわ!」
イゴとレンカは、それはないよ、とでもいうような失望した目をしていた。
「違うんだって!」
「じゃあ、あの娘は誰なんだよ」
「それは……」
真っ直ぐ全てを話せる事情でないので少し躊躇ってしまった。ここでつまづくのが一番良くないと分かっていたのだが。
「ただの親戚だ!」
「誰が?」
「うわあ!?」
耳元でのウィスパーで一回も出したことの無い悲鳴を上げる。
心臓をフル稼働させながら見ると、少女、もといミシュが立っていた。
先程応対していたクラスメイトもセットで。
「もお、浅間。自分の子に迎えに来させるってどうなの」
「子供じゃねえよ!?」
明らかに年齢がおかしいだろ。
「え、でもこの子浅間を指してたよ」
「お前なあ! 少しは……」
「折角来てくれたのに怒るのは違うでしょ」
唐突にド正論を叩き込まれ、一気に熱が冷める。というか、ミシュは少しは自分のことを話してほしい。
「いや、まあ、うん。そうだな」
「……結構疲れてるんだな」
「え?」
「そりゃそうだよね。社長って精神的負担多いと思うし」
「迎えも居るし、早めに切り上げれば?」
真実を言おうとしたが、ここまで労れてしまうと断りずらい。飲んでいたいという気持ちはありはしたが、会計を済ませることにした。
「じゃあな」
「ああ、また」
皆の見送りを貰い、呼ばれていたタクシーに乗り込む。
と、後を追うようにミシュも入ってくる。
運転手に場所を伝え、走り出した辺りで切り出した。
「何故子供だって嘘をついた」
「つく訳無いじゃないですか。市郎の子供だったら一生反抗期しますよ」
さっきの無口が霧散したように憎まれ口をたたく。
「用事あるかって言われたから指しただけです」
「言葉で捕捉とか考えないのか」
「だから今したじゃないですか」
「捕捉のTPOを弁えてくれ……」
「だから市郎の印象が悪くなるタイミングにしましたよ?」
「当然のように俺を陥れようとするな」
一度ため息をつき、整理をしてから話す。
「じゃあ、あのメッセージの構文もそれか」
「馴れ馴れしい女からのメッセージが旧知の仲のご友人が見たら大抵面白くなるじゃないですか。理想は愛人と間違われることでした」
「そうか、良かったな。お前の理想通りだった」
「もっと早く現場にいれば私のテンションは爆アゲでしたね」
「今のお前が爆サゲだったら俺は歓喜するな」
「酷いですね」
「胸に手を当てて考えろ」
「あれ? 市郎ってセクハラに興味あったんですか?」
逸る右手を抑え、もう一つ疑念を明かしておく。
「話って何だ」
「言ったじゃないですか、大切なは、な、し。ですよ」
言い方が煩いが、要はここで出来る話ではないらしい。
「分かった」
ふと、気になったので運転手の方を見た。平然としている様に見える。
が、こちらを心配しているようで、信号に捕まったとき、ちらちらとこちらを確認している。
彼がいると少し困る話題なのは確かだ。
「と、すいません。ここ辺りで下ろしてください」
「え、いや、まだ目的地には着いていませんが」
「それでもいいです」
運んでくれた分の料金を払い、道の途中で降りる。
道の上に立っているのは俺らと街路樹だけだった。
「これだったら話せるか」
「もちろん。ですが」
「ですが?」
「その前に復習です」
「今、いつ着替えた!?」
何処からか現れた白衣と伊達眼鏡を身に付け、どこかしらの教則ビデオの教授らしく振る舞う。
「その一。私は何処から来ましたか。はいどうぞ」
どうやら、答えればいいらしい。
「こことは違う世界、異世界だろ」
「正解です。ではその二。何故この世界に来たのか」
「お前が別次元の調査を委任されているから」
「素晴らしい。良く覚えていますね」
「そりゃそうだ。俺が何のために起業したのか分からなくなる」
「ではそれに関して。何故あなたに起業させたのか」
「……そういえば教えてもらってないな」
「あの時、聞かないで承諾したのはあなたでしょう? 自分で考えて下さい」
正論だ。
ちなみにあの時、というのは、今から二年前の、俺が起業することを決心した時、のことだ。
「……そうだな、えーと。そうした方が利益があったから」
「どんな」
「……人材が手に入るとか?」
「まあ、三点といったところでしょうか。正確には、人材や資金と、世界各国へのパイプがある程度欲しかったから、です」
「ん? 待て。何で異世界の調査に人材やら人脈やらが必要になる?」
資金は何かと使うが、どれにせよ大企業を作ってまで用意するほどの物は必要ない筈だ。
「ここまで言って解らないとは……。私は人選ミスをしてしまったのかもしれません」
「悪かったな」
「まあ、市郎のことですから仕方ありません」
「……」
「では、正解は教えてあげましょう。シンプルに……」「別の目的があったから、だな」
「え?」
ミシュが呆気にとられたような顔をしたので、俺は内心ほくそ笑んだ。
つもりだったが、顔にも出していた。抑えきれなかった。
「当たりだろ」
「……ま、まぐれですよね」
「て言うってことは、当たりなのは間違いないな」
ミシュ唯一の名物、悔しそうな顔が見れたので、当てずっぽうであったことは一生隠しておこう。
「……く、悔しくないですからね! 勘違いしないで下さいこの、勘違い野郎! 後、ニヤニヤするの止めてください! キモいですよ!」
「分かった分かった」
こいつと過ごして早二年。俺より遥かに優秀だが、プライド高めの完璧主義のようで、ちょっとしたことで怒ることが多い。
ただ、本人の容姿が若いために、おもちゃをねだってごねる子供と同じ愛嬌がある。これも隠しておく。
「むう、分かりましたね?」
なんだよ「むう」って。それもうアニメの女児きゃらしか許されてない台詞だ。
「OK」
「……コホン。では、その目的、の前に」
「まだあるのか」
「一つだけ聞きたいんです。――なぜ、あなたは協力してくれるのか」
「そりゃあ、これだろ」
首筋に見えるシールを指しながら返す。
「いや、それはそうなんでしょうが……。なんというか、半強制にさせているにしては、協力的すぎる気がします」
ミシュの目が真っ直ぐに俺を向く。俺の奥のその先、空を見るように。
……これは、こいつの癖のようなものだ。いたって純粋に何かを知りたい時。そう、純粋にだ。
その時だけこの瞳は俺の奥の奥まで見つめてくる。これへの回答は茶化したり、ふざけたりも無しにしている。
「……」
直ぐには答えなかった。
――ミシュ、もといカイヤ・ミシュールの提案に乗ったのは二つほど訳がある(シールの件は除いて)。
一つ目はシンプルにやりたいことが無かったからだ。ロボットが好きというのはあったが、仕事にするのは違かった。
そして、去年まではずっと酔っていたから。酒とか自分にとかではなく、非現実に。漫画の中に行ってみたいと思うように。
ロボットにしか興味がいかないように。平凡に過ごすのではなく、この非日常の中に居たかったからだ。
折角の普通じゃなくなるチャンスを失いたくなかったからだ。
そんな曖昧で、後先を一ミリも気にしていない判断。16とはいえ、高校を卒業した男がする判断ではない。
と、今は思うが、選んでしまったのだから仕方がない。更に言うと、夢見心地の俺はろくに疑問も明かしていなかった。
……こうやって思い返すと、俺は結構社会不適合者側の人間なのかもしれない。
まあ、それはさておき。彼女への返答なのだが、これをつらつらと述べるのは少ししつこい。
どこかを端折るか。
あの夜があったからと言えば終わりだが、彼女が聞きたいのはそれではないだろう。
一つ目の理由は言う必要はない。二つ目よりも瑣末なことだ。
では当の二つ目だが、何に酔っていたか、ということを言うべきと思った。
異世界、ロボット、オーバーテクノロジー。挙げればキリがないが、これらは全て一つから俺へともたらされたものだ。
ならば、こう表現するのが正解だろうか。
「……ミシュ、お前に惹かれたからだな」
ーー後から気付いたが、どう考えても告白でしか言わないやつだった。
「……は? それが理由ですか?」
「あ、ああ」
ここで退くのも違うので意地を張る。我ながら醜い誇示だ。
「……」
「な、何だよ」
「いえ、期待して損しました」
「俺は今何を裏切ったんだよ」
「はて、何でしょうね? 三十秒前の私なら知ってましたよ」
「タイムマシンがあればな」
「タイムパラドックスとか気にしないんですか」
「確かに……。α世界線には行きたくないしな」
「α?」
「いや、いい。それよりも」
今度は俺が聞く。
「お前の目的、それを教えてくれ」
「……そろそろ頃合ですね。かなり焦らしたので」
そうして、彼女の言葉を聞く。聞き逃さぬよう、耳を傾けて。
◆◆◆◆
話が一通り終わる。
「……そんなこと出来るのか」
「可能だから実行するんですよ。机上の空論では終わりません」
「俺からしたら机の上にもない、ただの空想だ」
「ですが」「だが」
「お前なら出来るのかも知れないと思うし、そう思うと、改めて自分の馬鹿さを突き付けられた気分だ」
ミシュの顔が非常に嬉しそうになる。描写するとしたら自慢気な笑顔だ。
「それは私を褒めてるんですね? ありがとうございます」
「否定しないでおいてやる」
「正直者はメリットが多いのに残念です」
残念とは口にしているが、表情のコントラストは何も変わっていない。
人の不幸やらが大好物らしい。
イチゴパフェでも食べておけばいいのにな。
「……それじゃ、俺は何をしたらいい」
率直に尋ねる。
「市郎は会見での公表をお願いします。必要なものは準備しておきますよ」
「了解」
自分が、星空を見上げていることに今更気付いた。ミシュのあの目があいつの癖なら、これは俺の癖だろうな。
いつからしていたか、なんて思い出したくもないが。
◆◆◆◆
その日の夜。……まあ、さっきまでも夜ではあったが、今は浅間が寝ている夜だ。
ミシュは一人、調査報告のためのレポートをまとめている。音声入力が楽なのでその方式を採っていた。
「仮称、NWについて」
この世界に存在する資源の種類や量、現存する文化や風習など新たに発見したものをまとめていく。ミシュの日課だ。
「精が出るわね、ミシュ」
「あ、ソフィア姉さん」
ソフィア。AWNSF-anoth3r:3996、通称「アナザー」の統括管理システム兼、同乗者ヘルスケアAIだ。
勿論実の姉ではない。
復旧できたのはおおよそ一年前。私の不手際で破損させてしまったためにそうなった。
「あの時はごめんなさい」
「何よ、その話はもう終わったじゃない。対応しきれなかった私が悪いわ。それに、破損はもう直って、私は今ここに居る訳だし」
優しい性格をしている。彼とは段違いだ。
「姉さんが居ると安心できます」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、人間で安心できる御方様を見つけた方が良いわよ」
「直ぐに見つかるものじゃないですよ」
「そうかしら?」
「そうですよ」
「でもでも、意外に近くに居るかもしれないわよ。フミヤさんとか」
「父親に性愛を抱く娘が居ますか」
「えー、いい人なのに」
必要ないところまで世話してくる。姉さんの唯一の欠点だ。あの親父は何故これを直さなかったのか。
「あ、それよりも大丈夫だった? 帰り道」
「特に何も。何故ですか」
「いや、あなた、救難信号を出してたから」
「え? そんなの出した覚えは……」
その時、ミシュに電流走る。
思い出したのはある機能。身に危険が迫ったときに自動で救難信号を出す機能。数時間動かない、栄養失調等様々な原因を予測して入れておいた機能。
その内の一つ、心拍数の急上昇を。
「直ぐに消えたから問題ないと判断したんだけど……」
「そうですね何かの不具合だと思います私が直しておきますね」
「え、あ、うん。でも、それだったら私がやっても……」
「大丈夫ですよ姉さんの手を煩わせるようなことではないのでだから絶対にいじらないで下さい」
「は、はい」
「それじゃおやすみなさい」
「ちょ」
レポートもキリが良かったので一度姉さんとの通信を切る。急遽積まれた仕事を最優先で片づける。
イチには勿論、他の誰にも知られたくない事実の隠蔽。
スーツのコマンドプロンプトを開き、修正箇所を列挙、書き換える。
単純に置き換えるだけではエラーが起きやすい。予測して変えておくことも可能だが、より確実にするため、テスト実行しておかしい部分を修正していく。
ついでに機能が働いた記録も消しておく。今日の夜、市郎と歩いていた時の記録を。
証拠を突き付けられた犯人は、同じ焦りを覚えるのだろうか。いや、そうでなきゃあんな愚行は見せないだろう。
ちなみに私のサスペンスドラマの場合、過去の自分が探偵役ということになる。
私にとって自分は最大のライバルであることの証明になった。
大急ぎで進め、作業を完遂。へなへなと力なく座り込む。なんとなく星空を眺めた。
今回は居ないが、もし目撃者が居たとしたらこう聞かれるだろう。
何でそこまで?
市郎がその目撃者だと仮定するなら、馬鹿ですね。単純ですよと罵る。
ソフィア姉さんだったら、プログラムを正しく直さないと問題が。色々不都合なのでとか誤魔化す。
――ここで彼女の気持ちをとやかく暴露するのは、プライバシーを酷く侵害することになるため伏せておく。
が、生理的現象を気持ちと定義しないのならば、これだけは書いておく。
彼女の心拍数は、140を越えていた。