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アールが城に戻ると、至極当然の事ながら皆大騒ぎになっていた。
騎士団の面々など特に疲労の色が濃く、恐らく昼夜を問わず捜索していたのだろう。
心配する皆を適当に軽くあしらいながら、馬を降り自室に向かっていた彼を宰相が怒鳴りつける。
「王子っ!」
「やぁ、元気そうだねぇ」
「『元気そうだね』じゃありません! 皆、どれだけ心配したかっ!! ……足をどうかされたのですか? それに、その少女は?」
引き摺る様にして歩く主人を心配しながらも、腕に抱かれ眠っている少女にも気を配る。
この城を預かる宰相としての当然の配慮だろう。
どんな事であれ把握しておく必要がある、特に見知らぬ人物となれば尚更だ。
「私の妃」
「はっ!?」
見た事もない満面笑顔で、嬉しそうに爆弾発言。
宰相はそんな王子と、まだ幼さの残る少女の顔を何度も見比べ、予想通りの一言。
「年齢を考えて下さいっ! と言うか、本当に何処の何方なのですか!?」
「話せば長くなるよ」
「簡潔に、手短にお願いします」
「ヤレヤレ……森で落馬して難儀していたら、彼女に助けられてねぇ。 やっと歩ける様になったから、帰ってきたのだよ。 で、彼女は私のお土産」
自室の戸を開けさせ、マディをベッドに横たえながら額に優しくキスを落す。
寝室に招くと言う事とその様子から、正真正銘の本気なのだと宰相は悟った。
が、話の要点はソコではなく。
「『禁断の魔女の森』の少女なのですか!?」
「まぁ、魔女ではない様だけど、何か訳ありらしい。 本人も良く分っていない様だがねぇ……魔術師と魔女殿を呼んでおくれ」
「……分りました、白魔導師殿も呼んで参りますのでお待ち下さい」
「気が利くんで助かるよ」
「本当にそう思って頂けるのでしたら、大人しくしていて下さい!」
揶揄われている自覚があるのだろう、肩を大きく竦ませながら自由奔放すぎる王子に釘を刺した。
「王子、如何ですか?」
白魔導師が治癒魔法を唱え終え、窺う様に尋ねる。
立ち上がり数歩歩いてみた。
痛みはない、引き摺る様な感覚もない、僅かに残っていた痣も綺麗に消えている。
「もう大丈夫の様だ、相変らず貴方の治癒魔法は絶品だね」
「わっ、私如きにその様なお言葉、勿体無いです」
小さな褒め言葉でさえ、これほど恐縮してしまうのだから、その様子が面白い。
普段ならもっと揶揄うのだが、今日は他に興味のそそる事がある。
その結果を齎すであろう声が、アールを呼び止めた。
「王子」
彼のベッドの天蓋をまくり上げながら、黒髪黒目で無表情な魔女が出てきた。
「何か分ったかい?」
「この人は私と同じ魔女ではないわ、普通の人間。 だけど何か大きな力が作用し、記憶の一部と時空が封じられているみたい」
「時空?」
「有り体に言えば『時間が止まっている』 生体機能は正常に機能している、時間だけが止まっているのだ。 いつから止まっているのかは分らぬが、通常の魔法では考えられない」
魔女の後ろから、これまた無表情で虹彩異色の魔術師が事も無げに告げると、王子の背後から珍しくもおずおずと白魔導士も自分の意見を言う。
「私もそのお方から『森』と同じ不思議な波動を感じます。 あの、ですが、決して悪い物ではなく……寧ろ、神々しさを感じるのです」
「危険人物、と言う様な事はないのですね」
剣呑な宰相の問い掛けに、三人は何の躊躇もなく即座に断言した。
「ないわ」
「問題ない」
「私も、そう思います」
その言葉に安堵の吐息を零す。
何事にも執着をしない王子が、無理からにでも連れてきた少女。
彼の事、本人が意図しない危険人物だったとしても、一度決めたのなら覆さないだろうが、危険がないと分かれば話は別。
まぁ幼さは否めないが、生贄の子羊に選ばれてしまったのだ。
……これて、少しは王子も落ち着いてもらえると助かるのだが、などと人身御供に感謝する心持ちにもなり始めていた。
そして件の王子と言えば、ギャラリーがいる事など関係なく少女の寝ているベッドへ潜り込もうとしている最中で、一番早く気が付いた同性の魔法によってその身は拘束され、ベッドから引き摺り出されていた。
「魔女殿、主に対してこの仕打ちはどうかと思うのだがねぇ」
「無意識の女の子に手を出す様な、野蛮な主人は困るわ。 それに、ドレだけ彼女に『眠り』の魔法を使ったのよ? 『目覚め』の魔法が全く効かないじゃないの」
「『目覚め』の魔法なんて必要ないよ。 私が手ずから、優しく……ん~激しく?起して差上げるからねぇ」
王子の露骨な表現に、真面目な人物の堪忍袋の緒が切れる。
「真昼間から、何をするおつもりなのですかっ!」
「随分と無粋な事を聞くんだねぇ」
「無粋でも何でも構いませんが、キチンと執務だけはこなして下さい。 忘れたとは言わせませんよ、隣国の使者の方と謁見して頂きますっ!」
「おや、二日間も待たせていたのかい?」
「惚けてもらっては困ります。 連日の雨の所為で、足止めされていた事ぐらい予想の範疇でしょう。 先程、来られると連絡がありました」
「ヤレヤレ、そう怒鳴るのではないよ」
「怒鳴らせてるのは誰の所為ですか、とっとと用意して下さい」
宰相は王子の背を押し、寝室から追い立てた。
勿論、ちゃんと王子らしい容貌を整え、玉座に座らせる為に。
「王太子殿下におきましては御尊顔を拝見でき、ご機嫌麗しく……」
「あぁ使者殿、その様な堅苦しい挨拶は抜きにしようか。 腹の探り合いは苦手なのだよ」
玉座に鎮座し容貌極めて艶麗なる、まさに百花の王に相応しい人物から紡がれた第一声は、気さくと言うか、あっけらかんと言うか、無礼講と言うか、通常としては考えられないものだった。
だが白髪で隻眼の使者は、彼の性格を調べ上げていたのだろう、少しも驚いた様子も見せず話を続ける。
「流石は王太子殿下、お噂通りの御方の様で」
「ふふ、どんな噂か聞いてみたいものだね。 で、何の用だい?」
「殿下は此方の王国が、当国の親戚筋に当る事は御存知頂けていると思いますが」
「随分昔の話を蒸し返すねぇ、百数十年も前の話だ。 革命が起って、この地に落延びたのだろう?」
「それ以来、疎遠となっておりましたが、我が国王陛下におきましては『遠縁とは言え、血族が疎遠であるのは由々しき事』と今回、第一王女の縁組を御持ち致しました所存で」
「縁組?」
一度、見た事のある王女を思い出す。
隣国王家特有の金髪碧眼でスタイルも良い美貌の持ち主。
ただ性格が王女と言うか女王様気質で、正直アールの好みではなかった。
自分はそんなの御免だが、政略結婚となれば容貌や性格は二の次。
隣国は、その隣の大国と膠着状態にある筈。
和睦や停戦を目的とするのならば、そちらと婚姻関係を結んだ方が得策だろう。
血族の真情など、都合のいい理由に過ぎない。
なにせ、革命……正確に言えば『謀反』を起し当時の王族をこの地に追いやったのは、現王族の血筋に連なる者ではないか。
いざと言う時の逃げ道か、体のいい食料庫にでもするつもりなのだろう。
どの道、この平和な王国を戦争の道具にされるつもりはないし、アールにとってマディ以外の女性など既に眼中にないのだから。
「第一王女は美しく第一王子も利発な少年だそうで、とても魅力的な話だが……その話、無かった事に」
「……理由をお教え願えますか。 このまま帰ったのであれば、子供の使いになってしまいます故」
「何つい先程、妃を迎えたばかりで、離縁する気もないし」
「ならば、王女を王妃に、その御方を側室として迎えれば良いのでは」
「まぁ、普通ならそうするのだろうケドね、王女の方が身分も上だし。 だけど、この身を燃やし尽くすほど、恋し恋焦がれた女性なのだよ。 最早、妃以外など抱く気も起らなければ、構う気もない。 白い結婚のお飾りの王妃など王女に失礼だろう? 私もそんなの嫌だしねぇ」
「……解りました、国王陛下にはその様にお伝えいたしましょう」
使者の瞳に剣呑な光が宿ったのを、王子は見逃さなかった。
表情を崩すことなく、心の中で思いを馳せる。
『ヤレヤレ、こーゆー面倒事が嫌いなのだが』
「折角来てもらったのに悪いねぇ、今から帰るのも大変だろう? 今夜はここに泊りなさい……宿の手配も急だから、騎士団の宿舎でいいかな」
「あっ、いいえ、その様な御面倒は」
「何、折角の謁見隊の方々の訪問を、このまま帰したとあっては国の名折れだしね。 遠慮など無用だよ……騎士団長」
「はっ、御側に」
「使者殿達を宿舎に案内して貰えるかな?」
「承知いたしました」
王子はヒラヒラと手を振りながら使者を見送り、彼が謁見の間から出て行くと傍に控えていた宰相に話し掛けた。
「さて、どう思う?」
「隣国の諸事情を考えましても、王女との婚姻の話は断られて正解だと思います」
「私とていくら美しくとも、棘の多過ぎる花は御免だよ。 折角、可愛らしい花を手折って来たばかりだと言うのに」
「……ですが、このまま収まるとも思えませんが」
「まぁねぇ、彼も只の使者ではないだろうし、中々の手練みたいだよ。 取り合えず今日の所は、宿舎にでも閉じ込めて騎士団に見張らせておこうか。 明日になれば、王国の出口まで見送ればいい……何の手出しも出来ない様にねぇ」
「分りました、その様に指示しておきます」
王子は、フト考えて更に追加の案を思い付く。
「ついでに、料理長にも指示してもらおうかな。 『使者達の食事に一服持って欲しい』と。 ああ、くれぐれも致死量スレスレの毒草なんて使わないように、戦争を起すつもりはないんだ、一晩ぐっすり眠れる程度に頼むと、ね」
二日間、サボった分の執務に追い立てられて、王子が念願の自室に戻れたのは、夜も深くなろうかという時刻。
寝室の戸をゆっくり開けてみると、湯浴みも何もかもすべて整い白い柔らかなナイトドレスに身を包んだ少女が、窓辺に立ち城下と森を見下ろしていた。
「……アールさんって本当に王子様だったんですね」
「マディ」
強引に意識を奪ってまで、ここに攫ってきたのだ。
泣かれるか、批難されるのを覚悟していただけに、その穏やかな口調が 逆に彼の心に細波を立てた。
「嫌いになったかい?」
「え!? 嫌い? ……あぁ、私、アールさんの事」
目が覚めて、全く見知らない場所で、最初に思ったのはアールの所在。
魔術師さんから、執務中である事を伝えられて。
白魔導師さんから、足の怪我は完治した事を伝えられて。
魔女さんから、魔法の後遺症の説明と反魔法を掛けてもらって。
宰相さんからは、お礼と謝罪を言われて『良かった』と思った。
彼の無事を確認できたのが『良かった』のか?
足の怪我が治ったのが『良かった』のか?
疲労感の原因が分ったのが『良かった』のか?
それとも、自分が見捨てられた訳じゃないのが『良かった』のか?
別にこの部屋に閉じ込められていた訳じゃない。
食事を運んで来てくれた、優しい料理長さんと話が合ってお城の賄場まで行ったし。
そこで馬番さんと会って、馬の様子も見に行ったし。
自分の馬を丁寧に手入れしている、騎士団長さんとも会ったし、それに。
「王子が勝手に森から攫ってきたんだって? 帰りたいなら、送って行ってやろうか」
って言ってくれた、副団長さんも居た。
森に帰らなくちゃいけないのは分っている。
でも、アールさんともう一度逢うまでは帰れない、そう思った。
今迄の、総ての感情が一つの答えを導き出した。
「『好き』なんだ」
囁くような呟きにアールはやんわりと微笑むと、頬に手を添え羽根の様に軽いキスを贈り、マディも今度は抵抗する事はなく贈物を受け取った。
「どうかな? 今度の薬の効き目は」
「胸はドキドキしてます」
「うん」
「やっぱり恥しいです」
「うん」
「身体の芯が震えちゃいます」
「うん」
「でも、幸せな気分です」
「ふふ、是非とも私も幸せの御相伴に預かりたいねぇ」
アールは、マディを抱き上げベッドに運び、そっと組敷いた。
今から何が起るのか?
少女の瞳には、不安と期待と少しの恐怖と大部分の安堵感の色が見えた。
その無防備でいじらしい表情が、背徳的な雄の色欲と独占欲を煽り高める。
男は微笑んでいるものの、眼には肉食獣が獲物を狙い澄ませるかの様な光があり、その妖艶な表情が少女の女を開花させる。
「そう簡単に『病』が治ってもらっては困るのだよ。 もっと感じて、もっともっと染まって、もっともっともっと溺れて。 私以外では、満足出来ない様にしてあげよう……覚悟はいいね」
それは、少女への最終宣告。
応えてはいけない、頷いてはいけない、受け入れてはいけない。
危険な遊戯から身を護る為に、最後の砦が警鐘を鳴らす。
だが甘美な猛毒は既に身体の隅々まで行き渡っていて、最早、解毒剤など存在しなかった。
マディは弱々しくアールの腕を握ると、静かに瞳を閉じる。
愛おしい無邪気な華のかんばせは、大輪の薔薇の様に真っ赤に紅潮し、未成熟だが美しい曲線は、静かに波打ちながら小刻みに震える。
そして身を裂く痛みと、その後の享楽によって極限まで追い詰められる事になろうとは、この時の少女は知る由もなかった。