第52話.クナのホットパック1
クナはリッド男爵が住まう領主館へと再び訪れていた。
あのあと、ドルフは門衛に引っ立てられるようにして、領主館の離れへと連れて行かれた。
今は領主の跡継ぎであるアルミンが、兵士を連れて聞き取り調査を行っているらしい。ドルフがなぜ毒に侵されているのか、『死の森』に居たのか……そのあたりの事情について、本人から詳しく聞いて調べる必要があるからだ。
ドルフに何があったとしても、クナは今や自分の気にすることではないと思っている。アコ村についても、同様だ。クナはとうにアコ村を追い出された身。そのあと何が起こったとして、自分から首を突っ込むべきではない。
今のクナはイシュガルの治療の件で頭がいっぱいだった。イシュガルは今、自室でリュカとの会話を楽しんでいる。この間に、クナは彼女に処方する薬を作るというわけだ。
「ウゥ……」
厨房を覗き込む小さな頭の持ち主が、恨めしげに鳴いている。その頻度は少なく、クナの集中力を削がない程度に我慢しているようだ。気遣いのできる獣である。
猫などの小動物に比べると、ロイの毛は太く重い。風に乗って空中を漂ったりはしないし、今回作るのは口に入れる薬ではないのだが、領主の奥方に処方するものだ。混入の危険を回避するため、クナはロイに厨房への立ち入りを固く禁じた。だから先ほどからロイは、うろうろと厨房近くを行ったり来たりしているのだ。
クナは火の使える場所はあるかとリュカに聞いたのだが、彼は厨房を使っていいと快く許可をくれた。領主館抱えの料理人たちは、今は出払っている。あと一時間もすれば、昼食の支度に戻ってくるというので、クナはそれまでに準備を済まさねばならない。
領主館の厨房は立派な設備だった。アコ村の薬屋兼自宅や、宿屋アガネの調理場とは比べものにならない広さだ。窓際にいくつもの竈が整然と並び、一面の壁が煤けている。
壁には、銀色に光る調理用具がいくつも下げられている。使い込まれている分、きっちりと手入れされているようだ。食品庫には、今朝届けられたばかりの新鮮な卵や野菜が詰められている。
クナはリュカが買ってきた『ココット』の山ぶどうパンをかじって食事を済ませている。ふんだんに山ぶどうをちりばめたパンは、表面に焦げた十字の切り込みが入っていておいしかった。ロイも同じものを満足げに食べていた。
しかし朝から動き回ったせいなのか、いったん入浴してきたからなのか、ときどき胃の中身が空っぽのような、落ち着かない気持ちになった。あるいは、クナを誘うように、窓から逃げていかなかった朝食の残り香がさまよっているせいかもしれない。
厨房のすぐ外には、大きな井戸がある。料理人見習いが早朝のうちに、そこから水瓶に水を汲んでいる。
クナは着替えた服の上に、宿屋の庭で干していた前掛けをつける。黒い髪を頭の上でひとつにまとめ、冷水で手を洗っていれば、自然と気持ちが引き締まる。
大きな桶に瓶の水を移したクナは、その中に『死の森』で集めてきた大量の薬草と茎葉を、流し込むようにして入れた。ひとつずつ手に取り、葉の裏や茎についた土や埃を、丹念に取っていく。透き通っていた冷たい水が、土や砂が混じって濁った色になっていくので、その作業は二回繰り返す。
洗い終えたあとはまな板に並べて、包丁でざくざくとよく刻む。濡れた草の香りが、鼻先に漂う。陰干しにして乾燥したいところなのだが、イシュガルが待ちわびているだろうし、今日のところは風魔法で手短に乾燥を済ませる。
「よし、容れ物はっと」
クナは少ない荷物の中から、不織布を取り出す。雑貨店で購入しておいたものだ。
小さな大きさに切って、円形の袋のようにした不織布の中に、刻んだ薬草をまとめて入れる。隅を紐で縛りつけて、似たような包みを五つ作った。
「次……土鍋か銅の鍋か、あるかな?」
クナが持っている鉄製の鍋や、壁にかけられた調理具は溶出物があるので使えない。
広い厨房の中を、内履きを履いたクナは見回しながら歩き回る。背伸びをして首を上げたり、しゃがんで首を動かす動作がおもしろいのか、ロイが「きゃんっ」と元気に鳴いている。そうして捜索している間に、目当てのものを見つけた。
「あった。これは……硝子の鍋か」
普段は使わないだろう、布のかけられた棚の中に見つける。白い硝子の鍋はかなり重さがあり、クナは用心深く両手を棚に差し込み、鍋をとりあげた。
陶磁器の鍋はあるかもしれないと思っていたが、さすが領主の館というべきか。ここらで作られたものではないだろう、珍しいものを所持しているようだ。
(なんでも好きに使ってくれ、って言われたからな)
この鍋も使っていいものだろう、とクナは判断する。
形の良い鍋を、蓋と一緒に丁寧に水洗いする。
竈に鍋をおくと、たっぷりと水を入れる。いつものように魔力で生み出した水ではなく、井戸水である。
クナは炎魔法で火を熾す。鍋に加工してあるということは、熱には耐えられるのだろうが、最初は小さな炎にして、徐々に大きく調整していく。膨張していないし、問題はなさそうだ。
湯が沸いたところで、薬草を入れた小包を鍋に入れる。あとは水に薬草の色が染み出すまで、魔力を流し込みながら十分ほど煮込めばいい。
「きゃんっ」
菜箸で鍋をのんびりとかき回すクナに、ロイが呼びかけてくる。
「これが何かって?」
「クゥン」
そんなことは聞いてはいない、と言いたげな嘆きである。
クナは菜箸の先でちょんちょん小包をつつきながら、気にせずこう答える。
「温熱治療用の温湿布を作るんだよ」