18
「あ、の、なんだか、夢みたいで……」
ふわふわする頭からどうにか言葉を捻りだし、ヘルジュは自身の頬に両手をやった。
「あの、つまり、私みたいな、面白みのないつまらない女に、エイノ様がそうまでよくしてくださるのが夢みたいだって、ことなんですけど……」
「何だ、それは」
ヘルジュの唇がエイノの指で撫でられる。前にも同じように触られたことがあったが、そのときよりもずっとくすぐったかった。
「嫌じゃないのか?」
「嫌ではないですが、あの、は、恥ずかしい、です」
エイノはため息まじりにぎゅーっと強く抱きしめてきた。
「それ以上可愛い答えもないな。私が今日明日死んだら原因はヘルジュが可愛すぎるせいで心臓発作を起こしたからだ」
「お……大げさすぎやしませんか?」
「多少浮かれている自覚はある」
エイノはなかなか離してくれる気配がない。おなかがすいたからランチにしたいだなんて、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
ヘルジュもこっそりと、倒れたら原因は動悸のせいなのだろうなと冗談ともつかないことを思ったのだった。
◇◇◇
ヘルジュはお屋敷の玄関ホールで圧倒されていた。
エイノに『私的な内輪の舞踏会だからそれほど堅苦しくはない』と言われて連れてこられたが、立派なお屋敷の入り口に趣向を凝らした装いの男女が何十人と集まっている様子は、宮中舞踏会などと遜色ない規模の華やかさだった。
それに――
チラリと横目で確認したエイノがまぶしくて、ヘルジュはさっと顔を背けた。
「……この服がそんなに気に入らなかったのか?」
エイノが少しむくれているので、ヘルジュはとんでもないという気持ちで両手を振り回した。
「とてもよくお似合いです、本当に……」
エイノは白を基調に、濃いブルーと金の差し色が入った華麗な衣装を身にまとっていた。キラキラと輝くシルバーの髪色や、本人の近寄りがたい雰囲気とあいまって、一枚絵のように完成された美がそこにはあった。
(綺麗すぎて、直視できません……っ)
あんまり見ていたら目が潰れてしまう、眩しすぎて。それでなくてもエイノの微笑んだ顔は心臓に悪いのに、この服は似合っていすぎて、ヘルジュはとても平静ではいられないのだった。
「うさぎのファーらしいが。生き物の毛皮は同族殺しみたいで好かんか?」
「同族ではありませんが」
「うさぎなら近縁種だろう」
エイノが肩に引っかけていた白い毛皮のマントをヘルジュの頬に当ててきた。ふわふわでふかふかだった。
「本当はヘルジュの首に巻いてやりたかったんだが」
「い、いえ、こ、こんなおしゃれアイテムなんて……!」
こんな白くて柔らかい毛皮を身につける少女は、きっと大切に育てられたご令嬢たちだろう。溌剌とした自信が内側からみなぎってくるような少女にしか似合わないに違いない。
ヘルジュの中身とまったく釣り合っていないので、買い与えようとするエイノを振り切って、毛皮の類はやめてもらったのだ。
「似合うのにな」
「ご冗談を……私に似合うのは、もっと暗い色のバサバサした布です」
「バサバサした布――とは?」
「修道女のような……」
「まあ、あれはあれで似合っていたが……そのドレスだって似合っているだろうに。暗い色しか似合わないなんてのは思い込みじゃないか?」
ヘルジュは新調してもらったばかりのドレスに目をやった。エイノと共布の青い生地をふんだんに使った、大人っぽいドレスだ。
「似合うと思うが、この色を着せたのはよくなかったな。あまりにも目立ちすぎる」
「……!」
派手になりすぎないよう抑えてもらったつもりだったが、色合いがはっとするほど美しいので、目立つことは避けられなかった。
(やはり、柄にもないと思われているのでしょうね)
落ち込みかけたヘルジュに、くすりと笑ったエイノがいたずらっぽくささやく。
「とても可愛いから、人に見せるのがもったいなくなってきた」
ヘルジュはぎゅっと心臓を掴まれたような思いだった。
単に似合わないというだけのことを指摘するのに、そうまで優しくしてくれる必要があるのだろうか。
エイノはどこまでヘルジュを甘やかせば気が済むのだろう。
「団長、こんばんは。奥様におかれましては初めてお目に――」
次から次へとひっきりなしに人が来ては、エイノに挨拶をしていく。
非日常的な舞踏会の空気とエイノの甘い雰囲気にやられてしまったヘルジュは、もう何を話しかけられても上の空だった。
「それにしても団長、デレデレですね」
「そうか?」
「奥様が可愛くて仕方ないって感じです」
「当たり前だろう。お前にはこの無垢で愛らしい姿が見えないのか? 目が悪くなってるんじゃないか」
「いや、見えてますけど」
「嫌らしい目で見るな馬鹿が」
「無茶振り! 安心しました。いつもの団長ですね。オレてっきり奥様への愛で心の闇とかも浄化されて人格変わっちゃったのかと」
不調がちだという話を聞いているヘルジュにはハラハラするような会話だったが、エイノは涼しい顔で「そんなわけあるか」とあしらった。
「妻を迎えたくらいでそう簡単に性格まで変わるわけないだろう」
「それ本気で言ってます? 奥様とご一緒の団長、赤ちゃん言葉かな? ってくらい喋り方から違いますし、もう目尻とかこーんなですよ」
「喧嘩売ってるのか?」
「い、いや、いいことじゃないですか! わが国の戦神タアラにはやはり夫婦円満でいてもらわないと! ねえ奥様!」
急に話しかけてきた部下らしき男性に、ヘルジュは心底びくりとした。
「え、ええ……」
「ヘルジュが怯えているだろう。お前はもうどこかに散れ」
「分かりましたよ……もう行きますけど」
そこでその男性は声を潜めた。ヘルジュとエイノにしか聞こえないような小声で、ひそひそと言う。
「今日は気をつけてくださいね。ご令嬢たちの間で奥様のことかなり噂になってるらしいんで、落ち着くまで不用意に裏側のドレスアップルームとか入らない方がいいかもしれないです」
「なんでヘルジュが噂になる?」
「そりゃあみんなの憧れ『氷の騎士団長様』の最愛の座をかっさらっていったトンビだからじゃないですか?」
「くだらない……」
エイノはうんざりしたような顔をしつつ、ヘルジュにだけはやわらかな笑みを見せた。
「そういうことらしいから、今日はできるだけ私のそばを離れないように。変なトラブルに巻き込まれる前に、今日は早めに帰らせてもらおうか」
傍で聞いていた男性が「うわあ」と大げさなうめき声を上げる。
「出た出た! なんですかそのデレデレ! オレたちには笑顔ひとつ見せたことないくせに!」
「うるさいな」
「オレたちにもちょっとくらいその優しさ分けてくださいよ! 可愛い部下じゃないですか!」
「それはこの可愛いの権化を見た後でもそう言えるのか?」
「くっ……奥様には勝てねぇ……!」
変な喧嘩をしているエイノと部下をぽかーんと眺めながら、話題にずっとヘルジュが出てくるのは、のけ者だと感じさせないための配慮だと、遅れて気がついた。要するに、ふたりがかりでヘルジュの緊張をほぐし、居心地良くしようとしてくれているのだ。
(いい方ばかりなのですね、騎士団って……)
ヘルジュは会話についていけないながらも、ぼんやりそんなことを思ったのだった。