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 エイノは知人に誘い出されて参加した射撃大会で、ぼんやりしていた。試合も早々に負けている。今どこまで進んだか、最初に徴収された賭け金がどうなったのかすら把握していない。


「どうしたんですか、団長。らしくないですね」


 隣に腰掛けて話しかけてくる部下に、エイノは面白くもなさそうな視線を向けた。


 無愛想が代名詞の『氷の騎士団長』ならではの歓迎ぶりにも、部下は気にした様子もなく、さらに話しかけてくる。


「団長に賭けてたやつらが失意のどん底ですよ」

「気分じゃなかった」

「団長でもそんなことあるんですね……」

「私でもとはどういうことだ」

「団長はいついかなるときも絶対に弾を外さないじゃないですか。敵の弾道予測だって……それで何度部隊が救われたか」


 おべっかともつかないおしゃべりを、エイノは気のない顔でやり過ごした。


「しっかりしてくださいよ。射撃もほぼ弾道学の基礎で攻略できるっておっしゃってたのは団長じゃないですか」

「弾道学ですらない。初歩的な数学だ」

「オレには全然分かりませんよ。団長の指揮は魔法みたいだってことしかね」


 彼はヨハン、戦争で勲章をもらった将校のひとりだ。


 エイノは騎士団長という職がまったく面白いとは思っていないが、ほとんどの人間より偉いので、さほど気を遣わなくていいのは数少ない利点だと思っている。


「……で、すっかり抜け殻になっちゃった理由を、みんなで噂し合ってたんですけど、やっぱりアレですか?」


 ヨハンがこっそりと耳打ちする。


「ずっと別れ別れだった奥様と無事にやり直せているとか?」


 エイノはふにゃっとだらしなく相好を崩した。


 ヨハンが幽霊でも見たかのように顔を引きつらせているが、エイノは気にしない。そもそも部下に気を遣う必要性すら感じていなかった。


「可愛くてたまらないんだ」

「お、おお……」


 出立前の選定の時点でも全体的に好ましく愛らしいとは思っていたが、当時はどんなに可愛らしくても、まだまだ子どもだった。


 その彼女が、一生懸命につたない筆致でご当地のほのぼのニュースを伝えてくれるので、エイノは戦争中で乱高下しがちな情緒をしたたかに破壊され、『何よりもお前が可愛いよ、ナンバーワンだ』などの妄言を書き送りたい衝動と戦う羽目になった。気分的には完全に彼女の兄か父親だった。


 彼女は律儀な性格なのか、戦況についても毎度触れていて、エイノのおかげでこうして暮らせていると感謝の言葉ばかりを書いてくれた。分の悪い戦いで、こんな無茶を続ければいつか死ぬだろうと思う局面の連続だったが、彼女の手紙があったからなんとか自分を鼓舞してこれた。あれほど熱心に手紙を書いてくれなければ、とっくに諦めていたかもしれない。


 何も返事をせずに三年間手紙が届くに任せていたのは、万が一エイノが戦死したあと、中途半端に情を残すような荷物が届いたら、彼女の人生再出発に差し障りが出ると思ってのことだった。エイノとしても辛かったが、ぐっとこらえていたのである。


 戦争の終結まで三年、耐えに耐え、忍びに忍んでの再会。


 ヘルジュはさらに可愛らしくなっていて、エイノは熱くなる目頭を押さえることができなかった。


 女神シファをやらせたときはまだあどけない子どもだったのに、時とともに彼女は全体的に成長して、愛らしい中にも成熟した美しさが見られるようになっていた。


 しかも当人はおのれの魅力に無自覚なようで、伏し目がちにこちらを窺う表情などは、小動物のように気弱な本人の性格を全力で裏切って、なんとも言いがたい妖艶さを漂わせているではないか。


「……あんなに可愛い子が実在するなんてこの世の奇跡だ」

「確かに可愛らしい方でしたね、オレも舞踏会で遠巻きに拝見しましたが、目がこうぱっちりしてて鼻と口が小さくて、うさちゃんみたいな」

「なんだと」

「や、決してよこしまな目で見てたとかではなくですね、お二人とも幸せそうにしてるんで、オレもあやかりたいなと」


 幸せ。そう、エイノはシャンデリアに浮かび上がるヘルジュのはかなげな笑顔や、緊張してややこわばった身体の感触などから不思議なほどの興奮を覚えたのだ。脳が溶けていくような。


「幸せとはああいうことを言うんだろうな」

「だと思いますよ! 団長見たこともないほどデレデレしてましたもん。奥様に話しかけるときはもう喋り方からして優しくなっちゃって。みんなビビッてましたよ」

「正直に言って結婚などに何も期待していなかったんだが」

「そんな感じに見えます」

「いざ嫁を迎えたらもう可愛くてしょうがなくて」

「転がり落ちちゃったんですね!」


 ヨハンは調子よく相づちを打ちながら、うんうんとうなずいてみせた。


「犬とかも飼ってみたら可愛くなっちゃったって話よく聞きますし、政略結婚でも縁があって仲良くしてみたら好きになっちゃって~っての、よくある話らしいですからね」

「そうかもしれないな」

「いやーしかし、奥様と仲良くなってくれてありがたいって騎士団内でもみんな喜んでるんですよ! 団長目当てのご令嬢が大量に失恋して余ってるんで『かきいれどき』って言われてて! できれば末永く奥様と仲良くやっていってもらいたいっすね~」


 エイノは無意識に自分の銀髪をいじった。犬といえば、ヘルジュは白っぽいものが好きだというようなことを言っていた。ならば次の夜会服はそのイメージに寄せてみるか……などと思案していたので、ヨハンの話などほとんど聞いちゃいなかった。


「オレも協力しますんで、奥様とのことで何か困ったことがあったら何でも相談してくださいよ!」


 ね、と念を押されて、意識が引き戻される。


 困りごとといえば、ひとつ思い当たる節があった。


「そういえば、アーレ伯爵について何か知っているか?」

「奥様のご実家ですか? いえ、会ったことすらないですね」

「誰か親しい人間がいたら紹介してほしい」

「分かりました、声かけてみます! やっぱ奥様のご実家の人たちとは仲良くしたいですもんね!」


 ヘルジュは不自然なほど自分のことについて話さないが、どうも実家に関する話題を避けているように感じた。修道院に行きたくないとエイノにすがるのだから、何か事情を抱えているのだろう。


 アパートを買って欲しいと言われたときはやはり嫌われていたかと目の前が暗くなる思いだったが、どうやら誤解だったと分かった今は何も怖くない。


 屋敷に置いてほしいというのなら置いてやろうじゃないか。


 ――エイノの妻として。


 浮かれきったエイノの百面相はすっかり噂の的になっていたが、当人は幸せで周りが見えなくなっていたのでまったく気にしてはいなかったのだった。


◇◇◇


「遊びに行こう」


 エイノがそう言うのなら、ヘルジュはついていくのみだ。たとえ未知の空間で見知らぬ遊びをするとしても、断るという選択肢はありえなかった。


 しかし――


 森の管理人から借りた大型の馬を前にして、ヘルジュは完全に固まってしまった。さらにエイノはこの大きくて力強そうな生き物にまたがれという。どう考えても引きずり落とされそうだ。


 エイノは悄然としてヘルジュをのぞき込んだ。


「動物は好きだと思っていたが、違ったか?」

「好きは好きですが……馬は、その、初めてで」

「乗ったことがない?」


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