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◇◇◇
それから何週間かは、来るパーティラッシュに向けて、連日買い出しに繰り出した。
ドレスができあがるまでに時間がかかるので、パーティもそれ以降の参加だということだった。
夜会用の服だけでなく、昼に着るドレスも数え切れないくらい用意してもらい、ヘルジュは恐縮のし通しだった。
(こんなにたくさんあっても、着られません……っ)
「も、もう十分です、そんなにいりません」
すると彼は不思議そうな顔つきになった。
「いらないならメイドにでもやればいいだろう」
「そ、そんな、エイノ様からの贈り物を人にあげるなんて……」
「ん? いや、お古をメイドに下げ渡すのはよくあることだから、それは気にしなくてもいいが……」
エイノは少し考えてから、ヘルジュをうかがうような仕草をした。
「……伯爵家ではメイドに何も渡さなかったのか?」
「ええと……はい」
「家ごとにやり方が違うものなんだな」
ヘルジュはドキドキしながら、話題が過ぎるのを黙って待った。
(メイドなんてつけてもらったことがないと言ったら、驚きますよね、きっと)
何も知らない、使えない娘だと思われるのが怖くて、ヘルジュは何も言えなかった。
エイノが満足するまで買い物をしたあと、彼が最後の仕上げとしてヘルジュに念を押してくる。
「他に欲しいものはないか?」
「いえ、必要なものは特にありません」
ヘルジュはそう言って断ったが――
「本当に? 読みたい本や、足りない毛糸などはないのか?」
思いもよらない質問をされ、ヘルジュは困ってしまった。
「本は読みませんし、刺繍も……」
「ピアノの新譜は? 新作の茶葉と陶磁器でも買い付けて、知人とお茶会でも開いてみるか? 何か見たい公演があれば、そのチケットでもいいが」
「いえ……」
ピアノは弾いたことがない。お茶会も参加したことがないので、どうすればいいのか分からない。演劇なんて、家に呼ばれていた劇団の物音を遠くから聞いたことがあるだけだ。
「散歩が好きなら、ピクニックのセットでも買おうか?」
「……いえ、それほど……」
エイノは笑みを凍り付かせた。
「……お前は普段は何をして過ごしているんだ?」
(そういえば、私って、趣味らしい趣味がないですね)
あらためて指摘されると落ち込んでしまう。ヘルジュは面白みのない自分を情けなく思いながら、この三年間のことを思い返してみた。領内の用事を、家政婦長と一緒に片付けてはいたが、逆に言うとしていたのはそれくらいだ。
「領地のお屋敷にいたときは、家政婦長の言う通りに、お屋敷の細々としたことをしていました」
エイノはいよいよ変な顔になった。
「お前が家政婦長に用事を言いつけていたのではなく? 家政婦長がお前にすることを指示していたのか?」
「ええと、はい……」
ヘルジュなどはただのお飾りなので、大した仕事もできず、ほとんどが家政婦長頼りだったが、それでも忙しかったのを覚えている。
「何だ、それは。どういうことだ……?」
エイノは眉間にしわを寄せている。
「あ、あの……私は貴族の女性らしいことはほとんどできませんので、指示をいただけてかえって助かったんです」
エイノは『どうしたものか』と言わんばかりに唸った。
「いや、別に、お前は何もしなくたってよかったんだが……領地を治める事務官はちゃんと置いているし、雑用を任せるために家政婦長を雇っていたわけだからな」
「そ……そうだったんですね。私のような無知で何もできない人間がしゃしゃり出る幕などなかったのに……」
「違う違う。好きなことをしていてもよかったはずなんだが、どういう了見でヘルジュを働かせてたのかということだ。お前も拒絶すればよかっただろうに、どうしていいなりだったんだ?」
「わ、私は、場違いに連れてこられた仮の妻だったので……できる限りのことはお手伝いしないとと思っておりました」
ヘルジュには、何かを言いつけられて断るなどという発想がそもそもなかった。そんなことをしたら、すぐに追い出されてしまうと思っていたのだ。
エイノは頭をかいた。
「……まあいい、使用人の処遇はあとで考えよう。それより」
エイノはヘルジュを手招きして、手近なカフェに入った。
秋ののどかな日差しに照らされ、黄金色に輝くテーブルにふたりで腰かける。
エイノは適当にコーヒーを注文し、ヘルジュに向き直った。
「少し聞きたいが、いいか? もしも『時間もお金も好きなだけやるから、好きなことをしなさい』と言われたら、お前は何をしたいと思う?」
ヘルジュがぱっと思いついたのは、夢の『市井で年金暮らし』のプランだった。
「町中に、小さなアパートを買って……」
「アパート? 屋敷とは別に、プライベートな部屋がほしいということか?」
「はい。それで、白い犬と一緒に住むんです」
「……」
エイノは難しい顔をして黙ってしまった。
「それで、一日中、犬の散歩をしたり、好きな食べ物を買って料理したり……おうちのお掃除をしたり……好きなように暮らすんです」
(なんて素敵な暮らしなんでしょう)
修道院にいたころは一日中教会を掃除したり、炊き出しの料理を作ったりと、人のために立ち働いていたので、自分のためだけに働けばいいのはとても気楽なことだ。
エイノの妻として、領主夫人の仕事をするのも生易しくはなかった。絶えず辞めるメイドをしょっちゅう募集にかけては新しく仕事を教えなければならなかったし、ケンカする村民の仲裁やら、道の修繕やら、やることは山ほどあった。
「……それは『好きなこと』というか……まあ、アパートと白い犬の件は分かった。では、君が伯爵令嬢としてアーレの屋敷にいたときは? 何をして遊んでいた?」
ヘルジュはだんまりを決め込むことになった。
(遊んだ記憶はありません、などと言ったら、エイノ様はどのようにお思いになるのでしょうか)
「ダンスもしたことがないと言っていたな」
「……お恥ずかしながら」
エイノは慌てたように、ヘルジュの手を取った。
「責めてるわけではないぞ。それによく考えてみれば、私も別に趣味らしい趣味はない。小さいころから剣術と射撃とスポーツと用兵論と……騎士団長に必要な技能はたたき込まれたが、楽しくてやってたかと言われるとそうではなかった」
ヘルジュは趣味というものに思い入れはないので、エイノの話にも要領を得ないまま、『そうなのか』と思った。
「趣味なんかなくてもまったく構わないが……何をしたらヘルジュが喜ぶのかと思ってな。これも償いの一環だと思って、試しにしてみたいことを挙げてみてくれないか?」
ヘルジュは少し浮き足立った。
今こそ、あの年金暮らしのプランを話すときかもしれない。
「り……離婚のときは、年金をいくばくかいただけると……私、修道院には戻りたくないので、市井で暮らせるくらいいただけると、とてもうれしいです」
エイノはみるみるうちに険しい顔になり、ふっつりと会話が途切れてしまった。
ヘルジュは焦ったなどというものではない。
(ず……図々しい女だと思われたのでしょうか)
市井で暮らせる程度の金額、と軽く言ってしまったが、大金である。
ふたりして無言でコーヒーを飲み、エイノに「そろそろ行こうか」と促されて、席を立つ。
「あっ……あの……」
黙ってヘルジュの手を引いて、少し足早に進むエイノに恐れをなし、ヘルジュは一生懸命話題を考えた。
「私、エイノ様にはとても感謝しているのです。エイノ様に拾っていただいたおかげで、元いた修道院の物資不足に巻き込まれて死ぬのも免れましたし、だから」
「ちょっとすまない、黙っていてもらえるか」