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「あのお嬢様にはとてもよくお似合いでいらっしゃいましたけど……私はもう少し大人しいものの方が」

「そうか? それならサファイヤみたいに深い青色なんかどうだ。ヘルジュの金の髪に映えてきっときれいだ」


 ヘルジュは思わずエイノを見た。


 休日だからか、銀髪が無造作に一部跳ねているが、冷たい印象の灰色の瞳にはきっとサファイヤみたいな青が似合うのだろうと思ってしまう。


「……私より、エイノ様の方がお似合いになりそうです」

「なら揃いであつらえるか?」

「お、恐れ多い……!」

「何が? 夫婦なんだから揃いのドレスで現れても問題はないだろう」


 エイノはうりうりと頬を両手で挟んでもんだ。


「やわらかいな、リスのようだ。ヘルジュは手触りがいい。もっと触ってもいいか?」


 エイノの密着攻撃にはいちいち飛び上がらなくなってきたヘルジュだったが、さすがにそれは聞き捨てならなかった。


「お、お昼から、そういうことは、ちょっと……」

「そうか」


 とエイノは案外あっさりと手を離す。


 それから何かいたずらでも思いついたのか、悪い笑みを浮かべた。


「夜なら許してくれるんだな」

「!!」


 エイノには何度も赤面させられたが、今回もヘルジュは不意打ちに耐えられなかった。


 すさーっとソファの反対側まで移動し、エイノとの間にクッションを掲げる。


「冗談に決まってるだろう。そんなに隅っこに行くな。こっちに来い」

「す、少しお待ちを……」


 落ち着く時間がほしい。ヘルジュは無様に火照った自分の顔を見せたくなくて必死だった。


 クッションのスキマからじっと目だけで非難がましくエイノを見つめていると、しまいにエイノがクックックと声を殺して笑い始めた。


「目だけ出して様子を窺っているとますます小動物だな。ものすごく可愛いが、わざとならあざとい」

「ち! 違います!」


 反射的にクッションを脇にどけたせいで、遮るものがなくなってしまった。


 エイノは穏やかで優しい目をしてヘルジュを見下ろしている。


(綺麗な男の人……)


 五歳も年上の男性に抱く感想ではないが、近頃のエイノはドクターが言っていたように無邪気な少年のようなので、なおさら幼く、中性的に見える。


 子どものようになってしまったのは、戦争の無茶がたたったせいだという話も思い返して、ヘルジュはきゅっと胸が痛くなった。


(可哀想な旦那様)


 ヘルジュは不思議な保護欲をかきたてられていた。


(私がきっと治してさしあげます……っ)


 本人には言えない決意を秘め、ヘルジュは行き場のないやる気を持て余して、エイノの手に自分の手を重ねて、握り締めた。


「……この手は何だ?」


 エイノから弱りきった声で聞かれ、ハッとする。


(奇行に走ってしまいました……っ)


 後悔してももう遅い。


 あっという間にエイノが身を乗り出してきて、こめかみにキスをされた。


 何も言わずに寄り添い合う。


 その時間が長くなるにつれて、ヘルジュはまたしても動悸がしてきた。こんなに距離が近かったら、仮初めとはいえ結婚しているのだという事実を否が応にも思い出してしまう。


(こんなに煩悩まみれで、私はちゃんと修道女に戻れるのでしょうか)


 むせかえるような甘い雰囲気は、エイノの手によって壊された。


「食事にしたら、午後からまた服を買いにいこう。予定が詰まってるから、しばらく忙しいぞ」


 そう言って手を離してもらったとき、ヘルジュは心の底からホッとした。開放感のせいで、少し気が緩んだのかも知れない。


「喜んで……っ」


 大げさな言葉が口をつき、エイノからうれしそうな笑みをもらってしまったヘルジュは、再び甘い空気に巻き込まれることになったのだった。


◇◇◇


 ヘルジュは再び商店街で生地の海と戦う羽目になった。


「この国は寒いから、暖かいドレスを仕立てようか」


 店員は次から次へと綺麗に巻かれた反物を見せてくれる。カシミヤやビクーニャのドレスは値段の桁がひとつふたつ違っており、ヘルジュは震え上がったが、エイノは躊躇せずにそろいの外出用コートやイブニングラップまで一式買い上げてしまった。


 イェルヴァレース、ヴィリャンディレース、ヨグヴァレースと、産地別の精緻なレースを見せられ、ヘルジュは目を回す。


 それぞれ、(雪の結晶みたい)だとか、(ユキヤナギの綿毛みたい)などと、子どもでも言えそうな感想は浮かんでくるものの、ドレスにぴったりのものを選べと言われても、どうすればいいのか分からなかった。


「私の妻は控えめな柄のものが好みだそうだから、紙のように薄くて透けるレースを」


 横でエイノが口を出してくれなかったら、ヘルジュは一生決められなかっただろう。


 店員さんは笑顔でそこから構想を引き出してくれた。


「それでは繊細なレースを数枚束ねてカフスに……袖口もタイトなものにいたしましょう。スカートの折り襞も控えめに、カシミヤの繊細で美しい風合いがよく見えるようにきっちりと張って」


 どんどん決まっていき、ヘルジュはホッとしながらオーケーを出した。


「それと、私と揃いのドレスも着てくれる約束だったな、奥さん?」


 からかい気味に確認を取られて、ヘルジュは頬を染めた。


 目の覚めるようなロイヤルブルーやプルシアンブルーの生地がかき集められ、それぞれドレスのふくらみを想定してパニエの上に置かれたり、ダンスで翻る裾を想定してふりふりと振り回されたりした。光沢のあるタフタが宝石のような輝きを放ち、サージが控えめに照り返して暖かい風合いをまとった。


 ヘルジュはだんだん申し訳なくなってきた。


(わ……私のような垢抜けない女には、百年早いような美しい生地ばかり……)


「決まらないなら、とりあえず全部頼もうか?」

「そ、そんな……っ!」


 そんなにあっても、クローゼットの中が美しくなるだけである。


 ヘルジュはやぶれかぶれで、一番エイノに似合いそうな色を指さした。


 ドレスは通年で着られるデザインで決まり、店員がそっとエイノの顔色をうかがった。


「最正装であればこちらのデザインが最もおすすめですが、もしも胸元の空き具合が気になるということでしたら、ファーで覆うことにより、品よく仕上げることも可能ですよ」

「見せてもらおう」


 ヘルジュはひたすらもう帰りたいと思いながら、首元の装飾まで選ばされることになったのだった。


◇◇◇


 深夜、もう寝ようかという頃合い。


 ヘルジュはドキドキしながらエイノの部屋の前に立っていた。


 夕飯のときにエイノから仕事を申し渡されたのだ。


「夜、寝る前に少し時間をもらえないか? ヘルジュの話を聞いて、ゆっくりリラックスしてから眠りにつきたい」

「……わ、分かりました」


 深夜に男性の寝室を訪ねるなど、大胆すぎる行動だ。


(旦那様は病気療養中の身。妻の私のケアが必要……)


 自分自身に言い聞かせ、勇気を振り絞ってきた。


 ヘルジュはすでにドレスを脱ぎ、くつろいだ格好に分厚いニットを羽織っている。


 ドアから出迎えてくれたエイノも似たり寄ったりの格好をしていた。


「来てくれてありがとう。困ったことに今日もさっぱり眠れそうにない」


 エイノが嘆いてどさりとベッドに腰掛ける。


「朝にドクター・トムソンが来ていただろう? 彼には悪いが、顔を見るとどうしても戦地の嫌な記憶が芋づる式に蘇ってくるんだ」

「まあ……それはお辛かったですね」


 ヘルジュに戦争の経験はないが、眠れない夜はあった。

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