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1 修道女の品評会

 それは雪深い国の、春に起きた出来事だった。


 ――『氷の騎士団長様』が来た。


 修道院の子たちが口々にそう噂している。地味な修道女の衣服の陰に口元を隠して、密やかに。


 でも、ヘルジュにはまったく意味が分からなかった。


「何が来たんですか?」


 見習い仲間のエリーに問うと、彼女は声を潜めて教えてくれた。


「『氷の騎士団長様』の花嫁探しよ」

「……修道院で?」


 普通、そうしたことは夜会などで行うのではないかと思ったが、エリーは確かだと言ってうなずいた。


「ええ、そういう噂よ。実は私も、それ目当てで見習いに来たの」


 エリーはちっとも修道女の見習いらしくなかった。お祈りの言葉も覚えたがらなければ、おしゃれにもこだわっていて美しく、宛がわれた仕事もしたがらない。


 きっと修道女になる気が失せて、俗世に戻るつもりなのだろうとヘルジュもぼんやり察していたが、まさかお見合いのために来ていたとは。


「身廊に来なさい。あなたもよ、ヘルジュ」


 ヘルジュはエリーと一緒に歩きながら、どうして自分も呼ばれるのだろうと思っていた。


 礼拝堂にはたくさんの人がいた。

 女の子たちが横に並んでいる。


「あなたはあっち、あなたはこっちよ」


 ヘルジュは少しはみ出して、女の子の背中越しに前をのぞき見た。


 修道院の院長たちの姿が壇上に見えた。一緒にいるのは馬車に乗ってやってきた人たちだろう。


 院長先生が何か喋っている。よく耳を澄ませると、内容が切れ切れに聞き取れた。


「うちの修道院は貴族の血を引く娘も多いのです。ちょうどあの列にいるのは血統のいい娘たちばかりで――左側が東部地方、右側が中央出身の――高位貴族から順に前に立たせておりまして――」


 出身地と身分別に分類され、並べられた少女たちを、見知らぬ貴族風の男たちが無遠慮にじろじろ眺め回している。


 まるで家畜の品評会だ。


 ヘルジュは不安から、落ち着きなく壇上の様子を探った。


 修道院長から直接説明を受けている男性が、おそらく『氷の騎士団長様』なのだろう。


 ヘルジュは男性の放つ威圧感と、それに伴うほのかな色香に息を呑んだ。


(すごくカッコいい人……でも、なんだか怖そう)


 男性は見るからに貴族的で、人を使うことに慣れきった横柄な態度をしていた。銀髪が降りかかる灰の瞳は険しく細められ、獲物を品定めする猛禽を思わせる。身長は隣の男性と比べても明らかに高いので、190センチくらいだろうか。分厚い現代風のコートを着込んでいても服に負けていないと感じさせる程度には、身のこなしも堂々としている。


 ヘルジュが熱心に見つめていたせいなのだろうか。男性もまた、ヘルジュの方を見た。


 視線が絡み合う。


 お互いに、身動きひとつ取らずに静止した。


 男性はヘルジュを見て何を思ったのだろう。


 きびきびとした動作で腕を上げて、ヘルジュを指さした。


「あの娘を」


 周囲がざわざわとしている。でも、ヘルジュは魅入られたように口もきけず、動けなかった。


「一番みすぼらしく、従順そうだ。お飾りの妻にはちょうどいい」


 家畜のように並べた娘への、容赦のない品評。


 ため息のような声があちこちから漏れ、嫌悪とも同情ともつかない厳しい視線がヘルジュに寄せては返す。


 そしてヘルジュは、『氷の騎士団長様』への輿入れが決まった。


◇◇◇


 ヘルジュは結婚に対して意見を言う機会も与えられなかった。『氷の騎士団長様』をどう思うかすら問われなかったので、ヘルジュの私情など本当にどうでもいいことだったのだろう。


 馬車に乗るよう命令され、着の身着のまま、わずかな私物をまとめる時間をもらう。聖典、エプロン、下着や靴下類。民芸品のニットカーディガン。最後にガサガサした分厚いウールの防寒具を羽織った。荷造りはそれで終わりだ。


 途中でエリーがやってきて、形ばかり「おめでとう」と言ってくれた。


 そのときになってようやくヘルジュはぼんやりと疑問に思う。


「……おめでたいことなのでしょうか」

「当然じゃない!」


 エリーは『氷の騎士団長様』について、あれこれと教えてくれた。


『氷の騎士団長様』は二十歳になったばかりの美青年で、その優美な容貌だけでも『素敵な男性がいる』と社交界で騒がれるほどだったという。さらに、先ごろ亡くなった父親から騎士団長職と公爵位を継いで以来、株価がますます高騰し、結婚したい相手ナンバーワンの地位に躍り出た。これは貴族令嬢たちが放っておかないということでたくさんのパーティから招待がかかったけれども、当人はほとんど応じない。地位から考えれば明日にでも結婚しなければまずいほどの重要人物なので、嫁探しはするようだが、その方法が各地の修道院を回ってめぼしい娘を探すなどという方法であったから大騒ぎとなった。


「私も騎士団長様との結婚を夢見て修道女の見習いにまでなっちゃったけど、いやー、まさかあそこまで冷たい方だとは思わなかったわ」


 エリーの言葉にヘルジュの胸がズキリと痛む。


『お飾りの妻にはちょうどいい』


 それが結婚への期待に胸を膨らませる人間の言葉でないことくらい、状況がよく呑み込めていないヘルジュにも分かった。


 彼は家畜の品評会から、一頭めぼしい羊を引き取ったまでのことなのだ。


「ヘルジュを指名されたときは悔しいって一瞬思ったけど、だからって、あんな、ねえ? 『みすぼらしい』だなんて、思っててもわざわざ口に出す、普通? ヘルジュが可哀想になっちゃった」


 あけすけなエリーの言葉はややもすると悪口を言っているかのようだったが、悪意はこもっていない。もともと歯に衣着せぬたちの少女で、彼女なりに心配して言ってくれているのだと、ヘルジュには分かっていた。


「ねえ、大丈夫? 騎士団長様、あなたがおとなしくて逆らえない女に見えたから選ぶって、はっきり言っていたわよ。断るのなら今のうちじゃないかしら?」


 エリーの問いに、ヘルジュははっきりと「平気です」と答えた。


「本当に辞退しないつもりなの? 家格だって釣り合わないんじゃない?」


 エリーの念押しはどこか『辞退してほしい』と思っているかのようだったが、ヘルジュは考えすぎだと思うことにした。代わりに、辞退しない理由を口にする。


「私は不本意ながら修道院に参りましたので。行き先がどこになろうとも居心地が悪いのは同じことです」


 とはいえ、修道院に来る以前のヘルジュにも、人並みの結婚願望はあったので、騎士団長の言葉には落胆していた。


 結婚相手とはお互いに望み、望まれる関係でいたかったのだが、きっとそれは『氷の騎士団長様』に願っても仕方のないことなのだろう。


「贅沢を言えば……プロポーズに『君に一目惚れしたから』くらいのことは言われてみたかったです」


 冗談めかしてほのかに笑うヘルジュに、エリーも同意してくれた。


「手紙を書くわ! また会いましょうね」


 それが別れのあいさつになった。


 エリーに見送られて、ヘルジュは騎士団長の馬車に乗り込んだ。


 中にはすでに『氷の騎士団長様』が待機していて、冷たい視線にさらされるのが、ヘルジュに課せられた最初の試練となったのだった。


 下を向きつつ、こわごわと彼を盗み見る。目を合わせる勇気はなかったが、どんな人かは気になっていた。


 氷の騎士団長様は、馬車から身を乗り出して出発を促し、低めの天井に気をつけながら座り直した。


 馬車が滑るように走り出す。


 騎士団長様は座席で長身を居心地悪そうにかがめている。貴族的で華やかな容姿とあいまってか、なんとなく『ひょろ長い』という感想が浮かんだ。

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