97 ショータイム その3
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今回もただひたすらネタを披露するだけの話です。
ストーリーに進展はないので、読み飛ばしていただいても大丈夫です。
よろしくお願いします。
3人目の挑戦者は、ギータという名だった。ゲンが唯一面識のない、ギターを持った男だ。
ギータが別室に入り、マイクの前に立ったのが見えた。と同時に、5分間がスタートした。
「俺はギータだ! よろしく! 早速だが、俺の歌を聴いてくれ!」
簡単な自己紹介を済ませると、ギータは激しくギターをかき鳴らした。
「このCVは、声優界きっての歌うま、佐久武昭じゃねーか! 今からさっくの歌声が聴けんのか? そりゃすげーな。しかもタダとか、控えめに言ってやばすぎんだろ!」
ギータの声の主を一瞬で特定し、ゲンは心の中で興奮した。
「まずは、俺が今までに付き合ってきた女たちに贈る歌だ。タイトルは、マイハニー!」
ゆったりとしたテンポでギターを弾きながら、ギータは歌い始めた。
「ありがとう、マイハニー。君は俺を愛してくれた。
さようなら、マイハニー。俺も君を愛していたよ。
君と過ごしたあの日々は、かけがえのない宝物。
君のそばにいたあの時を、俺はいつまでも忘れない。
君と出会えたからこそ、俺は素直になれた。
君がいてくれたからこそ、俺は強くなれた。
何度季節が変わっても、俺は君を思い出す。
どれだけ時間が流れても、俺の心には君がいる」
ギータはかなりの美声だった。伸びのある声で切々と歌い上げていた。ゲンが興奮したとおり、相当な歌唱力も持ち合わせているようだ。
ボディーガードの男たちは、その歌声に聞き惚れているように見えた。ただ、金田の娘だけは全くの無反応だった。
「ああ、君の名前を呼びたい。君への感謝を伝えたい。
どんな大声で歌っても、君に届くことはないけれど。
だけど叫ばずにいられない、この熱い想いだけは。
だから俺はここで叫ぶよ。マイハニー、君の名前を。
ああ、俺を愛してくれた人、その名は……!」
ギータの歌がそこで途切れる。そして、その続きを欲する聴衆を焦らすかのように、その後はギターの音色だけが続いた。間奏に入ったのだろうか。
やがてその演奏も終わり、静寂が訪れた。そして、その次の瞬間、ギータが口を開いた。
「はい、終わり~! 俺は彼女いない歴=年齢~!」
そこでどっと大きな笑いが起きた。男たちは誰もが笑顔だった。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ~!」
もちろんケールも激しく笑っていた。ゲンも思わず噴き出したが、ケールの笑いによりあっという間にしらけてしまった。サムもボブも同じだったようだ。
だが、金田の娘だけは例外だった。決して笑うことはなかった。
「言い訳にしか聞こえないかもしれないが、俺は恋愛よりも友情を優先してきたんだ。だから、次は友人たちに捧げる歌を聴いてくれ。タイトルは、マイフレンド!」
ギータは歌い始めた。伴奏はかなりアップテンポな曲調だった。
「持つべきものは友、だと心から思う。
俺は何度もお前たちに助けられてきた。
お前たちはいつも俺を励ましてくれた。
お前たちはいつも俺の心の支えだった。
お前たちがいなかったら、俺は今ごろ、
どこでどうなっていたかもわからない。
今までありがとう、マイフレンド。
これからもよろしく、マイフレンド」
ギータの歌が会場に響き渡る。心に染みるような美しい声だ。
「お前たちに感謝を伝えたい。心の底から伝えたい。
直接言うのは恥ずかしいから、この歌に託して伝えたい。
聴いてくれ、友よ。感じてくれ、友よ。
笑ってくれ、友よ。泣いてくれ、友よ。
これが俺の魂の叫びだ。ワン、ツー、スリー、フォー!」
ギータの演奏が激しさを増した。頭を大きく振りながらギターを弾くその姿から、胸に秘めた熱い想いが伝わってくるようだった。
やがてギターの音が止む。そして、ギータが言葉を紡いだ。
「はい、終わり~! 生まれてこの方、俺ぼっち~!」
再び大きな笑いが起きた。
「ちなみに、お友達から始めましょうと女に言われたことなら何度もあるんだが、これは友人に入るのか? だとしたら、100人は余裕で超える」
さらに大きな爆笑の輪が広がる。が、娘だけはその輪に入ることを拒否していた。
「……久しぶりのライブで張り切りすぎた。今の歌で喉を痛めてしまったようだ。これではもう歌えない。すまないが、ここからはトークタイムだ。俺の与太話でも聞いてくれ」
ギータは喉を押さえるような仕草を見せた。真偽のほどは定かではないが、これもネタの一部なのかもしれない。すぐにギター漫談を始めた。
「この前、近所の公園で弾き語りの練習をしていたら、中学年くらいの坊主に声をかけられたんだ。その坊主は、俺の演奏に感動したらしく、将来は自分もギターが弾けるようになりたいと言っていた。いや~、嬉しいね~。がんばれよ、坊主。そして……」
そこでギターを弾く手が止まる。そして、その次の瞬間だった。
「俺も坊主~! 丸坊主~!!」
ギータは頭髪を掴んで床に投げつけた。毛のない頭がむき出しになっている。ギータの髪型は、どうやらカツラだったようだ。
ギータの突然の行動に、男たちは爆笑で応えた。手を叩いて喜んでいる者もいる。おそらく、今日一番の笑いと言っても差し支えないだろう。
ゲンも腹を抱えて笑いたかったが、ケールの笑い声によって一瞬で阻止された。
唯一表情を変えなかったのは、やはり娘だ。これでも笑わないその姿には、不気味さすら感じられた。
「最近、近所にラーメン屋ができたんだ。麺もスープも絶品で、俺は一瞬でその店の虜になった。何度か通っているうちに大将とも仲良くなり、よく雑談もするようになった。聞けば、その大将、脱サラして裸一貫で開業したらしい。裸一貫か、実にすばらしい。そして……」
再びギータは弾く手を止めた。
「俺も裸~! パンイチ~!!」
そう叫んだ次の瞬間、ギータは白いブリーフ一丁の姿になっていた。一瞬で服が破れたように見えた。そういう細工が施されていたのかもしれない。
予期せぬ展開に、再び大きな笑いの渦が巻き起こった。文字どおり腹を抱えて笑っている者もいた。
だが、娘はやはり笑わない。笑いに対する周囲の男たちとの温度差は、一目瞭然だった。
「去年、地元の商店街でストリートライブをやったんだ。事前告知なしのゲリラライブだったにもかかわらず、大勢の観客が集まってくれた。ノリのいい観客たちだったおかげで、大いに盛り上がった。あのときは本当に感動した。これもひとえに、集まってくれた観客のおかげだ。そして……」
またもギータはそこで言葉を切った。静寂が一瞬だけ会場を包み込む。
「俺も一重~!」
そう叫びながら、ギータはサングラスを投げ捨てた。ゲンには後ろ姿しか見えないため、ギータがどんな表情をしているかまではわからない。
だが、どっと笑い声を上げる男たちの様子から見て、おそらくかなり滑稽な顔をしているのだろう。より面白おかしくするために、サングラスの下に何らかの落書きをしていたのかもしれない。
相も変わらず娘だけは笑わない。まるで感情が欠落しているかのように、ただひたすら無表情を貫いていた。
「こりゃやべーな……」
ゲンは内心焦っていた。ギータの姿を見て、不安に駆られずにはいられなかった。
もし自分の番が来たら、自虐ネタで行こうかと漠然と考えていた。それが一番手っ取り早い。自らの容姿や経歴、趣味などを揶揄しようかと思っていたが、先を越された。
ギータが披露しているのは、まさにその自虐ネタだ。勢いもスピードもあり、男たちにはかなりウケているが、娘には全く効いていない。
この後ゲンが自虐ネタに挑戦しても、ギータの二番煎じにしかならない上に、同じ結果に終わるのは目に見えている。他の題材で勝負するのが賢明だが、今からネタを考えるにはあまりにも時間が少なすぎた。
「最近の俺の趣味は、人間観察だ。ここに来るときも、道行く人間たちを観察していた。本当に世の中にはいろいろな人間がいる。ずっとスマホを見ながら歩く者もいれば、何かをブツブツと呟きながら進む者もいる。風景を眺めながら散歩する者もいれば、足早に通り過ぎていく者もいる。背後を気にしている様子の者もいれば……」
そこでギータは手を止めて、しばしの沈黙を作り出した。
「俺も入れ歯~!」
口に手を入れたかと思うと、ギータは何かを投げ捨てた。その発言に偽りはなく、それは確かに入れ歯だった。直後に起こったどよめきは、すぐに笑いに変わった。もちろん、笑っているのは男たちだけだ。ターゲットだけは全く表情を変えない。
「こう見えて、俺はよく人から声をかけられる。道や時間を聞かれたり、カメラのシャッターを頼まれたりすることは日常茶飯事だ。俺が気さくで、話しかけやすそうに見えるからかもしれない。人がよさそうともよく言われる。つい先日も、散歩中に声をかけられた。その内容は……、職務質問~! この格好で歩いてたから、職務質問~!」
「この前、合コンに行ったら、女の子が『結婚するならやっぱり3高かな~』とか言い出したんだ。聞けば、高学歴、高身長、高年収な男のことを3高と呼ぶらしい。なるほど、高いものが3つあるから、3高か。なかなかうまいネーミングじゃないか。それなら……、俺も3高~! 高血圧、高血糖、高脂血症~!!」
ギータはテンポよくさらに畳みかけた。男たちはずっと笑っている。今もし娘に万が一のことがあったとしても、これではとても守ることはできないだろう。
当の娘はやはり笑わない。まるで笑い方を忘れてしまったかのように、ただただその顔に無表情を張り付けていた。
「……最近寝不足で、少し眠くなってきた。ライブの途中だが、悪いが欠伸をさせてくれ」
ギータはそう言うと、両手を高く突き上げた。ゲンには見えないが、きっと大きな欠伸をしているのだろう。
その直後に笑いが起きる。その理由はすぐにわかった。触れていないにもかかわらず、ギターの音が鳴り響いているのだ。
「しまった! 欠伸のタイミングを間違えた!」
ギータが頭を抱え込んだ。わざとらしいほど大袈裟に見えた。もしかしたらこれもネタの一部なのかもしれない。
「見てのとおりだ。俺はギターは弾けない。ギター以外も弾けない。この音楽は、ギターの中に仕込んだレコーダーから流れている。知り合いに頼んで演奏してもらって、それを録音した。俺は音楽に合わせて、ギターを弾いているふりをしていただけだ」
ギータは決まりが悪そうに頭を掻いた。
「俺はミュージシャンでもなければ、芸人でもない。ただのニートだ。職歴もない。俺は働くつもりなど一切ない。なぜなら、働けば会社に拘束される。いろいろなルールで束縛される。俺は自由に生きていきたい。俺は何かに縛られる生き方は嫌なんだ。でも……」
一瞬だけ会場に沈黙が流れた。
「こうやって縛られるのは大好き~!」
ギータが両手を腰の後ろに回すと、男たちが一斉に哄笑した。ただ一人だけ全く興味を示さなかったのは、言うまでもなく娘だ。
「……おっと、もうライブも大詰めだ。もう時間も残り少ない。みんな、最後にこれだけは言わせてくれ」
ギータはマイクに顔を近づけた。
「今まで俺の歌を聴いてくれたみんなに、ここまで俺のライブを見てくれたみんなに、最後まで俺の話に付き合ってくれたみんなに、どうしても伝えたいことがある。どうしてもこれだけは言っておきたい。言いたいことはただ1つ。そうだ、もうわかるよな? それは……」
ギータはいつものように会場を静寂で包み込んだ。
「う◯こ漏れそう!」
次の瞬間、ギータは両手でお尻を押さえた。直後に会場は大爆笑に包まれた。だが、その中に女の声は混じっていない。娘はやはり笑わなかった。異常なまでに落ち着いていた。
そこでタイマーが0になり、ギータの挑戦は幕を閉じた。かなりの笑いを提供していたが、標的の心にそれを届けることはできなかった。
ギータが頭を抱え込んだところで、映像と音声が途絶える。直後に入室した遠藤が、次の挑戦者の名を告げた。




