9 暗闇
「じゃあ、行ってくる~」
i子の姿が闇に吸い込まれるように消えた。尻尾の先から放たれていた光は、入った瞬間に見えなくなった。
「i子ちゃん、大丈夫かしら……?」
ミトは不安そうだ。いくら止めてもi子は聞かなかった。
「おっさん、この城の中には何があるんだ?」
「聞きてーか? 原作どーりなら、この城の――」
「ダメだった~。中は本当に真っ暗で、この光も役に立たなかったよ~」
i子が戻ってきた。光を放つ尻尾の先を、クルクルと回している。
「こりゃ入ったらあかんやつだな。確か原作でもこんな感じだが、ここはオレが考えてた以上に闇が深い。今はスルーして――、うわっ!」
暗闇を覗き込んでいたゲンは、ふいに背後から突き飛ばされた。その体が、闇の中に吸い込まれるように消えて行った。
中はただ濃密な闇が広がっているだけで、光は一切ない。流れる空気は埃っぽく、ひんやりとしていた。
足元で何かが転がったような乾いた音がした。何かを蹴り飛ばしたようだ。それが何なのかはなんとなく予想がついた。
「オマエら、何の真似だ! ふざけんじゃねーぞ!」
ゲンは振り返り、外に向かって叫んだ。返事はない。代わりに聞こえてきたのは、どこかで鍵がかかったような音だった。
「――まさか!」
両手を突き出し、手探りで暗闇の中を恐る恐る進む。手が何かに当たった。暗くて見えないが、その手触りからおそらく扉だろう。
ゲンの予想どおり、扉は閉じられ、鍵がかけられていた。力任せに押してもびくともしない。
「オマエら、ふざけんじゃねーぞ!」
ゲンは扉に体当たりをするが、肩や腕に痛みが走るだけだった。
「おい、オマエら! 開けろ!!」
何度も扉を叩くが、反応は一切ない。痺れたような痛みに襲われるが、構わず叩き続けた。ゲンの拳の音と叫び声が壁に反響し、真っ暗な空間にこだまする。
「――ダレダ、キサマハ?」
「――!?」
突然背後から聞こえてきた声に、ゲンは思わず振り返る。暗闇で全く見えないが、何者かがいる気配ははっきりと感じられる。かなり近い。
「ワガナワバリニ、ナニヨウダ?」
少しずつ声が近づいてくる。かすかに足音が聞こえたような気がした。
「おい、オマエら! 開けろ! 開けてくれ!!」
ゲンは半狂乱になって叫んだ。さらに強く扉を叩き続ける。
「開けろ! 開けろ! ここを開けろ!!」
狂ったようになおも扉を叩き続けるが、その願いが叶うことはなかった。
原作の設定では、この城の最奥部にはモンスターがいて、潜入したユーシアたちと戦うことになっている。その正体はかつての城主の亡霊だ。声の主はその亡霊なのかもしれない。
「おい! 開けろ! 開けてくれ! オレをここから出して――!!」
「――ツカマエタゾ」
「くぁwせdrftgyふじこlp」
背後から何かが肩に触れた瞬間、ゲンは言葉にならない悲鳴を上げて気を失った。
目を開けると、一面に青い空が広がっていた。いつの間にか、ゲンは外に寝かされていた。
体を起こすと、城の扉が見えた。来たときと同じように、しっかりと閉じられている。おそらく鍵もかかっていることだろう。
「……オレは、外に出られたのか……」
「おっ、気がついたみたいだな」
「よかった、生きてたのね。安心したわ」
「フン、卿は世話の焼ける男だ……」
ユーシアたちが集まってきた。だが、i子はいない。代わりにそこにいたのはデビリアンだ。
「儂がちょっと触っただけでお主は倒れた。もっと楽しめるかと思っていたが、あれでは物足りんぞ」
意地悪そうに笑うデビリアンを見て、ゲンはすべてを察した。
「やっぱりそーか。やっぱりそーか。ちくしょー……! ちくしょー……!」
ゲンは悔しそうに拳を地面に叩きつける。
「おっさん、悔しいか?」
「当たり前じゃねーか! 声を聴いた瞬間に小野田かもしれねーと思ったが、やっぱりそーだったじゃねーか! 普段なら楽勝だが、恐怖のせーで小野田ボイスだっつー確信が持てなかった! 声優ファンにあるまじき大失態じゃねーか! ちくしょー、悔しーぜ!!」
ゲンはさらに地面を叩き続けた。
「……おい、オマエら! オレをあんなとこに閉じ込めやがって! ひでーじゃねーか!」
自分への悔しさを爆発させ終わると、ゲンはユーシアたちを怒鳴りつけた。4人は冷たい視線でゲンを見下ろしている。
「おっさん、これで分かっただろ? かきかけにするというのは、つまりはこういうことなんだ」
「暗闇に一人残されて、見えない恐怖におびえながら、いつ来るかわからない助けをずっと待つのと同じなのよ」
「ククク……。卿がいかに罪深き人間であるか、身を以って実感したであろう……」
「お主のせいで儂らがどんな思いをしているか、これで少しは理解できたはずだ」
「う……。ぐう正論すぐる……」
全く反論できず、ゲンはただうつむくしかなかった。4人に囲まれて見下ろされ、今にもその重々しい雰囲気に押しつぶされそうだった。
「俺がかきかけにされてるのは町の中だからまだいいが、ミトは敵から逃げてる途中だし、忠二なんか敵の攻撃で気絶した場面だぞ。さすがにひどすぎるだろ」
「私はいつまで逃げ続ければいいのかしら……?」
「フン、卿の罪は重い……。この屈辱、余は一生忘れぬぞ……」
「いつまで儂を待たせるつもりだ。早く先に進ませろ」
「俺たちだけじゃない。他にもかきかけにされている主人公がたくさんいるんだ。長い間放置されて、みんな辛い思いをしている。i子のように、書いてすらもらってないやつもいる。それがどういうことかは、さっきので十分にわかっただろ?」
ユーシアの言葉の一つ一つがゲンの胸に突き刺さる。
「そーだな。自分が経験して初めて、オマエたちの気持ちがよくわかったぜ……。暗闇に閉じ込められて、オレはただ恐怖と絶望しか感じなかった……」
ゲンはゆっくりと立ち上がった。ユーシアとミトの間を通り抜けると、後ろ手を組んでゆっくりと歩きながら言葉を紡ぐ。
「最初は放置プレイとか被害者の会とか、すげー大袈裟じゃねーかと思ってたが、今ならその気持ちがよくわかるぜ。オレがオマエらにどれだけひでーことをしてるか、さっきのですべて理解できた……」
「そうか、わかってくれたか。それはよかった」
ユーシアは満面の笑みだ。他の3人もウンウンとうなずいている。
「要するに、かきかけにしたシーンが悪かったってことだろ? もっと楽しーシーンでかきかけにしときゃよかったんだよな?」
「……え?」
口をポカンと開けたまま、4人の動きが止まる。鳩が豆鉄砲を食らったようとは、まさにこういう表情をいうのだろう。
「うめー飯を食ってる最中とか、仲間と飲んで騒いでる途中とか、イケメンや美女とお楽しみ中とか、そーゆー楽しー状況じゃねーからオマエらは激おこなんだろ? 戦ったり逃げたりしてる最中とか、フルボッコにされた直後とか、そーゆー楽しくねーシーンで放置されてっからブチギレてんだろ? オレだって、さっきみてーな暗闇にずっと閉じ込められんのはつれーが、もしあそこがロリの楽園だったら話は別だ。むしろ放置プレイ大歓迎。なんなら一生居てもいーまである。つまり、そーゆーことなんだろ?」
ゲンは早口でまくし立てた。その表情は真剣そのもの。ボケや冗談で言っているわけではないようだ。
「おいおい、どこをどうやったらそんな答えになるんだ……」
「頭の中がどんな思考回路になっているのか見てみたいわ……」
「なるほど、卿の頭で理解できる範疇を超えていたか……」
「さっき儂らがやったことはすべて無駄だったか……」
4人が呆れたように呟く。
「しゃーねーな。元の世界に無事帰れたら、楽しーシーンになるまで適当に書き進めてやるよ。そこでかきかけにしときゃ文句はねーんだろ?」
「あ、いや……。そういうことではなくてだな……」
「もーこんなとこに用はねーだろ。さっさと町まで行こーぜ」
ユーシアの言葉を遮って、ゲンは歩き出した。
背後から4つの大きなため息が聞こえてきた。