85 激闘
「冗談じゃねー! こんなとこでタヒるわけにゃいかねーんだよ!」
ゲンの体がとっさに動いた。近づいてくる壁に向かって、すかさず剣を伸ばした。無意味で自暴自棄にも思えるその行動は、意外にも功を奏した。次の瞬間、壁の動きが止まったのだ。なんとたった1本の剣が、壁の進行を防いでいた。
驚くべきは剣の強靭さだ。ゲンと壁に挟まれ、双方から強い力が加えられているはずだが、それに耐えていた。刃が折れることも曲がることもなく、前進しようとする壁をしっかりと食い止めていた。ベリオールを倒すことこそできなかったものの、この剣がただの剣でないことはもはや疑いようがなかった。
「うぉぉぉぉぉ……!」
壁の勢いが増したのか、強い力に押されてゲンは思わず後ずさった。歯を食いしばって必死にふんばるが、ゲンの体は徐々に後退していく。このまま押され続ければ、行き着く先は背後の壁だ。燃え盛る炎の餌食となる未来が待ち受けている。
突然、ゲンの足が止まる。背後に何者かの気配を感じた。ロキだとすぐに分かった。ロキが背後に立ち、ゲンの背中を支えていた。
「ロキ……!」
「背後は俺に任せろ。お前は前だけに集中していればいい」
「りょ!」
背後に頼もしい援軍を得て、ゲンは壁を食い止めることだけに専念した。
「こりゃやべーぞ……!」
ゲンは叫んだ。壁から燃え移ったのか、炎が刃を伝って近づいてくるのが見えた。どんどん迫ってくる。手を離さなければゲンは焼かれてしまうだろう。背後のロキにも飛び火するかもしれない。だが、手を離せば壁の特攻を許す。どちらにしても、待っているのは辛い結末だ。
「ちくしょー……! 一体どーすりゃ――!」
次の瞬間、炎が消滅した。刃に当たった何かが、炎をかき消したように見えた。それが何なのか、ゲンにはすぐわかった。ケンジアが放った氷の魔法だ。
「ケンジア……!」
「僕も魔法で援護するよ! 炎は気にしないで!」
ゲンの傍らで、ケンジアはさらに氷の球を飛ばす。氷は刃に当たると同時に、次々と炎を道連れにして消えていった。
「じゃ、よろしこ!」
炎の襲撃に気を取られることなく、ゲンは壁の前進を止めることだけに集中した。
「……うぉっ!」
ゲンは思わず一歩後ずさった。背後の支えがなくなったのがその原因かもしれない。ゲンの背中から、突然ロキの腕の感触が消えたのだ。
「ロキ、どーした!?」
ゲンは軽く振り返った。視界の端にロキの後ろ姿が見える。ロキは剣を振り回して、飛来する何かを次々と叩き落としていた。その色や形から、それが火の球だとすぐにわかった。
背後の壁が火球を飛ばして攻撃してきたと考えて間違いないだろう。ロキが身を挺して迎撃していなければ、ゲンは被弾を免れなかったに違いない。
「ロキ……!」
「俺のことは気にするな。お前は壁を食い止めることだけ考えろ」
ロキは振り返ることもなく、ただひたすら剣を振り回している。ロキもかなり疲れているはずだが、それを微塵も感じさせない奮闘ぶりだった。
「すまねー!」
背面からの攻撃を心配することなく、ゲンは壁を押し返すことだけを考えた。
仲間たちの心強い援護を受けながら、ゲンは懸命に壁を食い止めていた。既に腕も足も悲鳴を上げていたが、ロキたちの思いを無駄にしないために、歯を食いしばってただただ耐えた。
その甲斐もあって、それ以上壁の接近を許すことはなかった。だが、壁を突き放すこともできず、膠着状態が続いた。そして、その均衡は唐突に崩れた。
「……うぉっ!」
突然、ゲンはバランスを崩して前方に転倒した。転んだ原因は壁だった。いきなり壁が後退したのだ。全体重をかけて押し返していたゲンは完全に不意を突かれ、踏み止まることができなかった。
ゲンの手から剣が離れ、床に落ちる。その衝撃からか、次の瞬間には元の長さに戻っていた。ゲンたちと壁との間には、もう何もない。ゲンたちは壁の突進に対して完全に無防備だった。
「……しまった!」
ゲンは慌てて体を起こす。その目に映ったのは、眼前に迫った炎の壁だった。もうどうすることもできない。ゲンは思わず目を閉じた。
「なんだ、これは……?」
「一体何が起きたの……?」
ロキたちの声で、ゲンは目を開けた。何かが壁の進行を食い止めているのが目に入った。視界を埋め尽くすそれは、植物の茎のように見えた。無数の棘が目を引く。その先を見上げると、赤い花が咲き乱れていた。薔薇だった。薔薇が壁のように群生して、炎の壁を受け止めていた。
突進してきた正面の壁だけではない。他の3面の壁の前にも薔薇の花が咲き乱れていた。ゲンたちは薔薇の壁によって完全に守られていた。
「薔薇の花じゃねーか! っつーことは、もしかして――」
「……この美しいボクにまた会えて、キミたちは本当に幸せ者だね」
聞き覚えのある声がした。その次の瞬間に現れたのは、ナルピスだった。
「やっぱナルピスじゃねーか! どーしてオマエがここに!? どーしてオレたちを助けた!?」
「ボクがキミたちを助ける? それはキミの勘違いだよ。ボクがここに来たのは、キミたちを助けるためじゃないよ。ボク以外の誰かがキミたちを殺そうとしているから、それを止めに来たんだよ」
ナルピスは髪をかき上げた。
「ゴリマルドも生きてるみたいでよかったよ。ボクのこの美しい顔に傷をつけたゴリマルドと、ボクに漢字で恥をかかせたキミだけは、絶対にボクがこの手で殺そうと思ってるからね。でも、殺すのはまだ先だよ。もっと漢字を勉強して、頭の中も美しくなって、ボクが究極の美を手に入れた後だよ。だから、それまでは誰にもキミたちを殺させない。キミたちを殺そうとするやつがいたら、このボクが許さないよ!」
ナルピスの声とともに、すべての薔薇の花が眩い光を放った。そして、その光が消滅したときには、すべてが消えていた。薔薇はもちろん、炎の壁も完全に消滅していた。残っているのは、こちらを睨みつけてくる怒り狂ったベリオールだけだった。
「ナンダ、貴様ハ……! 我ノ邪魔ヲスルナ……!」
「邪魔をしてるのはキミのほうだよ。彼らはボクの獲物なんだ。横取りは許さないよ」
髪をかき上げながらベリオールに近づくナルピスの後ろ姿を、ゲンたちはただ見送るしかなかった。
「黙レ……! 貴様、目障リダ……!」
「でも、ボクの獲物だと知らなかったんだろうし、このままおとなしく帰ってくれるなら見逃してあげるよ」
「戯言ヲ……! 我ハ引カヌ……! 引クノハ貴様ダ……! 死ネ……!」
ベリオールは炎の塊を放った。ナルピスは動かない。直撃を許し、全身が炎に包まれる。
「……残念だったね。キミの攻撃はボクには効かないよ。キミみたいな醜い魔物の攻撃が、この美しいボクに効くはずがないんだよ!」
声とともに一瞬で炎が消滅した。姿を現したナルピスは、全くの無傷だった。
「オノレ……! 小癪ナ……!」
ベリオールの怒涛の攻撃が再度ナルピスを襲う。ナルピスの周囲に薔薇が咲き乱れ、その攻撃をことごとく防いだ。
「効かないと言ってるのがわからないみたいだね。見た目だけじゃなく頭の中まで醜いキミが、この美しいボクの目に映っているのはすごく不快だよ。だから、今すぐキミを消してあげるよ!」
ナルピスの反撃は、やはり薔薇によるものだった。突如として現れた大きな薔薇がベリオールに絡みつき、巻きついた。そして、ベリオールが纏う業火をものともせず、その身を締め上げた。
「効カヌ……! 貴様ノ攻撃ナド、我ニハ効カヌ……!!」
咆哮と同時に薔薇は激しく炎上し、一瞬で燃え尽きた。自由を取り戻したベリオールの体は、少しだけ大きくなったように見えた。
「醜いくせになかなかやるみたいだね。キミみたいな強敵は久しぶりだよ。だから、せめて最後くらいは美しく殺してあげるよ!」
「死ヌノハ貴様ダ……! 我ガ炎ニ焼カレテ、無様ニ死ネ……! 跡形モナク消エ失セロ……!」
飛び交う言葉とは裏腹に、ベリオールもナルピスも行動に移さない。相手の出方を窺っているのかのように、双方とも全く動かなかった。
「ベリオールとナルピスが戦うとか胸熱じゃねーか。CVも宇木田俊平と時谷舞人っつー絶対共演NGのガチ犬猿コンビだし、こりゃ尊みがすげーな。ケイムめ、やってくれんじゃねーか。あいつも実はオレみてーな声優ガチ勢なんじゃねーのか? じゃねーとあの2人を戦わせよーっつー発想は出てこねーだろ」
この緊迫した場面でもお構いなしに、ゲンは一人で盛り上がっている。
「2人とも本当に強いね……。すごいよ……」
「俺たちはあんな化け物と戦っていたのか……」
ケンジアとロキも魔人たちの激突に感動すら覚えているようだ。
「……キミたち、先に進むなら今のうちだよ。もちろん、そこでずっとボクの美しさに見惚れていたいというのなら止めはしないし、むしろ大歓迎だよ」
髪をかき上げながら微笑むナルピスを横目に、ゲンたちは走り出した。
目的地に着いた。これまでとは違い、ベリオールに邪魔されることは一切なかった。振り返って確認するまでもなく、ナルピスの存在がその理由であることは間違いないだろう。
小部屋の中央にある台座に、表面にさまざまな模様が刻まれた赤い石が置かれている。朱雀紋だ。この石を破壊するために、ゲンたちはここまでやって来た。
「……うおりゃ!!」
ゲンは勢いよく剣を振り下ろす。次の瞬間、石は真っ二つになった。拍子抜けするほど呆気なく割れた。罠の類も一切仕掛けられていなかった。
だが、まだ安心はできない。4つの石がすべて破壊された状態にならなければ、5分後に完全復活してしまう。他の3組の仲間たちが、それぞれの塔にある石を破壊してくれていると信じるしかない。
「あとはここで5分待ちゃいーんだろ。5分経っても石が復活しなきゃ、結界が消えたっつーことだ」
ゲンは小部屋の出入口に目をやった。ベリオールとナルピスが激しく戦う音が聞こえてくる。
ここで5分待てるかどうかは、ナルピスの戦績次第だ。もしナルピスが負けてしまえば、ベリオールは即座にここにやって来るだろう。今はナルピスを応援する以外になかった。
「でも、結界が消えた後、どうやってここから出たらいいのかな……?」
ケンジアが不安そうに周囲を見回した。
ここがこの塔の最下層だという。それを裏付けるかのように、下に行く階段はこの階のどこにも見当たらなかった。それと同時に、上り階段の存在も確認できなかった。城の結界が消えたとしても、この塔から出られなければ意味がない。
「心配いらねーよ。どーせどっかに階段が隠れてるとか、いつもの魔法陣が出てくるとか、そーゆーオチなんじゃねーのか? ……って、おい!」
ゲンの予想は当たっていた。足元に例の魔法陣が出現した。一瞬だけ体が宙に浮いたような気がした。




