62 最後の選択
ゴール部屋の奥の壁には、等間隔で白い扉が4つ並んでいた。形も大きさも全く同じだった。唯一違うのは、中に書かれた数字だ。左から順番に、1から4まで数字が書かれている。
各扉のすぐ右の壁には、赤いボタンが埋め込まれていた。決定、と書かれたプレートがその上に貼られている。
「……お疲れさまでした。よくここまで来ましたね」
天井のスピーカーから声が降ってきた。目覚めた部屋で聞いた、あのAIの声だった。
「ですが、ここはまだゴールではありません。本当のゴールは、この扉の先にあります」
AIはさらに先を続けた。
扉はこの部屋に4つ、次の部屋に5つあり、1から順に番号が振られているという。先に進める扉は一つだけで、残りの扉には悲劇が待つ。
正解の扉のヒントは、この鬼ごっこに隠されている。目的は何なのか、参加者は誰なのか、途中で何が起きたのか、捕まったらどうなるのか、逃げ切れたらどうなるのか、などこのゲームにまつわる事柄を数字で表したものが答えだ。
制限時間は1分。1分たつと床が割れ、落とされる仕掛けになっている。落ちればもちろん命はない。
これらはすべて原作の設定どおりだ。正解となる数字も、原作と同じである可能性が高い。
「それでは、始めます。ゲームスタート」
AIが最後の選択の開始を告げた。
「……こういう謎解きは得意なんだ。私は先に行かせてもらおう」
そう言うと、ヒロシは3番の扉の前に立った。早くも答えとなる数字をひらめいたようだ。
隣にある赤いボタンを押すと、ヒロシの体は扉に吸い込まれるように消えていった。
「……おじさんは答えを知ってるの? ここは3番で合ってる?」
エリカの問いかけに、ゲンは小さく頷いた。もしヒロシが3番以外を選ぼうとしたら止めるつもりだったが、杞憂だったようだ。
「よかった。私もここは3番だと思ったわ。じゃ、先に行くね」
エリカも3番の前に立ち、赤いボタンを押す。ヒロシと同じように、エリカの体も吸い込まれるように消えた。
ゲンは満足そうに頷くと、すぐに後を追った。
「……ヒロシは?」
次の部屋にヒロシの姿はなかった。エリカに聞いても、ただ首を横に振るだけだった。エリカが来たときには、既にいなかったという。躊躇なく扉を選んだのだろう。
壁には1から5までの数字が書かれた扉が並んでいる。ヒロシがどれを選んだのか、ゲンには知る由もない。原作には登場しないキャラクターだからだ。ヒロシの無事を祈ることしかできなかった。
「……私も行くわ。答えはたぶんこれだと思う」
エリカは2に扉の前に立った。原作どおりだった。
この鬼ごっこにまつわる2つの数字を挙げるとしたら、エリカと同じように「32」を選ぶ者は少なくないだろう。誰もが真っ先に思い浮かべるであろう「し(死)」という単語が、五十音の表に当てはめれば右から3番目、上から2番目になるからだ。また、「警察に捕まらない殺人」だと考えることもでき、察や殺の語呂合わせで32になる。もしかしたらヒロシも同じ答えだったのかもしれない。
他にも、散々な目に遭うから「33」、みんな死ぬから「34」、みんな殺されるから「35」という語呂合わせも可能だ。どれも一理あり、選ぶ者がいてもおかしくない。
だが、それらはすべてひっかけだ。原作での正解は「31」。逃げ切れれば人生を31(再)スタートさせられることに由来する。また、42(死に)向かっていた者がその前の状態に戻るから31、という理屈によるものだ。作者でなければ正解するのは難しいだろう。
「エリカ、2じゃねー。隣だ。1に行け」
振り返るエリカに、ゲンは1の扉を指差して答えた。
「おじさんは作者だから、おじさんの言うことはたぶん合ってると思う。でも、私は自分の直感を信じる。2だと思ったから、このまま2を選ぶわ」
「エリカ、早まんじゃねー。死にてーのか?」
「死ぬならそれでもいいわ。ここから出られたって、アキナはもういない。アキナのいない人生なんて、私には耐えられない。死ねばアキナに会えるのなら、私は喜んで死ぬわ」
エリカはボタンに手をかけたまま動かない。
「待て、エリカ! もちつけ! オマエはアキナの分まで――」
「今までありがとう、おじさん……」
ボタンを押すと同時に、エリカは2の扉に吸い込まれるように消えていった。もし原作と同じだとしたら、ここでエリカの命運は尽きる。死にざまは設定していない。確認したければ後を追うのが一番だが、ゲンにその勇気はなかった。
「ちくしょー……! どーにかここまで来たっつーのに、最後の最後でエリカを救えなかったじゃねーか……!」
ゲンは悔しそうに足を踏み鳴らした。エリカに原作とは違う結末を迎えさせてやりたかったが、それは叶わなかった。
「……制限時間、残りあと10秒です」
天井のスピーカーからAIの声が降り注いだ。
「エリカ、すまねーな……」
ゲンは1番の扉の前に立ち、ボタンを押した。次の瞬間、ゲンの体は扉の中に吸い込まれた。
原作どおりなら、これですべてが終わる。この扉の向こうにゴールがあるはずだった。
「ふざけんじゃねー! こんなの聞いてねーぞ!」
眼前に広がる光景に、ゲンは思わず叫んだ。部屋の壁には、1番から6番までの扉が並んでいた。まだ終わりではなかった。
「あと2回正解すればゴールです。なお、この部屋には1から6まで、次の部屋には1から8までの扉が並んでいます。制限時間は1分です。それでは、がんばって下さい」
無機質な声がスピーカーから聞こえてきた。
「あと2回……。しかも最後は8択……。控えめに言って無理ゲーじゃねーか……」
ゲンは頭を抱え込んだ。原作にはない展開に突入されてしまっては、いくら作者でもどうすることもできなかった。自分で考えて正解を導き出すしかなかった。
当てるべき数字は、2つではなく4つだった。前半は31で確定している。あとは後半の2つを的中させるだけだ。
真っ先に思い浮かんだのは、5だ。つなげると315、すなわち「最期」となり、この鬼ごっこを象徴するにふさわしい言葉になる。だが、その場合は4文字目が鬼門だ。最期さ、最期よ、最期な、最期や、など複数の選択肢が考えられる。どれかに絞り込むには、手がかりが少なすぎた。
次に浮かんだのは、3143という数字だ。五十音表で「さつ(殺)」という言葉の位置を表したものだ。この鬼ごっこを語る上で、殺という言葉は外せないだろう。
次に考えたのは、3131だった。再々オニに追いかけられたことにちなむ。また、再三と再四を組み合わせた、3134も脳裏をよぎった。
さらに思いついたのは、CABEという言葉だ。壁と読める。これを数字にして、3125。この鬼ごっこで、壁にどれだけ苦しめられたかは言うまでもないだろう。
「ちくしょー……。一つに決めらんねーぜ……」
ゲンは悩んでいた。どれにするか決めかねていた。どの数字も決め手に欠ける。どれもありえるように感じられる一方で、どれもありえないような気もする。
原作に登場しない数字を当てるのは、さすがの作者でも非常に困難だった。
「あと30秒です」
制限時間の半分が経過したことを告げられたが、ゲンはいまだに迷っていた。なかなか考えがまとまらなかった。
「……ちょっと待て。もしかして、アレがそーだったっつーオチか……?」
記憶を辿るゲンの頭に、あるものが浮かんだ。原作にはないものが、この会場には存在していた。無意味だとずっと思っていたが、もしかしたらヒントとして登場していたのかもしれない。それを語呂合わせで表現すれば、ちょうど31で始まる4つの数字になる。
「こーなりゃ一か八かだ。アレに賭けてみるっきゃねーな」
ゲンは決断すると、心に決めた数字が書かれた扉の前に立った。
「やっとオワタ……」
ゲンの前に扉がある。この先が本当のゴールだ。これで地上に戻ることができる。その際に、この会場で見聞きしたことはすべて記憶から消去される。エリカのこともヒロシのこともクロサキのことも礼史のことも、すべて忘れてしまう。
ゲンが選んだのは5と6の扉だった。3156、つなげて読めばサイコロだ。
原作には出てこないサイコロが、この鬼ごっこでは3回登場した。スタート前にオニの数を決めるとき。重い靴から軽い靴に履き替えるとき。ゲンを捕まえた礼史が凶器を手に入れるとき。
いずれのサイコロも6面とも同じ目で、存在する意味が全く見いだせなかったが、実は最終問題の答えを示唆するという重要な役割を担っていた。
サイコロの存在を思い出していなければ、ゲンは今ここにいなかっただろう。
ゲンは扉を開けた。まばゆい光が一面に広がる。
ゲンの体は、扉の中に吸い込まれるように消えていった。




