60 黒幕
「テメーらは俺に捕まった。だから、俺が2人まとめて殺してやるよ」
男は口元をニヤつかせ、ゲンたちを見下したような表情を浮かべた。その頭上には1台のドローンが浮かんでいた。銃口のようなものが、やはりゲンたちに向けられていた。
ゲンたちは男に触られたわけではない。ここに閉じ込められただけだ。だが、それだけで捕まったことにされたようだ。
「そんな……!」
驚いたような声を上げるエリカをかばうように、ゲンは一歩前に出た。
「追加されたオニっつーのは、やっぱりオマエか。クロサキ(CV:藤谷俊樹)……」
「なんで俺の名を……! テメーは一体……?」
男の顔に一瞬で驚きが広がる。
「そういやテメーは、天井の数字も首輪の穴もすぐに見つけてたな。なぜわかった? テメーはうちの組織の人間か? 裏切ってここに放り込まれたか?」
「組織の人間だろーとなかろーと、どーせ死ぬんだから関係ねーだろ」
ゲンは言葉を濁した。作者であることはおくびにも出さない。
クロサキ。年齢は未設定だが、見た感じでは40歳前後だろう。裏社会を牛耳る闇の組織「黒龍白虎会」の幹部の一人で、このG会場の全権を任されている男だ。最終ルールにより、自身がオニとしてゲームに参加する。閉じ込めただけで捕まえたことにするなど、クロサキの手にかかれば難しいことではない。
この鬼ごっこは政府公認だが、運営しているのは国ではない。数多くの便宜と引き換えに、黒龍白虎会が政府から委託を受けている。会場の建設や維持管理はもちろん、オニと子の確保、鬼ごっこの進行、終了後の死体処理など、そのすべての業務を担っている。
全国津々浦々を網羅する巨大なネットワークと、国家予算すら凌駕すると言われる莫大な資金力を持つこの組織以外に、鬼ごっこを円滑に運営できる者はいないのだ。
「まぁいい。後で吐かせてやる。それにしても、今回のゲームはなかなかよかったぜ。特に、テメーは最高だった。やっぱ若い女が泣き叫ぶ姿はたまんねぇな」
クロサキはエリカを指差して、下卑た笑いを浮かべた。
「テメーとあの女が同じ学校なのはすぐにわかったが、まさかマブダチだとは思わなかったぜ。だから、壁を動かしてあの女を誘導し、テメーを捕まえさせた。おかげでいいもんが見えたぜ」
ハハハ、とクロサキは楽しそうに笑った。
組織の情報網を使えば、オニや子の素性を明らかにすることは難しくないが、それはしないというのが暗黙の了解になっている。だが、クロサキはそれに従わず、独自のルートを使って情報を集めていた。
また、オニや子の会場割りは抽選で無作為に決まるが、特定の人物が自分の会場になるよう、裏で手を回すのも珍しいことではなかった。
親戚知己同士をオニと子として出会わせ、そこに生まれる地獄絵図のような光景を見るのが、クロサキにとってこの上ない愉悦なのだ。
クロサキが余計なことさえしていなければ、エリカがアキナに捕まることはなかっただろう。
「あなたなのね!? あなたがアキナに私を捕まえさせたのね!? 許さない! 絶対に許さない!!」
背後からエリカの怒号が飛んだ。アキナの仇が目の前にいる。もし銃を向けられていなければ、きっとクロサキに殴りかかっていただろう。
「俺を恨みたきゃ恨め。どうせテメーらはもうすぐ死ぬ。死ぬ前に好きなだけ恨むがいい」
銃を見せて脅してくるクロサキに、エリカはそれ以上は何も言い返せないようだ。ただ悔しそうな息遣いだけが聞こえてきた。
「安心しろ。つれーのはテメーだけじゃねぇんだぜ。……おい、ヨシイ!」
クロサキは頭上のドローンに向かって叫んだ。
「あのサトミって女、テメーのいとこなんだろ? どうだ、目の前でいとこの死にざまを見た感想は? あの女の前に壁を出せと命じたときのテメーの顔は傑作だったぜ。テメーが出した壁のせいであの女は捕まった。テメーが殺したようなもんだよな」
ハハハ、と再びクロサキは大きな笑い声を響かせた。
クロサキは部下に対しても冷酷だ。気に入らない部下の身内や知人が参加しているとわかれば、オニか子かを問わずこの会場に割り振らせる。あとはその部下に命じて、壁を操作させるだけだ。もちろん、目を背けることなく一部始終を見届けさせることも忘れない。その命令を確実に遂行させるため、監視員として屈強な男たちまで常駐させている。
クロサキが名を呼んだヨシイという部下が、今回その餌食となったようだ。サトミのいとこだという。
「サトミさんも捕まったのね……」
エリカが悲しそうな声を漏らした。
「ヨシイ! テメーが俺の夜の誘いを断り続けるからこうなるんだぜ。若い以外に何の取り柄もねぇくせに、俺に何度も恥をかかせやがって、このスベタが!!」
次の瞬間、ドローンの銃身が動いた。銃口がゲンたちからクロサキに向けられた。ドローンから女の悲鳴が聞こえてきたのは、その次の瞬間だった。それと同時に、銃口の向きが再びゲンたちに戻った。
「テメーは俺に歯向かった。俺に銃口を向けた。覚悟はできてるんだろうな? やれ!」
クロサキが叫ぶと、何かを殴打するような音と、一際大きな女の悲鳴が響き渡った。
何が起きたか、ゲンにはわかっていた。暴言に耐えかねてクロサキを撃とうとしたヨシイを監視員が制止し、罰として殴っているのだ。
「おい、ムラタ!!」
突然、ゲンはドローンに向かって叫んだ。名前を言い当てられたからなのか、殴打音が止まる。
「ヨシイはオマエの娘の同級生だぞ! 小学生のころ、オマエも何回か一緒に遊んだことあんじゃねーのか!? よくそんなひでーことができんな!? そんなんで娘に顔向けできんのか!?」
ゲンはなおも怒鳴り散らした。作者しか知らない情報を、ここぞとばかりにぶちまけた。
「まさか……! あのヒロミちゃんなのか……?」
「マキのお父さん……? そんな……!」
ドローンから聞こえてきたのは、ムラタとヨシイの驚いたような声だった。その後の沈黙がすべてを物語っていた。
「ムラタ! テメー、この役立たずが! おい、トク――!」
「トクモト! オマエは自分の子供に警察官だと嘘ついてんじゃねーよ! オマエのやってることは警察官の真逆だろーが! 子供にまで嘘ついて恥ずかしくねーのか!!」
「うっ……!」
トクモトが息を呑んだのがわかった。ゲンの暴露が事実だったのだろう。
その後もゲンは次々と監視員たちを恫喝していった。見ず知らずの男に個人情報を正確に言い当てられ、監視員たちには恐怖以外の何物でもなかっただろう。もう誰もヨシイを殴打する者はなかった。
「テメーがなんでそんなことまで知ってる!? ああ!? 答えろ!!」
銃を持つクロサキに凄まれても、ゲンはかまわず続けた。
「ナガノ! オマエは前々回、義理の妹がオニに捕まるまで妨害をさせられ続けたんだろーが! オオカワ! 前回、オマエの親父が人を殺す手助けをさせられたのを忘れてねーよな? ササキ! オマエは先月、逃げる息子の妨害をクロサキに強要されたんじゃねーのか? カトウみてーに断って処刑されたり、フクダみてーに後を追ったやつもいただろーが! どれもこれもひでー話じゃねーか!」
クロサキの毒牙にかかった者の名前とその内容を、ゲンは次々と挙げていく。原作の設定をそのまま話しているだけだが、それが間違いでないことは、漏れ聞こえてくる複数の嗚咽が証明していた。
「ひどい……。ひどすぎるわ……」
エリカが吐き捨てるように呟いた。
「しかも、外に出りゃオマエらも気分転換できんのに、クロサキはそれを許さねー。オマエらは早く忘れてーのに、クロサキのせーで忘れられねー。オマエらはそれでいーのか!? クロサキが憎くねーのか!?」
ゲンは畳みかけるように早口でまくし立てた。
精神衛生上、会場のスタッフたちはゲームが終わるごとに外に出ることが推奨されている。出口に設置された特殊な装置により、会場内で見聞きしたことはすべて記憶から消去されるためだ。どんなに衝撃的な場面を目撃しようと、外に出ればすべてを忘れることができる。
だが、クロサキは部下にそれを許さない。限界を迎えるギリギリまで外には出させない。部下を精神的に追い詰めるのが楽しくてたまらないのだ。
「テメーは一体何もんだ!? なんでそこまで知ってやがる!? あいつらのことは、俺以外の誰も知らねぇはずだ! なのになんでテメーが!? 言え! 言わねぇとぶっ殺すぞ!!」
銃を構えるクロサキは明らかに焦っていた。額にはいくつもの汗が光っていた。
「クロサキ、もーやめろ。その銃、弾が入ってねーんだろ? 短気なオマエならもーとっくに撃ってるはずだろーが。何かありゃドローンの銃を部下に撃たせるから、オマエ自身は撃つ必要ねーんだよ。だから、その銃はただの脅し用で、弾は入ってねー。違うか?」
「ほざけ! テメーにそんなことわかるわけねぇだろ!」
「だったら早く撃て! 弾が入ってんならな!」
「テメー……!」
クロサキは悔しそうに銃を投げ捨てた。ゲンの指摘どおり、空砲だったのだろう。
「……死ね!」
クロサキは懐からナイフを取り出すと、ゲンに向かって突進してきた。が、直後に胸を赤い光線に貫かれ、床に崩れ落ちた。クロサキの手から離れたナイフが宙を舞い、ゲンの背後の床に落ちて乾いた音を立てた。
すぐに床が割れ、クロサキの躯が奈落へと消えて行った。
「どーにか終わったみてーだな……」
ゲンは胸をなで下ろした。クロサキさえいなくなれば、もうこの鬼ごっこは終わったも同然だ。原作と同じなら、部下たちの助けを借りてゴールまで突き進むことができる。
誰が撃ったのかは不明だが、クロサキの部下なのは間違いない。ゲンの話が部下たちの心を動かし、クロサキを撃たせたのだ。
ゲンの作戦は成功だった。部下たちの憎しみを爆発させてクロサキを撃たせることと、強い畏怖の念を抱かせてゲンたちを撃たせないこと。この場を切り抜けるにはこれしかなかった。
原作でもクロサキは部下に撃たれて命を落とす。それは、エリカの涙の訴えが少しずつ部下たちの心に響いていった結果だ。一方、ゲンは作者としての知識を活かし、寸鉄で刺すように部下たちの心を掴み、味方につけた。作者だからこそできる荒業だ。
「おじさんって、作者よね……? じゃないと、あんな個人的なことまで知ってるはずがないわ……」
背後から聞こえるエリカの声は、いつもよりトーンが低いように感じられた。
「エリカ、その話は後だ。今はそれどころじゃねー。早くここから――!」
振り向こうとしたゲンの動きが止まる。体中に激痛が走った。左脇腹にナイフが突き刺さっているのが見えた。クロサキのナイフだ。
エリカに刺されたのだと、ゲンは瞬時に理解した。




