6 旅の始まり
「くそっ、消えたか……」
ゲンは恨めしそうな目で、さっきまでグランツの立っていた場所を見つめていた。
「おのれ、次は負けんぞ……! この儂を愚弄したこと、必ず後悔させてやる……!」
デビリアンがよろよろと立ち上がる。見るも恐ろしいほどの怒りの形相を浮かべていた。
次の瞬間、黒い霧に姿を変えたかと思うと、デビリアンは忠二の体の内に消えて行った。忠二の体内で休み、傷を癒すためだ。
魔界の汚染された空気に慣れているデビリアンにとって、人間界の空気はきれいすぎて、長い時間吸い続けることができない。誰かの体内に寄生しなければ、人間界では生きていけないのだ。
グランツは人間界の空気でも全く影響を受けず、寄生も必要ない。デビリアンを下級悪魔呼ばわりしたのは、それが理由かもしれない。
「谷井了だから声はすげー低くて渋いし、強さはパネーし、あんな奴にガチで勝てとか無理ゲーすぎる……」
ゲンはがっくりと肩を落とした。グランツに勝てない限り、この世界で一生を終えることになる。来てわずか数分で、早くも絶望のどん底に叩き落とされた気分だ。
「無理でも何でもやるしかないだろ。俺たちだって自分の作品に帰りたいんだ」
「こうなったらやるしかないわよね。みんなで力を合わせてがんばりましょう」
「フッ、愚かな……。この程度で屈する余ではないぞ……」
3人は前向きだ。グランツの圧倒的な強さを見せつけられても、全く心が折れていない。作中で常に戦いの中に身を置き、いくつもの困難を乗り越えてきたからだろう。
「オマエら……」
ユーシアたちの言葉に、ゲンは少しだけ心が軽くなった気がした。作者として、主人公たちの頼もしさは嬉しい限りだ。
「オマエらのゆーとーり、無理ゲーでもグランツと戦うしかねーよな。もしかしたらどっかに仲間がいるかもしれねーし。もしバジルと出会えたらワンチャンあるぞ。原作じゃバジルがグランツを倒すからな」
「バジルが!?」
ゲンの言葉に、ユーシアたちは驚きを隠さなかった。
バジルはグランツが登場する『勇者失格』の主人公だ。16歳。聖剣に選ばれた勇者だが、タイトルを裏切らない弱さと脆さで仲間からも見捨てられる。戦闘中もただ怯えるだけで、常に棒立ち。敵から逃げ回る気力と体力があるだけ、ゲンのほうがまだましかもしれない。
ユーシアによれば、本来なら忠二ではなくバジルがここにいたはずだという。
バジルはトリプルHの書記。ユーシアやミトとともにゲンのところに来ることになっていたが、直前で怖くなって忠二と交代した。
もし忠二ではなくバジルが来ていたら、先ほどの戦闘すらどうやっていたかわからない。もしかしたら、ゲンは今ここに立っていられなかったかもしれない。
「そーいや、オマエたちはどーやってオレの部屋に来たんだ? 同じことすりゃ、こっから脱出できるんじゃねーのか?」
「俺たちの力じゃないんだ。できるならとっくにそうしてるさ」
「サラマンよ、サラマン。魔法で私たちをあの部屋まで飛ばしてくれたのよ」
「フン、余ですら扱えぬ異世界転移の術が使えるとは……。あの男、侮れぬな……」
「なるほど、サラマン(CV:五十嵐憲隆)か。すげーなついじゃねーか。確かあいつにゃそーゆー力あったよな」
サラマン・ダール。『相愛戦士』に登場する、年齢不詳の火の魔法使いだ。主人公である富雄と友里恵の2人を自らが住む世界に召喚したその力を使えば、ユーシアたちをゲンの部屋に送ることも可能だろう。
ユーシアたちが小説の中に戻るときには、心の中でサラマンに合図を送ることになっていたという。
この世界に来てからもずっと呼びかけており、サラマンからはかすかに反応があるが、何を言っているかは全く聞き取れない状態が続いている。
「つーことは、サラマンと話ができりゃワンチャン元の世界に帰れるじゃねーか。会えるかどーかわかんねーバジルを探すより、そっちのほーがはえーぞ」
「ああ、そうだな。そのためには、サラマンと話ができるところまで移動しないとな」
「しかし、あの霧じゃどっちに行きゃいーかわかんねーな。……お?」
遠くに立ち込めていた濃い霧が、あっという間に晴れていくのが見えた。霧の向こう側にも、同じような草原がどこまでも広がっていた。
「あそこに町が見えるわね。近くにお城もあるみたい」
ミトの指さす先に、町らしきものが小さく見えた。その近くに城も見える。崩れかけた古い城であることが、遠目にもはっきりとわかる。
「……あの城を見て確信したぜ。ここはオレの小説の中の世界だ。しかも、特定の作品じゃなく、いろんな作品の世界観や設定が混ざってるみてーだ」
ゲンはそう言うと、微妙にずれた眼鏡を上げた。
「やっぱりそうか。なんとなく、ここはライド大草原に似てるような気がしてたんだ」
「この草原、私の世界にあるノイック平原にも似ているんじゃないかしら」
「この風景、久しいな……。あの日、余が一瞬で焦土に変えた彼の地か……」
遠い昔に思いを馳せるかのように、ククク、と忠二は喉の奥で笑った。もちろん、そんなシーンなど原作にはない。
「さっきのトカゲ野郎、ゲームみてーに消えてく敵、少しずつ晴れてく霧、この草原、あの城……。どれもオレの考えた小説に出てくるし、設定やイメージと完全に一致する。どーしてこーなったかはわかんねーけど、何かのきっかけでオレの小説の世界が混ざっちまったみてーだな」
「じゃ、もしかしたら他のみんなもこの世界に来てるかもしれないな」
「他の作品にも強そうな人たちがたくさんいたから、もし出会えたら心強いわね」
「ククク、それはいい……。全員まとめて余の下僕にしてやろう……」
3人の顔から笑みがこぼれた。
「異世界なのにチートで無双できねーからおかしーと思ってたが、オレが考えた世界だからか? 小説の中は異世界じゃねーのか?」
ゲンは首をかしげた。ここは住み慣れた世界とは違う。おそらく小説の中だが、異世界には違いないはずだ。
最近の小説では、異世界で圧倒的な力を得て敵を倒していくという話が流行っている。ゲンもその類の作品を少なからず読んでいる。
「それとも、転生してねーから無理なのか……?」
流行りの小説では、転生して異世界に行くのが定番だ。
「転生したいのか? 俺はいつでもいいぞ?」
「安心して。痛いのは最初だけよ。すぐに終わるわ」
「フッ、一瞬で卿を無の深淵に送ってやろう……」
そう言うと、わざとらしくユーシアとミトは剣の素振りを、忠二はシャドーボクシングを始めた。
「そういうことなら儂も手伝ってやろう。遠慮はいらんぞ」
そこにデビリアンも現れて、忠二の横でウォーミングアップを始めた。
「そーか、オマエらに殺ってもらえばいーのか。だったらオレはミトに殺られてーな。殺られるなら男より女がいーし、ゆりりあの声を聴きながら死ねりゃ本望だ……、って、んなわけねーだろ!!」
ゲンはノリツッコミした。
「オマエら、そーゆーのいーから! ミトもその剣を下ろせ! オレはまだ死ぬ気はねーぞ! 死んで転生できる保証はどこにもねーだろ! 転生できなきゃただのバカだろ! ダーウィン賞もんじゃねーか!」
ゲンはユーシアたちを制止した。ミトはつまらなさそうに振り上げていた剣を下ろし、ユーシアたちもしぶしぶ素振りをやめた。
「デビリアンもどさくさに紛れて出てくんじゃねーよ」
「儂も手伝ってやろうと思ったが、必要なかったか?」
「うるせーよ。お呼びじゃねーからさっさと帰れ!」
デビリアンは舌打ちしながら黒い霧に姿を変えると、忠二の体に吸い込まれるように消えていった。
「ま、そーゆーわけだから、さっきみてーに戦闘はオマエらに任せるぜ。オレは敵の弱点とかのネタバレを知ってっから、それで助けてやるよ」
ゲンは堂々と宣言した。
「ん? おっさんは魔法使いだから、魔法が使えるだろ?」
ユーシアは真顔だった。冗談を言っているようには見えない。
「は? オレが魔法使い? マジでイミフなんだが。オレは魔法とか全然使えねーぞ」
ゲンは全力で否定した。ただの自宅警備員に、魔法など使えるはずがない。この世界に来て、チート能力に目覚めたわけでもない。
「あら、どこからどう見ても魔法使いだと思うわよ」
「フッ、戯言を……。そのような嘘、誰も信じぬぞ……」
ミトと忠二にも、ゲンが魔法使いに見えるようだ。
「これか? オマエら、これ見てオレが魔法使いだと勘違いしてんのか?」
ゲンが指差したのは、自分が着ているTシャツだった。魔女の帽子をかぶったかわいらしい女の子の顔が、胸のところにプリントされている。
「これは俺の4人目の嫁、魔法少女レナリアたそだ。魔法使いを表す印とか、そーゆーんじゃねーからな。勘違いすんじゃねーぞ!」
「わかった、わかった。そういうことにしておくから、頼んだぞ」
「一体どんな魔法を使うのかしら? 楽しみだわ」
「フッ、卿の魔法には期待しているぞ……」
3人はゲンに背を向けると、町に向かって歩き出した。
「オマエら、何もわかってねーじゃねーか。オレは魔法なんか使えねーからな!」
ゲンも3人を追って歩き出した。