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かきかけ~作者と愉快な主人公たち~  作者: 蓮井 ゲン
第二章 新たなる旅路
56/143

56 目印

 ――ピーン!

 再び床が磁石と化し、ゲンたちの両足は固定された。どんなに力をこめても、全く動かない。

 今回の拘束は11秒だ。オニは着実にゲンたちとの距離を詰めている。このオニはスポーツの経験者だろうか。人並み以上に走るのが速いように見える。あのスピードなら、11秒もあれば確実にゲンたちの元にたどり着くだろう。

 オニは1人の子しか捕まえられないルールになっており、2人が同時に捕まることはない。捕まるのはゲンかエリカのどちらかだ。

「ちくしょー……。ここまでか……」

 ゲンは天井とオニに交互に目を走らせる。ゲンが探しているものが、今なら天井に出現しているはずだ。だが、オニの動きが気になって、それどころではなかった。捕まればすべてが終わるのだ。


 オニがどんどん近づいてくる。その口元には笑みが浮かんでいるようにも見えた。狙われているのはエリカかもしれない。オニがこのまままっすぐ走り続ければ、行き着く先はゲンではなくエリカだ。

「やめて……! 来ないで……!」

 自分が狙われているとわかったのか、エリカは取り乱したように涙声で叫んだ。

「捕まりたくない……! 捕まりたく――!」

 エリカの声がそこで止まる。突然オニが見えなくなった。代わりに見えたのは壁だった。ゲンたちとオニの間に、突然床から壁がせり上がってきたのだ。


「何がどうなっているの……?」

「エリカ、いーから天井を見ろ。時間がねーんだ」

 ゲンの言葉に、エリカは天井を見上げる。

「何、あの数字……?」

 天井を指差す。白い天井のところどころに、赤い色で書かれた数字が薄く浮かび上がっていた。2から14までの偶数だった。どの数字も会場の奥、ゴールのほうを向いている。

 ゲンたちから最も近い位置のあるのは8だ。次いで2と14、わずかな差で6と12が続き、4と10が最も遠くにあった。

「説明は後だ。エリカは10の場所を覚えてたほーがいーぞ」

「10は……、あそこね」

 エリカの言葉が終わるのと、天井の数字が消えるのと、足が自由を取り戻すのとは同時だった。




「……あの数字は、床が磁石になってるときだけ天井に出てた。最初は1から13までの奇数で、さっきは2から14までの偶数だった。で、この会場に集められたのは14人だ。っつーわけで、ゼッケン番号じゃねーかとピンと来た」

 隣を走るエリカに、ゲンは天井の数字について自慢げに説明していた。今この場で推理したかのような口ぶりだが、もちろん原作の設定をそのまま喋っているだけだ。

「オレたちが動けねーときにしか出ねーっつーことは、おそらくそれに関係がある数字だ。で、軽い靴に履き替えられる場所がどっかにあると、さっきゴクウが言ってた。っつーことは、あの数字がその場所なんじゃねーか? 自分の数字の真下に行きゃ、何かあるかもしんねーな」

「だから、私は10なのね。おじさん、すごい!」

 ゲンの説明に、エリカは小さく手を叩いて喜んだ。


 この会場のどこかで、重い靴から軽い靴に履き替えることができる。その場所を示す目印も存在するが、それに気づく者はほとんどいない。磁石により足止めを食らい、自分の足元や周囲の通路にしか目が行かないであろう状況のときに、天井にひっそりと出現しているからだ。

 床が磁石と化している間のみ、天井に数字が浮かび上がる。最初は奇数のみ、次は偶数のみで、以降はそれを繰り返す。その数字が表しているのはゼッケン番号だ。その真下の床に、同じ番号の子にしか反応しないスイッチがあるという仕掛けになっている。

 もちろん、天井の数字はただの目印であり、見つけることは絶対条件ではない。偶然その下を通りかかっても靴を履き替えることは可能だが、会場の広さを考えると、その確率は極めて低いだろう。

 なお、天井の番号はオニには見えないはずだ。先ほどの男のように、オニは全員ゴーグルをかけている。ゴーグル越しでは天井の数字が見えない設定だ。数字の近くで待ち伏せされる心配は、おそらくないだろう。



「オレの6があそこで、エリカの10はあそこ……。逆方向じゃねーか。こりゃ別行動するしかねーみてーだな」

 ゲンは6と10があったあたりの天井を指差した。今は数字が見えないため、記憶だけが頼りだ。

 6は会場のかなり右寄り、10は左の壁際だった。距離も10のほうが若干遠い。方向が同じならこのまま同行でも問題ないが、逆なら別行動せざるを得ないだろう。エリカとはここで一旦別れるしかなさそうだ。

「次の次の磁石タイムで、また天井に数字が出る。もし迷ったらそんときに場所を確認すりゃいー。で、無事に靴を履き替えたら、4の下で合流ってことにしねーか? 確か4はあのへんだったはずだ」

 ゲンが再度天井を指差す。ちょうど真ん中あたりだ。6と10からは同じくらいの距離だろうか。

「4の下ね。わかったわ」

 エリカも天井を指差した。


「じゃ、そこの分岐をオレは右に行くから、エリカは――」

 ゲンの声がそこで止まる。2人のすぐ右側の壁が、突然消失した。その向こうに通路が延びている。奥を黒いジャージが横切った。若い男だ。負傷しているのか、少し足を引きずっているようにも見えた。

 再び正面に視線を戻すと、少し先にあったはずの壁が消えていた。その隣には、なかったはずの壁が出現していた。足止めを食らいオニに接近されていたときと同じ現象が、ここでも起きていた。

「さっきと同じ……。どういうこと……?」

「地図を信じるなっつーのは、こーゆーことだ。ここの壁は動くみてーだな。壁が急に出てきたり消えたりして、迷路の形がころころ変わる。運がよけりゃさっきみてーに助かるが、悪けりゃその逆だ。消えた壁の向こうにオニがいるかもしんねーから、油断すんじゃねーぞ」

 ゲンの言葉に、エリカは頷いた。


 この迷路の形は、常に変わる。絶えず壁の位置が変わるのだ。会場の壁は床下に収納できるようになっており、出し入れも一瞬でできる。

 地図に載っているのは、スタート時の壁の位置だ。その後はランダムに壁が上下する。動くまでの間隔も一定ではない。無作為に壁が出現したり収納されたりして、そのたびに迷路の構造が大きく変わる。子にとっては非常に厄介な仕掛けだ。

 もちろん、壁は完全にランダムで動くのではない。人間がその動きをコントロールできることも、ゲンは当然知っている。各会場に制御室があり、会場内のすべての壁を自由に操っているのだ。

 時間の経過とともに会場の各所を封鎖して子の行動範囲を制限するのはもちろん、ゴールを阻止するために壁を動かして数々の妨害を行う。特定の子を助けたり陥れたりすることもあり、それによって賭けの結果が変わるのも珍しいことではない。





 床にかすかに数字が書かれているのが見える。注意深く観察しなければまず見逃すような薄く赤い字で、6と記されていた。床が磁石と化せば、この真上の天井に同じ数字が浮かび上がるに違いない。

 ゲンはどうにか自分の数字にたどり着いた。磁石による足止めを3度食らい、オニとも何度か遭遇したが、偶然出現した壁や、ゲン以上の鈍足に助けられ、どうにかここまで来られた。

 ずっと走り続けていたが、思っていたよりも疲れてはいない。まだ余裕がある。この世界に来て長い時間や距離を歩いたせいで、自分でも気づかぬうちに体力がついていたのかもしれない。

 エリカは大丈夫だろうか。ここに来るまでの間に、何人かの断末魔の悲鳴を聞いた。エリカの声ではなかったが、それで順調だと判断するのは早計だろう。今は無事を祈るしかなかった。


 床の一部がほのかに青く光っていた。そこがスイッチだとわかっているゲンは、躊躇なく踏んだ。カチッという音がした。

 次の瞬間、ゲンの両足が軽くなった。スニーカーが音もなく粉々になったのだ。その破片が床に吸い込まれるように消えたかと思うと、下から手のひらサイズのサイコロが出現した。

「……全部同じ数字じゃねーか」

 原作には登場しないそのサイコロには、6面とも同じ数字が刻まれていた。26.0。自分の靴のサイズだということはすぐにわかった。

 振る意味の見いだせないサイコロを転がすと、当然のように26.0が出た。サイコロが粉々になり、その破片が床に消えると、白いスニーカーが下からせり上がってきた。もちろんサイコロの目と同じサイズだった。

 持ってみるとかなり軽い。これなら走りやすいに違いない。原作どおりなら、この靴には罠も仕掛けも一切ない。本当にただの靴だ。履くのを躊躇する理由はなかった。

 履こうとして、中に何かが入っているのに気がついた。細長いカードキーだった。いつどこで何に使うのか、ゲンにはもちろんわかっていた。すぐにポケットにしまう。



 ――ピッ、ピッ、ピッ。

 ゲンが靴を履き終わると同時に、例の時報が鳴り始めた。靴を履き替えたため、もう足止めを食らうことはないだろう。ゲンは立ち上がり、走り出した。靴が軽くなったおかげで、本当に走りやすかった。

 ――ピーン!

 床が磁石と化したが、ゲンの動きが止まることはなかった。磁石の影響は全く受けなかった。

 だが、次の瞬間。

――ピピピピピピ! ピピピピピピ! ピピピピピピ!

 ゲンの首に付けられた輪から、警報のような音が大音量で発せられ、会場内に響き渡った。

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