48 本当の絶望
「はじめまして。僕がケイムだよ。よろしくね。もちろん本物だよ」
少年が口を開く。顔も声も、紛れもなくケイムのものだ。
ケイムは白い無地のTシャツにジーンズ、スニーカーというラフな恰好をしている。両手をジーンズのポケットに入れて立つその姿には、グランツが放っていたような威圧感は全くない。ごく普通の少年にしか見えなかった。
「ケイム……!」
「この世界に降りてくるつもりは全然なかったんだけど、僕もグランツと同じで暇を持て余してるから、ちょっとだけ相手になってあげるよ。さっきも言ったように、君たちに本当の絶望というものを教えてあげないといけないしね」
ケイムは満面の笑みを浮かべ、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「ケイム! オマエ、ふざけんじゃねーぞ!」
ゲンは身構えた。ユーシアたちも武器を構え、戦いに備えている。
「まぁ、とりあえず落ち着いてよ。早速だけど、君たちにいいものを聞かせてあげるよ。1回だけしか言わないから、よく聞いててね」
ケイムはポケットから両手を出すと、顔の前で人差し指だけを立てた。1を表しているのだろう。
「いーもの……? 何だ……?」
ゲンたちは不思議そうな表情を浮かべた。いいものと聞いて、思い当たることは全くなかった。
「じゃ、いくよ」
ケイムは喉元で両手を重ねた。
「兄さん……。兄さんが勇者になった姿を見られなくて残念だよ……」
ケイムの口から飛び出したのは、全く別の声だった。かなり苦しそうなその声は、ユーシアの弟、ケンジアのものと一致する。
「ケンジアの声……! 一体どういうことなんだ……?」
ユーシアが驚きの声を上げた。
「わらわはここまでじゃ……。ロココ、後はそなたに任せた……」
ケイムの口からまた別の声が飛び出した。弱々しそうなその声は、忠二の相方、加奈のそれだった。地獄の王女亜美になりきった口調まで、本人と全く同じだ。
「フッ、面白い……。卿の口から余の盟友、亜美の声が聞けようとは……」
忠二も驚きを隠さない。
「ミト、私はもうだめみたい……。一緒に戦えなくてごめんね……」
ケイムはまた別の声を発した。今にも消え入りそうなその声は、原作でミトとともに旅をしているまじない師、リンと同じだ。
「リン……! どうしてリンの声が……!? 何を言っているの……!?」
ミトは震える声で仲間の名を叫んだ。
「前にも言ったと思うけど、ケンジア君たちは全滅したんだよ。近くを通りかかったリンちゃんも加勢してくれたけど、それでもザミアには勝てなかったみたいだね。さっきのは彼らの死に際の声なんだよ。いいものが聞けてよかったね」
ケイムは本来の声に戻っていた。再びポケットに両手を突っ込み、楽しそうに笑っている。
ゲンたちはザミアとの戦いで、危ないところをケンジアたちに助けられた。その後に転送されてしまい、ケンジアたちとザミアの戦いの結末を見ていない。ケイムからは全滅イベントだと聞かされていた。
「バカなことを言わないでくれ……! ケンジアが死んだなんて、俺は信じないぞ……!」
「フン、戯言を……。余の盟友は、あの程度の敵に負けるほど軟弱ではない……」
「嘘よ……! そんなの嘘よ……! リンはそう簡単に負けたりしないわ……!」
ユーシアたちは激しく動揺していた。
「オマエら、もちつけ! 惑わされんじゃねー! ただの声真似じゃねーか! ケイムが適当なこと言ってるだけで、あんなんが死んだ証拠になりゃ苦労しねーよ!」
ユーシアたちを落ち着かせようと、ゲンが叱咤の声を飛ばす。
「死んだらすぐに消えちゃうから、何も残ってないんだよ。信じる信じないは君たちの勝手だけど、僕の目的は君たち全員を殺すことなんだから、いつどこで誰が死んでもおかしくないと思うよ? だから、次はニンジア君たちのパーティーを全滅させてあげるね。そのパーティーにはザック君もいるから、全滅させるのが今から楽しみだよ。また君たちに彼らの死に際の声を聞かせてあげるから、楽しみにしててね」
ケイムはかなり嬉しそうだ。声にも表情にも、それがにじみ出ている。ニンジアはユーシアの末弟、ザックはミトの仲間。2人をさらに苦しめようとしている意図は明白だ。
「……おっさん、ミト、忠二。一緒に旅ができて楽しかったぞ」
何かを思いつめたような表情で、ユーシアが口を開いた。涙を必死にこらえているように見えた。
「ちょっと待て、ユーシア。オマエ――」
「あら、奇遇ね。私も同じ気持ちよ。みんな、今までありがとう」
「フッ、喜べ……。卿たちは実によき下僕だった……。礼を言う……」
ミトと忠二も、覚悟を決めたかのような面持ちだった。
「オマエら、もちつけ! 早まんじゃ――!」
「ケイム! お前だけは許さない! 刺し違えてでも、お前を倒す!」
「ザックは殺させない! リンの仇も取らせてもらうわ!」
「フン、忌々しい……! 余がこの手で卿を粛清する……!」
ゲンの制止を振り切り、ユーシアたちはケイムに向かって突進した。おそらく玉砕覚悟だろう。
ケイムは全く動かない。迫るユーシアたちを笑顔でじっと見つめているだけだった。
「バカな……! そんなバカな……! どうしてなんだ……!?」
「どういうことなの!? 確かに手ごたえはあるのに、どうして!?」
「フン、小癪な……。余の攻撃をすべて無に帰させるとは……!」
ユーシアたちが悲鳴にも似た叫びを上げた。攻撃はすべてケイムを直撃しているが、全く効いていなかった。傷一つ付いていない。服も破れていないし、眼鏡も壊れていない。
ユーシアとミトの剣が何度もケイムの体を貫き、忠二の拳が次々とケイムの体に炸裂していた。ケイムの姿が幻影でないことは、ユーシアたちが攻撃の手ごたえを感じていることからも明らかだ。それでも全く効果がなかった。
「無駄だよ。君たちの攻撃はすべて無効化する設定なんだよ。君たちの攻撃は確かに僕に命中してるし、ちゃんと手ごたえもあると思うけど、攻撃の効果が一切発生しないようになってるんだ。だから、僕の体は傷つかないし、ダメージも受けないし、もちろん痛みも全然ないよ」
ケイムは楽しそうに笑った。その言葉どおり、攻撃が命中しても何も起きないようになっているのだろう。ゲームのような世界とはいえ、何度も心臓を貫かれようと首を掻き切られようと、全く傷を負わないその姿は異常だ。
「原作だと僕はザミアみたいに攻撃をバリアで防ぐ設定だったみたいだけど、それじゃつまらないからこういうふうに変えたんだよ。こっちのほうがはるかに君たちを絶望させられるからね。ちゃんと命中してるし、しっかり手ごたえも感じてるのに、全然攻撃が効かないのは辛いよね? 悔しいよね?」
「くそっ……! ふざけるな……!」
見下したように笑うケイムに、ユーシアたちはなおも攻撃を加え続けている。剣の切っ先が頭や胸を確実に貫通し、拳が確かに体にめり込んでいるが、ケイムには全く効いていなかった。
「……どれだけ攻撃されても痛くも痒くもないんだけど、ずっとやられ続けるのも面白くないから、ちょっとだけ反撃をさせてもらうよ」
ケイムの姿が消えたかと思うと、次の瞬間には宙に浮いていた。笑顔でユーシアたちを見下ろしている。両手は相変わらずポケットに入れたままだ。
「ユーシアは気絶した」
ケイムがそう言い終わったと同時に、突然ユーシアはその場に崩れ落ちた。倒れ込んだまま、全く動かない。
「……ユーシア? ユーシア? 大丈夫なの!?」
「ミトも気絶した」
ユーシアに駆け寄ろうとしていたミトも、突然倒れ込んだ。
「忠二も気絶した」
同じように忠二も倒れた。
「ファッ!? 言うだけで気絶とか、ありえね――」
「ゲンも気絶した」
ゲンが意識を失ったのはその直後だった。
「ちくしょー……。チートすぎにもほどがあんだろ……」
上空に浮かぶケイムを、ゲンは呆然と見つめていた。生殺与奪の権を完全にケイムに握られているということを、改めて痛感させられた。
ユーシアたちも肩を落とし、うなだれていた。完全に戦意を失っていた。絶望のあまり、生きる気力さえ喪失しているかもしれない。
「これでわかったよね? 僕は君たちを思いどおりに動かすことができるんだよ。気絶とか麻痺とか、全部僕の言ったとおりになったよね? じゃ、僕が死亡と言えば、君たちはどうなると思う? もちろん死ぬんだよ」
ケイムの楽しそうな声が降ってきた。
ゲンたちは完全にケイムに遊ばれていた。ケイムの言うとおりの現象が、次々とゲンたちに起きた。気絶を始め、負傷や麻痺、石化、混乱などが指名された者に降りかかった。
回復もケイムの意のままだ。ケイムが回復と言えば、どんな状態からも一瞬で正常に戻った。
ケイムの言葉こそがこの世界の絶対的ルールであることは、 疑いようがなかった。
「本当の絶望というのは、こういうことを言うんだよ。どんなに強くなっても絶対に倒せない相手が、自分を一瞬で、たった一言で殺す力を持っている。これ以上の絶望はないと思うよ。だから、君たちにとって僕の存在そのものが絶望なんだよ。桝田圭夢と書いて、絶望と読むんだよ」
ケイムは勝ち誇ったような表情で、嬉しそうに言葉を降らせてくる。
ゲンたちは誰もが言葉を失っていた。真の絶望を味わい、打ちひしがれていた。絶対に倒せないケイムを倒さないと、元の世界に戻れないのだ。
「じゃ、僕はもう帰るけど、最後に一つだけ訂正しておくよ。さっきケンジア君たちが全滅したと言ったけど、あれは嘘だよ。もちろんリンちゃんもね。この世界にいる他のみんなも、今のところはまだ誰も死んでないよ。よかったね」
「本当なのか……? ケンジアは生きてるのか……?」
「ああ、リンは無事なのね……。よかったわ……」
「フッ、さすがだ……。それでこそ余の盟友……」
ユーシアたちは安堵のため息を漏らした。
「やっぱ嘘松だったんじゃねーか! ふざけんじゃねーぞ!」
「いずれはみんなそうなるんだから、心の準備をさせてあげたんだよ。これでもう、いつどこで誰が死んでも大丈夫だね。だから、僕も安心してみんなを殺せるよ。じゃ、そういうことだから、これからもがんばってね。君たちが全ての宝珠を集めて、マスタールームにやって来るのを楽しみにしてるよ」
言い終わると同時に、ケイムの姿は一瞬で消えた。
ゲンたちの足元に魔法陣が現れたのは、その直後だった。




