45 ルーモス信号
「だめだ。ケイムの言うとおり、入口は開かなかったぞ。階段の何か所かが少しだけ光っていたから、たぶんあそこを正しく踏まないといけないんだろうな」
ユーシアが悔しそうな表情を浮かべて戻ってきた。もし外に出られたなら、討伐団員を探しに行くつもりだった。クラインと同じように、信号の送り方がわかるメンバーがいるかもしれないからだ。
無理を承知で研究室の扉も叩いてみたが、全く反応がなかったという。研究者たちなら入口を開けられるに違いないが、話ができなければどうしようもない。
「そんな……。私たち、ここから出られないの……?」
「フン、小癪な……。この余を幽閉するとは……」
ミトと忠二の顔にも落胆の表情が広がっていた。
「オマエら、もちつけ。まずはルーモスたちを助けよーじゃねーか。あいつらが帰ってきたら、ここにいるオレたちをハケーンしてくれるかもしんねーからな」
「助けるもなにも、信号の送り方がわからないんじゃないのか?」
「2つのボタンを押すだけじゃねーか。こんなもん、適当にやりゃいーんだよ。なんでもいーから適当に送っときゃ、異変を察知してすぐに引き返してくんじゃねーか? なんせルーモスが考えた信号なんだから、さすがにあいつは秒で気づくだろーよ」
ゲンは発信機の前に立った。光が灯った赤と青のボタンが横に並んでいる以外は何もない。操作説明や注意事項などが書かれたシールの類も、一切貼られていなかった。送り方を知らない者はこの時点でお手上げだが、適当に押しまくるつもりのゲンには全く関係なかった。
「ポチっとな」
ゲンは赤いボタンを押した。ピッという音が鳴った。
「おっ、音が鳴るじゃねーか」
続いて青いボタンを押すと、ポッという音がした。2つのボタンを同時に押すと、プッと鳴った。押し続けると、それぞれの音がピー、ポー、プーに変わった。
「そーゆーことか。よし、これならなんとかなりそーだぜ。……ううっうぅうう!! 俺の想いよルーモスへ届け!! クラインの妹のミーニーへ届け!!」
奇妙な叫びを上げると、ゲンはリズムよくボタンを叩き始めた。
――ピッピップッ、ポッポッピッ、ピップッポップッピップップッ。
ポッピップッ、ピップッポッ、プッピッポッポップッピッピッ。
その結果出来上がったのは、応援でよく耳にする、おなじみのリズムだった。
――ピッピッピッ、ポッポッポッ、プップップッポッ。
ポップッピッ、ピッポッピッ、プッピップップッ。
プッピッポッ、ピップッポッ、プッピッポッピッ。
次に刻まれたのは、宴会の締めによく使われる、お約束のリズムだった。途中で合いの手を入れながら、ゲンはノリノリでボタンを叩いた。
「おっさん、ふざけてないで真面目にやってくれ」
「今はそんなことをしている場合じゃないのよ」
「フッ、愚かな……。卿の知能ではそれが限界か……」
ユーシアたちの呆れたような視線が背中に突き刺さる。
「うるせー。こー見えてもオレはガチでやってんだぞ。オマエらはオレをバカにした。侮辱した。よって、オマエらをタイーホしてやる」
ピーポー、ピーポー、ピーポー、ピーポー。
2つのボタンを交互に長押しすることで、何かを彷彿とさせるリズムが生まれた。
「やめてくれ。俺はおっさんとは違って、その音とは無縁なんだ」
「すぐに思いつくなんてさすがね。いつも聞いているからかしら?」
「フン、哀れな……。無意識に音色を奏でてしまうほど、あの車の世話になったか……」
「んなわけねーだろ。妄想だけで捕まったら世も末だぜ。確かに、オレは暇さえありゃロリとのエチエチシーンを妄想してるが、それだけじゃ罪にならねーんだよ。行動に移さねー限り捕まらねーんだよ。我慢できずに突っ走ってタイーホされる輩も多い中、必死に耐えてるオレってすごくね? リビドーに抗いながら、妄想を妄想で終わらすオレってすごくね?」
ゲンは早口でまくしたてた。ミトが露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「この際だからカミングアウトしてやるが、オレは捕まったこたーねーけど、通報ならされたことあんだぜ。月一の買い出しの帰りに、下校途中のJCとすれ違っただけで不審者認定されて通報された。しかも2連荘で。ふざけんじゃねーぜ。ちょっと上から下まで嘗め回すよーに、何度も何度もガン見してただけじゃねーか!」
「いや、それは普通に通報されると思うぞ……」
「あとは、スーパーの魚売り場でも通報された。オマエらは知らねーかもしんねーが、小さいに女に子供の子と書く魚がある。小さい女の子だぞ、小さい女の子。やべーだろ。ラベルを見ながらちょっとニヤニヤしてただけで、変質者扱いされて通報だぞ。ありえねーだろ! どっちかっつーと、ひらがなで書きゃいーのにわざわざ漢字で書いたスーパーのほーがわりーのに、オレが通報されんのはおかしーだろjk!」
「それは当然よね……。気持ち悪すぎるわ……」
「フッ、さすがだ……。それは卿にしかできぬ芸当……」
ミトも忠二も呆れたような表情を浮かべていた。
「じゃ、気を取り直して、歌って、踊って、騒ごーじゃねーか! いくぜ、パーリー!」
ピーポー。
「パーリー!」
ピーポー。
「パーリー!」
ピーポー。
「おっと、もーすぐ日付が変わるぜ!」
ピッ、ピッ、ピッ、ピー。
「オマエら、このまま朝まで騒ごーぜ! パーリー!」
ピーポー。
「パーリー!」
ピーポー。
ゲンは楽しそうにリズムを刻む。もはや音の鳴るボタンを使った余興と化していた。
「エドガー・アラン」
ポー。
「ぼんさんがへをこいた」
プー。
「アルファベットで、オーの次は?」
ピー。
「ひなげしとも呼ばれる花は?」
ポピー。
「あ、汽車だ」
ポッポー。
「放送禁止用語を言うぞ」
ピー。
「働いたら負け。だからオレは」
プー。
「めちゃくちゃうめーぜ、小籠」
ポー。
ゲンはさらにご機嫌でボタンを押し続けた。
「おっさん、いいかげんに――」
「見つけたぞ! 貴様ら、こんなところにいたのか!」
ユーシアの声を遮ったのは、突然頭の中に響いてきたリドルの声だった。慌てて振り返ると、部屋の入り口周辺が小さな黒い人で埋め尽くされていた。一点だけ金色も混じっている。
いつの間にか微人たちが研究所内に入り込んでいた。ボタンを叩くのに夢中になっていて、ゲンは全く気がつかなかった。
「微人じゃねーか! どっからどーやって入ってきたんだ!? 入口は閉まってんじゃねーのか!?」
「わけのわからん音が聞こえてきて、その正体を探っているうちにここに辿り着いたのだ。扉なら既に開いていた。おかげで手間が省けた」
「ありえねー! ありえねーぞ!」
ゲンは頭を抱え込んだ。
「こうなったのは、おっさんがふざけてボタンを押したせいだろうな……」
「扉が開いたのは嬉しいけど、これでは外に出るのは難しそうね……」
「フッ、愚かな……。自ら敵を招き入れるとは、まさに愚の骨頂……」
ユーシアたちの呆れたような視線がゲンに突き刺さる。
ゲンが適当に押したリズムが、入口の扉を開けたり音を外に流したりする合図と偶然一致したのだろうか。ゲンの思考を先読みして、ケイムがそういう設定にしていたのかもしれない。
「あの2人には逃げられたが、貴様らは逃がさんぞ。ここで死ぬがいい」
あの2人とは、もちろんランディとジョージのことだろう。ずっと気がかりだったが、ランディがうまく立ち回り、ジョージを連れて逃げたようだ。
「くそっ……」
ユーシアたちは武器を構えた。ゲンもユーシアから短剣を渡され、同じように構えた。
昨日の戦いが頭をよぎる。攻撃はすべてよけられ、逆に全身に無数の傷を受けた。唯一の対抗手段はテスラーだが、持っている者はこの場にいない。今戦っても、同じ結果になるのは目に見えていた。
「貴様らを始末した後は、ここも破壊せねばならん。ここではなぜか合体ができん。合体してもすぐに解除される。ここには俺たちの合体を妨害する何かがあるに違いない。これを武器に使われたら面倒なことになる。だから、その前にここを完全に破壊する!」
リドルの指摘は正しい。この研究所周辺の土壌にだけ含まれる特殊な成分に、微人たちの合体を妨害する効果があるのだ。人間たちは後の研究でそれを発見し、巨人への対抗策として、ジャーミンと呼ばれる武器を開発することになる。強制的に分離させ、微人以外の状態を許さないその新しい武器により、再度形勢が逆転し、人間たちが圧倒的優位に立つ。
「俺は人間どもに負けるわけにはいかんのだ! 障害になりうるものはすべて排除する! すべては妹のためだ! 妹を取り返すまで、俺は人間どもと戦い続ける!」
「ちょっと待て! オマエに妹なんかいねーだろ!? 脳内じゃねーのか!?」
ゲンが叫ぶ。原作の設定では、リドルには兄弟も姉妹もいない。
「何をバカなことを! 俺には腹違いの妹がいる! 妹は貴様ら人間に連れ去られた! 貴様ら人間は、俺たちの町を破壊しただけでは飽き足らず、俺の妹まで連れ去ったのだ! 俺は人間どもを許さん! 妹を取り戻すまで、俺は人間どもへの復讐を続ける!」
憎悪に満ちたリドルの声が、頭の中に響く。妹を連れ去られた怒りが、リドルを戦いへと駆り立てているのだろう。妹を取り戻すまで、その怒りが収まることはなさそうだ。
「ちくしょー! ケイムのやつ、原作を改変しやがって……」
ゲンは悔しそうに呟いた。いないはずの妹が、この世界のリドルには存在する。原作と異なる設定にされては、ゲンにはどうすることもできなかった。
「おっさん、なんとかならないのか?」
「なったら苦労しねーよ。原作にいねーキャラを出されたら、オレにゃどーすることもできねーよ」
「そうか、おっさんにもわからないのか……」
「じゃ、もうどうしようもないわね……」
「フン、手詰まりか……。卿には失望したぞ……」
ユーシアたちに諦めムードが広がった。ゲンにリドルの妹に関する知識があればこの場を丸く収められたかもしれないが、もはやどうしようもなかった。
「ここが貴様らの墓場だ! さぁ、全員まとめて死――!」
「じゃじゃ~ん☆ i子ちゃん、とうじょ~~!」
突然、聞き覚えのある能天気な声がして、見覚えのある妖精が現れた。i子だ。
「オマエ、KYか? こんなときに出てくんじゃねーよ!」
「i子ちゃん、今来たら危ないわよ!」
「え~、だって~」
妖精は頬を膨らませた。
「i子! i子じゃないか! 探したぞ、妹よ!」
リドルの嬉しそうな声が頭の中に響いた。




