37 偽物の正体
「では、いくぞ」
デビリアンが偽物に向かって突進した。そのスピードから、明らかに手を抜いているのがわかる。
右、左と交互に拳を繰り出す。普段では考えられないほど遅いパンチだ。どこに飛んでくるかが容易にわかる。それを偽物はゆっくりした動きでかわした。
続いてデビリアンは蹴りを繰り出した。非常にゆったりとした動きだ。よけられないほうがおかしいようなその攻撃を、偽物はしゃがんだり飛びのいたりしてやり過ごした。
「……デビリアンのやつ、いくらなんでもありゃバカにしすぎじゃねーか? あんなのよけれねーわけねーだろ」
見るからに遅すぎる攻撃の数々に、思わずゲンは呟いた。
デビリアンが提案したのは、ゲンへの攻撃だ。本物の作者ならどんな攻撃が来るか全部わかるはずだから、よけられないはずがない、と。もちろん、ゲンの身体能力を考慮して、それ相応の手加減をする、というものだ。
デビリアンはなおも偽物を攻め続けた。右の拳と見せかけて左拳、殴ると思わせて蹴るなど、様々なフェイントも織り交ぜる。だが、わざとらしいほど攻撃のモーションが大きくスピードも遅いため、よほどの運動音痴でもない限り、よけるのは容易だろう。偽物も余裕でかわし続けている。
偽物が攻撃をよけるたびに、デビリアンは小さく頷いていた。よけられるかどうかではなく、そのときの動きを観察しているのかもしれない。
「……よし、次はお主だ。いくぞ」
デビリアンがゲンに向かってきた。
偽物はすべての攻撃を難なくよけた。今度はゲンが試される番だ。
「……あの程度なら余裕じゃねーか」
ゆっくりとした動きで近づいてくるデビリアンを前に、ゲンは身構えた。
「……偽物はお主だったか」
デビリアンの声が頭上から降ってくる。ゲンは尻もちをついていた。
ゲンはデビリアンの攻撃をよけることができなかった。最初こそ余裕だったが、徐々に体がついていかなくなった。
どこに攻撃が来るかはわかった。どっちによければいいかもわかった。だが、体が思うように動かなかった。
胸を殴られ、尻もちをついた。遅いとはいえ、デビリアンの拳は重く、威力もあった。
「化けの皮が剥がれたみてーだな! オマエ、オレに成りすましてんじゃねーよ!」
偽物のゲンが怒鳴る。ユーシアたちも無言でじっとゲンを睨みつけている。
「ちょっと待て! デビリアン! オレのときだけパンチが早かったんじゃねーか!? さっきと同じスピードなら余裕でよけれてたぞ!」
ゲンは抗議した。偽物のときはかなりゆっくりに見えたが、自分のときは予想以上に速く感じられた。とても同じスピードだとは思えなかった。
「儂の攻撃が同じ速さかどうかもわからんとは、やはりお主は偽物だな」
デビリアンは鼻で笑った。
「本物のおっさんなら、デビリアンの実力をわかっているはずだ。常に同じスピードで攻撃するなんて朝飯前だぞ」
「ずっと見ていたけど、攻撃の間隔も速さも、間違いなく同じだったわ。やっぱり偽物にはわからないのね」
「ククク、卿の眼は節穴だったか……。余の下僕の力を見誤るなど、真の作者ならありえぬ話だ……」
ユーシアたちもゲンを責め立てた。
「くだらねー言い訳してんじゃねーぞ! 往生際が悪すぎんだよ!!」
全く同じ顔をした男からも、全く同じ声と口調で怒鳴られた。
「もうお主を捕まえる必要はなくなった。遠慮なく倒させてもらおう」
「今までさんざん俺たちをバカにしてきた借りは返させてもらうぞ」
「私たちから逃げられるなんて思わないほうがいいわよ」
「ククク、卿はもはや袋の鼠……。今後は逃がさぬ……」
ユーシアたちはそれぞれの得物を構えた。
「待て、オマエら! もちつけ! オレは本物だ!!」
ゲンは半狂乱になってわめいた。だが、ユーシアたちは表情一つ変えない。
「ごちゃごちゃうるせーんだよ! オマエが何を言おーと誰も信じねーんだよ! いーかげんに観念しやがれ!!」
偽物が鬼気迫る表情で叫んだ。
「だから、オレは本物――!」
「いくぞ!」
ユーシアたちはゲンに襲いかかった。尻もちをついているほうではなく、ついていないほうのゲンに。
「よくオレがニセモンだとわかったな。オマエら、すげーじゃねーか!」
瞬間移動したゲンの偽物がにやりと笑う。
「当たり前だ。本物が儂の攻撃をよけられるはずがない」
「おっさんがよけられないのは、みんな最初からわかっていたさ」
「見た目や声は真似できても、運動神経までは無理だったみたいね」
「フッ、愚かな……。余の下僕の術中にまんまと嵌ったか……」
ユーシアたちの言葉を聞き、ゲンはやっと状況を理解した。すべては偽物を欺くための演技だったのだ。
「そーゆーことか! オマエら、やるじゃねーか!」
ゲンは立ち上がり、自分の偽物を睨みつけた。
「おい、ザミア! オマエ、ふざけんじゃねーぞ!」
自分に化けているであろう魔女の名前を、ゲンは叫んだ。
「なるほど、すべてお見通しみてーだな。じゃ、もーこんな姿でいる必要はねーな」
偽物の体が光ったかと思うと、次の瞬間には黒いローブをまとった女が立っていた。カールのかかった茶色い髪に大きな目、真っ赤な唇が印象的な、なかなかの美女だ。年齢は30歳前後に見える。
胸のあたりの大きな膨らみが、その体の豊満さを物語っていた。開いた胸元からは豊かな谷間が覗いている。
「そうよ。アンタに化けていたのはこのアタシよ」
「オマエの目的は何だ!? なんでオレに成りすました!?」
「まさかアンタみたいな薄汚いブ男が作者とは思わなかったわ。アタシにはそれがどうしても納得できなかった。どうしても受け入れられなかった。どうしても許せなかった。だから、アンタを陥れてやろうと思ったのよ」
「だからって人殺しはねーだろ! 殺されたあのねーちゃん、とばっちりもいーとこじゃねーか!」
「あの小娘はアタシより若くてきれいだった。目障りだったから殺したのよ。アンタに罪もなすりつけられたし、一石二鳥だったわ」
ザミアは全く悪びれた様子を見せない。
「じゃ、次に狙われるのは私かしら? それは困ったわね」
「安心して、それは絶対にないわ。アンタみたいな貧乳、このアタシが相手にすると思う?」
「どういう意味よ!!」
ミトが動いた。素早く懐に飛び込んで剣を振るが、見えない何かに止められた。
次の瞬間、ミトは横に跳んだ。もしそうしていなければ、地面から突き出してきた氷の槍に貫かれていただろう。
「お胸が小さいと身軽でいいわね」
「うるさいわよ!」
ミトは再び攻撃を仕掛けたが、やはり見えない何かに防がれた。
「これならどうだ!」
一瞬で背後を取ったデビリアンの攻撃も、同じく見えない何かが止めた。
「目障りだわ! 消えてちょうだい!」
ザミアが右手を振り上げると、周囲に雷が落ちた。ミトとデビリアンは、ギリギリで飛び退いていた。
「これでは近づけないわね……」
ミトが悔しそうな声を上げる。
「アンタたちではアタシに勝てないわ。見てのとおり、アタシは強くて、美しくて、おまけにこの体よ。本当にアタシって罪な女だわ」
ザミアは口に手を当て、楽しそうに笑った。
「ザミア! オマエ、BBAのくせに調子に乗ってんじゃねーぞ!」
「なんですって!?」
ザミアの顔色が変わった。
「オマエ、本当はヨボヨボのBBAだろーが! それを魔法の力で無理矢理その姿に見せてるだけじゃねーか! BBAがいー気になってんじゃねーぞ!!」
ゲンはザミアを指差しながら、作者しか知らない秘密を暴露した。
「魔法であの姿になってるのか……。それはすごいな……」
「哀れね……。魔法で若返って楽しいのかしら……」
「なるほど……。すべてはまやかしだったか……」
「見かけによらんとは、まさにこのことだな……」
ザミアの若さの秘密に、ユーシアたちも驚いているようだ。
「おのれ……! 言うてはならんことを……!」
ザミアの声が変わっていた。老婆のようなしわがれた声だった。
次の瞬間、ザミアは老婆へと姿を変えていた。腰は曲がり、髪は白く、顔には深い皺がいくつも刻まれている。
「この姿を見られたからには生かして帰さん! お前たちはここで死ぬのじゃ!」
ザミアの周りに無数の火球が現れた。まるでザミアを守るかのように、燃え盛る火球はその周囲を高速で飛び始めた。
ザミアは魔法の力で若い外見を手に入れ、常に大量の魔力を使ってそれを維持していた。その代償として、他の魔法の威力や効果が犠牲になっていた。若い外見を手放した今なら、魔法の性能は大幅に上がるだろう。
「ふざけんじゃねー! こんなの聞いてねーぞ!」
ゲンが驚きの声を上げる。
「これはまずいな……。あんなの食らったらひとたまりもないぞ……」
「すごい数ね……。あれをよけながら攻撃するのは無理だわ……」
「フッ、面白い……。灼熱の炎で余を焼き尽くすつもりか……」
「おのれ、小癪な真似を……。あれでは迂闊に近寄れんぞ……」
ユーシアたちも焦りの声を上げている。
「さぁ、選ぶがいい!」
ザミアは両手を広げた。
「炎に焼かれて死ぬか!」
突然、ゲンたちの周囲に無数の火球が現れ、前後左右と頭上、すべての空間を埋め尽くした。ザミアの周りを飛び回っているのとは別の火球だった。
「氷に貫かれて息絶えるか!」
周りの火球が、すべて円錐状の氷の塊に姿を変えた。
「雷に打たれて果てるか!」
氷の塊が、今度は稲妻形をした黄色い光に姿を変える。
ゲンたちには何もできない。周囲の風景が変わるのをただ黙って見守るしかなかった。
「風に刻まれて歿するか!」
黄色い光が、小さな竜巻に変化した。
「闇に呑まれて消えるか!」
竜巻が黒い球体に姿を変えた。
「毒に蝕まれて身罷るか!」
球体が黒から紫に変色し、ドクロマークのような姿に変形した。
「さぁ、選ぶがいい!」
一部を除き、ドクロマークがその姿を変える。ゲンたちの周囲は、火球、氷塊、稲妻、竜巻、黒球、髑髏で埋め尽くされた。
「どれで死にたいか選ぶがいい!」
ザミアの勝ち誇ったような声が響いた。




