25 偽物
「いらっしゃいませ、こんにち――、ハッ!!」
ゲンたち一行を見るなり、帳場にいた少女が息を呑んだ。ミトと同い年くらいだろうか。その整った顔に、見る見るうちに恐怖の表情が広がっていく。
「やめて……! 来ないで……!」
後ずさりしながら、泣きそうな声で叫ぶ。その視線は明らかにゲンに向けられていた。
「お願い……。来ないで……」
背後の壁にへばりつきながら、涙目でじっとゲンを見つめてくる。すぐ横にユーシアたちもいるが、どうやら全く目に入っていないようだ。
「……おっさん、あの娘に何かしたのか?」
「するわけねーだろ。初対面じゃねーか!」
ゲンにも何が何だかわからなかった。ついさっきこのギルティの町に着き、温かい食事と寝床を求めて、たった今この店に入ってきたところだ。少女と面識などあるはずがない。
「あの子、どうしたのかしら……。心配ね……」
「フッ、さすがだ……。姿だけで相手に恐怖を植え付けるか……」
「あ~、お姉さん、怯えてる~。あ、こんなところにビールが。お、冷えてる~」
こんな状況でも、ジョージは能天気にギャグを飛ばす。
「しかし、困ったな。あの娘はおっさんを見て怖がってるし、とても話ができるような状態じゃないぞ……」
「――かわいそうに、怯えきってるじゃないか。アンタ、いい加減におし!」
奥から出てきたエプロン姿の中年女性が、怖がる少女をかばうようにゲンたちの前に立ちはだかった。身長はゲンより少し低い。両手を大きく広げ、睨みつけるようにゲンを見上げてくる。
「これ以上この子を怖がらせたら、このアタシが許さないよ!」
女性の人差し指が、ゲンの鼻先に突き付けられる。
「怖がらせるとか、全然身に覚えねーから!」
「この期に及んでまだそんな見え透いた嘘をつくのかい、アンタは! 昨日から何度もあそこの窓から、気持ち悪い目でこの子のことを――!」
窓を見つめたまま、女性の言葉がそこで止まった。ゲンたちも窓に視線を向ける。そして、窓の向こうに立つ人物に目を奪われた。
「……あれ、おっさんじゃないか?」
少し開いた窓から中を覗き込んでいる一人の男。首から上だけが見える。丸い顔に黒縁眼鏡。ゲンに酷似している。
男は薄笑いを浮かべたまま、ずっと一点を見つめている。その視線の先にいる少女は小さく悲鳴を上げると、ブルブルと震えだした。
「本当によく似てるわね……。全然見分けがつかないわ……」
「ほう、分身の術か……。卿もなかなかやる……」
「まぁ、これは驚いたね。アンタと全く同じ顔してるじゃないか」
女性も目をパチパチさせながら、窓の向こうの男とゲンを交互に見比べている。
「あの人、おっちゃんにそっくりだ~。まるで鏡みたいだね~。鏡を蚊が見、かがみながら鑑みる~」
ジョージは相変わらず、息をするようにギャグを飛ばした。
「……ケイムのやつ、ふざけた真似してくれんじゃねーか!」
ゲンは忌々しそうに吐き捨てた。これもケイムの考えたシナリオだろう。偽物を出没させ、ゲンを陥れようとするイベントに違いない。
ゲンたちがこの世界にやってきたのは昨日。ゲンに酷似した男がこの店を覗くようになったのも昨日。この一致は決して偶然ではないだろう。
背後から扉の閉まる音が聞こえてきた。振り返ると、ユーシアとミトの姿が見えない。男を捕まえるために飛び出したのだろう。
「どこの誰だか知んねーが、オマエはもーすぐ捕まるぜ。ざまぁ!」
呟きながら再び窓の外に目をやると、男はまだただ一点を見つめ続けていた。こちらに気づいた様子は全くない。
男のいる窓の上、天井付近に黒い霧が漂っているのが見えた。
「ククク、余の下僕からは逃げられぬ……」
「黒い霧だね~。霧のせいできりきり舞いしちゃいそうだね~」
緊迫した雰囲気の中、ジョージだけは相変わらず楽しそうだ。
黒い霧が動く。開いた窓から一気に外に流れ出ると、男の頭上でデビリアンへと姿を変えた。そのまま男にのしかかるように落ちていく。
男とデビリアンの姿が、窓の下に消える。その直後、ユーシアとミトが到着したのが見えた。2人とも足元を見下ろしている。
「フッ、なんと呆気ない……。余が手を下すまでもなかったか……」
「つーか、待った! 捕まったみたいだね~」
「おい、オマエ! オレになりすますたーいー度胸してんじゃねーか! 許さねーぞ!」
ゲンは窓に駆け寄り、身を乗り出して下を覗き込んだ。
「――捕まえたぞ」
突然伸びてきた黒い腕に、ゲンは首を掴まれた。
「逃げられたからって、オレを捕まえるこたーねーだろ!」
ゲンは顔を真っ赤にして怒鳴った。デビリアンに締め上げられた首がまだ痛む。
「お主が奴と同じ姿をしているから悪いのだ。それだけ似ていれば、誰でも間違えるぞ」
デビリアンは何食わぬ顔だ。ユーシアたちも相槌を打つように頷いている。
ゲンに酷似した男には逃げられてしまった。デビリアンは確かに男を組み伏せ、ユーシアたちもその瞬間を目撃しているが、突然姿を消してしまったという。まるで魔法だ。
「あいつはおっさんと同じで、魔法使いなのかもしれないな。だから、化けたり消えたりできるんじゃないか?」
「しつけーな。オレは魔法使いじゃねーと言ってんだろ」
「隠さなくてもいいわよ。あいつが魔法使いだとしたら、相手は任せたわよ」
「フン、いつまで余を待たせるつもりだ……。卿の真の力、早く見せるがよい……」
「男なら魔法ではなく己の肉体で勝負しろと言いたいところだが、お主なら仕方ない」
「おっちゃん、魔法が使えるの? すごいな~。魔法使い? 真帆、鬱かい?」
相変わらず一同から魔法使い呼ばわりされるゲン。しかし、魔法使いの女の子がプリントされたTシャツを着ている以外は、全く心当たりがない。
「だから、何度も同じこと言わせんじゃねーよ。オマエら、いー加減に汁!」
「わかったわかった。そういうことにしておくから、いざというときには頼んだぞ、おっさん」
ゲンの怒りもむなしく、ユーシアに軽くあしらわれた。
「……全然食ってる気がしねーな」
テーブルに並ぶ豪華な食事。どれもこの上なく美味だが、ゲンは全く食べている気がしなかった。何度も箸が止まる。
いくつもの視線がゲンに突き刺さっていた。先ほどの女性をはじめ、コックと思われる男たちも、フライパンや包丁を手にじっとゲンたちを監視していた。
どうにか食事と寝床にはありつけたが、いまだに信用はされていないのだろう。男を取り逃がしたことが悔やまれる。
少女は精神的に不安定な状態が続き、今は自室にいるという。彼女は身寄りがなく、この宿屋に住み込みで働いている。犯人が捕まるまでは、自室にいても気が休まらないかもしれない。
「仕方ないさ。真犯人を捕まえない限り、疑惑は晴れないだろうな」
「あの男の仲間だと思われて、叩き出されなかっただけマシよ」
「ククク、ご苦労なことだ……。余の監視など時間の無駄……」
「お主も食える時に食っておけ。いつ戦いに巻き込まれるかわからんぞ」
「おいしいね~。お、石井。この夕食のうまさに、ユー、ショック受けたか?」
ユーシアたちは全く気にも留めず、料理を口に運んでいる。その食べっぷりを見ていると、監視の目を気にしている自分がばかばかしくなってきた。
「考えてもしょーがねーな。ケイムのことだから、きっと何度もあいつを登場させてくるに決まってる。次は逃がさねーぞ。まずは腹ごしらえだ」
ゲンは一気に料理をかき込んだ。だが、昼間の疲れもあり、いつものように食が進まない。だから、結局3杯しかおかわりできなかった。
「大すこだ……。あずみ……。クレア……。レナリア……。マリオン……」
ゲンはいつものように、寝言で嫁たちの名を呼んでいた。この世界に来る前は3つだったはずだが、いつの間にか呼ぶ名が4つに増えている。
これを朝まで何度も繰り返す。呼ぶ順番はその都度変わるが、特に意味はない。
「クレア……。マリオン……。レナリア……。あずみ……」
さっきとは違う順番で名を呼び、寝返りを打ったその時だった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
階下から絹を裂いたような悲鳴が聞こえてきた。その声には聞き覚えがある。帳場にいたあの少女のものだ。
ゲンは驚いて飛び起きた。何人かが部屋の前の廊下を走り、階段を駆け下りていく音が聞こえてきた。ユーシアたちだろうか。
「何かすげー嫌な予感しかしねーぜ」
眠い目をこすりながら、ゲンもすぐにあとを追いかけた。
階段を駆け下りただけで息が切れた。足がもつれそうになりながらも、ゲンは廊下を進んでいく。本人は走っているつもりだが、実際には早歩きと大差ない速さだ。
廊下の左側、一番奥の部屋の前に人が集まっているのが見えた。背の高いユーシアはよく目立つ。ミトと忠二の姿の姿も確認できた。この店の従業員らしき男女の他、寝間着姿の宿泊客も見受けられる。
部屋の扉を叩いていたユーシアが、体格のいい男性とともに体当たりを始めた。2回、3回とぶつかるが、跳ね返されているようだ。
次にデビリアンが前に進み出た。次の瞬間には、一撃で扉を蹴破った音がゲンに耳にも届いた。木製の扉とはいえ、蹴破るには相当な力が必要だっただろう。
直後に聞こえてきたのは悲鳴だ。何人かが顔を覆ったり背けたりしているのが見える。部屋の中に何があるか、ゲンには察しがついていた。
「やっと着いたぜ……」
どうにか目的地に辿り着き、中を覗き込んだ。ユーシアたちが邪魔でよく見えない。かき分けるようにして中に進んだ。
「誰がこんなひでーことを……」
思わず呟きが漏れる。無意識のうちに合掌していた。
胸のあたりを朱に染め、ベッドに仰向けに横たわる少女。大きく見開いた目がじっと天井を見つめている。もう生きていないことは一目でわかった。
室内に荒らされた痕跡も争った形跡も見られない。少女が抵抗した様子もない。少女だけを狙いに来て、そして一瞬で仕留めたのだろうか。
部屋のカーテンは閉じられ、窓が開いている気配はない。入口の扉はさきほどデビリアンに蹴破られるまで、内側から鍵がかかっていた。
必要最低限のものだけが置かれた部屋には、身を隠せるような場所もない。既に犯人はどこかに逃げてしまったようだ。
「とにかく、早く警察を!」
ユーシアが叫んだ。