20 寒すぎる男
「……やっぱり凍ってやがる」
その村は、すべてが凍っていた。家も、木も、地面も、そして、人でさえも。まるで時が止まったかのように、あらゆるものが凍り付いていた。ひんやりとした空気が村全体を包んでいる。日が照り付けているのに、解ける気配が全くない。
「なんだ、ここは? 何もかもが凍ってるじゃないか」
「まるで冬みたいに寒いわね。どうなっているのかしら?」
「フン、氷に閉ざされた町か……。なかなか興味深い……」
「すべてが凍った町など、魔界にも存在せんぞ」
遅れてやってきたユーシアたちも、村の様子に驚きの声を上げる。いつの間に出てきたのか、デビリアンの声も混じっていた。
「これはサム(CV:神崎強兵)の仕業だ。ただの氷じゃねーから、普通の方法じゃ解けねーぜ」
「じゃ、どうやれば解けるんだ?」
「いーから見てろ。……布団が吹っ飛んだ!!」
ゲンがそう叫ぶと、周囲の氷が一瞬にして砕け散った。パリンパリンという小気味よい音があちこちから聞こえてくる。
「……どういうことなの?」
「この氷はサムの――」
「なんだ、お前たちは? なぜ俺の氷を割れる?」
背後から聞こえてきた声に、ゲンたちは振り返った。真っ黒なマントに身を包んだ男が立っていた。銀色の短髪。鋭い目つきでゲンたちを睨みつけてくる。
「まぁいい、もう一度凍らせてやろう。……布団が吹っ飛んだ!」
男の言葉が終わると同時に、一瞬にして辺りが凍り始める。
「うわっ……!」
逃げる間もなく、ユーシアたちもあっという間に凍ってしまった。デビリアンですら何もできず、たちまち氷像と化した。
「布団が吹っ飛んだ! 布団が吹っ飛んだ! 布団が吹っ飛んだ!!」
男はなおも連呼する。
ちなみに、凍らせるためには必ずしも布団が吹っ飛ぶ必要はない。猫が寝込んでもいいし、ワニが輪になってもいい。ダジャレなら何でもいいのだ。最初に思い付いたのが布団だったというだけで、それ以降ずっと使い続けている。
「なぜだ? なぜお前は凍らない?」
男の焦ったような声は、ゲンに向けられていた。あらゆるものが凍り付く中、ゲンだけは全く影響を受けていなかった。
「サム、オマエの攻撃はオレにゃ効かねーよ。オレは作者だ。オマエのギャグは、すべてオレが考えたもの。オマエはオレのワンスを超えられねーんだよ」
「なるほど。作者が相手では勝ち目はなさそうだな」
サムと呼ばれた男は、諦めたように肩をすくめた。
サム・スーギル。23歳。『少・笑・抄』に登場する脇役だ。かつてはお笑いの道を志していたが、その名のとおり寒すぎるせいであえなく師に見限られた。その後は故郷であるコルド村でお笑いの研究に没頭し、遂に恐るべき力を手に入れた。寒さが限界を超え、あらゆるものを凍らせることができるようになったのだ。
ゲンが凍らなかったのは、作者ゆえにサムを上回るワンスを持っているからだ。サムのワンスを絶対値で上回っていれば、そのギャグで凍ることはなく、その氷を解かすことすらできる。
ワンスとは、原作に登場する用語で、個々が持つ笑いのセンスを数値化したものだ。最高は100、最低はマイナス100。ほとんどの一般人は、30からマイナス30の間に収まるという。競争の激しいお笑い界で生き残るには、最低でも80は必要とされている中、サムのワンスは推定でマイナス98。それを絶対値で上回らない限り、サムのギャグを聞くと凍ってしまうのだ。
「ダジャレだけで凍らせるのか。すごい能力だな」
「そんなことができるのね。びっくりしたわ」
「フッ、卿の力、なかなか侮れぬな……」
「この儂を凍らせるとは、お主、只者ではないな」
ユーシアたちは自由を取り戻した。ゲンが村中の氷を割っていったのだ。原作では、主人公のジョージが同じ役を務めた。ジョージもサムを絶対値で上回るワンスの持ち主だ。
「……オマエはあいつらに復讐しよーとしてるんだろ? オマエの元師匠、ワライオ(CV:林廸明)とマザイン(CV:倉野誠)の2人に」
「当たり前だ。奴らの心ない発言の数々で、俺は精神崩壊寸前まで追い込まれた。だから俺は復讐を決意し、研究に研究を重ねて遂にこの力を手に入れた。試しに村を凍らせてみたが、想像以上の効果だ。これなら奴らを氷漬けにできる!」
サムは顔の前で右の拳を固く握りしめた。
「……その派手なステージ衣装は相変わらずだな。目がチカチカするぜ」
サムが忌々しそうに吐き捨てる。そのセリフに、2人は驚いたように椅子から立ち上がった。
「なんや、誰かと思うたらサムやないか。ありえへんくらい寒すぎる、世界一笑いを取れへんかった男、サム・スーギルやないか」
小太りで白髪交じりの男が鼻で笑う。黄と赤を基調にした、華やかなスーツを身にまとっている。サムのかつての師、超人気漫才師「コンビ2」の片割れ、ボケ担当のワライオ・キングだ。
「とっとと出ていけ! ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
そう叫んだのは短髪で黒縁眼鏡の男だ。黄と青を主体にした、よく目立つ背広を着ている。ワライオの相方、ツッコミ役のマザイン・チャンプである。
ここは笑いの殿堂、ナニワ芸人会館。若手を中心に、多くの芸人が自慢のネタを披露する場所。ナニワの町の中心部に位置し、無料で観覧できることもあり、連日大盛況だ。
その奥まった場所にある、楽屋の一室にサムはいた。サムの復讐を見届けるため、ゲンだけがそれに同行している。ユーシアたちは廊下で待機だ。
コルド村に現れた魔方陣に入った一行は、この楽屋の前まで転送された。ちょうどネタが終わり、ワライオとマザインの2人が帰ってきた直後の楽屋に。ケイムがこのタイミングを見計らって魔方陣を出現させたに違いない。
「安心しろ、すぐに出ていってやるさ。お前らに復讐したらな!」
「ワシらから学んだことを復習しに来たんか。それはええ心がけや。ま、なんぼ復習しても、どうせ時間の無駄やろけど」
「お前にはお笑いの才能がないからな。後ろにいるおっさんのほうが、まだ笑いを取れそうに見えるぞ?」
マザインはゲンを指差してニヤリと笑う。
「ホンマやな。おもろい顔しとるやん。黙って突っ立っとるだけで、客は大笑いやで」
「オマエら、作者に向かって言ってくれんじゃねーか」
「え? 自分、そうなん? ホンマに? 演技ができそうには見えへんで?」
「それは役者!」
「ヤクシニーの男版やな?」
「それはヤクシャ!」
「ほな、ワシのことか?」
「それはヤク○!」
「誰がヤク○やねん! もうええわ!」
ワライオとマザインの息の合った掛け合い。もちろん即興だろう。ゲンは2人の実力の片鱗を垣間見たような気がした。
「……もういい。消えろ。布団が吹っ飛んだ!!」
サムは声高らかに叫んだ。
「なんや、しょーもな。相変わらず寒すぎるねん。……って、なんやこれ! 凍っとるやないか!」
「寒いを通り越して、周りを凍り付かせるレベルになったか……!」
部屋が一瞬で様変わりするのを見て、ワライオたちは驚きの声を上げる。床も天井も壁も、すべて一様に凍り付いていた。
「布団が吹っ飛んだ! 布団が吹っ飛んだ! 布団が吹っ飛んだ!!」
サムはさらに畳みかける。部屋を覆う氷はどんどん厚くなっていった。
「ワシの足も凍り始めたで……!」
「くそっ、俺の腰まで氷が……!」
2人が悲鳴を上げる。その体が徐々に凍っていた。
凍る速度は、サムとのワンスの差により決まる。サムの絶対値98に近いほど、凍る速度は緩やかになる。2人とも人気絶頂の漫才師だけあり、おそらくそのワンスは95を超えているだろう。
「そのまま凍るがいい! 布団が吹っ飛んだ!!」
「アカン、このままじゃアカン! こうなったらしゃーない!」
腰のあたりまで氷の洗礼を受けながら、ワライオは胸ポケットから何かを取り出し、頭上に掲げた。マイクのような形をしている。
「ありゃもしかして笑集器か? あいつを復活させる気か!」
ゲンが叫ぶ。ここまでは原作と全く同じ展開だ。この後何が起きるか、ゲンにはなんとなく予想できた。
笑集器。その名の通り、笑い声を集める器具である。観客の笑い声をマイクが拾い、その内部に蓄積する。笑い声が最大限までたまれば、笑集器は淡く光る。そして、笑集器100本分の笑いを供物にすることで、伝説の爆笑王が復活する。
コンビ2の2人が、この会場で割に合わないステージに立ち続けているのは、多くの笑いを集められるからに他ならない。2人の実力なら、満員の観客から大量の笑いを入手することなど朝飯前だ。
99本の笑集器は既に満量で、残るはあと1本。ワライオの手に握られているものが、まさにそれだ。
「足らへん分はワシらの命で!」
「どうぞお納め下さい!」
2人が叫んだ瞬間、ワライオの持つ笑集器が眩い光を放った。閃光に視界を奪われる。その直後、ワライオたちの断末魔の叫びが響いた。