17 仇敵
「もちつけ、ランクス。あいつはオマエの仲間じゃねーか」
「俺はバジルが憎い! この俺を差し置いて勇者に選ばれたバジルが憎い!!」
ランクスは憎々しそうに吐き捨てる。
「なぜこの俺ではなく、あの役立たずが勇者なんだ! 俺は騎士団長の息子! 奴はどこの馬の骨かもわからん孤児! 俺は騎士として、多くの戦いで名を上げてきた! 奴は剣を持ったことすらない素人! ふざけるな!!」
ランクスは堰を切ったように怒りを爆発させる。その剣幕に、ゲンたちは思わず後ずさった。
「どう考えても勇者にふさわしいのはこの俺だ! それなのに、あのクズが勇者だと!? そんなバカなことがあってたまるか! 俺は絶対に信じんぞ!!」
ランクスの剣が横に払われた。
「おっさん、伏せろ!!」
次の瞬間、ゲンはユーシアに強引に引き倒された。頭上を何かが飛んでいったのがわかる。おそらくは敵を一瞬で葬ったあの衝撃波だろう。ミトと忠二も伏せてやり過ごしているのが見えた。
「落ち着いてくれ、ランクス!」
「私たちは仲間よ! 冷静になって!」
「フン、まさか卿が取り乱すとは……」
ユーシアたちはランクスに呼びかけた。3人とも再度の攻撃に備えて身構えている。
「俺は強さが欲しかった! 奴を超える強さが欲しかった! 奴を超えて、俺こそが真の勇者だと証明したかった!」
ランクスの体から黒い湯気のようなものが立ち上り始めた。剣の刃も黒く染まっていく。
「それは魔剣か? オマエはやっぱり魔剣に魅入られたのか?」
バジルへの対抗心が強すぎたゆえに、ランクスは魔剣に魅入られる。その魔剣で、バジルをあと一歩のところまで追いつめる。原作ではそういう展開が用意されていた。
「これは悪魔の力だ! 俺は悪魔と契約し、強大な力を手に入れた! 今の俺なら、奴を超えられるはずだ!」
「……悪魔か、それは聞き捨てならんな」
忠二の体から噴き出した黒い霧が、一瞬でデビリアンへと姿を変えた。
「この力で、俺はバジルを消す! 跡形もなくこの世から消し去る! この力があれば、あんな奴など――!」
まるで糸が切れたかのように、ランクスはそこでうなだれた。が、次の瞬間にはすぐに顔を上げた。その両目は赤く光っていた。
「この男は私と融合することで、悪魔の力を手に入れました。さっきこの男が使った技が、まさにそれですよ。修行して会得したわけではないので、誤解しないでくださいね」
ランクスの口から、声も口調も全く違う言葉が紡がれる。
「この声は榎永一じゃねーか! っつーことは――」
「ゼオン!!」
デビリアンが吠えた。
ゼオン。デビリアンの怨敵である。ゼオンを追って、デビリアンは人間界にやってきた。ゼオンに家族を殺されたのだ。
「ベルク、お久しぶりですね。お元気でしたか?」
ゼオンは悪魔らしからぬ丁寧な口調で語りかけてくる。ベルクとはデビリアンの本当の名だ。
「ゼオン! お主だけは絶対に許さん! 今ここで倒してやる!!」
一瞬で間合いを詰めたデビリアンだが、その攻撃は空を切った。ゼオンも一瞬で移動していた。場所は上空だ。
「ベルク、貴方はいつも力任せに殴ってくるだけなので、本当に戦いやすいですね。こうして空に逃げれば、貴方は手も足も出せない」
小馬鹿にしたようなゼオンの声が、上空から降り注ぐ。
「ゼオン、降りてこい! 降りてきて儂と戦え!」
「悪魔のくせに、貴方は飛ぶことができない。本当に情けないですね。悪魔の面汚しですよ。ご自分でもそう思いませんか?」
「黙れ! お主に言われる筋合いはない!!」
デビリアンは上空に浮かぶ仇敵を指差して、怒りに満ちた声で叫ぶ。
「貴方だけでなく、貴方の奥さんもお子さんもご両親も、みんな飛べない。全員が空を飛べないという、まさに恥さらしな一家。目障りだから殺したんですよ。貴方の一家のせいで、私も含めた他の悪魔まで飛べないと思われたら心外ですからね」
「黙れ!! それ以上の愚弄は許さんぞ!!」
「黙るのは貴方のほうですよ!」
ゼオンは剣を下に向けた。黒く染まった刃が長く伸びたかと思うと、そのまま地面に突き刺さった。
デビリアンはすばやく飛びのいた。しかし、何も起きない。
「うっ……」
代わりに声を上げたのは忠二だった。背後の地面から黒い刃が突如出現し、それが忠二の右の太腿に突き刺さったのだ。黒い刃はスルスルと地面の中に消えていった。
「クッ、余としたことが、不覚を取った……」
忠二は苦しそうに座りこんだ。傷口を押さえる手は朱に染まっていた。
ミトが慌てて忠二に駆け寄る。ユーシアも忠二をかばいながら、剣を抜いて身構える。
「忠二に何をした!? お主の相手はこの儂だ!!」
「いくら貴方が強くても、寄生先の人間が狙われたらこうなるのですよ。それが人間に寄生する貴方の弱点です」
元の長さに戻った剣で、ゼオンはデビリアンを指し示す。
「お主もあの男に寄生していただろう! あの男はどうした!?」
あの男とは、ゼオンが原作で寄生していた大学生を指す。黒木礼史。忠二と肩を並べるほど痛すぎる言動と、数多くの黒歴史を持つ男。ゼオンも人間界の澄んだ空気を体が受け付けず、そのままでは長く生きることができないのだ。
「見てのとおりですよ。あの男に寄生するのはやめました。寄生はいろいろと制約や弱点がありますからね。特に、外に出られる時間が限られるというのが一番の悩みでした。だから、私は他の方法を探したのです」
「それで、お主はその男と融合したというのか!」
「悪魔と契約してでも力を欲していたこの男と、寄生以外の方法で人間の体が欲しかった私。二人の思惑が一致したのです。おかげで、私はもうこの人間界の空気に怯える必要がなくなりました。しかも、この男は相当な剣の使い手。私の力も加わり、ここに最強の魔戦士が誕生したのです」
「能書きはいい! さっさと降りてこい!」
「ベルク、今は私と戦っている場合ではないと思いますよ? 貴方にそんな余裕はありません」
「なんだと!? どういうことだ!?」
「先ほどの攻撃で、彼に毒を仕込みました。傷自体は深くないので、手当をすればすぐ治りますが、この毒はそうはいかないですよ。なにしろ魔界の猛毒、デビルドトキシンですからね」
「なんだと!? 悪魔ですら即死させるほどの猛毒、デビルドトキシンか!」
デビルドトキシン。ゲンのどの作品にも出てこないが、デビリアンはその名を知っているようだ。
「ご心配なく。仕込んだのはごく微量ですよ。でも、人間にとってはあの程度の量でも命に関わるかもしれませんね」
「おのれ……! なんということを……!」
デビリアンの拳が小刻みに震えている。
「忠二、大丈夫なの?」
「ううう……」
忠二は苦しそうに呻いた。ミトが持っていた傷薬のおかげで太腿の傷は癒えたようだが、その顔は蒼い。額には玉のような汗が浮かんでいる。ゼオンの言う毒のせいだろう。
「その毒を消すには、聖なる秘薬エクリシルを飲ませる以外にありません。非常に希少な薬ですが、この先にあるナニワの町なら、もしかしたら売っているかもしれませんね」
エクリシル。どの作品にも登場しない薬の名が、ゼオンの口から飛び出した。
ゼオンがこの状況を楽しんでいるのは、その声からわかる。人の不幸を喜んでいるかのように、声が弾んでいた。
「もっとも、ここからナニワまではかなり距離があるみたいですね。空を飛べない貴方たちには、非常に厳しい道のりとなるでしょう。彼が力尽きる前に、がんばって辿り着いてくださいね。それでは、私はこれで」
言い終わると同時にうなだれるランクス。
「待て、ゼオン! 逃げるな! 逃げずに儂と戦え!!」
「……バジル! 俺は貴様を殺す! 貴様を見つけ出し、俺がこの手で始末してやる! 貴様のようなクズに、生きている資格などない!! 首を洗って待っていろ!!」
顔を上げたランクスは、本来の声と口調に戻っていた。両目の赤い光も消えている。そして、ゲンたちを一瞥することもなく、そのまま飛び去って行った。
「おのれ、ゼオン! ゼオーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!」
デビリアンの絶叫が響き渡った。