15 刑事と悪魔
「こんなところでお前たちに会えるとは思わなかったぞ、ユーシア」
スーツ姿の男がユーシアに話しかけた。
「龍之介じゃないか。久しぶりだな」
「ちょっと待て。オマエ、もしかして羅生門龍之介(CV:遠藤将一朗)か!? すげーな、オマエまでいんのかよ。30年も前のキャラだから、すっかり忘れてたぜ。怪盗乱麻もめちゃくちゃなついじゃねーか。あいつのCVは、今は亡き小林範孝なんだぜ。全然喋らずに行っちまったから、本人なのか代役なのか確かめられねーじゃねーか!」
ゲンは一人で興奮していた。
羅生門龍之介。ゲンが高校時代に書いた小説の主人公だ。国語の授業で某作品の続きを書けという課題が出て、そこに登場させた。老婆の孫という設定で、年齢は30歳、職業は刑事。
誰も行方を知らないと言われた男は、その後悪魔に魂を売って超人的な力を手に入れ、「怪盗乱麻」を名乗って世界中で盗みを繰り返していた。それを龍之介が捕まえるという筋書きだ。いきなり舞台が現代になり、悪魔が出てきたり必殺技が飛び交ったりと、もはや原典の面影はどこにもなかった。
枚数の指定がなかったとはいえ、一人だけ数十枚と突出していた。その常軌を逸した内容も相まって、先生も同級生たちも失笑を禁じ得なかったに違いない。
ただ無駄に長いだけで注目を浴びて調子に乗ったゲンは、そこから本格的に小説を書き始めるようになった。そして、何一つ完結させられないまま、放置の被害者を量産することになる。
龍之介も被害者の一人だ。ゲンは続編を密かに書いていて、それがかきかけになっているのだ。倒された悪魔の仲間が復讐に来るという話で、終始劣勢だった龍之介が新たな力に目覚めて逆転勝ちを収めるという展開だが、覚醒前、つまり一方的に攻められているシーンで放置されている。
「……少し俺と手合わせをしてくれないか?」
龍之介がそう話しかけた相手はデビリアンだ。
「俺は悪魔とは浅からぬ因縁がある。さっきの怪盗乱麻を含め、いつどこで戦うことになるかわからない。今の俺の力がどこまで悪魔に通用するか、少し試してみたい」
「ほう、お主が儂と? かまわんが、どうなろうと責任は取らんぞ」
「大丈夫だ。俺はひたすら鍛錬を積んできた。簡単にはやられない自信はある」
龍之介は上着を脱いだ。ワイシャツの上からでも、身にまとう筋肉量の多さがはっきりとわかる。ネクタイも外し、ユーシアに預ける。
「遠慮はいらない。全力で来てくれ。俺も本気を出させてもらう」
龍之介は指と首をポキポキと鳴らした。
先に動いたのはデビリアンだった。瞬時に間合いを詰め、殴りかかる。龍之介が拳を繰り出すのと、デビリアンが消えるのは同時だった。次の瞬間、背後からのデビリアンの攻撃を、龍之介は腕で防いでいた。
間髪を入れず龍之介が蹴りを繰り出すが、デビリアンは素早く後ろに跳んで間合いを取った。二人は無言で睨み合う。
今度は二人が同時に地を蹴った。互いの拳が激しくぶつかる。さらに殴りかる龍之介の攻撃をデビリアンがよける。デビリアンの蹴りを龍之介は腕で防いだ。
その後はお互いに一歩も引かない攻防が続く。相手の攻撃をかわしながら、防ぎながら、激しくぶつかり合う。
「龍之介、すげーな。デビリアンと互角じゃねーか。……お?」
激しく殴り合う2人は、どんどんゲンたちのほうに近づいてきていた。
「危ねーな。このままじゃ巻き込まれるじゃねーか」
退避しようとしたそのとき、ゲンの視界がぼやけた。誰かに眼鏡を外された気がした。ゲンの裸眼視力は0.01以下。眼鏡なしでは、まともに物を見ることができない。
「ちょっと待て。オレの眼鏡はどこだ!? 何も見えねーじゃねーか! さっさとオレの眼鏡を――」
「おっと、手が滑った!」
龍之介の声とともに、右の頬に激痛が走った。強烈な衝撃が全身を駆け抜ける。ゲンは思わずよろめいた。
「儂も手が滑った!」
今度は左の頬にビンタ。あまりの衝撃に意識が飛びそうになる。眼鏡を外された理由が、なんとなくわかった気がした。
「おっと、足も滑った!!」
「儂も足が滑った!!」
左右の太腿に同時に走る苦痛に、ゲンは膝から崩れ落ちた。四つん這いのまま苦悶する。
「ぐぉぉぉぉぉぉ……!」
歯を食いしばり、必死に痛みに耐える。頬と太腿が焼けるように熱い。腫れ上がっているかもしれない。
何かが手に当たる。眼鏡だ。ゲンはようやく元の視界を取り戻した。
「オマエら、何のつもりだ!? オレをこんな目に遭わせやがって!」
ゲンはユーシアたちを見上げながら叫んだ。痛くてまだ立ち上がれない。
「30年放置されていて、あれで終わりなのか……。龍之介は優しいんだな……」
「誰かさんのせいで、30年間ずっと殴られ続けているのよ……。私なら生かしておかないわね……」
「フン、愚かな……。30年続く責め苦に比べれば、その程度など痛みのうちに入るまい……」
3人はゲンのほうを全く見ていない。その視線は戦い続ける龍之介とデビリアンに向けられていた。
2人は激しく殴り合っていた。どちらも守りが固く、お互いになかなか決定打を与えられないようだ。
その戦いを遠巻きに眺める見物客の姿が見えた。悪魔が戦っているというのに、誰もデビリアンに怯えている様子はなく、盛んに声援や拍手を飛ばしている。
「龍之介はともかく、どさくさに紛れてデビリアンも殴ってたじゃねーか!」
「フッ、卿への伝言だ……。『我の従者は誇り高く、そして執念深い……。我らを嘲笑した報いを、汝はいずれ必ず受けるであろう……』。伝言の主は反逆神の末裔……。魔界の貴公子である余とは相容れぬ存在……」
「あんときの仕返しじゃねーか。ダンジェルェ……」
黒くないデビリアンを思い出し、思わず吹き出しそうになるのをゲンはこらえた。ここで笑ったら、何をされるかわからない。
デビリアンの攻撃を、龍之介は大きく後ろに跳んでよけた。距離を取って睨み合う。2人とも全く息が上がっていないように見えた。
「さぁ、そろそろ終わりにしようか!」
龍之介が地を蹴る。
「面白い! 儂が終わらせてやろう!」
デビリアンも地を蹴る。
2人は同時に拳を繰り出した。次の瞬間、鈍い音とともに2人の動きが止まる。お互いの拳が相手の頬に炸裂していた。まるで時が止まったかのように、その状態のまま2人は動かない。
「やるじゃないか。さすがは悪魔だ……」
先に動いたのは龍之介だ。苦しそうに片膝を着く。
「そういうお主こそ、なかなかやるな……」
デビリアンも片膝を着いた。
引き分けに終わったその戦いに、観客から大きな拍手が巻き起こった。
龍之介は手際よくネクタイを結び、上着をはおった。激闘の疲れは全く残っていないように見える。
「龍之介、すごく強いじゃないか。驚いたぞ」
「デビリアンと互角に戦っていたわね。すごいわ」
「なるほど、少しはやるようだな……。これは面白い……」
ユーシアたちは口々に龍之介を褒め称えた。そこにデビリアンの姿はない。例のごとく、既に忠二の体内に戻っている。
「いや、そんなことはない。もっと鍛錬が必要だと痛感した。あいつは全力ではなかった。悔しいが、かなり手加減をされていた。それでも俺は勝てなかった」
龍之介の顔全体に、悔しさがにじみ出ていた。
「そのデビリアンですら勝てなかった魔王がいて、オレたちゃそいつを倒さなきゃならねーんだ。仲間は多いほーがいー。龍之介、オマエもオレたちと――」
「……羅生門刑事! 事件です! 窃盗事件発生! 怪盗乱麻の犯行の可能性があります!」
走ってきたスーツ姿の若い男が、龍之介に声をかける。同僚の刑事だろう。
「ああ、わかった。すぐに行く」
龍之介は軽く手を挙げてそれに答える。
「すまないが、今は無理だ。俺には怪盗乱麻を捕らえるという使命がある。お前たちに協力できるとしたら、それが終わってからだ」
そう言い残して、龍之介は若い刑事と連れ立って去っていった。
「龍之介も仲間にゃなんねーのか。テラツラス」
「リョウも龍之介も、そのうちまた会える日が来るさ」
「とにかく、今は先に進むしかなさそうね」
「フン、余の下僕がなかなか増えぬな……」
「しかし、腹減ったな。なんか食おーぜ」
ゲンの腹が鳴った。もう空腹も限界だ。
「もうすぐ日も暮れるし、今夜の宿も見つけないとな」
ユーシアが歩き出した。ゲンたちもそれに続く。
お金はデビリアンからユーシアの手に渡っている。ゲンが管理を任されることは、もう二度とないだろう。
その後、一行は町の外れに宿を見つけ、旅の一日目をどうにか無事に終えた。
異郷の地での冒険に、ゲンは疲れ果てていた。自由気ままなニート生活が一変し、心身ともにクタクタだった。
ホームシックにかかったのか、ゲンにいつものような食欲はなかった。だから、たった2杯しかおかわりできなかった。
枕が変わって眠れないのか、ゲンはなかなか寝付くことができなかった。だから、布団に入ってから眠りに落ちるまで、30秒もかかってしまった。