139 永遠の愛
「……ちくしょー……。オレたちゃ一体何を見せられてんだ……」
ゲンは思わず肩をすくめた。
ここはゲンが命を落とした場所、ヴェロナーの町を出てすぐの平原だ。ゲンが生き返ったのは、死んだときと同じこの場所だった。
モッヒョラ坂を駆け下りているときに急に目の前が真っ白になり、気がつけばここに立っていた。
ゲンだけではない。ここで命を落とした仲間たちも、同様にこの場所に生き返っていた。すなわち、ユーシア、ミト、富雄、友里恵、美也子の5人だ。
ユーシアとミトは、ジェイドに心を操られた友里恵にここで襲われ、命を落とした。富雄は友里恵とここで戦い、わざと負けて命を散らした。友里恵と美也子は、ジェイドとここで戦って敗れ、命を失った。
ゲンたちが見せられているのは、ジェイドとカディアの熱い熱い抱擁シーンだった。
復活と再会を喜び合っていたゲンたちの前に、突然ジェイドが姿を現した。隣にはカディアがおり、2人は仲睦まじそうに手をつないでいた。そして、ジェイドはこれ見よがしにカディアを抱きしめたのだ。
カディアはうっとりしたような表情で、ジェイドに抱きしめられている。冥界での塩対応がまるで嘘のようだった。まるで別人のような豹変ぶりだった。
ジェイドはカディアに前世を見せようとしていたはずだ。ジェイド自身が冥界でそう語っていた。おそらくそれを有言実行したのだろう。
カディアの前世は、魔王ジェイドの妃パティだ。前世では常に魔王に寄り添い、その寵愛を一身に受けていた。自分の前世を知ったことで、当時の記憶や感情が蘇り、ジェイドに対する愛情が一気に沸き上がってきたのかもしれない。
「ああ、カディア……。カディア……。愛している……。心の底から愛している……」
「ありがとう、ピート……。私、嬉しい……」
「カディア……。カディア……」
「ピート.…。私も愛してるわ……」
見ているほうが恥ずかしくなるほど、2人の熱い抱擁は続いている。もう完全に自分たちだけの世界に入っているかのようだった。
2人の周囲を飛び交う大量のハートマークが、ゲンには見えたような気がした。
ゲンたちは無言で、ジェイドたちの抱擁を見つめていた。下手にジェイドを刺激すると冥界に送り返されるため、静観するしかなかった。
富雄、友里恵、美也子の3人も例外ではなかった。目の前に宿敵がいるというのに、ただじっと成り行きを見守っていた。その内心は、きっと穏やかではないだろう。
「カディア……。カディア……。愛している……。前世からずっと愛している……」
「前世……。私、ピートに教えてもらうまで、前世を全然覚えてなかった……。ごめんなさい……」
「カディア……。それはカディアが悪いのではない……。相愛戦士どもが悪いのだ……。相愛戦士どものせいで、志半ばで前世が終わってしまったからだ……。俺は相愛戦士どもを許しはしない……。後で必ず復讐してやる……」
「ピート、ありがとう……。頼りにしてるわ……」
カディアが愛おしそうにピートの胸に顔を埋める。
「ちくしょう……! ジェイドの野郎、好き勝手言いやがって……!」
富雄は悔しそうに歯を食い縛り、両手を握り締め、肩を震わせていた。ジェイドを攻撃したい気持ちを、必死に抑えているように見えた。
ジェイドがカディアと抱き合っている今は、絶好のチャンスに思える。だが、それを真に受けて攻撃しようものなら、待っているのは死だ。せっかく生き返ることができたというのに、また命を落とすことになる。
富雄たちが勝てなかった冥界王ヨミの、さらにもう一段階変身した姿に、ジェイドは勝っている。力の差は歴然だ。カディアという心の支えを得た今、その差はさらに広がっているだろう。戦っても絶対に勝てないであろうことは、火を見るよりも明らかだ。
「……相愛戦士どもよ、覚悟しておくがいい。今はカディアに免じて見逃してやるが、後で必ず前世の借りを返してやる。首を洗って待っていろ」
射抜くような鋭い視線で、ジェイドは富雄たちを睨みつけた。
「貴様たちは俺に勝てない。前世と同じ相手を愛していない時点で、貴様たちの愛など仮初に過ぎないのだ。俺は前世からずっとカディアを愛し続けている。そして、生まれ変わってもまた、来世でもカディアを愛し続けるだろう。これこそが永遠の愛だ。貴様たちの仮初の愛で、俺の永遠の愛に勝てると思うな」
ジェイドは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。富雄たちは悔しそうに肩を震わせるだけだった。
「カディア……」
「ピート……」
見つめ合うジェイドとカディア。どちらからともなく瞳を閉じた。2人の顔が徐々に近づく。そして、お互いの唇が重なる……ことはなかった。
「うっ……」
小さな呻き声を上げて、ジェイドが後ずさる。押さえた脇腹が朱に染まっていた。
「……もう無理! もうこれ以上は無理! もう私に触らないで!」
カディアの声は震えていた。血のついたナイフを握るその手は、それ以上に震えていた。カディアがジェイドを刺したのだ。
それにしても、どうしてカディアはナイフを持っていたのだろうか。もしかしたら常日頃から護身用に持ち歩いているのかもしれない。
「カディア……」
「私、前世ではピートの奥さんだったのね。でも、それがどうしたって言うの? 前世で結婚してたからって、今回もピートと結婚しないといけないの? そういう決まりでもあるの?」
カディアは淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「冗談じゃないわ! 前世なんか関係ないでしょ! 今の私は、前世の私とは違うの! 私はピートのことなんて、何とも思ってないの! 顔も性格も、全然タイプじゃないし!」
険しい表情で、カディアは吐き捨てるように叫んだ。
「カディア……。俺を愛しているというさっきの言葉は、嘘だったのか……?」
「当たり前でしょ! 演技よ、演技! せっかくこうやって生き返ることができたのに、またすぐに殺されたら嫌だから、好きになったふりをしてただけよ!」
カディアはこともなげに言い放った。
「手を握られたりとか抱きしめられたりとかはまだ我慢できるけど、キスは絶対無理! 好きでもない男と、キスなんてできるわけないでしょ!」
「カディア、俺は――」
「来ないで! 近づかないで! また私を殺す気!? どうしてふっただけで殺されないといけないの!? ピートと付き合うか、断って殺されるか、そのどっちかしかないの!? 冗談じゃないわ!」
一歩踏み出そうとしたジェイドを、カディアはナイフを構えて制した。
「カディア……。俺はカディアを心の底から愛している……。前世からずっと愛し続けている……」
「もうやめて! それ以上喋らないで! そんな言葉、聞きたくない!」
「俺はカディアを愛している……。たとえカディアが俺を愛していなくとも、俺の気持ちは変わらない……」
「やめてって言ってるでしょ! ピートに告白されても、嬉しくも何ともないの!」
「カディア……。愛している……。俺はカディアを、心の底から――!」
「もういいかげんにして! 黙って!!」
直後にジェイドの胸に深々と突き刺さったナイフが、頂点に達したカディアの怒りを代弁していた。
「うっ……」
まるでスローモーションでも見ているかのように、ジェイドの体がゆっくりと後ろに倒れていく。それを支えようとする者は、もちろん誰もいなかった。
「カディア……。愛している……。心の底から愛している……。前世からずっと愛している……」
大の字で横たわるジェイドは、苦痛に顔を歪めながら弱々しい声を吐く。
「カディア……。これからもずっと、俺はカディアを愛し続ける……。生まれ変わってもきっと、俺はカディアを愛し続ける……」
ジェイドの目から涙がこぼれたように見えた。
「カディア……。もし来世で出会うことがあれば、そのときは……」
それがジェイドの最後の言葉だった。
「違う……。違う……。私じゃない……。悪いのは私じゃない……」
カディアはブルブルと震えながら、顔を何度も激しく横に振った。
「ピートが悪いの……。全部ピートが悪いのよ……!」
踵を返し、一目散に逃げだした。その後ろ姿が見る見るうちに小さくなっていく。それを追う者は誰もいなかった。
かくして、魔王ジェイドは死んだ。冥界王ヨミにすら打ち勝ったあのジェイドが、一般人にナイフで刺されて命を落とすという、実に呆気ない最期だった。だが、本人にとっては本望だったに違いない。愛するカディアに刺され、愛するカディアの前で死ぬことができたのだ。まさにこの上なく幸せな死に方だったことだろう。
ジェイドの実力なら、相手の動きを察知して刺される前に返り討ちにすることなど苦もないはずだ。もし万が一刺されたとしても、瞬時にその傷を癒すことなど訳もないはずだ。そうしなかったのは、相手がカディアだったからという、ただその一点に尽きる。
カディアが自分を刺そうとしていることに気づいたジェイドが選んだのは、その現実をそのまま受け入れることだった。愛するカディアを返り討ちにすることなど、できるはずがなかった。防御や回避はカディアを落胆させてしまうため、できるはずがなかった。刺された傷を癒せばカディアの意に反するため、できるはずがなかった。
相手がカディアであったがゆえに、ジェイドはその強大な力を一切使わなかった。愛するカディアの意図を汲み取り、全く抵抗しなかった。魔王の力を使わなければ、ジェイドもただの人間だ。ゆえに、刺されれば簡単に命を落とす。
このような最期を迎えることになったが、ジェイドに後悔など微塵もないだろう。カディアへの愛を最後まで貫いたのだから。カディアへの愛に生き、カディアへの愛ゆえに死んだのだから。
ジェイドがカディアに抱いていた熱い想いは、永遠の愛と呼ぶにふさわしいものだった。惜しむらくは、それがカディアには届かなかった。もし成就していれば、今とは違う結末を迎えていただろう。
ジェイドの亡骸が、まるで空気に溶けていくかのように、少しずつ透けてゆく。完全に消滅するのに、さほど時間はかからなかった。
青紫色の小さな球体が、そこには残されていた。宝珠だ。何の宝珠だろうか。
まだ手に入っていないのは、光、木、金、雷、魔の5つ。単純に色から連想すると、雷もしくは魔の宝珠かもしれない。
「これで14個目……」
ゲンは感慨深そうに宝珠を拾い上げると、オーブで亜空間に転送した。残るは4つ。いよいよ終わりが見えてきた。
残りの宝珠もすべて敵を倒して入手するのだとしたら、もう揃ったも同然かもしれない。ジェイドは全作品を通して最強の敵キャラクターと言っても過言ではない。よって、ジェイドが持つ宝珠を入手するのが、おそらく最大の難関だろうと考えていた。それが手に入った今、コンプリートの可能性は飛躍的に高まったと言えるだろう。
「ジェイドはもーいねーし、このまま一気に宝珠コンプといこーじゃねーか! オレたちの戦いはこれからだ!」
空に向かってゲンは叫んだ。