138 勝者
「……ちくしょー。どっちが勝ってんのか、全然わかんねーぜ」
門の外では今もなお、2人の王の激しい戦いが続いているようだ。だが、それ以上は何もわからない。互角に渡り合っているのか、どちらかが一方的に攻めているのか、聞こえてくる音声だけでは状況を完全に把握することはできなかった。
唯一わかるのは、ヨミが変身しているということだけだ。ヨミの声は、いつの間にか甲高いものと野太いものの2種類が重なり合っていた。変身したヨミの声がそうであったと、実際に戦った富雄たちから聞いている。
変身後のヨミは、頭が2つに腕が4本という姿だったはずだ。そして、富雄たち4人でも勝てないほど強かった。原作で富雄たちに負ける設定になっているジェイドでは、苦戦は免れないかもしれない。
勝敗の行方が気になるのか、いつの間にか周辺には黒山の人だかりができていた。冥界の住人たちだけでなく、死者たちも大勢集まっている。もしかしたら仲間たちもどこかにいるかもしれない。
野次馬たちは、誰もが外の音声にじっと耳を傾けている。聴覚からの情報だけで状況を推測し、一喜一憂を繰り返している。ヨミを応援している者が多数を占めているように見えた。
「「……魔王ジェイドよ、なかなかやるではないか。麿は御前を見くびりすぎておったようじゃ」」
「貴様こそ予想以上の強さだ。さすがは冥界の王を名乗るだけのことはあるようだな」
2人の王がお互いの健闘を讃え合っている。おそらく戦況は五分なのだろう。富雄たちが勝てなかったヨミを相手に、今のところジェイドは互角に戦っているようだ。
「「されど、御前は麿に勝てぬ。見るがよい! ……これが麿の真の姿じゃ!」」」
冥界王の声が、途中から明らかに変わった。重なっている声が、2つから3つに増えた。今まで聞こえていた甲高い声と野太い声に、従来のヨミの声が加わった。
ヨミは一瞬でさらなる変身を遂げたようだ。おそらく頭が3つになったに違いない。腕も増え、6本になったのではないだろうか。そして、さらに強くなった可能性が極めて高い。
「「「ゆくぞ! 覚悟するがよい!」」」
ヨミの声が響き渡った。
「「「……魔王ジェイドよ、どうしたのじゃ? もう仕舞いか? 口ほどにもないではないか」」」
あっと言う間だった。ヨミが2回目の変身をしてから、まだ時間はほとんど経過していない。
「「「たかが魔王の分際で、麿に歯向かうとは笑止千万ぞ。魔王とて、決して死からは逃れられぬ。麿は冥界の王じゃ。死などとうに超越しておる。ゆえに、御前は麿に勝てぬ」」」
ヨミの勝ち誇ったような声が響く。一方、ジェイドの声は全く聞こえない。深刻なダメージを受け、声も出せないほど衰弱しているのだろうか。
「「「魔王ジェイドよ、御前はもうじき死ぬのじゃ。カディアとやらに会えず、無念であろう? 無論、死んだとて決して会えぬぞ。御前は必ずや地獄に落ちるのじゃ。御前がカディアに会うことは、永遠に叶わぬ」」」
ヨミの声は、まるで笑いを噛み殺しているかのようだった。それに対するジェイドの反論は、やはり一切聞こえてこない。
「「「御前は知らぬだろうが、カディアと思しきおなごが、御前の声にひどく怯え、いずこかへ逃げて行ったと聞いておるぞ。御前はカディアに快く思われてはおらぬようじゃな。なんと哀れな。さようなおなごを生き返らせたとて、御前に――!」」」
次の瞬間、大きな悲鳴が聞こえてきた。3つの声が重なり合ったそれは、まるで断末魔の叫びのようだった。
「……どうした? 貴様は死を超越しているのではなかったのか? 死を超越した者が、その程度の痛みも耐えられないのか?」
聞こえてきたジェイドの声は、不気味なほど落ち着いていた。
何が起きたのかは全くわからない。ただ、ジェイドがヨミに何らかの攻撃を加えたことだけは間違いなさそうだ。
「「「どういうことじゃ……!? 御前は死に瀕していたではないか……!」」」
ヨミの声には驚きと焦りが大量に含まれていた。
「冥界王ヨミ。貴様だけが死を超越していると思うな。俺も同じだ。俺も死を超越している。さらに、俺は時すらも超越しているのだ」
「「「戯言を……! これでどうじゃ……!」」」
間髪を入れず、爆発音がした。
「前世で、カディアは俺の妃だった。俺は前世からずっと、カディアを愛し続けているのだ。悠久の時を経て生まれ変わった今でもなお、俺はカディアを深く愛しているのだ。死も時も超越し、俺はカディアを心から愛しているのだ」
「「「なんじゃ、こやつは……!? 何故効かぬ……!? 麿の技が何故効かぬのじゃ……!?」」」
全く変わることのないジェイドの声に対し、ヨミのそれは明らかに震えていた。
「……ヨミのやつ、完全に詰んだな。オワタな」
ゲンはジェイドの勝ちを確信した。流れは明らかに変わっていた。状況は一変し、いつの間にかヨミは完全に押されていた。
ヨミは理解していないに違いない。自らの不用意な発言が、このような事態を引き起こしたということを。うっかり禁句を口にしてしまい、ジェイドを激怒させてしまったことを。
「俺のこの体は、カディアへの愛でできている。カディアへの愛は、永遠に変わらない。たとえ何があろうと、絶対に揺るがない。貴様ごときの攻撃が、効くと思うな」
「「「ありえぬ……! ありえぬ……! こやつのどこに、かような力が……!」」」
「俺のこの力は、カディアへの愛から生み出されている。カディアへの愛は無限だ。俺の奥底から、常に際限なく湧き出ている。俺の力が尽きることは、絶対にない」
「「「おのれ……! おのれ……!」」」
ヨミが今どんな表情をしているか、容易に想像できた。
「冥界王ヨミ。俺がカディアに怯えられていることが、そんなに嬉しいか? 俺がカディアに快く思われていないことが、そんなに楽しいか?」
次の瞬間、耳をつんざくような悲鳴の三重奏が轟いた。腕でもへし折られたかのような、苦悶に満ちた叫びだった。
「勘違いするな。カディアも俺を深く愛している。ただ、まだその気持ちに気がついていないだけだ。カディアは前世を覚えていない。前世で俺とともに過ごしたあの日々を、すべて忘れている」
再び轟き渡るヨミの叫喚。ジェイドに激しく痛めつけられたとしか思えないような叫びだった。
「すなわち、カディアが前世を思い出しさえすればいいのだ。あのときの記憶が蘇れば、カディアはまた俺を愛するようになるはずだ。前世と同じように、俺の妃にもなるだろう」
その直後、耳を覆いたくなるような不気味な絶叫が聞こえてきた。声の主はやはりヨミだ。
「俺は前世を鮮明に覚えている。この記憶のすべてを、俺はカディアに見せる。その準備はできている。いつでもカディアに前世を見せられる。あとは生き返らせるだけだ」
ジェイドの声に続き、3つ重なった悲鳴がまたも聞こえた。
「どんな手を使ってでも、俺は必ずカディアを生き返らせる。貴様を倒せばいいのなら、俺は容赦なく貴様を殺す。冥界を壊せばいいのなら、俺は躊躇なく冥界を滅ぼす」
「「「ならぬ……! それはならぬ……! やめるのじゃ……! 鎮まるのじゃ……!」」」
「悪く思うな。これもカディアを生き返らせるためだ。俺は今から貴様を殺す。死を超越している貴様を、この世界から跡形もなく消してやる。冥界王ヨミよ、食らうが――!!」
「「「……愚かな男じゃ。麿に勝てると本気で思うておったのか? 身の程知らずも甚だしい」」」
ジェイドの言葉が途切れ、代わりにヨミの笑い声が響いた。
「……ヨミ、ぱねーな。ブチ切れたジェイドに勝つとか、ガチのバケモンじゃねーか」
ゲンは感嘆の息を漏らさずにはいられなかった。
ヨミがタブーを犯した時点で、間違いなくジェイドが勝つと思っていた。そして冥界の門が開き、もしかしたら外に出られるかもしれない、あわよくば生き返れるかもしれないと、心の片隅で密かに期待していた。
だが、現実はそんなに甘くなかったようだ。圧倒的に押されていたはずのヨミが、ジェイドの隙を突いて攻撃し、逆転勝利を収めた。そうとしか考えられないような事態が、門の外で発生していた。
「……ヨミ様! ヨミ様!」
「大変ですっ! お怪我をされていますっ!」
「さあ、すぐに手当てを!」
聞こえてきたのは、冥界案内人たちの声だった。
「「「心配はいらぬ。大した傷ではない。じきに治るであろう」」」
ヨミの声は落ち着いていた。痛みや苦しみは全く伝わってこなかった。大した傷でないというのは、強ち嘘ではないのかもしれない。
ジェイドにやられて何度も悲鳴を上げていたが、あれは演技だったのだろうか。それとも、この短時間でもう回復したのだろうか。
「「「御前たちはそやつの骸を速やかに処分するのじゃ。王とはいえ、そやつは狼藉を働いた不届き者。丁重に扱う必要はないぞ」」」」
「かしこまりました」
「あとは私たちにお任せ下さい」
「では、さっさと終わらせ――!」
次の瞬間、いくつものけたたましい悲鳴が耳朶を打った。案内人の少年少女たちのものだと考えて、まず間違いないだろう。
「……ヨミよ。貴様、俺がどれだけカディアを愛しているか、まだわかっていないようだな」
ジェイドの声は、今まで以上に凄みを増していた。身の毛がよだつような、並々ならぬ怒気が含まれていた。
「「「なんと、まだ生きておるとは……! 御前は一体何者じゃ……! 不死の化け物か……!」」」
ヨミが明らかに狼狽えているのが、その声からはっきりと伝わってきた。
「言ったはずだ。俺のこの体は、カディアへの愛でできていると。俺の愛は永遠に不滅だ。すなわち、俺の体も永遠に不滅だ!!」
「「「ありえぬ……! 信じられぬ……!」」」
ゲンの心境は、ヨミにより代弁された。不死身ともいえるジェイドの執念に、全く同じ感想を抱いていた。
ヨミの驚異的な強さは、ヨミイクサで実証されている。さらにもう一段階の変身を経て、今はより強くなっているはずだ。
その攻撃をまともに受けて、どうして生きていられるのだろうか。死の淵から一度ならず二度までも生還するなど、にわかには信じられなかった。
「カディアへの愛の深さを、大きさを、強さを、貴様に見せてやる。前世から今に至るまで、俺は一瞬たりとも途切れることなく、ただひたすらにカディアを愛し続けてきた。カディアへの愛は極限まで膨れ上がっている。この愛のすべてを力に変えて、貴様にぶつけてやる。覚悟するがいい」
「「「おのれ……! 魔王風情が調子に乗りおって……! 何が愛の力じゃ……! 笑わせるでない……! さようなものでこの麿が倒せると思うてか……!」」」
「言いたいことはそれだけか。ならば死ね、ヨミ!!」
「「「愚か者が……! 死ぬのは御前じゃ……!」」」
何かが激しくぶつかり合う音がした。
「……どーなったんだ? 何も聞こえねーぞ……?」
外は不気味なほど静まり返っていた。先ほどまでの喧騒がまるで嘘のように、物音一つ聞こえない。
ジェイドとヨミの戦いは一体どうなったのだろうか。あの激突以降、戦場は静寂に包まれている。悲鳴も怒号も歓声も聞こえない、完全な無音状態が続いている。
一瞬で相討ちになり、双方とも倒れてしまったのだろうか。2人の王の実力を考えれば、決してあり得ない話ではない。
「……俺たちの愛の力で、邪魔者は消し去った! カディア、待っていろ! すぐに生き返らせてやる!」
静寂を切り裂いて聞こえてきたのは、魔王の声だった。勝者はジェイドだったようだ。
次の瞬間、ゲンたちの視界が開けた。中央受付の建屋が一瞬で崩れ去ったのだ。その向こうに存在するであろう冥界の門は、既に跡形もなく消滅していた。
冥界の外は薄暗く、何もない空間が広がっていた。その先にはおそらくモッヒョラ坂があるはずだ。
「外だ……! 外が見えるぞ……!」
「もしかして、生き返れるのか……?」
周囲が一気に騒がしくなった。誰もが色めき立っていた。
「……有象無象を生き返らせてやる義理はないが、貴様たちが邪魔でカディアを探せない。今すぐ失せろ。俺の気が変わらないうちに、とっとと出て行け!」
ジェイドの声が冥界内に響く。姿は全く見えないが、その圧倒的な気配と存在感だけはひしひしと感じることができた。
堰を切ったように駆け出す群衆たち。その中には、もちろんゲンの姿もあった。一気に外に飛び出す。
遂に念願が叶った。やっと生き返ることができるのだ。