137 2人の王
「……カディア! どこだ!? どこにいる!? カディア! カディア!」
ジェイドの声がひっきりなしに聞こえてくる。何かを激しく殴打するような音も混じっている。ジェイドが門を叩いているのだろうか。
声がここまで届いているということは、門まではさほど離れていないのだろう。中央受付のすぐ向こうが冥界の門だということも、十分に考えられる。
道行く者たちは誰もが足を止め、声のするほうを不安そうな表情で見つめていた。
「お……?」
一人の少女が、ゲンの目に留まった。ブレザーの制服を着た、色白で小柄な美しい少女だ。
その少女は、ジェイドの言葉、とりわけ名前の部分に強い反応を示していた。名を呼ぶ声が聞こえてくるたびに、怯えたような表情で身をこわばらせていた。
それがカディアだとすぐにわかった。
「……よー、カディア」
「えっ……? だ、誰……?」
ゲンが声をかけると、カディアの顔にあからさまな動揺と警戒の色が浮かんだ。
「オレは作者だ。だから、オマエのこたーなんでも知ってる」
「作者……」
ゲンを見つめるカディアの視線は、不信感に満ちていた。
「外でキレ散らかしてんのはジェイドだ。ジェイドはオマエを生き返らせよーとしてるみてーだぞ」
「ジェイド……?」
カディアは小首を傾げた。その名に聞き覚えがないのも無理はない。前世の記憶を持たないカディアは、別の名前しか知らないはずだ。
「スマソ。ジェイドっつってもわかるわけねーよな。じゃ、ピートっつったほーがいーか?」
「ピート……!」
カディアの目が大きく見開かれた。あの日のことを思い出したのかもしれない。
高校の卒業式の日、カディアはピートから愛の告白を受けた。そして、それを断り、命を落とした。
「ピートは今でもオマエのことが好きで好きでたまんねーみてーなんだ。だから、オマエを生き返らせてもー1回告ろーとしてんじゃねーか?」
「何よ、それ! 冗談じゃないわ! 何回告白してきても同じよ!」
カディアの花の顔に、見る見るうちに怒りが広がっていく。
「私、ピートのことなんて何とも思ってないの! ずっと同じクラスだったけど、そこまで仲が良かったわけでもないし! だから、生き返らせてもらっても――!」
カディアの言葉は、彼女の名を呼ぶ声と大きな爆発音により遮られた。
「うぉっ……!」
その直後、瞬間的に強い揺れが発生した。先ほどの爆発によるものだろうか。
「……カディア?」
気がつくと、カディアの姿はなかった。周囲を見回すと、走り去っていく後ろ姿が見えた。両耳を手で押さえているのは、ジェイドことピートの声を聞きたくないからだろうか。
カディアの足は予想以上に速く、あっという間に見えなくなった。ゲンの走力ではとても追いつけそうになかった。
「ちくしょー……! カディアに逃げられちまったじゃねーか……!」
ゲンは悔しそうに唇を噛んだ。
ジェイドはカディアを生き返らせようとしている。これは原作にもない展開だ。だから、どういう結果になるかは作者であるゲンにもわからない。
だが、もし成功した暁には、どさくさに紛れて生き返るチャンスが到来しないとも限らない。だからこそカディアと行動をともにしたかったが、そうは問屋が卸さなかったようだ。
キンコンカンコ〜ン。チャイムがアーケード街に響き渡った。
「冥界案内人のヨミリですっ! みなさんに大事なお知らせがありますっ!」
続いて聞こえてきたのは、ヨミイクサで何度も聞いた声だった。
「無法者が門の外で暴れていますっ! さっきの爆発も、その無法者のせいですっ!」
ヨミリの声は全く緊迫感を伴っていなかった。
「でも、大丈夫ですっ! すぐに排除するので、少々お待ち下さいっ! 以上、ヨミリでしたっ!」
キンコンカンコ〜ン。放送終了を告げるチャイムが響いた。
「お……?」
その直後、何かが頭上を通り過ぎた。何かが中央受付の中に入っていった。ゲンの見間違いでなければ、それは冥界案内人のヨミナだ。薙刀のような武器を携えていた。
続いて通過したのは、髪の長い少年だった。槍を握っているように見えた。彼も冥界案内人の一員なのだろうか。
さらに、鞭を持った少女と、斧を携えた少年、両手に剣を持った少年も頭上を通り過ぎる。
そして、見覚えのあるおさげ髪の少女。ヨミリだった。クロスボウを構えているように見えた。
彼ら冥界案内人は、冥界の案内はもちろん、有事には戦闘もこなさなければならないのだろうか。もしそうなのであれば、彼らは想像以上にエリートであるに違いない。
「じゃ~ん! ヨミナちゃん、登場~! 悪者め、許さないぞ~!」
「君はなんということをしてくれたんだ! 僕は君を許さない!」
「おいたが過ぎるわよ! あなたにはお仕置きが必要みたいね!」
「てめぇ! ふざけんじゃねぇぞ! 俺がぶっ倒してやるぜ!」
「おい、お前! いいかげんにしろ! もうこれ以上暴れるな!」
「今から私たちが倒させてもらいますっ! 覚悟して下さいっ!」
ジェイドに向けられたのであろう、ヨミナたちの声が聞こえてきた。門は封鎖されているはずだが、何らかの方法で外に出たようだ。彼らだけが知る秘密の出入り口があるのだろうか。それとも、彼らは門を透過することができるのだろうか。
「なんだ、貴様たちは? 目障りだ! 消えろ!」
ジェイドの怒声とともに、何かがぶつかり合うような音が立て続けに響いた。
ジェイドと冥界案内人たちとの戦いが始まったようだ。
「……ちくしょー。どーなってんのか全然わかんねーぜ……」
外の戦況が気になるが、耳からの情報だけでは詳細はわからなかった。確実にわかるのは、まだ戦闘が続いているということだけだ。今のところ、悲鳴や絶叫の類を聞いていない。まだ負傷者や離脱者は出ていないのだろうか。
6人がかりとはいえ、ヨミナたちはジェイドを相手にかなり健闘しているようだ。ジェイドがいかに強いかを、ゲンはよく知っている。並の戦士なら文字どおり瞬殺されていてもおかしくはない。
「……ちくしょう! すぐそこにジェイドの野郎がいるのに、戦えねえのかよ!」
「あたしたちにはどうすることもできないの……? そんなの悔しすぎるわ……」
「このまま黙って指をくわえて見ていることしかできないのか……。くそっ!」
「まさかジェイドがこんな強硬手段に出るなんて思いませんでした……」
背後から聞こえてきたのは、富雄たちの悔しそうな声だった。ヨミイクサ後に別れて以降その姿を見なかったが、ジェイドの襲撃を知り、居ても立ってもいられなくなって駆けつけてきたのだろうか。
だが、今の富雄たちは一切の戦闘能力を持たない。冥界ではすべての力が封じられる。ヨミイクサのときは一時的に解放されていただけだ。
すぐ近くに宿敵がいるというのに、戦えないのはさぞ無念に違いない。ジェイドを倒しうる実力を持っているだけに、悔しさも一入だろう。
「ヤバい~! ヨミナちゃん、ピ~ンチ!」
「まさかこの僕が押されるなんて……!」
「なかなかやるじゃない! 驚いたわ!」
「ちくしょう! 強ぇよ! 勝てねぇよ!」
「なんだ、こいつは!? 化け物か!?」
「この人、強いですっ! 強すぎますっ!」
「嘘でしょ……! 信じられないわ……!」
「ありえへん……! ありえへんて……!」
少年少女たちの悲痛な叫びが聞こえてきた。それが戦況のすべてを物語っていた。
ジェイドはやはり強かった。ヨミナたちでは止めることができなかったようだ。途中から2名加わり、8人体制で戦っていたが、それでも歯が立たなかった。
「貴様たちのような雑魚に用はない! 命が惜しければ失せろ! おとなしく失せるなら見逃してやる!」
ジェイドの声が響いた。
「俺はジェイド! 魔王ジェイドだ! 俺は冥界の王に会うために、ここまで来た! 王を出せ! さっさと出てこいと王に伝えろ!」
「ふざけるな! 誰がお前の――」
「……御前たち、大儀であった。こやつは御前たちの手に負える相手ではない。後は麿に任せよ」
聞こえてきたのはヨミの声だった。冥界王自らが、遂に門の外に姿を現したようだ。
「ヨ、ヨミ様……! どうして……!」
「いけません……! いけません……!」
「危険ですっ! お下がり下さいっ!」
ヨミの出現により、現場には混乱と動揺が広がっているようだ。
「案ずるでない。麿なら心配いらぬ。御前たちは中に戻るのじゃ」
次の瞬間、案内人たちの声が一切聞こえなくなった。ヨミが彼らを安全な場所に飛ばしたのだろうか。
「……して、魔王ジェイドよ。麿に何用じゃ? 麿はヨミ、この冥界の王なるぞ」
「ほう、貴様が冥界王か。ならば話が早い」
魔王ジェイドと冥界王ヨミ。2人の王の会話が聞こえてくる。険しい表情で睨み合っている両者の姿が、ゲンの頭の中にありありと浮かんできた。
「ここにカディア・トラジエという女がいるはずだ。貴様の力で、今すぐカディアを生き返らせろ。カディアさえ生き返れば、もうここに用はない。おとなしく退いてやる」
「何人たりとも、しかるべき手順を踏まずして死人を生き返らせることはできぬ。それがこの冥界の掟じゃ。無論、魔王とて破ることは許されぬ。ゆえに、魔王ジェイドよ、出直すがよい」
「断ると言ったら?」
「御前に断る権利があるとでも思うておるのか? 麿の命令は絶対じゃ。逆らう者は死あるのみじゃ」
「貴様こそ、俺に指図するとは何様のつもりだ? 冥界王ごときが調子に乗るな!」
「愚か者が! 魔王風情が思い上がるでないぞ! 御前はここで死ぬのじゃ!」
2人の語気が荒くなった。まさに一触即発だ。戦いが勃発するのは時間の問題だろう。
もし2人が戦えば、果たしてどちらが勝つだろうか。原作では富雄たち4人に負けるジェイドと、ヨミイクサで富雄たち4人に勝ったヨミ。それだけで判断するなら、勝つのはおそらく後者だ。
だが、魔王の実力は決して侮れない。冥界王にヨミイクサの疲れが残っていないとも限らない。すなわち、勝負は下駄を履くまでわからない。
「面白い! ならば、俺の力を思い知らせてやる! 行くぞ!」
「望むところじゃ! 遠慮はいらぬ! かかって来るのじゃ!」
そして、何かが激しくぶつかり合う音がした。2人の王の一騎打ちが、遂に始まったのだ。