134 ヨミイクサ その6
「……御前たち、何をしておる! 早くせぬか!」
ヨミが鋭い声を飛ばす。傀儡たちがなかなか指示に従わないことに、強い苛立ちを感じているに違いない。
自害せよというヨミの命令を、富雄たちはまだ遂行していなかった。遂行どころか、拒絶しようとしているようにさえ見えた。4人とも歯を食いしばり、剣を握る手を小刻みに震わせていた。それはまるで、命令どおりに動こうとする手を、必死に止めようとしているかのようだった。
富雄たちは完全には洗脳されていないのかもしれない。いくばくかの理性が残っており、ヨミの命令に抗おうとしているのかもしれない。
「おのれ……! 麿の命令に背くか!」
声を荒らげながら、ヨミが両手を突き出した。何らかの攻撃を加えようとしたのだろうか。それとも、心の支配をさらに強めようとしたのだろうか。ヨミの技が不可視のため、全くわからない。
富雄たち4人はますます苦しそうに顔を歪めながらも、動こうとする剣を必死に抑えていた。
「さしもの御前たちも、自害は嫌だと見える。では、互いを刺し合うのじゃ!」
ヨミがそう命じると、富雄と寛一、友里恵と美也子が向かい合い、互いの胸元に剣を近づけた。4人は必死の抵抗を試みるも、身体が勝手に動いていたように見えた。
「さあ、御前たち! 互いを刺し、全滅するのじゃ!」
ヨミの指示が飛ぶ。だが、富雄たちはそれに従うことを全身で拒否していた。言われるがままに動こうとする手に対し、必死の抵抗を見せていた。
「……オマエら、がんがれ! 負けんじゃねーぞ!」
どんなに叫んでも、ここからでは遠くて届かないだろう。だが、それでも声援を送らずにはいられなかった。富雄たちが自分の心と戦っているのだということは、観客席からでもはっきりとわかった。
「友里恵ちゃん! 美也子ちゃん! しっかりして!」
「お前たちだけが頼りだ! がんばってくれ!」
仲間たちも声を張り上げている。
「ハッハッハ! どうした? 君たちの力はそんなものなのか?」
「人の子よ! 神の末裔として命じる! 勝て! 勝つのだ!」
「あなたたち! そんな女に負けたら、ルリカが許しませんわよ!」
「貴様たちは俺を屠った……。その業を背負っていることを忘れるな……」
「このあたしに勝ったんだから大丈夫~! きっと勝てるよ~!」
富雄たちに敗れたメンバーも、食い入るように戦況を見つめながら、盛んに声援を送っている。
「麿の命令は絶対じゃ! 逆らうことは許さぬぞ!」
ヨミの形相は一段と険しくなった。
その直後、富雄たちの体からビシビシという音が鳴り始めた。その音はまるで、鞭のようなもので何度も何度も繰り返し叩かれているかのようだった。
富雄たちの表情はますます苦悶に満ち、その体には傷が次々と刻まれていった。ヨミが見えない技もしくは武器を使って、富雄たちを痛めつけているのは間違いないだろう。
「御前たち、何をしておる! 早くするのじゃ!」
苦虫を噛み潰したような表情で富雄たちを睨みつけながら、ヨミは一際威圧的な口調で叫んだ。鞭で叩くような音も、より大きくなっていった。
体中に大量の生傷を作りながらも、富雄たちは必死に耐えている。
「い……や……! 嫌……!」
突然、友里恵が苦しそうな声を上げた。友里恵は泣いていた。目から大粒の涙を流していた。
「黙れ! 口答えは許さぬ! 御前はただ、麿が命じたとおりに動けばよいのじゃ!」
ヨミが声を荒らげ、鬼のような形相で友里恵を睨みつけた。
「嫌……! 絶対嫌……! こんなの絶対に嫌……!」
歯を食いしばったまま、友里恵は何度も頭を振った。
「忌々しいおなごじゃ! 黙れと言うておるのがわからぬか!」
ヨミは怒りを爆発させた。
「御前たち、何をしておる! さっさとこのおなごを斬らぬか!」
ヨミが命令を下す。しかし、富雄も寛一も美也子も従わなかった。サトルたちに対しては即座に動いていたというのに、今回は全く動かなかった。3人はただ必死で歯を食いしばり、自らが持つ剣の動きを止めようとしていた。
「おのれ……! どやつもこやつも麿に逆らうか……!」
ヨミの怒りは、より一層激しくなった殴打音に表れていた。富雄たちの全身に、さらに数えきれないほどの傷が生み出されていく。だが、屈服させるには至らなかった。
「ジェイドに心を操られて、あたしはみんなを傷つけた……!」
生前、友里恵はジェイドに心を支配され、その傀儡となった。止めようとする仲間たちを、容赦なく斬り捨ててきた。その数は、実に10人を超える。そこに名を連ねることを、ゲンはすんでのところで免れた。
「富雄も殺した……! 寛一くんだって死なせた……!」
友里恵がジェイドに命じられたのは、富雄の抹殺だった。それを遂行する過程で寛一とも対峙し、そして2人の命を奪った。
「黙れ! 黙らぬか!」
ヨミの恫喝とともに、制裁はさらに激しさを増したようだ。見る見るうちに、友里恵の全身に無数の真新しい傷ができていく。
しかし、それでも友里恵の独白は止まらなかった。
「今もまた操られて、今度は美也子ちゃんを殺そうとしてる……!」
今回はヨミに心を操られ、味方であるはずのヴァルツとマギアを倒した。そして、仲間である美也子までも手にかけようとしている。
「もう嫌……! 操られて誰かを殺すのは、もう絶対に嫌……!」
友里恵は一度ならず二度までも心を操られ、多くの犠牲者を生み出した。それを申し訳ない、後ろめたいと思う気持ちが、今の友里恵を突き動かしているのかもしれない。
「なにゆえじゃ!? なにゆえ効かぬ!? なにゆえ黙らぬ!?」
ヨミの顔に明らかな動揺が浮かんだ。
「あたしは負けられないの……! あたしのせいで死んじゃったみんなを生き返らせるために、絶対に勝たないといけないの……!」
「黙れ! 黙れ! 黙るのじゃ! 黙れと言うておろうが!」
ヨミが狂ったように叫ぶ。見えない攻撃がさらに熾烈さを増したのか、友里恵の傷は加速度的に増えていく。傷のない箇所を探すのが極めて困難に思えるほど、満身創痍だった。
「だから……、あたしはあなたを倒す!」
次の瞬間、ヨミの体は友里恵の剣に貫かれていた。
「ヨミ陛下、ダウンですっ! まさかヨミ陛下のこんなお姿を拝見することになるとは、夢にも思いませんでしたっ! 悲しいですっ! 本当に悲しいですっ! 悲しくて悲しくてたまらないですっ!」
ヨミリの実況が響き渡る。悲しいという言葉とは裏腹に、そのハキハキとした口調のせいで悲壮感は全く漂っていなかった。
「あいつら、ぱねーな……。ガチのマジでヨミに勝っちまったじゃねーか……」
勝利を確信し、ゲンは喜びを抑えきれなかった。
ステージの上でヨミが倒れている。ほとんど動いていないように見えた。まだ脱落していないため、気絶はしていないに違いない。だが、それも時間の問題だろう。
相殺戦士たちはもう心の支配から解放されたようだ。友里恵がヨミを刺した瞬間、他の3人も正気を取り戻したように見えた。4人全員が再度洗脳でもされない限り、間もなく決着を迎えるはすだ。
「友里恵ちゃん、すごいわ!」
「あいつら、やってくれたな!」
仲間たちも歓喜の渦に包まれていた。カッツポーズや万歳、ハグやハイタッチで喜びを爆発させていた。
「ハッハッハ! さすがだな! さすがは私が見込んだ戦士たちだ!」
「人の子よ! 汝たちの偉業、神の末裔である我がしかと見届けたぞ!」
「あなたたち、すごいですわね! ルリカが褒めて差し上げますわ!」
「貴様たちの名を、俺が創る理想郷で永遠に語り継いでやろう……」
「みんな、すごいね~。やっぱり、あたしの応援が効いたのかな~」
サトルたちも手放しで喜んでいる。
「おのれ、口惜しや……。口惜しや……」
ヨミは友里恵の足元に倒れていた。剣で刺されたはずだが、目立った外傷は見られない。だが、明らかに衰弱しており、顔色は極めて悪い。目の焦点も合っていないようだった。
友里恵の傍らに佇む富雄、寛一、美也子の3人も、既に正気を取り戻している。全身に刻まれていた夥しい数の傷も、完全に消えていた。美也子が水の力で全員を癒したのだ。
ヨミの攻撃に、富雄たちはよく耐えた。一人でも屈していれば、きっと今ごろは違う結末を迎えていただろう。
「よもやこの麿が、ヨミイクサで敗れようとは……。よもやあの夢が、正夢になろうとは……」
喉の奥から絞り出すように、ヨミが言葉を並べる。声を出すことすら、かなり苦しそうに見えた。
何者かにヨミイクサで敗れる夢を、ヨミは昨晩見たという。その夢で気分を害し、憂さ晴らしのために開催したのが今回のヨミイクサだ。
その夢が今、現実のものになろうとしていた。100連勝がかかった記念すべきヨミイクサで、まさかの敗北を喫しようとしていた。
「御前たちは、麿をはるかに凌駕する力を持っておる……。さればこそ、御前たちの心を操ったのじゃ……。よもやそれすらも打ち破られようとは……。無念じゃ……。実に無念じゃ……」
ヨミの目が閉じられた。涙が一筋、頬を伝ったようにも見えた。悔し涙だろうか。
自らの強さにヨミがどれほどの矜持を持っていたかは、想像に難くない。勝てれば全員復活という信じられないような報酬が、それを如実に物語っていた。誰が相手でも決して負けないという絶対的な自信がなければ、そんな大胆なことは思いつかないだろう。
「さあ、とどめを刺すがよい……。麿に勝てば、御前たちは復活じゃ……。二度目の人生を謳歌し、次こそは天寿を全うするがよい……。達者でな……」
今にも消え入りそうなヨミの声は、冥界王としての威厳に満ちていた。
このエリアに連れて来られた者は、例外なく天寿を全うできていない。ヨミに勝てば、全うするチャンスがもう一度だけ与えられる。死んだときの年齢で生き返り、二回目の人生を始めることができる。
「早くするのじゃ……。かように惨めな姿を、麿にいつまでも晒させるでない……」
まるで最後の力を振り絞っているかのように、ヨミの言葉は弱々しかった。
「……友里恵、任せた」
富雄が友里恵を促す。寛一と美也子も無言で頷く。
「うん……」
友里恵は剣を振り上げた。
「勝った……。あたしたちは勝った……。これでみんな生き返れる……」
感慨深そうな呟きが、友里恵の口から漏れる。
「これで終わりよ!」
そして、剣は振り下ろされた。