13 魔王の居所
「目が3つあって……。確かここに角があって……」
ゲンは紙にペンを走らせていた。横から覗かれないように、椅子を大きく後ろに引き、スケッチブックを体の前に立てた状態で描き続けている。
「ちくちょー。めちゃくちゃムズいじゃねーか」
文句を言いながらも、ゲンはさらに手を動かし続ける。
ゲンはグランツの顔を描いていた。リョウから依頼されたのだ。顔がわからないと、リョウは相手を探すことができない。
ユーシアたちに声をかけたが、全員覚えていないの一点張りで描くのを嫌がり、生みの親であるゲンが描かざるを得なくなった。
「どーにか書けたぜ。リョウ、これがグランツだ」
ゲンが完成品をテーブルに置いたと同時に、どっと笑いが起きた。特に忠二とデビリアンの2人は、転職時の仕返しとばかりに、机をバンバン叩きながら腹を抱えて笑っている。
完成した絵は、幼児が描いたのかと思えるようなひどい出来だった。おそらく顔を描いたのだろうとかろうじてわかる程度で、これでグランツの特徴などわかるはずがない。
「……おっさん、笑いは取らなくていいから、真面目に描いてくれ」
「オレにゃ絵心がねーって言ったじゃねーか。ガチで描いてこれに決まってんだろjk。どーやってもこれ以上はうまく描けねーぞ」
ゲンに絵心など全くない。絵の才能は壊滅的だ。園児レベルを自称しているが、それでは園児に失礼だろう。
「ここまで絵の下手な依頼人は初めてだ……」
「これなら知り合いの5歳の子供のほうがうまいぞ……」
「真面目に描いてこれなの……。すごいわね……」
「フン、卿は画伯か……。余がこれまで見た中で、まさに最高傑作……」
「お主にこんな残念な姿で描かれて、儂は奴が不憫でならんぞ……」
誰もがゲンの絵の腕前に驚いていた。
「うるせーな! じゃあオマエらが描いてみろよ! オマエらが誰も描こーとしねーから、オレがしゃーなしで描いてやったんじゃねーか!」
ゲンは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「フッ、卿の努力だけは認めよう……。あとは余に任せるがよい……」
忠二はスケッチブックとペンを手に取った。そして、ゲンと同じように覗かれないように気を付けながら、軽やかにペンを走らせる。
「ククク、完成だ……。特別に卿たちに見せてやろう……」
忠二がテーブルに置いた絵を見て、誰もが息を呑んだ。
「これはすごいな……」
「忠二って絵が上手だったのね……」
「確かにめちゃくちゃうめーけど……。これ、グランツじゃねーだろ!」
そこに描かれていたのは、長身で長髪、整った顔立ちの青年の絵だった。尖った耳と口元に覗く牙が印象的だ。抜き身の剣を持ち、マントをなびかせている。
「フッ、これが余の真の姿、魔界の貴公子ロココマキア……。この雄姿を後世に残すため、余は日々絵の神髄を追究している……」
忠二は薄笑いを浮かべながら髪をかき上げた。
忠二が密かに漫画家を目指していることを、作者であるゲンも知らなかった。魔界の貴公子ロココマキアが活躍する作品を描き、その存在を世界に知らしめるのが夢だという。
忠二が既にかなりの技量を持っているのは、さっき描いた絵が証明していた。今後の努力次第では、漫画家デビューは十分に射程圏内だろう。
「忠二、グランツの絵は描けねーのか?」
「フン、愚問だ……。余以外の魔族を描くのは気が進まぬが、仕方あるまい……」
忠二はそう言ってページをめくると、再びペンを走らせ始めた。今度は絵を隠すことなく、全員の目の前で描いている。見る見るうちにグランツの姿が出来上がっていく。
誰もが言葉を発することなく、ただ食い入るように絵を見つめていた。聞こえてくるのはペンの音だけだ。
「フッ、これで終わりだ……。見るがよい……。卿たちが探し求める魔王をの姿を……」
忠二が言い終わるのと、誰からともなく拍手が巻き起こるのと、ほとんど同時だった。
「城の一番奥で、グランツは玉座に腰かけている……。腕を組み、目は3つとも閉じている……。寝ているようにも、瞑想しているようにも見える……」
リョウは目を閉じ、風の精霊が見ている風景をゲンたちに伝える。その額には玉のような汗が浮かんでいた。
忠二が描いたイラストを元にグランツを探したところ、遥か彼方にある島の上にその居城を発見した。城は島の中央にあり、その周囲には険しい山々をはじめ、紫色をした水をたたえた沼や、まるで生きているかのような不気味な森が点在するという。
上空には毒々しい色をしたドラゴンや全身に炎をまとった巨大な鳥、4本の腕を持つ不気味な悪魔、翼を持つ双頭の獅子など、見るからに強そうなモンスターたちが群れを成し、まるで城を守るかのように飛び交っているとも聞く。空からの侵入も容易ではないだろう。
原作では谷底にひっそりと佇んでいた魔王の城が、この世界ではその立地を大きく変えていた。
リョウの口からもたらされる情報を、ゲンたちはただ黙ってじっと聞いていた。
「グランツの口元に笑いが浮かんだ……。ゆっくりと目が開き……、腕が動き……、うっ!!」
突然、リョウは胸を押さえて苦しみだした。歯を食いしばり、激しい痛みに耐えているようだ。
「おい、リョウ。大丈夫か?」
隣に座るユーシアが、慌てて手を差し伸べる。
「俺は大丈夫だ……。しかし、あいつが……」
「あいつ?」
「気をつけろ……。お前たちが倒そうとしているグランツは、とんでもない化物だ……。奴は精霊が見えるし、倒すこともできる……。どちらも常識では考えられない……」
リョウは悔しそうに唇を噛んだ。
風の精霊と交信ができるリョウでさえ、その姿までは見ることができない。だが、グランツは見ることはもちろん、攻撃することすら可能だった。グランツにより精霊が倒され、それを操っていたリョウも間接的に大きなダメージを受けたのだろう。
突然、窓が大きな音を立てて揺れた。今にも割れそうなほどの勢いだ。
「……地震か!?」
ゲンは慌てて立ち上がる。しかし、揺れているのは窓だけだ。床は揺れていない。
外では木が激しく揺れているのがわかる。女性の悲鳴がして、続いて何かが倒れるような音が響いた。何かが割れたり転がったりする音も聞こえる。
「暴風だ……。仲間を失い、風の精霊たちが荒れ狂っている……。この風は世界中で吹き荒れているはずだ……。精霊たちが鎮まるのを待つしかない……」
「どーやらおさまったみてーだな」
吹き荒れる風はすぐにやんだ。時間にして10分くらいだが、ゲンにはとても長く感じられた。建物ごと飛ばされるのではないかと錯覚するほどの強さ。ここまでの暴風は、これまでに経験したことがない。
ユーシアとミトもずっと不安そうに窓の外を見つめていた。忠二だけは、この世界を破滅に導く風だの、魔界の風に比べれば全然だのと、ずっと呟き続けていた。デビリアンは、飽きたのか忠二の体内に戻っている。
「さっきの風で、おそらく霧は消えたはずだ……。お前たちは旅を続けてくれ……」
リョウはまだ胸を押さえている。その表情はだいぶ穏やかになっているが、たまに苦しそうに顔を歪めていた。
「オマエは大丈夫なのか? まだ苦しそーじゃねーか」
「俺のことは心配するな……。この程度の傷なら、一晩寝たら治る……。すまないが一人にさせてくれ……」
リョウはゲンたちを手で追い払う真似をした。
「そーいや、オマエは風の精霊の力で、ありえねーよーな傷や疲れでも一晩寝りゃ治るんだったな。なら心配いらねーな」
ゲンは立ち上がった。
風の精霊が持つ癒しの力により、リョウは常人よりもはるかに高い治癒力を得られる。一晩寝たら治るというのは、決して大袈裟な表現ではないだろう。
「リョウ、巻き込んでしまってすまなかった。どうかゆっくり休んでくれ」
「私たちが魔王の居場所を調べてもらったせいよね……。ごめんなさい……」
「フッ、名誉の負傷か……。あとは余たちに任せ、卿は休むがよい……」
ユーシアたちも立ち上がった。
「気にするな……。あんな化物がいるとわかったのは、大きな収穫だ……。いい目標ができた……」
リョウは笑った。
「俺はもう少しこの世界のことを調べてみるつもりだ……。落ち着いたらお前たちに合流しよう……。お前たちの居場所はすぐにわかる……。またどこかで会おう……」
リョウは小さく手を振った。
「リョウ、じゃーな。また後で会おーぜ」
後ろ髪を引かれるような思いで、ゲンたちは探偵事務所を後にした。