125 冥界 その3
「あー、苦しーぜ……」
ゲンは大きく膨らんだ腹を何度も摩っていた。腹一杯だった。牛丼店の前を通ったときに無性に食べたくなり、迷わず入店した。注文したのは、3種類のチーズと温玉が乗った牛丼の特盛。価格は2D 。
唐揚げやクレープと同じく、生前に食べたどの牛丼よりも美味だった。ただ、思っていたよりも量が多く、苦しみながらもどうにか完食した。
店内ではちょうどORZも行われており、プロレスラーのような体格をした男が挑戦していた。ゲンが食べた特盛の10倍はありそうな超特大サイズのスペシャル牛丼と戦っていた。
スペシャルというだけあり、牛肉が見えないほどのトッピングが山のように盛られていた。他にも大量のサイドメニューやサラダ、スープ、デザートなどが所狭しと並べられていた。そのすべてを制限時間内に完食しようと、男は奮闘していた。
男が成功したのかどうかはわからない。見ている途中で気持ちが悪くなり、そそくさと店を出た。飲食系のORZも、自分には無理だと痛感した。課金すれば量を減らせるとはいえ、上限まで課金したとしても、とても食べきれそうになかった。いわゆるフードファイターでもなければ、完食するのはかなり厳しいだろう。
「こんなもんまであんのかよ……」
ゲンの目に留まったのは、いわゆるカルチャースクールだった。料理教室、ピアノ教室、絵画教室、俳句教室、手芸教室、ダンス教室の6つが、仲良く軒を並べていた。
そのいずれにも、ゲンは寸毫も興味がなかった。学校での授業を除けば、全くと言っていいほど経験がない。才能にも恵まれていない。料理はインスタントとレトルトしか作れず、音楽は楽譜が読めず、絵画に至っては画伯レベルだ。
どの教室も、老若男女を問わず大盛況だった。冥界に来てまで習う理由は何なのだろうかと、ゲンはふと疑問に感じた。ただの趣味なのだろうか。生き返った後に備えて、自分を磨いているのだろうか。それとも、ORZに挑戦するためだろうか。
6つの教室のORZは、すべて同じだった。講師を超える。ただそれだけだ。だが、各分野のプロや第一人者が講師を務めており、出藍の誉れを狙うのは容易ではないだろう。
「今度は格闘系かよ……」
さらに進むと、ボクシングのジムと、空手、柔道、剣道の道場が並んでいるのが見えた。いずれもゲンには全く縁のない場所だ。
「……っつーか、ボクシングは勘弁してほしーぜ」
ゲンは無意識に苦笑いを浮かべていた。結婚の許可を得るために、元プロボクサーである岳父と戦ったのを思い出した。当然勝てるはずもなく、何度も殴り倒された。あんな痛い思いは、もう二度としたくなかった。
どこも大人気で、多くの者たちが熱心に指導を受けていた。自らの心身を鍛えるためだろうか。あるいは、ORZを突破するためだろうか。
種目を問わず、ここのORZもすべて同じだった。指導者に勝つ。ただそれだけだ。だが、指導者はいずれも元プロ選手だ。並大抵の実力では勝つことはできないだろう。
「遊園地まであんのかよ……」
冥界ランドという名の遊園地も存在していた。出入口となる店舗の中へと、まるで吸い込まれるように次々と人が入っていく。フリーパス付の1日券は20D。決して安くはないが、気にしている者は誰一人としていなかった。
ゲンは遊園地があまり好きではない。絶叫マシンが大の苦手で、楽しめるアトラクションが限られてしまうことが最大の理由だ。どんな遊園地なのか気になったが、今は全く行く気が起きなかった。
園内で挑戦できるORZは、まさにその絶叫マシンだった。特別仕様のそれを1時間耐久。ゲンならきっと1秒ですら耐えられないだろう。
特別仕様の詳細は不明だが、安全バーが非常に緩い、スピードやGが尋常ではないなど、常識では考えられないようなものであろうことは想像に難くない。なにしろ、冥界では決して死なないのだ。どんな危険が待ち受けていても不思議ではない。
「すげーな。こーゆーのまであんのかよ……」
ゲンは驚きを隠さない。冥界には動物園、植物園、水族館までもが存在していた。出入口となる店舗に、人が次々と飲み込まれている。
一体どんな動植物が展示されているのだろうか。冥界にしか生息しない生物もいるのだろうか。かなり気になったが、今は見送ることにした。入園料は安くない。少しでも出費を抑え、今後に備えたかった。
ここでも各施設でORZに挑戦できる。動物、植物、水生生物に関するクイズだ。20問連続で正解すれば成功となる。
ゲンはどれも詳しくない。誰もが知る有名どころならわかるだろうが、そんな簡単な問題だけが出題されるはずがない。きっと奇問難問が揃っていることだろう。
「ORZ、マジでぱねーな。めちゃくちゃ種類あんじゃねーか」
飲食、遊戯、球技、格闘技、芸術、知識など、ORZは本当に多岐に渡っていた。全部でいくつあるのかは不明だが、49種類以上なのだけは確かだ。他にもまだまだ存在しているだろう。
だが、クリアできるかもしれないORZには、いまだに出会えていない。ゲンは才能や能力、特技が極端に少なく、典型的な無芸大食だ。このままいけば、挑戦できるものが一つもないという、最悪の事態にもなりかねない。
「……自分クイズ? なんだそりゃ? 昨日何食ったかとか、好きな雑誌とか、遊びに行けるならどこに行きてーかとか、そーゆーのを聞かれるっつーことか?」
ゲンは首を傾げる。占い館で実施しているORZが、まさにその名前だった。料金は3D。
聞けば、自分が歩んできた人生を振り返るクイズだという。冥界には各人の一生が細大漏らさずすべて記録されており、特殊な水晶玉を使えば見ることができる。見た内容を基にして、即興で問題を作って出題してくるようだ。
ゲンはとりあえず挑戦してみることにした。どんな問題が出されるのかはわからないが、自分自身に関することなのであれば、正解できる可能性は高いだろう。
一問一答形式で、制限時間内に20問正解できれば成功となる。連続正解である必要はない。どれだけ間違えても構わない。問題をパスすることもできる。誤答によるペナルティーも一切ない。
連続正解を要求される他のORZと比べて、随分と条件が緩く感じる。それだけ難しいということなのだろうか。
課金要素は制限時間の延長のみだった。初期設定は3分だが、1Dの課金で1分延長できる。課金の上限は、7Dすなわち7分の延長。
問題はすべてノーヒントで、選択肢もないが、これを緩和する課金は存在しなかった。即興で出題する関係上、ヒントや選択肢を用意するのが難しいからだろう。
ゲンは課金しなかった。自分のことを答えるだけだから、3分もあれば余裕だろうと考えた。
「……ちくしょー! ムズすぎんだろ! あんな問題、わかるわけねーじゃねーか!!」
ゲンは怒りが収まらなかった。初めてのORZは、散々な結果に終わった。自分クイズに挑戦して、1問たりとも正解することができなかった。択一問題ではない上にヒントもないため、わからなければどうすることもできなかった。
確かに自分の人生に関連した問題には違いなかったが、あまりにも難易度が高すぎた。予想していた内容とはかけ離れすぎていた。誰も答えられないような難問ばかりだった。
自分を取り上げた助産師の名前。
初めて離乳食を食べた年月日。
幼稚園の住所と電話番号。
幼稚園の○○組で一番誕生日が早かった子の名前。
小学校の入学式の日の天候と最高気温。
小学校の修学旅行のバスの運転手の名前。
小学校5年の○月の遠足のおやつの詳細。
小学校4年の夏休みの宿題の読書感想文の内容。
小学校の校歌の作詞者および作曲者。
中学校2年の1学期の中間テストの合計点。
中学校3年のクラスの出席番号20番の生徒の名前。
中学校1年の○月○日の給食の献立。
中学校2年の2学期の通知表の担任のコメント。
中学校1年の担任が乗っていた車のナンバー。
高校2年の体育祭の徒競走で流れていた曲の名前。
高校1年の現代文の教科書の38ページの最初の文字。
高校3年の○月○日の数学教師のネクタイの色と柄。
高校時代に乗っていた自転車の防犯登録の番号。
高校の修学旅行の初日に宿泊した旅館の名前。
センター試験の受験番号。
センター試験初日の朝に目を覚ました時刻。
大学時代に下宿していた部屋の専有面積。
大学2年の○月○日の3時限目の講義内容。
大学3年の○月○日時点での体重。
大学時代に初めて合コンに行った年月日。
大学の卒業論文の最初と最後の一文。
○年○月○日にコンビニのレジにいた店員の名前。
○年○月○日の午後○時に自分がいた場所。
○年○月○日の午後○時半に見ていたテレビ番組。
○年○月○日時点の○○銀行の預金残高。
出題されたのは、例えばこのような問題だった。わかるはずがなかった。覚えているはずがなかった。当てずっぽうで答えるしかなかったが、かすりもしていなかった。
告げられた正解が合っているのかどうかも、ゲンにはわからなかった。確認のしようがなかった。ただ、明らかにおかしいものは一つもなかった。そうかもしれないと思えるものばかりだった。
「……声優当て、ktkr! これならいけるかもしんねーぞ!」
ゲンの顔に、ようやく笑みが広がった。同時に、小さなガッツポーズも生まれていた。
そこはアニメショップの前だった。挑戦できるORZは、声優当てクイズ。20問連続で正解すれば、生き返ることができる。
唯一の特技が利き声優であるゲンにとって、生き返るこの上ない好機だ。他のORZと同じく、かなりの難易度であることは間違いないが、これならクリアできるかもしれない。
ゲンは鼻歌混じりに店の中へ入って行った。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
よいお年を!