123 冥界 その1
「……これが冥界って、マ?」
ゲンは目を白黒させていた。そこはさながらどこかのアーケード街のようだった。前を見ても後ろを見ても、遠くまで真っすぐに通路が伸びている。その両端には多くの店が並んでおり、色鮮やかなのぼりや看板もあちこちに見受けられた。
街は活気に満ちており、多くの群衆が行き交っていた。地上がそうであったように、ここにも雑多な人々が集まっていた。年齢にも服装にも時代にも国籍にも統一感はなく、すべてバラバラだった。
若者もいれば中年も初老もいる。患者衣を着た青年もいれば、スーツ姿の紳士もいる。作業服の男性もいれば、制服を着た少女もいる。民族衣装の女性や、野良着の男性、軍服姿の軍人、奴隷然とした服装の少年、鎧を着込んだ戦士もいた。
彼らの共通点はただ一つ。病気、事故、事件、戦闘、自死などさまざまな理由により、天寿を全うする前に亡くなったということだけだ。
ここには一体どのくらいの人がいるのだろうか。目に見える範囲だけでも数百人はいるだろう。その向こうでさらに多くの人々が行き来しており、その数は計り知れない。
また、このアーケード街のような場所だけが冥界第1エリアというわけではないだろう。他にもさまざまな施設や地域があるに違いない。総計すれば6桁や7桁、あるいはそれ以上の数に達している可能性も十分に考えられる。
ゲンのすぐ近くで、10人ほどが順番待ちの列を作っていた。その先頭にあるのは、唐揚げのテイクアウトの店だ。
「……唐揚げ、いかがですか? とってもおいしいですよ~」
店の前に立つ店員らしき女性が、ゲンに笑顔で声をかける。店の名前が入った法被を着て、宣伝文句が書かれたプラカードを持っている。人間ではないことを示す角や牙が、髪の間と口の端から顔を覗かせていた。
女性の言うとおり、美味なのだろう。購入者は誰もがみな満足そうな笑みを浮かべ、口々に味を褒め称えている。
ゲンは唐揚げの味が気になり、食べてみたい衝動に駆られた。その一方で、これは罠だから食べるな、と直感が告げていた。
案内人のヨミナからは、食事は必ずしも摂る必要はなく、全く摂らなくても問題ないということしか聞いていない。食べればどうなるかについては教えられていない。だが、冥界の食物を口にすれば生き返ることができなくなってしまうということなど、常識で考えればわかる。原作の設定でもそうなっていた。
「もしかして、食べたら生き返れなくなるんじゃないかって思ってます?」
ゲンの心を見透かしたかのように、女性店員はさらに声をかけてきた。ゲンは思わず頷く。
「大丈夫ですよ。ちゃんとお代さえ払ってくれたら、何も問題ありません。でも、食い逃げしたらバチが当たって生き返れなくなりますけどね」
「お代……?」
「3個で1Dになります」
女性はそばに置かれた看板を指差す。3個で1Dと、確かにそう書かれている。
「1D? よくわかんねーけど、オレ、金持ってねーから……」
「そのカードでお支払いができますよ?」
店員は笑顔でそう言いながら、ゲンが首からぶら下げているカードホルダーを指差した。
「そーゆーことか……」
冥ナンバーカードを見て、ゲンは瞬時に状況を理解した。まさかこんな仕組みになっているとは思いもしなかった。
カードの裏面、冥ナンバーが記載されていない面に、いつの間にか文字が浮かび上がっていた。??年365日、と読める。残り寿命に応じて決められる、この冥界第1エリアにいられる時間が表示されているのだとすぐにわかった。
知れば生き返った後の人生に影響が出る可能性があるため、ここにいられる年数は公表されない。知らされるのは、残り寿命の10分の1で年未満は切り上げという計算方法だけだ。だからこそ、年の部分が疑問符に置き換えられ、何年なのかわからなくなっている。そこに入る数字は、自分で推測するしかない。
ここで飲食をすれば生き返れなくなるというのは、紛れもない事実のようだ。ただし、相応の対価を払えばそれを免れる。
だが、冥界に通貨はない。そのため、お金の代わりに時間を支払う。比喩でも誇張でもなく、文字どおり「時は金なり」である。
この唐揚げなら、対価は1D。1Dとは1DAY、つまり1日ということだ。よって、1日分の時間と引き換えに手に入れることができる。会計時に冥ナンバーカードを渡せば裏面の数字が減り、それをもって支払完了となる。
ここにはたくさんの店が並んでいる。おそらく他の店でも同様に対価を求められるのだろう。この唐揚げは1Dだが、店によっては5Dや10D、あるいはそれ以上に高額な商品も売られているかもしれない。買わなければいいだけの話だが、あの手この手で購買意欲を掻き立ててくるであろうことは想像に難くない。
食欲の赴くままに飲食をすればするほど、制限時間がどんどん短くなっていく。制限時間をフル活用しようと思えば、死なないとはいえ飲食は一切できない。まさに時間とお金のトレードオフだ。一体どうすればいいのか、誰もが悩むに違いない。
「……うめーな。めちゃくちゃうめーな。こんなうめー唐揚げ、今まで食ったことねーぞ」
ゲンは唐揚げに舌鼓を打っていた。そこまで腹が減っているわけではなかったが、誘惑に負けた。1Dを支払って、唐揚げを手に入れた。
とにかく美味だった。見た目は特に変わらないのに、生前に食べたどの唐揚げよりも美味だった。1つ1つが大きく、食べ応えもあった。引き換えた1日分の時間が全く惜しいと思わないほど、ゲンにとっては大満足の一品だった。
あまりのうまさにやみつきになり、さらに2回追加で購入し、あっという間に平らげた。カード裏面の文字は、??年362日になった。早くも3日分の時間を失ったが、後悔は微塵もなかった。
突然、キンコンカンコーンというチャイムが、ざわめく街に鳴り響いた。
「……12時になりました。みなさん、こんにちは。冥界案内人のヨミホと申します」
続いて、スピーカーから声が降ってきた。おっとりとした感じの女性の声だった。
「このCVは本多万有美。相変わらずきれーな声してんじゃねーか」
やはりゲンは一瞬で声の主を聞き分けていた。
「それでは、恒例の冥ナンバーくじの当選者を発表いたします。今回の当選者は……」
ヨミホはゆっくりと12桁の数字を読み上げた。同じ数字をさらにもう一度繰り返す。
ゲンは自分の冥ナンバーカードを見てみたが、最初の数字の時点で既に違っていた。
「当選された方、おめでとうございます。簡単な手続きがありますので、0時までに中央受付へお越し下さい。以上、ヨミホでした。ご清聴、ありがとうございました」
ヨミホの話が終わると、再びキンコンカンコーンという音が流れた。
「……さっきの冥ナンバーくじっつーのは何だ? 当たったらどーなんだ? 何も聞いてねーぞ」
ゲンは首を傾げた。いろいろなところで冥ナンバーを使うとヨミナから聞いているが、このくじも用途の一つなのだろうか。
ゲンと同じ疑問を感じたのか、近くにいたカジュアルな若い女性が店員に尋ねていた。ゲンに声をかけてきた、唐揚げ店のプラカードを持ったあの店員だ。店員の回答はゲンの耳にも届いた。
毎日0時と12時の2回、件の冥ナンバーくじが開催されるという。これは、冥ナンバーが無作為に1つだけ選ばれ、当選者は生き返ることができるというものだ。
この抽選への参加資格は特になく、この第1エリアにいるだけで自動的に対象となる。すなわち、何もしなくても1日に2人は生き返ることができる。ただ、対象者は膨大な数に上るため、当選する確率はとんでもなく低い。
なお、ここは一日中明るく、すべての店が年中無休で24時間営業ということもあり、昼夜の感覚を失いやすい。毎日決まった時刻に開催されるこの抽選は、時報としての役割も果たしているようだ。
「……そーいや、あいつらはいねーのか? 同じとこでタヒんだんだから、この近くにいたりしねーのか?」
ゲンは改めて周囲を見回してみたが、仲間たちがいそうな気配は全くない。
この初期位置はどうやって決まったのだろうか。死んだ場所だろうか。もしそうであるなら、ユーシアやミト、富雄が近くにいるはずだ。それとも、完全にランダムなのだろうか。あるいは、死亡時刻や享年など、他の基準で決められたのだろうか。
ゲンは仲間たちを見つけるために歩き出した。
「……ミト。オマエ、うまそーなもん食ってんじゃねーか」
最初に見つけたのはミトだった。ミトはクレープ屋の前で商品を頬張っていた。イチゴとチョコのクレープ。価格は1D。
「これ、すごくおいしいわよ。絶対に食べたほうがいいわ」
ゲンに話しかけられても、ミトの動きは止まらなかった。ご機嫌で食べ続けている。
「オマエ、一人か? ユーシアとか他のやつら見てねーか?」
「ちょっと前にカディアちゃんになら会ったわ。わからなくて困ってたときに、いろいろと教えてくれたのがカディアちゃんだったのよ。このお店のこともカディアちゃんから聞いたわ」
「ガチでカディア(CV:十川奈緒)もここにいんのかよ。やべーな」
ミトの口から飛び出した人名に、ゲンは逸早く反応した。
ジェイドの失恋相手、カディア。前世はジェイドの妃だったが、今世ではジェイドの告白を断り、命を奪われた。
原作の舞台は、カディアが亡くなっておよそ半年が経過した世界だ。この冥界に半年近くもいるのだとしたら、ミトにいろいろ教えられるほど詳しくなっていても不思議ではない。
ジェイドはカディアを生き返らせようとしている。そのために、モッヒョラ坂に関する情報を力ずくで聞き出そうとしていた。
ジェイドと友里恵たちの戦いはどうなったのだろうか。まだ続いているのだろうか。それとも、既にジェイドが勝利を収め、カディアを生き返らせるために動いているのだろうか。今のゲンには知る由もなかった。
「カディアちゃんってあんなにかわいい子だったのね。ジェイドが土下座してまで取引しようとしてた理由が、今ならわかる気がするわ」
クレープを食べ終わったミトが苦笑いを浮かべる。土下座して懇願するジェイドをなじり、殺されそうになったことを思い出したのかもしれない。
「……食い終わったんなら一緒に行こーぜ。オマエもそのほーがいーだろ?」
「また今度でいいかしら? おしゃれなカフェとかおいしいパン屋さんとか、他にもカディアちゃんからいろいろ教えてもらってるのよ。だから、ちょっと食べ歩いてくるわね」
言い終わったときには、ミトの姿は既に人混みの中に消えていた。
ミトは17歳。ゲンよりも30歳近く若い。当然、残り寿命もゲンより多く、ここにいられる時間もミトのほうが長いはずだ。ゲンよりもはるかに時間的な余裕があり、だからこそまずはいろいろと食べて回ろうとしているのだろう。
「……ミトのやつ、どーゆー状況かわかってんのか? オレたちゃここに遊びに来たんじゃねーんだぞ。食べ歩いてる場合じゃねーだろ!」
チョコバナナクレープを注文し終わると、ゲンは怒りをぶちまけた。まるで観光に来たかのようなミトの能天気な行動には呆れるしかなかった。
だから、クレープを3つしか食べられなかった。1つで止めようとしたが、いまだかつて食べたことがないうまさがそれを許さなかった。
残り時間は??年359日になった。ゲンは全く気にすることなく、仲間を探して再び歩き出した。