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かきかけ~作者と愉快な主人公たち~  作者: 蓮井 ゲン
第三章 さらなる旅路
116/140

116 取引

 

「本当にあれがジェイドなのか……? 魔王にはとても見えないぞ……」

 サラマンの魔法で町の外に移動すると、何者かがミトやバジルと対峙しているのが見えた。その人物は、ユーシアが困惑の声を漏らすほど、魔王であることを感じさせなかった。制服と思われるブレザーを着た、若い人間の男にしか見えなかった。


 魔王ジェイドは、人間である。元や人造といった文字は冠さない、正真正銘の人間だ。19歳。ピート・エルウィンという本名も持つ。

 ピートは、かつて世界を恐怖と絶望のどん底に叩き落とした魔王、ジェイド・エレキサンダーの生まれ変わりだ。その前世の記憶と力を持って生まれてきた。

 そして、失恋が契機となり、体の奥底に眠っていた強大な力が目を覚ました。ゆえに、見た目は人間で中身は魔王だ。



「貴様が作者か? 貴様がこの町にいると知り、会いに来た。貴様に話がある」

 ジェイドはゲンを探しにきたという。そして、ミトやバジルと遭遇し、作者の居場所を教える教えないで押し問答になっていたようだ。

「オレに話……? 嫌な予感しかしねーな……」

 ゲンは思わず一歩後ずさった。頭の中には先ほどの3人組が浮かんでいた。万が一ジェイドもそういう嗜好だった場合には、なすすべもなく押し倒されることを覚悟しなければならない。HGを使って逃げ切れるほど甘い相手ではないことは、ゲンが一番よくわかっている。


「単刀直入に聞く。貴様、元の世界に帰りたくはないか?」

「そりゃ帰りてーに決まってんだろーが。でも、どれがどーした? オマエが帰らせてくれんのかよ? オマエにそんなことできんのかよ?」

「俺を誰だと思っている? 俺は魔王ジェイドだ。俺の力をもってすれば、そんなことなど実にたやすい。……見せてやろう」

 ジェイドは右手を振り上げた。頭上の空間が切り裂かれ、まるでそこだけがくり抜かれたかのように、大きな穴が開いた。真っ黒だった穴の内部に、映像が浮かび上がったのは次の瞬間だ。


「……!」

 ゲンは思わず息を呑んだ。浮かび上がった映像には見覚えがあった。

 そこは、どこかの部屋のようだった。床には足の踏み場もないほどゴミが散乱していた。壁や天井にはアニメキャラクターのポスターが隙間なく貼られていた。本棚は漫画やDVDで埋め尽くされていた。戸棚には少女たちのフィギュアが所狭しと並んでいた。

 何度見ても自分の部屋としか思えなかった。ポスターの絵柄や配置、フィギュアのポーズや向きなど、細かいところまですべて覚えている。少しでも異なっていれば、指摘できる自信はある。だが、映し出されている光景に、不審な点は全く確認できなかった。自分の部屋ではないと断言する理由は、どこにもなかった。


「よく見ておけ」

 宙に浮いたかと思うと、ジェイドは穴の中に飛び込んだ。次の瞬間、魔王は映像の中にいた。ゲンの部屋と思われる場所に入り込んでいた。床に積もったゴミを踏まないように宙に浮き、部屋の中をゆっくりと漂っていた。

「マジかよ……。ジェイドのやつ、オレの部屋に入ってんじゃねーか……」

 信じられなかった。ケイムを倒さない限り帰れないと思っていた場所に、ジェイドはいとも簡単に侵入していた。



「……見てのとおりだ。これが俺の力だ」

 ジェイドが目の前に姿を現した。いつの間に取ったのか、1体のフィギュアを手にしている。セーラー服を着た少女のものだ。

 穴の中の映像では、確かに戸棚にフィギュア1体分のスペースが空いている。そこに置かれていたものを持ってきたのだろう。

「あずみじゃねーか……!」

 ゲンの視線は、完全に嫁のフィギュアに釘付けになっていた。それを愛でるのが日課だったが、もう何日も実行できていない。


「……受け取れ」

 ジェイドは持っていたフィギュアを投げた。放たれた少女は放物線を描き、ゲンの手に収まる……直前で急上昇し、穴に飛び込んでいった。部屋の戸棚に元どおりに収まったのは、次の瞬間だった。

「あずみ……! ちくしょー……!」

 久しぶりに会う嫁と熱い抱擁を交わすことができず、ゲンは地団駄を踏んで悔しがった。



「続きを望むなら、俺と取引をしろ」

「取引?」

「貴様をあの部屋に帰してやる代わりに、俺の目の前で、俺の言うとおりに物語を書き直せ。書き直したら、あとは今までどおり放置でいい。余計なことをしたら殺す。それだけだ」

「なん……だと……?」

 魔王の提示した取引条件は、ゲンに大きな衝撃を与えた。ジェイドとともに自分の部屋に帰り、その監視下で指示どおりに小説を書き直すという、予想外の内容だった。まさか作中人物から作品の軌道修正を求められるとは思わなかった。


「……どーゆーふーに書き直しゃいーんだ?」

「言うまでもない。俺が望むはただ一つ、カディアだ……。カディアだけだ……」

 突然、ジェイドは涙声になった。見る見るうちに目から大粒の涙が溢れる。

「俺はカディアを愛している……。心の底から愛している……。カディアの他に、欲しいものなど何もない……。ああ、カディア……。カディア……」

 頬に幾筋もの涙の跡を刻みながら、ジェイドは声を絞り出している。


 カディア・トラジエ、享年18歳。ピートの失恋相手であり、魔王ジェイドの妃パティの生まれ変わりでもある。

 もしカディアに前世の記憶があったなら、ピートに命を奪われることはなかったかもしれない。ピートが魔王の生まれ変わりだと、すぐに気づいていたかもしれない。そして、高校の卒業式の日に、ピートの愛の告白を受け入れていたかもしれない。

 失恋の瞬間、ピートの頭の中が真っ白になった。気がついたときには、足元にカディアの亡骸が転がっていた。

 それ以降、ピートは魔王ジェイドを自称するようになった。魔王になっても高校の制服姿を貫いているのは、カディアを想い続けたあの日の名残だ。


「どうしたんだ……? 突然泣き出したぞ……」

「私たち、何もしていないわよね……?」

「すごいね……。ものすごく泣いてるよ……」

 仲間たちが戸惑いの声を上げる中、ゲンだけは全く驚きもしなかった。魔王の言動は、原作の設定どおりだった。同時に、まるで若かりし日の自分を見ているかのようでもあった。

 ジェイドのモデルはゲン自身だ。ゲンも高校時代に失恋を経験した。人生で初めての告白は、残念な結果に終わった。傷心して落ち込んでいたゲンが、ジェイドというキャラクターを生み出すのにさほど時間はかからなかった。


 カディアを想うと、ジェイドは非常に涙もろくなる。カディアという名前を呼んだだけで、涙が溢れてくる。カディアのことを考えただけで、涙が止まらなくなる。涙を流さずにカディアに想いを馳せることは、魔王の力をもってしても不可能だった。

 ジェイドにとって、カディアを想って泣くことは、愛しているがゆえの当然の行為だ。ジェイドの全身に満ち満ちるカディアへの愛を、涙という形で目から溢れ出させているに過ぎない。

 だから、決して笑ったり嘲ったり罵ったりしてはいけない。ましてや、これ幸いと攻撃するなどもっての外だ。一瞬でこの世から消滅する羽目になるだろう。



「……俺の希望はただ一つ。俺の告白が成功するように書き直せ。それだけだ」

 つい先刻まで慟哭していたとは思えないほど、ジェイドの声は落ち着いていた。どれだけ号泣していようとも、ジェイドは瞬時に泣き止むことができる。一切の痕跡を残すことなく、涙も一瞬で消すことができる。これも魔王の力なのだろうか。

 ジェイドが指定した告白シーンは、原作の冒頭に登場する。つまり、物語を一から書き直せと言っているに等しい。


「やっぱそーきたか……」

 なんとなく予想はしていたが、果たしてそのとおりだった。 

 ジェイドの要求自体は、さほど難しいことではない。かきかけで放置している原作を削除し、新規に書き始めるだけだ。だが、それはピートとカディア以外のキャラクターを切り捨てることと同義だ。

 告白が成功すれば、ピートが魔王になることはない。よって、魔王を倒す相愛戦士たちも、彼らを召喚するサラマンも、その存在意義が失われて消滅してしまうだろう。


「貴様にとって、悪い条件ではないはずだ。さあ、俺と取引を――」

「……ジェイド、勝手な真似はやめてもらえるかな? 作者を元の世界に帰して物語を書き直させるとか、そんなことはこの僕が許さないよ」

 突然、声が降ってきた。空に映った顔には、明らかに不機嫌そうな表情が浮かんでいた。

「なんだ、貴様は? 俺に命令するな。俺は誰の指図も受けない。失せろ。俺の邪魔をするなら、容赦はしない」

 ジェイドは上空を睨みつけた。


「言ってくれるじゃないか、ジェイド。いつから僕にそんな口を――」

「失せろと言ったはずだ。凡愚の分際で、気安く俺に話しかけるな」

「失せるのは君だよ、ジェイド。僕に逆らったことを、後悔させてあげるよ!」

 ケイムの語気が荒くなった。だが、それだけだった。それ以外には何も起きなかった。

「……どうした? 俺を後悔させるのではなかったのか? 貴様のような凡愚には無理だ。とっとと失せろ」

「……今回だけは見逃してあげるけど、今度勝手なことをしたら容赦しないから、覚悟しておいてね」

 捨て台詞を残して、空からケイムの顔が消えた。



「どーゆーことだ……? 何がどーなってんだ……?」

 一体何が起きているのか、理解が追いつかなかった。

 ジェイドの力は、おそらく本物だ。持ちかけられている取引を承諾すれば、条件付きではあるが元の世界に帰れる可能性は高い。

 だが、ジェイドはケイムが考えたシナリオに沿って行動しているはずだ。ケイムがこのようなイベントを用意するとは思えない。ケイムを倒す以外の方法で、この世界からの脱出を認めるはずがない。

 にもかかわらず、ジェイドはケイムの指示に従わず、ゲンを元の世界に帰そうとしている。さらには、愚弄するような言葉でケイムを挑発している。

 一方、ケイムはジェイドに何らかの制裁を加えようとしていたようだが、何も起きなかった。ケイムの顔に、一瞬だけ焦りの色が広がったようにも見えた。


「もしかして、そーゆーことか?」

 なんとなく状況が理解できたような気がした。

 思い起こせば、ケイムとの直接対決時に、空からミシミシという音が聞こえ、不気味な黒い点も出現していた。ゲームマスターである自分が降りてきた影響で、この世界にバグやエラーが発生する前兆だとケイムが言っていた。

 つまり、この世界のどこかで何らかの不具合が発生したのだ。それが原因でジェイドがケイムの意に反する言動をするようになり、ケイムもジェイドをコントロールすることができなくなった。そう考えれば、すべての辻褄が合う。


「っつーことは、今しかねーじゃねーか! ケイムが何かやってくる前に、秒でジェイドと取引するしかねーじゃねーか!」

 ゲンの心は決まった。

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