115 宝珠
「……どーにか撒いたみてーだな」
ゲンは胸を撫で下ろす。振り返っても追っ手の姿はない。どうやら魔の手から逃げ切ったようだ。
カマオたちは3人は、いずれもかなりの実力派だ。倒すのはなかなか骨が折れそうだが、逃げるだけなら難しいことではなかった。HGによる身体能力の向上は、予想以上に強力だった。いくばくかの毛髪を失った気はするが、この程度は必要経費と割り切るしかないだろう。
ゲンはビフロットの唐突なタックルを素早く跳んでかわすと、バレンが放った氷の塊を裏拳で弾き飛ばし、カマオの峰打ちを剣で受け止めた。間髪を入れず、足元に現れた氷の手を跳んでよけると、再度のタックルと峰打ちを流れるような動きでかわし、一目散に逃げ出した。
その逃げ足は非常に速く、あっという間に3人を置き去りにした。もちろんユーシアも置いてけぼりだが、後ほどサラマンの家で合流できるだろう。場所は聞いている。
まさかこんなところにあんな連中が勢揃いしているとは思ってもみなかった。こんなにも早くハーレムの夢が打ち砕かれるとは考えてもいなかった。
カマオたちはきっとまたやってくるだろう。そして、執拗にゲンの体を狙ってくるだろう。寝込みを襲われないという保証もない。
しばらくは毛の抜けない、もとい気の抜けない日々が続くかもしれない。
「……おっさん、大変だったな。まさかおっさんがあんなにモテるとは思わなかったぞ」
サラマンの家に入るなり、声が飛んできた。声の主は苦笑いを浮かべていた。
「よく来たな。お前が作者だということは、ユーシアから聞いている」
ユーシアの隣にいた年嵩の男が口を開いた。真っ赤なローブと真っ赤な髪が、非常によく目立っていた。
サラマン・ダール。『相愛戦士』に登場する火の魔法使いで、非常に高い魔力を持つ。戦闘に参加することはないが、豊富な知識と経験で主人公たちを導く。
かなりの高齢であることは間違いないが、全く年齢を感じさせない。真っ赤な髪にはハリがあり、量もゲンよりはるかに多い。
「……ユーシア、オマエのそのローブ、サラマンのとまんま同じじゃねーか。っつーか、オマエはいつの間に魔法使いになったんだ? オマエは戦士以外はアウトオブ眼中だったじゃねーか。それに、どーしてミトたちと一緒なんだ? オマエは途中からレガートたちのパーティーに入っただろーが」
ゲンは早口で言葉を並べた。再会して以降、まだ仲間たちとゆっくり話ができていなかった。知りたいことはたくさんあったが、何一つ聞けていなかった。
ユーシアとの別れは突然だった。魔法陣で転送されたと思ったら、そこにユーシアの姿はなかった。代わりにいたのがバジルだ。にもかかわらず、そのユーシアとバジルが一緒にいる。
また、当時のユーシアは戦士だった。念願を叶えるためには多くの職業を経験する必要があるというのに、転職に消極的だった。しかしながら、今のユーシアはどう見ても魔法使いだ。
旅を続けていたユーシア、レガート、フィン、カレッツの4人は、魔法陣によりメルグ大陸に転送されたという。大陸は魔皇子ジルトンに支配されており、無数の魔物が闊歩していた。ジルトンを倒すべく歩を進めたユーシアたちは、その道中でミト、バジル、ニケ、忠二の4人と合流を果たし、行動をともにすることになった。
大陸での戦いは熾烈を極めた。何度も死地を乗り越え、そのたびに仲間たちを成長させた。特に顕著だったのはバジルだ。戦うたびに加速度的に強くなっていき、勇者と呼ぶにふさわしい活躍を見せた。同じ勇者であり、圧倒的な存在感を示すレガートに触発されたのだろうか。あるいは、同じ伝説の勇者として、ライバル意識に火がついたのかもしれない。
そして、ユーシアにも大きな心境の変化が訪れた。レガートとバジルの雄姿に刺激を受け、勇者になりたいと強く願うようになった。そして、まずはその第一歩として、魔法使いに転職したのだ。さらにさまざまな職業で経験を積んでいけば、晴れて勇者に転職することができる。
さらに、バジルとランクス、およびデビリアンとゼオンの因縁も決着を見た。襲撃してきたランクスを、意を決したバジルがたった一人で迎え撃った。
激しい戦いの末、バジルは聖剣の力でランクスとゼオンを分離させることに成功した。そこにデビリアンが参戦し、ついに仇敵を討ち取り、遺恨を晴らした。
一方、バジルはランクスに圧倒的な力の差を見せつけ、降伏させた。そして、一同はランクスを仲間として温かく迎え入れた。
ユーシアたち9人は旅を続け、いくつもの苦難を乗り越え、死闘の果てについにジルトンを倒した。だが、味方も大きな被害を受けた。ランクスとカレッツが命を落とし、ニケは重症。さらに、レガートはジルトンの死に際の攻撃から仲間たちを守ろうとして光の中に消え、消息不明。生き残った者たちも満身創痍。大きな犠牲を払ったゲンたちと同じく、手放しでは喜べない勝利だった。
その後、突然現れた魔法陣により、ユーシア、ミト、バジルはヴェロナーの近くに転送された。3人はサラマンの力で傷を癒した。さらに、ユーシアはサラマンからいくつかの装備と魔法を与えられた。真っ赤なローブや瞬間移動の魔法もその一つだ。
ヴェロナーを発った3人は、かつて噂で聞いた伝説の剣を求めて森に向かったが、テッカンジーの試練を受けることはできなかった。そして、諦めて旅を続けている途中でゲンと再会したのだ。
「……で、オマエが作ったアイテムっつーのは何だ? どこでも行きてーとこに行けるドアみてーなやつとか、頭に付けたら空を自由に飛べるよーになる竹とんぼみてーなやつとか、そーゆーのか?」
ゲンはサラマンに質問をぶつけた。
「そんな便利なものが作れるなら苦労はしない。これだ」
サラマンが懐から何かを取り出した。2つある。
一つは、唐草模様がついた正方形の大きな布、いわゆる風呂敷のように見える。もう一つは、手のひらサイズの方位磁針のような物体だ。針がない代わりに、画面の中央に赤い小さな点があり、複数の同心円が描かれている。
「お前たちが宝珠を集めていることは前に聞いた。その2つは、いずれも宝珠に関係する道具だ。宝珠はわずかに魔力を帯びている。どちらの道具も、その魔力を利用する」
サラマンは淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「これは宝珠を安全に持ち歩くための道具だ。これを使えば、宝珠を亜空間へと送ることができる」
そう言って指差したのは、風呂敷だった。
「亜空間は非常に堅牢で、決して破られることはない。宝珠の魔力のみに反応するから、異物が混じる心配もない。送り込んだ本人にしか取り出せないから、悪用されることもない」
「金庫みてーなもんか。そりゃすげーな」
ゲンは驚きを隠さない。小さいとはいえ、宝珠の数が増えると扱いに困るのは確かだ。紛失や盗難のリスクもある。別の空間で安全に保管されるのなら、非常にありがたい。
「その布の名は、『オーブ』。大風呂敷のように見えるから、『オーブ』だ」
顔に一切の表情を宿らせることなく、サラマンは道具の名を公表した。
「宝珠だけにオーブっつーわけか! だれうま! いや、全然うまくねーよ!」
ゲンは思わずツッコミをを入れた。
「じゃ、早速オレの持ってる宝珠を亜空間送りにしてみよーじゃねーか」
ゲンは宝珠を取り出した。オーブで包むと、忽ち消えてなくなった。サラマンの言う亜空間へと送られたのだろう。
ゲンの持つ宝珠は、全部で4つ。レイモンドと相討ちになったザイクが落としたという陽、ロキがジュリアスに勝って手に入れた風、龍之介が克己を倒して得たという火、元子たちがナディウスから入手したという命。どの宝珠も、仲間たちの血と汗と涙の結晶だ。
にもかかわらず、ゲンは金に困って3個10億で売却しようとしたことがある。未遂に終わったとはいえ、仲間たちには口が裂けても言えないだろう。
「ユーシア、オマエもやらねーか? 宝珠、持ってんだろ?」
「いや、宝珠は全部ミトが持ってるんだ。全部で5つ。確か、水、土、天、陰、闇、だったはずだ」
ユーシアは指を折って数えながら答えた。
ミトが持つ5つの宝珠のうち、水と土はゲンも入手に関わっている。水は爆笑王のボブから、土はコビット族族長のリドルから。それ以外はメルグ大陸での戦利品だ。
陰はゼオン、闇はジルトン、天は大陸内で暴れ回っていたカデットから入手したという。いずれ劣らぬ強敵ばかりで、入手難易度はゲンたちの比ではなかったはずだ。
なお、カデットは『世界樹の戦士たち』に登場する狂戦士だ。力を求めるあまり、世界樹の実を複数個食べるという禁忌を犯し、異形の怪物と化した。高い身体能力と多彩な攻撃に加え、驚異的な再生能力を有し、原作では誰にも倒せないという設定だった。倒すのは困難を極めたことだろう。もし帝国で遭遇していたら、ゲンたちでは歯が立たなかったかもしれない。
ゲンとミトの宝珠を合わせると、全部で9個。ちょうど半分だ。宝珠の数だけを見れば、旅の折り返し地点を迎えたことになる。ここまで来るのに、本当にいろいろなことがあった。多くの強敵と戦った。何度も命の危機に直面した。これからも数多くの苦難が待ち受けているだろう。
もっとも、今ここにあるのが9個というだけで、実際にはそれ以上の数が手に入っている可能性がある。いつだったか、ゲンたち以外に2個集めた仲間がいるとケイムが言っていたはずだ。その2個は、前述の9個には含まれていない。集めた仲間にも、まだ出会えていない。今後に期すしかないだろう。
「ならしゃーねーな。で、こっちはどーゆー道具なんだ?」
「それは宝珠の魔力を探知する道具だ。探知すると画面上に光の点が現れるから、それで方向と距離がわかる。ただ、宝珠の魔力が弱いから、探知できる範囲には限りがある」
「要するにレーダーっつーことか。こっちもすげーな」
ゲンはまたも驚きを隠さなかった。残りの宝珠をどこの誰が持っているのか、現状ではほとんど手がかりがない。場所がわかったところで手に入るわけではないが、情報があるのでないのとでは雲泥の差だ。
「その道具の名は、『ヲーブ』。宝珠をオブザーブするから、『ヲーブ』だ」
「無理矢理すぎんだろ! 『ヲーブ』と言いてーだけじゃねーか!」
ゲンは再びツッコミを入れた。
ヲーブの側面にある赤いツマミを回すと、カチッと音がして盤面が明るくなった。そして、中央付近に黄色い光点が出現した。一つのように見えるが、実際にはいくつもの点が重なり合っている。ただ、正確な数はわからない。
「真ん中の黄色い光が宝珠っつーことか? 真ん中っつーのは、ここだろ? さっき亜空間に送ったやつなんじゃねーのか?」
「亜空間にある宝珠は探知しない。だから、それはミトが持っている宝珠だ。今は縮尺が一番小さい。その縮尺なら、この家も町の外も同じ場所に見える。青いツマミを回すことで、縮尺を調整できる」
サラマンの言葉に従って青いツマミを回すと、盤面の中央にあった光点が左下へと少し移動した。頭の中で位置関係を整理してみると、確かにミトたちはヲーブが示す方向で待機している。
さらに回すと、光点は少しずつ中心から遠ざかり、やがて盤面の左下に消えた。逆方向に回すと、左下から光点が顔を出した。
「こりゃすげーな。こーやって縮尺を変えながら宝珠を……って、ちょっと待て。この光の点、6個ねーか? ミトが持ってる宝珠は、5個なんじゃねーのか?」
縮尺が大きくなったことで、重なっていた光点がはっきりと見えるようになった。盤面の左下で黄色く光る点は、確かに6つある。ミトの持っている宝珠が5個なら、数が合わない。
「ああ、確かに5個だぞ。俺もこの目で見たから、間違いない」
「じゃ、残りの1個は誰だ? もしかしてさっきの3人か? あいつらの誰かが宝珠を持ってたっつーことか? 今はミトとバジルをナンパしてるとか、そーゆーことか?」
ゲンの頭の中には、カマオ、ビフロット、バレンの顔が浮かんでいた。あの3人なら、誰が宝珠を持っていても不思議ではない。
「……やつだ。この気配は、間違いなくやつだ」
サラマンが重々しく口を開いた。
「やつ? 誰だそりゃ?」
「元凶だ。この町の日常を一変させた、諸悪の根源だ」
「ジェイドかよ! やべーじゃねーか!!」
ミトではない宝珠所有者の正体を知り、ゲンは思わず叫んだ。