113 切り札
「くっそ、こんなので……! 悔しーぜ……!」
ゲンはがっくりと肩を落とした。部屋に入ってまだ10秒も経過していない。秒殺だった。
最初に見せられた幻で、あっという間に声を上げてしまった。こんなにも早く終了するとは思ってもみなかった。
現実でないことはゲンもわかっていたが、意表を突かれた。まさかあのような幻影を見せられるとは予想だにしていなかった。
仮想だとわかっていても、ゲンには耐えられなかった。非日常的な光景ではなく、いつ自分の身に起きてもおかしくない出来事だったからこそ、心に突き刺さった。
例えば、いきなり何者かに誰何され、答えなければ声の主が現れて襲われると思っていた。例えば、急に悪天候に見舞われ、激しい雷雨の直撃を受けると思っていた。例えば、地獄に落とされ、さまざまな苦痛を味わい続けると思っていた。例えば、自分と同じように地獄の責苦を延々と受ける、愛する妻の姿を目の当たりにすると思っていた。
だが、その予感が的中していたか確かめることもできないまま、試練は終わってしまった。呆気ない幕切れだった。
「……よかろう。合格じゃ。つるぎをお主に授けよう」
仙人は重々しそうに口を開いた。
「は? どーゆーことだ? 声出したらAUTOだったんじゃねーのか? イフミすぎんだろ」
「この試練、実は声を出さぬことは不可能なのじゃ。どれだけ時間がかかろうとも、声を出すまでは決して終わらぬ。過去には半日近く耐え続けた者もいたが、不合格じゃ」
「マジかよ。半日耐えても合格じゃねーとかひでーな。だったらなんでワンパンされたオレがおkなのか、小一時間問い詰めてーぜ」
ゲンは首を傾げた。数秒で終わってしまった自分がどうして合格できたのか、全く理解できなかった。
「このつるぎは、心弱き者こそが持つべきなのじゃ。心強き者は、このつるぎに頼らずとも困難に打ち勝てる。それゆえ、この試練の合否は、最初の幻すら耐えられずに声を上げるかどうかという、ただその一点のみで決まる。八百万の幻に耐えたとて、つるぎを手にすることはできぬ」
「そりゃひでーな。鬼畜すぎて草も生えねーぜ」
ゲンは驚きを隠さない。沈黙を守る試練であるにもかかわらず、一発目の幻でそれを破らなければ不合格という結末は、さすがに予想できなかった。
「お主の心は弱い。まことに弱い。賞賛に値する弱さじゃ。お主のような心弱き者こそ、このつるぎを持つにふさわしい」
「なんかディスられてる感、ぱねーな」
褒められているのか貶されているのかわからず、ゲンは苦笑いを浮かべた。
「……それでは、お主にこのつるぎを授けよう。受け取るがよい」
テッカンジーが指を鳴らすと、ゲンの目の前に剣が現れた。手に取ってくれと言わんばかりに、ゲンの腰の高さに浮いていた。
握りには豪華な装飾が施され、刃がかすかに光を放っているように見える。宿っているという神の力によるものだろうか。
「これが天神剣HGじゃ」
「ファッ!? ハーゲー!? エイチジーじゃねーのか!?」
ゲンは思わず素っ頓狂な声を上げた。ハーゲー。聞いていた名と違う上に、何を連想させるような不穏な響きを持っていた。
「気にするでない。世界は広い。それゆえ、国や地域によって若干読みが異なるのじゃ。一般的にはエイチジーと読まれておるが、正式な読みはハーゲー。お主に授けるにあたり、あえて正式な読み方をしただけじゃ」
仙人は長い髭を触りながら答えた。
「天神剣HG。その名のとおり、神の力が宿っており、凄まじい威力を誇るつるぎじゃ。持つ者に超人的な肉体と精神を与えるとも言われておる」
「そりゃすげーな。控えめに言って、名前以外は最高じゃねーか!」
早速剣を手に取る。持った瞬間、ずっしりとした重みが感じられた。身体の奥底から力が漲り、さまざまな剣技のイメージが脳裏に浮かんだ。世界樹の実にも引けを取らない性能が期待できそうな気がした。
「ただし、あまりにも強力すぎるゆえ、そのつるぎを使うには相応の代償を払わねばならぬ。それが何なのかは言うまでもなかろう。そのために先ほどの幻を見せたのじゃ」
「ちょっと待て! まさか……」
ゲンの顔に焦りが広がる。脳裏には試練の様子がまざまざと甦っていた。
部屋に入るや否や、なぜか頭が痒くなった。我慢できずに掻く。そして、ふと手を見た直後に、ゲンは叫んでいた。
「オレの髪がぁぁぁぁぁぁ!!」
頭を掻き終わった手指の爪に、毛髪が大量にまとわりついていた。軽く掻いただけで抜けてしまったことに衝撃を受け、思わず叫んでしまった。もちろん、実際に髪が抜けたわけではない。テッカンジーが見せた幻だった。
「……左様、毛髪じゃ。そのつるぎを振るうたびに、お主は毛髪を失っていく。技を使えば、より多くの毛髪を失う。お主の毛髪が尽きたとき、そのつるぎは消滅する。そのつるぎは、常にお主とともにある。活かすも殺すもお主次第じゃ」
「HGっつーのは、やっぱそーゆー意味かよ! 完全に罰ゲームじゃねーか! こんな剣、いらねーよ! チェンジだ、チェンジ! もっとすげー剣をクレメンス!」
「それはならぬ。そのつるぎはもうお主のものじゃ。手放すことも、他の武器を持つことも許されぬ。そのつるぎが消滅するまで、責任を持って使い続けなければならぬ」
テッカンジーは表情一つ変えることなく、ゲンの目を見つめてそう言い放った。
「ふざけんじゃねー!」
「じゃが、どうしても嫌と言うのであれば、合格を取り消せぬことはない。ただし、条件がある」
「条件……? 金か……? おいくら万ダイム?」
「金ではない。毛髪じゃ。お主は直ちにすべての毛髪を失う。これが条件じゃ」
「ちくしょー! それじゃ意味ねーよ! どっちも同じじゃねーか!」
ゲンは地団駄を踏んだ。どちらを選ぼうと結末は変わらない。徐々にか一気にかの違いだけだ。それならば、この現実を受け入れたほうがまだましだろう。
「そういうわけじゃから、毛髪の件は家族にも伝えておいたほうがよかろう」
「そーいや、ケコーンしてねーとこの試練受けらんねーんだったよな? なぜなんだぜ? 自分が禿げるとこ見て声出すか出さねーかだけなら、ケコーンしてるしてねーは関係ねーんじゃねーのか?」
「そんなことはない。試練を受けるということは、すなわちそのつるぎを手にする可能性があるということじゃ。独身者は、これから結婚せねばならぬ。出会いが必要な者もおるじゃろう。ゆえに、禿げさせるのは忍びない。じゃが、既に結婚しておるなら、多少禿げたとて問題はなかろう? それで愛想を尽かされるなら、心から愛されてはおらんかったということじゃ」
テッカンジーは薄笑いを浮かべて言った。
「ちくしょー! ふざけんじゃねー! ふざけんじゃねーぞ!」
ゲンはさらに激しく床を踏みつけた。うっかり合格してしまったらかわいそうだから、独身者には受けさせない。既婚者にしか試練の挑戦権が与えられない真の理由が、まさかそんなことだったとは思わなかった。
「……儂からもお主に問いたい。儂には一つだけ解せぬことがある。こんなことは初めてじゃ」
テッカンジーは困惑したような表情を浮かべていた。
「なんだ? どーした?」
「お主、童貞じゃろう? 隠しても無駄じゃ。儂にはわかる。既婚にして童貞とはこれいかに……? これまでに多くの既婚者を見てきたが、童貞など前代未聞じゃ」
婚姻印と同じように、テッカンジーはまたしても見事に言い当てた。
既婚と童貞。特別な事情でもない限り、通常は両立しない。だが、ゲンは図らずもその常識を破り、奇跡の共演を果たしていた。
「オマエは何もわかっちゃいねーな。ケコーンにゃいろんな形があんだよ。そーゆーことすんのだけがケコーンじゃねーだろーが。オレたち夫婦は、心がつながってりゃそれだけでいーんだよ。それが真実の愛っつーもんだ」
ゲンは教え諭すような口調で、負け惜しみを並べ立てた。
「なんと殊勝な……。お主の心意気には感動した。それでは、特別にこの魔法もお主に授けよう。お主の今後の旅で、必ずや役に立つじゃろう」
テッカンジーがゲンの頭に手をかざす。次の瞬間、魔法のイメージ映像が頭の中に流れ込んできた。
「……マジかよ! こりゃすげーな!」
授けられた魔法の正体を知り、ゲンは思わず叫んだ。勘違いでなければ、その名は原作でケイムを倒すことになっている魔法と一致する。絶大な威力を持つが一度きりしか使えないという点も、原作の設定と全く同じだった。
この魔法は本物だろうか。それとも、同じ名前の偽物だろうか。
原作の設定だけはどうすることもできなかったと、ケイムは言っていた。その言葉に従えば、もし本物ならケイムを倒すことができるだろう。まさに切り札だ。
だが、ケイムが本物の存在を容認するとは思えない。自分の首を絞めるような真似をするとは考えられない。
「くれぐれも心しておくがよい。その魔法は童貞にしか使えぬ。その魔法を使いたいのであれば、それまでは何があろうとも決してまぐわってはならぬぞ」
「なるほど、そーゆーことか」
テッカンジーの忠告が、ゲンに一つの仮説を与えた。これから自分の身に何が起きるのか、わかったような気がした。
この魔法は、おそらく本物だ。根拠はないが、これまでのシナリオやケイムの性格を考えると、話を盛り上げるためにあえて本物を登場させた可能性は十分に考えられる。
本物であろうと、使えなければ意味がない。今は使えようと、ケイムと対峙した際に使えなければ何の役にも立たない。ゆえに、使用権の剥奪を目的とするイベントも当然用意しているだろう。
この魔法は、童貞でなければ使えないという。そのため、ゲンの童貞を奪おうと、何者かが色仕掛けで誘惑してくることが予想される。誘惑に勝って貞操と伝家の宝刀を守るか、欲望に負けて純潔と切り札を一度に失うか、ゲンに究極の選択を迫ってくると考えられる。よって、そこから導き出される答えはただ一つだ。
「こりゃどー考えてもハーレムイベント突入フラグだろ! いーじゃねーかいーじゃねーか! やっぱ異世界はこーじゃねーとな! どんなロリをprprしてスーハースーハーしてクンカクンカできんのか、すげー楽しみだぜ!」
楽しいイベントが起きそうな予感がして、ゲンは心の中で快哉を叫んだ。